「教会・・・・・・」
要の目の前にはまず立派な造りの門があり、その向こう側に教会がある。
覚悟をしてはいたがまさかこんなに大きなところだったとは。
無意識のうちに住所を書いた紙を握りつぶしていた。
何故わざわざ自分がこんなところに来ないといけない。
家に帰って来て朝食でも食べようかとキッチンへ行こうとしたら、クロンが服を軽くひっぱってきたのだ。
何だと思い、引かれるがまま応接間に行くと彼が何かを見つけたようで鼻でそれを示してきた。
銀色のジッポライターだ。
拾い上げてみると、何かワケの解らない文字が彫ってあり、ずしりと重い。
父親は煙草を吸う人ではなかった。カフェイン中毒のケはあったけれど。
自分だって未成年だ。
母親もどちらかといえば煙草嫌いで。
そこまで考えて、嫌な予感がした。
一応、電話をしてみた。
間違いだったら、というよりもむしろ間違いを期待して。
しかし、返された言葉は
『ああ、やっぱり俺忘れていったのか。悪ぃな、持ってきてくれ。今日の住所教える』
こちらの返事も聞かずヤツは電話を切った。
もしかしてわざと忘れて行ったのではないかと思うほどあっさりとした対応で。
いっそのこと捨ててやろうかとも思った。けれど、ライターに彫られている字の内容が気になったのだ。
どう見ても飾りではなく、購入してから彫られたような荒々しさ。しかも英語ではない文字らしく、意味がわからない。
大事なものだったら簡単に捨てられない。
だから渋々届けに来たのだ。因みにクロンはお留守番。
日曜で礼拝があるらしく、門は開放してあり簡単に中に入ることが出来たが、慣れない施設に多少抵抗を感じる。
きゃあきゃあと甲高い子供の声がするから、きっと孤児院も経営しているのだろう。
門の前でウロウロしていたら礼拝常連者の視線が集まっている事に気が付いた。
いっそ、帰るか。
道に迷ったとかそこら辺の言い訳を言えば彼も怒りはしないだろう。
邪道な解決策を考え出し、それを実行しようとしたその時
「こんにちは。教会は初めて?」
「うわぁ!」
穏やかな声に驚いて顔を上げると、そこに黒い神父服を着た青年が立っていた。
地毛であろう茶色の髪が日光できらきら光っている。
「驚かせてゴメンね、今日は礼拝に来たのかな?」
青年は宗教関係者特有の笑みを浮かべながら要に近寄ってきた。
彼の丁寧な態度に少しほっとする。
「私は朝倉彗日といいます。ここの専属ではありませんが神父です。貴方は?」
「か、要。島崎要」
戸惑いながらも答えると、彗日と名乗った青年は驚いたように軽く目を見開いた。
「要ちゃん?」
「はい?」
首を縦に振って返事をすると、今までの穏やかな空気はどこへ行ったのやら、彗日はいきなり声のトーンを上げる。
「うっわー、君が要ちゃんかぁ、想像以上に可愛いな。日月のヤツが気にかけるのもわかるよ」
へぇ〜とか、ほぉ〜とか感心するように声を上げる彼に戸惑わずには居られない。
「いや、あの?」
「なんだぁ、最初っから言ってくれよなぁ」
「だから、その」
「日月はこっち。もうすぐミサだから少ししか話出来ないと思うけど・・・・・・」
彗日に手招きされ慌てて彼について行くしかなく。
何だか話があっさり進んでいく。
しかもかなり早く進んでいるので、彗日がどこまでわかっているのかわからない。
石畳の上を歩いていくと、ミサを行っているらしい教会に着いた。
宗教に疎い要には教会、というと結婚式のイメージしかないのだが。
「こっちこっち」
彗日が成るべく音を立てないように扉を押す。
石の造りの建物特有のひんやりとした空気が頬を撫でた。
沢山ある木の長椅子には結構な数の人達が座っていて、雑談をしながらこれから始まるミサを待っている。
「久我神父さま!」
笑いを含んだ彗日の呼びかけに、祭壇の方でシスターと何やら話しこんでいた青年が顔を上げた。
同じ日本人なはずなのに妙に印象的な黒髪に黒い瞳を持つ美形に眼鏡をかけて、誠実なイメージを持たせるその外見はまさしく
「要くん」
久我は聖職者特有の穏やかな笑みを浮かべてこちらにやって来た。
その笑顔にまともに当てられ、背筋に悪寒のようなものが走る。
しかも、名前の呼び方が「要くん」。昨日とは態度が180度違うではないか。
「すみません、忙しいところを呼び出してしまって・・・・・・」
すまなそうに久我は眉を下げ、寒気がするほど殊勝な態度に出てきた。
なんだ、新手の嫌がらせか?
