今日はバレンタインらしい。らしい、というのは我ながら少々強がりかもしれない。今日がバレンタインである事は昨日から分かっていた。だが、分かっていたところで、その行事が自分に関係有るとは限らない。
 翔は一人、授業の用具片付けの為に歩いていた。今日は女子が浮き足立ち、モテる男子も浮き足立ち、そしてモテない男は羨望と嫉妬に歯軋りをする。そんな厄介な日だ。
 それでも、何人かの女友達からはチョコを貰っていた。義理だと分かっていても嬉しいもので、いや、義理の方がありがたい。たとえ本気の告白をされても誰かと恋人になるつもりはまだ無かった。
 まだ、女の子と愛を語らうよりも、友人達と馬鹿騒ぎで笑っていた方が楽しい。
 今日も帰ったら愉快な友人達と騒ぐんだろうな、という予感に自然と足が早まる。一目のつかない裏庭に来た、その時だ。
「そこの人、ちょっと良いかな」
「へ?」
 声がした方を見ると、校舎と校舎の間の暗がりに、黒い布を頭から被ったいかにも妖しい人間が自分を手招いている。瞬間、背筋に悪寒を感じた。翔が今まで養ってきた勘が、彼は危険だと訴えている。
 無視をしようかとも思ったが、何だかそれも危険な気がして、仕方なく一定の距離を保ったままに、彼の前へと立つ。
「俺ですか?」
「そうそう、君」
 パチン、と指を鳴らし、翔を指差してきた彼は見た目に反してどうやら陽気な性格らしい。声からして男。聞き覚えがあるような、無いような、曖昧な声だ。
 なんて瞬時に分析まで出来るようになったあたり、自分も成長しているようだ。だが、遠也や克己辺りであればもっと細かい分析が出来るのだろう、と今頃女子に追い掛け回されているだろう友人を思う。
 早く彼らの戦利品を見たいのに、変なのに捕まってしまった。口元だけが見える男に、不審者の3文字が浮かび、後で生徒会に報告しておこうと思ったところで、彼が口を開いた。
「ズバリ、君は今恋に悩んでいるね?」
「悩んでいません」
 話はそれだけだろうか。
 硬直した相手に一応頭を下げて翔は踵を返そうとした。が、すぐにその肩をつかまれてしまう。
「ちょ、そこは悩もうよ!!一応君このサイト(注:BLサイト)のメイン主人公だろ!?」
 訳の解からない事を喚きながら詰め寄ってくる相手に、翔は口元を引き攣らせる。
「何の話ですか!!あの、俺急いでるんでそういう話は別な人に……!」
 やっぱり怪しい相手に捕まってしまった。そう察し、翔は逃げようとしたが男はそれを許さず、それどころか何やら怪しげな黒い塊を取り出して翔の口元に押し付けてくる。
「そこで登場してくるのがこの不思議なチョコレート!これを一口食べるとアラ不思議、BLッ気のない内容が一気にBLに!!」
「ギャーッ!!」
 そういえば、克己にあまり一人で暗がりに行くなと言われていた。遠也には見知らぬ人間を見たら無視をしろと言われていた。そんな過保護な友人達の言葉を思い出し、翔は後悔する。
 その時だ。
「グハッ!」
 そんな男の呻き声と
「おい、大丈夫か?1年」
 冷静な少年の声が聞こえたのは。
 恐る恐る顔を上げると、先程まで自分を襲っていた男は翔より小さな少年の足の下で痙攣している。色素の薄い髪に意志の強い瞳を持つその少年は、3年生である蒼いネクタイをつけていた。
「……一登瀬先輩?」
「おうよ」
 普段、子虎やらチビやら同年代や後輩にまでもからかわれていた一登瀬虎太郎は、自分をちゃんと名字で呼んでくれる貴重な存在には優しい。今回も、名字で呼ばれたことに機嫌をよくして小さな胸を張り、勝気に口元を上げた。
「生徒会の方に情報が入っていたんだ。変なマント男がうろついてるってな。これ以上は俺達の仕事。お前はもう帰れ」
 そう指示をしてくれる一登瀬は小さくとも確かに格好良い。遠也とどこか同じ空気を持つ人だ。彼も、背は小さいが物怖じしない上に頭が良いのでどことなく威厳を感じる。
「有難う御座います、先輩」
「気にするな、仕事だ……っと、1年」
 その時、去ろうとする翔を一登瀬が呼び止め、翔も素直に足を止めた。
「お前、チョコ好きか?」
 思いがけない問いに、翔は目を大きくする。
「へ?いや……嫌いじゃないですけど」
 その返事を聞いてすぐに一登瀬は青い袋を翔の目の前に突き出した。
「これ、やる」
「……え?」
「俺が貰ったもんなんだけどよ、お前にやるわ。俺には詩野がいるし……あいつに変に気ぃ使わせたくねぇからな」
 詩野というのは彼の婚約者で、政略的婚約なのに関わらず、彼らはとても仲の良いカップルだ。
「じゃあな。気ィつけて帰れよ、1年」
 止める間もなく一登瀬は確保した不審人物を引きずりながら去って行った。その後姿は、翔より小さいもののはずなのに、翔より大きくたくましく見える。
「一登瀬先輩、格好良い……!」
 思わずその背に力いっぱい親指を立ててしまった。


