「大丈夫か?」
「・・・・・・え?」
眼を開けてすぐに誰かが話し掛けてきたのに、正直に驚きの声を上げていた。
その前に、自分は今まで眠っていたのか?
身を起こすとリビングのソファに寝転がっていたのだと知るが、ココで寝た覚えは全く無い。
「お前、あれから気を失ったんだ」
不思議そうにしている要に説明をしたのは久我だった。彼の説明から察するに、気を失ったらしい自分を彼がココまで
運んできてくれたのだろう。
「血を見て卒倒するなんて、意外と気が弱いんだな」
からかうような彼の言葉にそんなはずはない、と心の中で否定していた。
「そんなこと、今まで一度も無かった」
血を見たことは何度もある。最近、夢の中でも見ているからむしろ慣れるだろう。
何となく眼をやった壁掛け時計は11時を指している。結構長い時間意識を失っていたようだ。
「・・・・・・シャワーでも浴びて来たらどうだ?」
久我の指摘に自分がかなり汗をかいていることに気が付く。クーラーはきいているはずなのに。
おまけに体がかなり怠い。
「あぁ・・・・・・そうだな」
ふらふらとバスルームに向かう彼を見送り、久我は無意識のうちにため息をついていた。
きちんと片付けられたリビングにはまだ故人の香りが残っている。
リビングの雰囲気に合ったシンプルな飾り棚にはいくつか写真立てが置いてあり、その中では必ず家族3人が幸せそうな笑みを浮かべていた。
「・・・・・・周星」
お前、本当に幸せだったんだな、と思わず零していた。
こんなに満面の笑みを浮かべている彼を見たことはあまりなかったから。
笑顔の彼の傍らに立って赤ん坊を抱いている彼女も、だ。
「家族、か・・・・・・」
リビングに戻ってくると人の声が聞こえてきた。どうやら久我がニュースを見ているらしい。
がしがしと濡れた頭をタオルで拭きながら冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出しグラスに注いだ。
「で、今日は何の用があって来たんだよ、神父」
カウンターにグラスを音を立てて置く。
ソファに座っていた久我は首だけでこちらを振り返り、「別に」と何とも微妙な返事をくれた。
「教会にクーラー無いからな」
「って涼みに来たのかよ」
確かに今日の最高気温は32度と天気予報のお姉さんが笑顔で言っていたが。
『お昼のニュースです』
時報の後の堅い女性の声に何となく耳を傾けていた。
もうそんな時間帯なのか。
「なぁ、神父、今日クロンの散歩してやってくれないか?」
「・・・・・・この炎天下の中?」
「夕方でも良いよ」
クロンだって暑い中散歩は嫌だろう。
自分が散歩をしようとすると多分途中でさっきみたいに記者に捕まってしまう。
久我もそれは理解してくれていたらしく、沈黙の承諾をくれた。
手の中で少し温くなった茶色い液体に口を付ける。多少の苦味はご愛嬌だ。
『―――――亡くなったのは――の』
物騒な単語が耳を掠めたと思えば、昼時のニュースの時間になっていたらしい。
何となく画面に視線を滑らせ、驚きに手の力を抜いてしまった。
ごとん、と重力にしたがってグラスがフローリングの床に落ち、中身を辺りにぶちまける。
その音に新聞を読んでいたらしい久我も顔を上げ、その目線に丁度テレビの画面が有ったらしい。彼の動きも止まった。
画面は駅前の商店街を映していて、テロップにあの名刺に書かれていた名前と死亡の文字が白抜きで書かれている。
アナウンサーの説明によると、看板の下敷きになって死んだらしい。
「・・・・・・偶然、だな」
久我は淡々とした声でそう言ってくれるが、どうしても要には偶然とは思えなかった。
何に対して偶然という言葉を使うべきなのか。
夢を見た。彼が死ぬ夢。
前も夢を見た。両親が死ぬ夢。
これは、偶然?それとも必然?