「久我神父様、お知り合いなんですか?」
見たことの無い要の顔に近くに居た教会の常連者が素直に首を傾げる。
そりゃあ、教会に来た事が無いのに神父と知り合いなんて、不思議以外の何モノでもないだろう。
「はい。私の友人の息子さんなんですよ」
誰に対しても丁寧に、優しく。
そんなモットーでも掲げているのか、久我の態度は昨日と違ってとても慇懃なものだった。まさに、神父の鑑というか。
その雰囲気に容姿もプラスされて非の打ち所の無い人物を作り出していた。気がつけば教会内にいる女性の視線がこちらに釘付けになっている。
「すみません、要くん。これからミサなので、少し待っていて貰えますか?・・・・・・要くん?」
茫然としているこちらの様子に気付いた久我が怪訝な表情になって顔を覗き込んでくる。
どこか心配そうな色を持つ黒い瞳に見つめられ、要の中で何かが切れた。
「この猫被り―――!!」
と、指差して叫びたかったのだけれど。
「この」の時点で聡明な神父様は要が何を言いたいのか察したらしく、余計なことを言われる前に彼の口を大きな手で塞いでいた。
「どうしたんですか!?」
周りの人達は突然の事に驚いていたが、
「具合が悪くて吐き気がするらしいんですよ、ちょっと外に連れてきます!」
慌てた様子の久我の一言で万事納得。
よくよく見れば、要の顔色が青いような気がしなくもない。
実際のところは吐き気で青くなっているのではなく酸欠で青くなり始めていたのだが。
心配そうな視線に見送られ、再び要は教会の外へと連れ出された。殆ど引きずられていったのだが。
ミサの時間が迫っているからか、外に人は殆ど居ない。それでいて更に人気の無いところへ連れて行かれたと思ったら
「・・・・・・お前は俺を破滅に導きたいのか?」
さっきと同じ穏やかな笑みを浮かべ、地を這うような声を出すのは止めて欲しい。
「猫被り・・・・・・」
久我の威嚇に小さな声で言えなかったことを口にすると鼻で笑われた。
「悪いか?」
開き直っている男に何を言っても無駄だろう。
「まぁまぁ、日月・・・・・・」
付いて来たらしい彗日がたしなめる様に久我の肩を叩く。
「要ちゃんが何を言っても誰も信じないって」
それは、久我にはかなりのフォローになるが要にとってはかなりの侮辱。
「はぁ?何ですか、ソレ」
怒りを込めて彗日を睨みつけてやると彼はびくりと身を震わせて怯えた。結構小心者。
「や、だからね、日月ってばこんな性格だけどっ、てゆーかこんな性格だからかな?猫かぶって周りからの信頼を得ているんだよね!姑息ってゆーか、狡猾っていうか」
「彗日、消えろ」
たどたどしいフォローに今度は久我が怒りのオーラを放つ。
彗日は多分気付いていない。自分がフォローすればフォローするほどドツボにはまっている事に。
しゅんとしながらとぼとぼと教会の方へ帰ってゆく彼の背からは哀愁が漂っていた。
哀れだとは思ったが同情の余地はない。
余計な人間が居なくなったところで、再び要と久我の睨み合いが始まった。
「で、持って来たのか?」
久我が催促の手を伸ばしてきたのにため息をついてみせた。
「持って来た。ったく、アンタが忘れたんだからアンタが取りに来いよ」
ぶつぶつ文句を言いながら要はライターを入れていたズボンのポケットに手を突っ込んだ。が
「・・・・・・アレ?」
左ポケットは空っぽ。右にも手を突っ込んで見るが布の感触しかない。
「どうした?」
早くしろ、と久我が怪訝な目を向けてくるが、それを叶えてやる事は出来ないみたいだ。
「・・・・・・無い」