「だーいせいこう!」
 翔が去るのを見届けた不審者、もとい篠崎駿介は満面の笑みで両手を上げた。それに一登瀬はため息を吐く。
「俺は少し良心が痛むぞ……」
「そういうなって、虎ちゃん。これも全ては学校を盛り上げる為!俺達がBL要員にならないため!」
「だが、一般生徒を巻き込むのはあまり感心しねぇよ……。なぁ、高遠……高遠?」
 もう一人の悪友を見上げれば、彼はじっと翔が去った方向を見つめていた。が、声を何度かかけるとようやく気付いてくれたらしい。
「あ、ああ……」
 と、何とも煮え切らない返事をしてくれた。珍しいが、気にしなかった。恐らくは彼も自分の行動に葛藤中なのだろう。高遠は真面目すぎるほどに真面目な性格だ。今回のこの悪戯に彼が協力してくれたのが謎なくらいに。
 生徒会長に忠誠を誓っている彼の考えている事と言えば限られている。だが、その中に今日のような行事が入っていたのは意外だ。
 言いだしっぺは篠崎駿介だ。彼は保健委員書記で、一登瀬の従兄弟でもある。そんな彼が、適当な生徒に薬入りの、勿論人体には無害だ、その薬入りチョコレートを渡して、一波乱起してみないかという傍迷惑な提案だった。普段なら一登瀬はそれを一蹴するのだが、何故か偶然そこにいた高遠が頷いた。さらに、対象生徒までも指定してきたのだ。
 日向翔、とその口がはっきりと指名した。
「もしかして、高遠あの子のことが好きなのか?」
 未だに視線が彼の背を追っている高遠に、篠崎が一登瀬が聞きたくとも聞けなかったことをさらりと聞いた。馬鹿!と心の中で罵倒しつつも、だがナイス!と褒めてしまう。
 しかし、彼は首を横に振り、軽いため息を吐いた。
「公務に戻るぞ」
「あれ?」
 違うの?と篠崎は首を傾げ、「虎ちゃん、分かる?」と聞いてくるが、一登瀬もお手上げた。
「知るか」
 高遠が心に留めている人物は少ない。
 忠誠相手として生徒会長、要注意人物として副会長、そしてもう一人が
「克己様……」
 はぁ、と疲れたようなため息を吐いて高遠は一人項垂れた。
 彼の行動は一応監視しているので、彼の身辺にいる人間の情報も自然と入ってくる。元不良頭の篠田正紀、矢吹家の御曹司である矢吹いずる、佐木大病院の息子佐木遠也、そして
「日向翔……か」
 何度か顔を合わせたことがあるが、不可解な人間だ。だが、そんな相手を克己は気に入り、側においている。
 本当に気に入っているらしい。傍目から見ても分かるくらいに。彼が日向翔に好意を抱いていることくらい、すぐに分かった。だが、彼はそれを伝える気もないようで、さらに日向の方はそれに気付いてもいない。
 ここはこの自分が一肌脱がなくては。
 よく解からない使命感にかられてしまい、高遠は克己に知られたら半殺しではすまなそうな計画を実行していた。気付かれることはないだろう。確かに、相手を指定したのは自分だが、細かい下準備や実行をしたのは篠崎と一登瀬だ。
 最も、篠崎が入れようとしていた薬は笑い薬や眠り薬程度のものだったようだが。
 克己様、頑張れ。
 ぐっと拳を握り、高遠は一人青い空を見上げた。



「うひー……やっと帰ってきたー」
 片づけを終わらせて寮に戻ってくれば、賑やかだと予想していたのに何故かシンとしている。どうやら、殆どのクラスメイトが部屋には戻ってきていないらしい。
「あ、日向」
「お。篠田」
 と、そこで正紀が部屋から出てきたところに遭遇する。彼もモテる人間だから、結構な量のチョコレートを貰っているのだろう。
「どっか行くのか」
 私服に着替えた彼は財布だけを持ってどこか買い物にでもいくような格好だ。しかし、外を見れば暗くなりかけている。こんな時間からどこに行くんだろうという疑問も込みの問いだった。
「いや、いずるもいねーしブラブラしようかと思ってたところ。ブラブラしてたらもしかしたら女の子にチョコ貰えんじゃねーっかってな」
 ああ、成程。男子は影でそんな努力をするのか。
「あ、つーかそれ、もしかしてチョコか?」
 目ざとく翔の手にあるラッピングバックを見つけ、正紀が人の悪い笑みを浮かべる。
「いや……まぁ、貰ったもんだけど。そういうんじゃねーよ」
 上手く説明できず、翔は手を横に振るが、正紀は笑い、恐らく理解してくれていない。
「そーかそーか。でも気をつけろよ?今、チョコ狩り中らしいからな」
「チョコ狩り?なんだそれ」
 聞き覚えがない単語だったが、それが物騒な内容だという事は察せる。それに思わず一歩後退してしまった。
「そ。貰えなかったやつらが徒党を組んで、あからさまにモテる奴の部屋に押しかけてチョコレート全部没収していってるんだ。俺の部屋もやられた」
 盛大なため息を吐きながら正紀は肩を竦ませる。今年はどうやら物騒なバレンタインになりつつあるようだ。
 そうか、だからこんなに寮内が静かなのか。徒党を組んでる人間の方があからさまに多い上に、部屋にいたら彼らに襲われてしまう。その騒動を目の当たりにした正紀は額を押さえていた。
「トリックオアトリート!って言いながら奴らは来たんだ」
「って、それ行事違くね?」
 意味的には間違ってはいないのかもしれないが。


1.可哀想なので正紀にチョコレートをあげる。
2.いずるのところにいく。
3.部屋に帰る。
4.何となく和泉のところに行く。