偶然という言葉は自分にとって都合のいい響きだった。
『偶然』の存在はとても不思議だけれど、自己防衛には必要な単語なのかもしれない。
願わくは、全てが『偶然』でありますように。
「あ、日月!」
世話になっている教会へ帰ってきたのは夕拝も終わった夜。
ここは彗日が管理する教会だ。この間要に渡した連絡先の場所。
手土産の本を片手にのんびり帰ってきた久我に彗日が慌てて駆け寄った。
「遅い!何してたんだよ!しかも俺のバイク使いやがって!」
いつもより慌てた様子の彗日にかまわず手に持っていた本を見せ付ける。
「読書」
平然とした悪びれも無い返答に彗日は頭痛を感じた。
「あのな、日月、お前がココに来たのは」
彼のお説教を遮るように教会の奥にある電話が鳴った。
二人は顔を見合わせ、久我はニヤリと笑いソレを見た彗日はくやしそうに奥へと走っていく。
ここの教会の管理者は彗日だ。電話に出るのも勿論彼だ。
「はい、もしもし」
ベルが鳴り止んですぐ彗日の声が微かにココまで聞こえてくる。小さい教会だから仕方の無い事だ。
「え?あぁ、すみません、少しお待ち下さい」
取次ぎの台詞が聞こえてきて、少し嫌な予感がする。
ここに今住んでいるのは彼と自分だけだから。
「日月、フランスから国際電話でーす」
彗日がコードレスの受話器を持って来たときに「居ないって言え」とそっけなく言ってやるが、保留にしていなかったらしく、
相手にその台詞は筒抜けだった。
『やーん、カヅキってば相変わらずつれないんだからぁ』
渋々受話器を受け取ると、予想通りあまり話したくない相手の高い声が鼓膜を直撃した。
高い声、と言ってもあからさまに作った声で、女のものとは全然違う。
「久し振りですね、イーヴ」
素で接すると図に乗る相手なのでこちらも声を優しげにしてやる。
『本当に久し振りよねぇ、ってゆーか何で日本に着いてからずっと連絡くれなかったの?私ずっと待ってたのに!』
「あぁ、別にする気なかったので」
『そっかー、私に心配をかけまいとしてくれてたのね!嬉しいわ!』
「・・・・・・」
この男、どうしてくれよう。
「何で貴方日本語なんですか?」
ひとまず最初に浮かんだ質問をぶつけてみる。
イーヴはフランスの神父で、確かに何ヶ国語か話せていたけれど日本語が入っていたとは知らなかった。
その返事は何とも健気なものだった。
『カヅキが日本に行くって気付いてたの。だから同行しようと思ったのに、私が地方に行ってる時にさっさと行っちゃうんだからぁ!もぅ!意地悪!』
矢張り気付かれていたか。
だからフェストにも直前までいつ行くか黙っていたのだ。彼が付いて来ない様に。
こんな使い慣れない日本語で女言葉を話す男を連れて歩けるか。
『シマザキに会いに行ったんでしょ?くやしー!カヅキは私のなのに!』
しかも妙なことで悔しがっている。いつお前のになったんだ、と突っ込みを入れたくなるが入れたところで何も変わらないので黙っていた。
「ところで、お願いがあるんですが」
『え?何々?カヅキのお願いならなんだって聞いちゃう』
「何人か、こっちに送ってくれませんか?少々空気が悪くなってきまして」
『え、そうなの?じゃあ送ってあげる。彗日だけじゃ心許無いでしょ?』
「えぇ、全くその通りで」
少し声に力を入れると彗日が眉を寄せた。こういう時の勘はいいのだ。
『早く終わらせて帰って来てね。私淋しくて死んじゃう』
『Veuillez revenir tot qui est un souhait. Sa colere est wreaked sans raison
sur lui par moi. C'est douloureux !
(カヅキ!頼むから早く帰って来てくれ!!イーヴのヤツ俺に八つ当たり・・・・・・いってぇ!)』
猫なで声のイーヴの台詞の向こう側でフェストの切実な悲鳴が。
可哀想だけれど彼らの願いを今すぐ叶えるのは無理だった。
というか叶えてやる気はさらさらなかった。
「考慮しますよ」
『絶対よー?・・・・・Puisque des personnes de recherches de l'un l'autre
doivent etre recherchees, finissez les affaires mineures rapidement.
(お互い探す人探さないといけないんだから野暮用はさっさと済ませろ)』
「・・・・・・わかっていますよ」
『カヅキ独りでだって本当は充分すぎるくらいじゃない。人材派遣なんて珍しい』
「・・・・・・Puisqu'il est ennuyeux que beaucoup de choses soient notees
par lui.(彼に色々気付かれるのは厄介だからな)」
何となくフランス語で返事をしてやると悔しそうな声が受話器から飛び出してくる。
『妬ける!』
「はいはい」
適当にあしらってそろそろ会話を終わらせようと思う。
だらだらしているとイーヴのマシンガントークが連射されてしまうから。
「あぁ、そうだイーヴ」
『え?』
「Dans votre chose, la les AM aucun I et moi suis la chose de mon Dieu.
(私は貴方ではなく神のものです)」
がちゃり。
通話が切られ、海の向こうでイーヴはしばしの間受話器を耳にくっつけたまま硬直していた。
「い、イーヴ・・・・・・?」
滅多に無い事にフェストは怯えていた。日月がフランスから旅立った直後、地方へ仕事に行っていた彼が入れ違いに帰ってきた時は
かなり酷い目にあったからだ。
「あぁもう、カヅキってば格好良すぎよぉぉぉぉ!」
きゃあああ、と嬌声をあげるイーヴ神父を見て脱力した。
「カヅキぃ・・・・・・早く帰って来てくれ・・・・・・」
涙ながらの訴えが聞き届けられたことは一度も無い。
それでも神に願わずにいられないというのは神父の性だ。
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