ぽつりと要が呟いた言葉に久我は硬直していた。
「や、家を出た時はあったんだ。で・・・・・・」
それ以降はその存在を確認していない。
電車の中でも途中歩いた道でも。
「・・・・・・つまりどこかで落とした・・・・・・と?」
久我の推測に頷くしかなかった。
「お前―!」
「忘れるアンタがいけないんだろうが――!!」
この声はぎゃいぎゃい騒ぐ声は教会へ向かっていた彗日の耳まで届いていたらしい。後々「楽しそうだったね・・・・・・」と恨めし気に言われることになる。
「ったく、お前はジッポが見つかるまで俺に禁欲生活を送れと言うのか?」
「送っとけよ神父様」
大体、何で神父の癖に煙草なんて吸っているんだ。
そんな意味を込めた視線を投げかけるがあっさりかわされる。
まぁ、この男相手に何を言っても無駄なのだろうが。
「・・・・・・悪かったよ」
取り敢えず謝ってから思い出した、あのライターの表面に彫られていた文字の存在。
その荒々しさに誰かが意図を持って彫ったのだろうと解釈して届けに来たのだ。もしかしたら大事なモノなのでは、と。
「わ、悪い!!」
はぅあ!と奇妙な声を上げて謝り直す要に久我は怪訝な目を向けた。
棒読みで謝られたと思ったら、今度は必死になっているのだ。数秒の思考で何を考えたのだか、流石に予測不可能で。
「・・・・・・お前、何急に慌てているんだ?」
「だって、アレ大切なものじゃないのか!?表面に文字彫ってただろ、どこの国の言葉かわかんねーけど!」
「・・・・・・文字?」
不思議そうに呟いた久我の様子に、要は慌てるのを止めた。
「・・・・・・文字じゃねーの?」
「・・・・・・いや、文字だが」
やっぱり!と心の中で悲鳴を上げるが、久我は何だか考え込んでいる。
怒っているとかそういうのではないようだけれど。
「俺、ちょっとそこら辺探してくる。ミサが終わる頃にまた来るから」
責任を感じずにいられず、地面に視線をやりながら要は走り出す。
久我はその背を見送りながら不思議そうに目を細めていた。
小2時間ほど探してみたが、結局見つからなかった。
下車した駅までの道を探したけれど見つからず、駅内にも無く。
もしや電車の中で落としたかと思い、駅員に聞いてみたが答えは「NO」。
がっくりと肩を落としている時に「君、未成年だよね」と棘のある台詞を頂くだけだった。
「どうしよう・・・・・・」
がっくりと教会内の芝生の上に座り込む要を今回のミサ担当ではない彗日が慰める。
「だ、大丈夫だよ・・・・・・日月アレでも一応神父だし、ちょこっと怒るかもしれないけど」
「怒られるのは別に良いんだけど・・・・・・」
他人の大事なモノを無くしてしまったというのがかなり負い目になっている。
弁償なんて出来ないものだから尚更。
額を押さえた時に耳元に届いた軽い金属音に眉を寄せる。
昨日、久我から受け取った父親の形見のイヤーカフ。あのジッポが彼にとってコレと同じようなモノだったら。
考えれば考える程ドツボにはまってしまう。
「・・・・・・要ちゃん、アイツの何を無くしたの?」
彗日の知っている範囲でそこまで彼が大切にしていたものは無かったように記憶している。
だから要がここまで必死になるようなことは無いと思うのだが。
「えーと、銀の」
「神父さまぁ〜〜〜」
元気な声が要の返答を遮った。
みれば数人の子供達が彗日の方に駆け寄ってくる。隣の孤児院の子供達だ。
5歳くらいの小さな手には春の花で作ったらしい花輪が。
「見て見て、かおりが作ったの」
「上手に出来たね、誰にあげるのかな?」
