「要!」

 次の日、久々に学校へ行くと友人たちの驚いた顔を拝む事が出来た。
 転校生相手のように自分の周りを取り囲むクラスメイトに、大丈夫だと返して席に着く。

「利哉」

 隣の席の彼に「おはよ」と前のように声をかけた。この間のことがあって気まずい思いをしていたのは要だけだったらしく、彼の態度はいつもと変わらなかった。

「学校に来て大丈夫なのか?」
「平気。あんまり休むと学費が勿体ないしな」

 さっそく所帯じみているのか、と利哉は笑う。

「お前、今日もウチに来いよ」
「ああ、いい。俺も料理とか覚えないといけないしさ」

 それに、独りにも慣れないといけない。

 流石に何回も家族の団欒を邪魔するわけにはいかないだろう。

 気にしなくてもいいと利哉は言うが、こっちはかなり気になることだ。

 どうにか彼を説き伏せて、授業の開始の鐘を聞いた時ふと窓の外へ視線をやる。

 背筋が凍る思いとはこの事なのだろうか。夏なのに、全身に氷水を浴びせられたような寒気を感じた。

「要?」

 不思議そうな利哉の呼びかけにも答えず、要はその人物に見入っていた。

 校門のところにいる、季節はずれの黒い服を着た人物。

 顔はよく見えなかったが口元は確かに、笑みの形に歪んでいた。

 悪魔のような、人を凍りつかせる微笑だった。


『これでお前はようやく』


 あの男の声が蘇る。

 久我に言った。

 殺したいほど恨んでいる、と。

 でも、憎しみより恐怖のほうが先に立っていた。

 見なかった振りをして授業を受ける。

 けれどノートを取る余裕も、教師の弁論に耳を傾ける余裕も無かった。

 心臓がどくりどくりと重く鳴り響き、シャーペンを持つ手が小刻みに震える。

 神なんて信じていないのに、祈るような格好で手を組んで目を強く閉じた。

 この時間さえ無事に終われば。

 そんな要の願いはあっさり棄却される。

 不意に今まで朗々と流れていた教師の声が聞こえなくなる。

 授業中聞こえるはずのペンが紙の上をすべる音、僅かな話し声、人の息遣い。

 すべての音が消えた。

 だから自分の心音だけが大きく聞こえる。

 手を強く握って、ゆっくり目を開けた。

 開けてはいけない、と心の中で誰かが言ったけれど、目蓋は自然と上がっていく。

 そして、視界に紅い景色が広がった。

 黒いはずの黒板が何かの液体が遠慮なくぶちまけられて、赤ずんでいる。

 教壇の上に倒れている教師と、それぞれの机の上に伏せているクラスメイト。

 皆微動もしない。

 ぴちゃりぴちゃりと液体が滴り落ちる音が段々あちこちから聞こえてくる。

「利哉・・・・・・?」

 隣の席の彼を呼んでも返事が無い。

「おい、利哉!!」

 鼻につく血の臭気。


 冗談だろう?


 悪い夢なのだ、と恐怖を訴える心臓を嘲笑った。

 音がしそうなほど震える手で、机に突っ伏している親友の肩を掴んでゆっくり引く。

 まず目に入ったのは紅く塗られた机と白いはずなのに紅くなっているノート。

 かしゃん、という音に驚いて顔を彼に向けてしまい、後悔する事になる。

 それは利哉の顔から眼鏡が外れて落ちた音で、やはり血に濡れていて。

 利哉の喉は何かでぱっくりと切り裂かれていた。

 その傷口からはまだどぷどぷと紅い液体が排出されている。

「そ、んな・・・・・・」

 ふらりと倒れそうなる体を持ちこたえる為に足を後退させると椅子に当たり不快な音を立てた。

 嫌だ。

 ふるふると首を横に振って目の前の情景を否定しようとした。でも嗅覚は確実に血の臭いを感知している。

「みつけた」

 耳元で囁かれ、びくりと体を震わせた。

 この間の男と同じ声。

 冷たい恐怖で体が硬直した。

 ひんやりとした手が顔を包み、後ろを振り向くように促している。

「違う・・・・・・」

 口が勝手に動いて何かを否定した。

 違うって、何が?

 けれどこの否定に何か心当たりがあるのか、手の動きが止まる。

 だからこの言葉の威力に頼ってもう一度繰り返した。

「違う、俺は・・・・・・俺は違うんだ!」



 瞬間、左眼に鋭い痛みを感じた。



 ナニガチガウノ?



 気を失う直前に、そんな嘲笑うような女の声が聞こえた気がした。










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気になるところで止めてみる。