彗日の質問に少女は笑みを深くする。
「くが神父様!」
今その名を聞くとダメージをくらってしまう。
彼女の笑顔から彼がかなり好かれていることが伺える。多分、子供相手にもあの猫かぶりなのだろう。
この間要の家で俺様態度を取ってくれた神父が自ら好き好んで子供と戯れるような人間とは思えない。
もしかしたら可愛い女の子相手だったら将来性を考えて優しくしているのかも。
そんな事を考えていると、服の袖を引っ張られる感じが。
「おにーちゃん、だれ?」
好奇心いっぱいの子供の黒い大きな瞳。なれない視線に答えを迷ってしまう。
「俺は・・・・・・」
「ねぇ、あそぼ?」
要の自己紹介を聞く前に彼女は小さな手で手を引っ張ってくる。
戸惑いつつ彗日に視線をやると笑顔で頷かれた。
「あのね、この冠の作り方、久我神父様が教えてくれたの」
子供達の遊び場らしい芝生の生えた広場には彼女が冠の材料にしていた花が沢山生えていた。
確か、シロツメクサという種類だ。
「大切な人にあげたかったけど、駄目だったんだって」
幼い頃の失恋話でも聞かせていたのだろうか、久我神父様は。成程、それで同情を買うのか。
要は小さな手で器用に花を冠にしていく彼女の手付きを眺めていた。
周りの子供達も出来はそれぞれだけれど、一生懸命指輪や腕輪を作成している。
自分が小さい時にはこんな遊びはしなかったなぁとぼんやり思う。どちらかといえば体を動かして遊ぶ方だったから。
「はい、おにいちゃんの」
あっという間にもう一つ冠を作成した少女が要の頭にそれを乗っける。
ふんわり草の匂いがした。
「お似合いですよ」
今そんなことを彼に言われるのは嫌味以外のなにものでもない気がする。
草を踏む軽い音に振り返ると、予想通りミサを終わらせたらしい久我が立っていた。
猫被りの笑顔は「テメェ、ちゃんと見つけてきただろうな」と言っているように見える。
負けじと引きつった笑みを返してやると呆れたようなため息を吐かれた。
「久我神父様!」
少女が彼に駆け寄ると、彼は優しく彼女を抱き止める。慣れた仕草は流石だ。
「大切な人、というと少し語弊がありますけど」
頭の上に乗せられた冠を手にとって眺めていた要に久我は苦笑しながら話を振った。
「王サマ、ですかね」
「はぁ?」
「茨の冠を被せられ、十字架という重荷を背負った王サマ」
そこまでヒントを貰えたら宗教に疎い要でもわかる。
彼らの宗教の信仰相手の事を言っているのだろう。
結局はそういう話に進んでしまうのか。まぁ、彼は神父なのだからそれが当然だろうけれど。
何でも自分達が信仰する神に話をつなげてしまう信者たちには少々閉口してしまう。
「・・・・・・悪いけど、俺、神なんて信じていないんだ」
挑戦的に言い放つ要に彼は穏やかに笑う。
何だか全てを見透かしているような笑い方だ。
「信じる信じないは貴方の自由ですよ」
模範的回答を有難う。
売った喧嘩はあっさり返品されてしまい、要は肩の力を抜いた。が
「神様は、いるよ?」
信じられない言葉を聞いた少女は目を大きくして要に言う。
宗教関係の孤児院に居る子だから、毎日礼拝を受けて幼い頭に神の存在をすでにインプットされているのだ。
要としても先程の神父同じくすでに信じている人間に余計な干渉をする気はない。それに論議を交わすには彼女は幼すぎる。
「かおりのパパとママは神様のそばでしあわせに暮らしているって、シスターが言ってたもの」
けれど彼女の言葉に要は眉を顰めずにはいられなかった。
死んだという事実を飲み込めない幼い子供にはよく使われる天国論。
けれど、そんな言葉で納得できるほど要は幼くない。
「ね?神父様」
彼女は神父に同意を求めて、それに答えるように彼は少女の頭を撫でる。
どうしてそんなに彼女が嬉しそうなのか、理解出来ない。
こんな小さな子供の言う事にいちいち反応していたら身が持たない事は要もわかっていた。
けれど、どうしても納得出来ない。自分の両親が神の側で幸せに暮らしている、なんて。
神の側が、息子である自分の側より幸せなのか。
一人残された自分はどうすればいいのか未だにわからないのに。
「さぁ、そろそろお昼の時間ですよ。食堂へ行って下さい」
神父の柔らかい言葉にそこら辺で遊んでいた子供達全員、元気に返事をしてあっという間に居なくなった。
「悪かったな」
その途端変わった声のトーンに要は息を吐く。
「何でアンタが謝るんだよ。謝るのは俺の方だろ」
届けるべきのものを無くしてしまったのだから。
「・・・・・・素直だな」
意外、というように彼はにやりと笑う。
さっきまで善人顔だった男は一気に化けの皮を剥ぐ。
世の中の汚い事なんて何も知りませんという笑顔だった神父が、世の中の汚いところだけ見てきましたというような顔に。多分後者が素だろう。
「あの子は、小さいから死というものをきちんと受け止められない」
脈絡の無い台詞に要が顔を上げると久我は彼女に渡された花冠を手に取り、憐れみの目でそれを見つめていた。
「彼女の両親は、交通事故だ。他にも親に捨てられたり、病死したりした子供が沢山ここには居る」
だが、と久我は言葉を切って肩を竦めて見せた。
「流石に、両親とも殺されたというヤツはいないな」
「・・・・・・そう、か」
直接少女から貰った冠を持つ手に力が入る。
柔らかい草で出来ているから握っているという感じは少ししかないが。
何かを堪えようとする要の行動に久我は目を細める。
「お前が、相手を恨む気持ちを咎めるつもりは無い。恨んで当然だ」
何を見破ったのか、久我の口調は穏やかだ。
昨夜、利哉に当り散らした自分にとっては痛くて優しい言葉。
「・・・・・・間違っているのは、自分でも解っている」
犯人を見つけ出してこの手で殺してやろうと思っている自分。
利哉は、くだらないときっぱり言った。多分、自分が利哉の立場だったら同じ事を思ったと思う。
「でも、他にどうすれば良いか、わからないから」
間違っていると言われても、どうしようもない。
「自分で間違っているとわかっているんなら、止めとけ」
久我の静かな声に手が震えた。
「止められるなら、止めてる!でも本当にどうすれば良いかわかんねーんだよ!」
天国論を信じようにも要は知識を持ちすぎている。小さな子供のように天国で幸せにしているなんて考えられない。
いっそ、そんな風に考えたらどれだけ楽だろう。
そして、独りになってどうすればいいのか答えを導けるほどの知識は無い。
「も、わけわかんねーことばっかだし」
最近観るようになった奇妙な夢も悩みの種だった。
「・・・・・・考えるの、止めてみれば?」
辛そうに表情を歪めた要への久我からのアドバイスはあっさりしたものだった。
「・・・・・・はぁ?」
「ごちゃごちゃ考えるからロクな答えが浮かばねーんだよ。しばらく難しい事考えるのは止めとけ」
「お前・・・・・・神父にしてはロクなアドバイスしねぇな・・・・・・」
正直、呆れた。
もういい。こんなヤツに愚痴を言ったのが間違いだった。
そんな自分を嘲笑っていると久我は不快気に眉を上げる。
「お前、この俺の世界遺産並に貴重なお言葉を聞き流すのか?」
「悪いか?」
「本当に可愛げねぇよな・・・・・・流石周星の息子だ」
この間から可愛げが無いと連発されているが気に止める気もしない。
自分は男だ。可愛げがあってたまるか。
いつもの調子で強く睨みつけてくる要の様子に久我は密かに口元を上げていた。
「なんだ。心配して損したな」
のんびりした言葉に要はむっとする。
「心配なんて、アンタにして貰わなくても結構だ」
「はいはい。それならさらに安心だな。どうせ俺、日本に居られるのは後一ヶ月くらいだし」
「・・・・・・アンタ、外国に住んでいるのか?」
「一応な。フランスに家があるから。後ローマにも」
それほど仲が良い間柄だったのだろうか、両親と彼は。
「あぁ、じゃあ今回は父さんと母さんが死んだって連絡が行ったからわざわざ・・・・・・」
そんな遠くから来たということは、矢張り仲が良かったのだろう。
そう納得しかけたが顔を上げると久我は微妙な顔をしていた。
「そう・・・・・・いうわけでも無いんだが」
小声でボソリと言われた言葉は幸い要の耳には届かなかった。
怪訝な顔をする要に誤魔化すように笑顔を向ける。
「ま、とにかく。貴方に神からの祝福を」
ネコを被った方の口調と笑顔で言われ、吐き気を感じた事は秘密だ。
「俺から親を奪った神からの祝福なんて要らない。神が居ればの話だけど」
「ごもっとも。で、見つかったのか?」
今まで全然違う話をしていたのに、どうしてすぐに話題を変更できるんだか。
触れられたくない話題に要はぎくりと体を竦めた。
「ま、まだだけど・・・・・・」
「別にいい。そのうち捨てようと思っていたし」
「え?」
俯きがちだった要の顔がぱっと上がり、その目は期待に満ちている。
「だから、別に俺にとってはそんなに必要なものじゃないから別にいいって言っているんだ」
「マジ?でも、あの文字・・・・・・」
「アレはただの傷だ」
さっきと言っていることが違う気がするが、深く突っ込まないでおこう。
「そうか・・・・・・」
よかった。いや、あまり良くないけれど。
ひとまず安堵している要とにこにこ笑う久我を見比べ、彗日が首を傾げた。
「文字・・・・・・ってあのライター?・・・・って文字ぃ?!」
ゴッ。
奇妙な音に要が顔を上げると、変わらない笑みを浮かべている久我の横で彗日が顔を押さえてしゃがみ込んでいた。
「・・・・・・どうしたんだ?」
「さぁな。あ、昼飯食ってけよ。どうせ一人でロクなもん食べてないだろ?」
「俺、これでも一応自炊出来るんだけど・・・・・・」
それでもタダメシは有り難い。
合掌して頂きます、という返答をする。
「日月!」
顔の痛みを堪えながら叫んでくる彗日に、久我は要に先に行っているよう指で白い建物を示して彼を振り返った。
「何だ?」
「何だじゃないだろ!裏拳は止めろ、裏拳は!」
あまりの痛みに彗日の目には涙が浮かんでいる。
「それに、文字ってお前、要ちゃん・・・・・・」
「久我神父様」
教会の後片付けをしていたらしい老年のシスターがこちらにやってきて、久我は素早く穏やかな笑みに戻る。
「どうしました?シスター大澤」
「・・・・・・あら?朝倉神父様、どうなされたんですか」
顔の中央が不自然に赤くなっている彗日に彼女は心配げな視線をやる。
彗日が何かを言う前に久我が答えた。
「先程転んだらしいですよ。うっかりさんですよねぇ」
くすくすと笑う神父にシスターも疑うことなく笑みを浮かべる。
「そうなんですか?まったくもう、朝倉神父様ったら相変わらずのうっかりさんですね」
うっかりさんの称号を得た彗日も笑うしかない。
「朝倉さん、後でコレで薬を作ってあげますよ」
久我が少し心配そうな声を出して自分の手の中にあった花冠を示す。
材料はシロツメクサだ。そんなもので薬が作れるのだろうか。
「あら、シロツメクサで薬なんて作れるのですか?」
シスターが正直に疑問を口にすると久我は満面の笑みで頷いた。
「はい。この花はタンニンや樹脂、脂肪、フラボノールのクエルセチなどの成分を含んでいて、ヨーロッパでは、つぼみや花穂のまま採取して日干しにしたものを煎じて、風邪や鎮痛、痛風の体質改善薬として服用する民間療法があるんですよ
」
相変わらず変な知識を付けているなぁと彗日が久我の説明を聞き流している横でシスターが久我の博識を絶賛していた。
久我としては最近までヨーロッパにいたのだから普通の事なのかも知れないが。
「そうそう、さっき教会の掃除をしていたら入り口のところにこんな物が落ちていましたの」
突然思い出したように彼女は自分の手の中にあるモノを二人に見せ、困ったように微笑んだ。
それは、まさしく久我所有のジッポライター。
あっさりと見つかってしまい、一生懸命だった要が可哀想だ。しかも彼はまだこの事を知らない。
「誰かの忘れ物かしら?まったく、体に悪いものをわざわざ吸うなんて・・・・・・一体誰かしら?」
彼女の頭の中には無実の信者さんの顔が過ぎっているのだろう。
彗日は心底言ってやりたかった。
貴方の隣で同調しているその神父のモノですよ、と。
けれどトラウマになりそうな目で睨まれたので口が裂けても言えなかった。
「心当たりがあるので、私が預かっておきますよ」
久我の申し出に彼女は「あら」と歓喜の声を上げる。
心当たりも何も、アンタの私物だろうが。
彗日が心の中で突っ込んだとき、また鋭く睨まれた。
「じゃあ、お願いしてもいいかしら?・・・・・・それにしても、傷だらけですね、これ」
傷だらけ、という評価に久我は柔らかく微笑んだ。
「そうですね」
普通の人間の目には、これは単なる傷にしか見えないはずなのだ。
彗日もその事を彼女の一言で確認したのか、難しい顔になっていた。
「普通なら、傷に見えるのにな」
彼女を見送りながら彗日が心底不思議そうに呟いた。
彼女は傷と言った。
でも要は文字と言った。
そこから考えられる事は
「・・・・・・ま、周星の子供だし?」
「って、そんな軽い事じゃないだろ日月!これでもし体に十字」
再び顔に衝撃が走り、彗日はそれ以上言葉を繋げる事が出来なかった。
「黙れ」
同じ箇所を同じ様に強打するなんて、鬼だ。
顔を押さえて悶絶する彗日を見下し、恨みがましく見上げてくる彼ににっこりと笑って見せた。
「余計な事を言うな、話すな、思うな」
口元は笑っているが目は笑っていない上、その黒い瞳の奥に軽い怒りの炎が見える。
何で、と言ってやりたかったがこれは「思うな」「言うな」に分類されてしまうのだろうか。
「もし余計な事をしたら・・・・・・」
わかってるよなぁ?
そんな意味の邪悪な笑みに恐怖の涙を堪えながら頷いた。
教会内に鬼がいる。
けれどその存在を認めたのは彗日だけだった。
この様子では、彼が自分に先程言っていた薬を作ってくれる可能性は低いだろう。
元々作ってくれる気など無かったかも知れないが。
next
因みに「シロツメクサ」という名前は江戸時代にオランダから送られてくるガラス器が壊れないように
中に詰め込まれていたことから「白詰草」と言われるようになったとか。
想像してみると綺麗ですよねー。