「一応初めまして?島崎要君?」

 男はそう言って宗教的な笑みではない、むしろ対照的な意地の悪い笑いをした。
 言葉の節々に優しさが見え隠れした柔らかい口調はどこへ行ったのやら。
 けれどその遠慮のない話し方の方が彼の美声を引き立てている。きっとそのギャップに女性は心をときめかせるのだろうとは思うが。

「俺に、何の用だ」

 警戒を解かず後退りさえ始める要に、男は呆れたというようにため息をついた。

「この鳥頭」
「はぁ!?」

 何故不法侵入男にそこまで言われないといけないのだ。
 憤慨しながら彼の無礼を睨みつけたが、男はその整った顔でさらに馬鹿にしたような笑みを形作る。

「お前、この俺が借金取りか米屋にでも見えるのか?」

 はぁ、とわざとらしいため息を吐いてくれるが、何故例えに借金取りは解るとしても米屋が入る。

「出張ホストには見えますが」

 ワケのわからない相手に喧嘩を売るつもりで強い口調で言い返す。予想していなかった返事だったらしく、相手はしばらく沈黙し、
今度は深く深くため息を吐いていた。
 何だか馬鹿にされているようで更に不愉快だ。

「最近会ったばかりだっていうのに、もう忘れたのか?」

 けれどその一言で消えかかっていた記憶を思い出し、瞠目した。
 両親が死んだ、あの夜に会った神父だ。

「お前、あの夜に会った……」

 暗くて顔はよく見えなかったが、こんなに美形の持ち主だったのか。
 彼は思い出した自分に律儀にも拍手をしてくれた。

「ご名答」
「出てけ」

 とりあえず初対面でないことはわかったが、家に招き入れる理由としては弱い。

 要が出口である扉を指さしてこちらを睨んでくるのに、男は笑う。

「悪いが、用があって俺は来たんだ。じゃなかったら俺だって来ない」
「勧誘だろ?」
「『夜の7時に駅前の噴水前』」

 突然男は聞き覚えのある文を口にした。

「と、言ったら俺を信用してくれるのかな?」

 にっこりと彼は笑い、要は大きく目を見開く。
 あの日の朝の約束をどうして彼が知っているのだろう。
 それを知っているのは、自分と両親、それと自分に会わせたいと、両親が言っていた人物だけだ。

「お前……父さんの知り合い……なのか?」

 神父の知り合いがいるなんて聞いたこともない。

 だが、男はあっさり首を縦に振った。

「そうだ。神父というだけで誤解されちゃ、堪ったもんじゃないよなぁ」

 どうやら自分は間違いをおかしてしまったらしい。

「すみません、その……俺」

 慌てて頭を下げて彼を家の中に招いた。

 急に殊勝な態度になった要に彼は「気にするな」とだけ言う。

「葬式は今日終わりました。もう寺に……」
「ああ、墓参りはさせてもらった」
「えーと、名前は」
「久我日月」
「久我さん、取り敢えずあがってください」

 信用した後の行動は速かった。
 テキパキと対応する要に苦笑しつつ久我は彼の腕を掴んでそれを止める。

「お前はひとまず風呂に入ってこい」

「は?」

 そういえばずぶ濡れだったということに要も思い出したらしく、しまったというような表情を浮かべた。

 客人の前でこんな姿をしているとは。
 
自分の腕を掴んでいる久我の手が熱く感じるということは、体温が低くなっている証拠だ。

「でも……」
「俺は少し他に用がある。フランスからこの間帰ってきたばかりなんだ。1時間後にまた来る」
「でも外凄い雨ですよ?」

 流石に勧誘呼ばわりした上に、この雨の中に放り出すのは気が引けた。
 けれど彼は一向に構わないと、止める間もなく外に出て行ってしまった。入ってきたときはあんなに強引だったのに。

 彼の引き際の良さに感心しつつ、1時間後彼を迎えるべく要は風呂場に急いだ。
 ふと鏡を見ればずぶ濡れの情けない自分の姿が映っている。
 あの不思議な客人にこんな醜態を曝してしまったのかと思うと、1時間後が憂鬱だった。けれど、彼は笑うわけでもなく自分の身を案じてくれていたようだから。

「悪いやつじゃ、ないだろうな……」

 何となくそう思った。


 その判断が早まったモノだったのだとこの後気付くのだけれど。



ピンポーン

 来客用にとお湯を沸かし終えた時にチャイムが鳴った。

 時間を確かめると丁度1時間。

「よ」

 ドアを開けると先程の訪問者が片手を挙げた。

「どうぞ」

 要も今度はあっさり入室を許す。
 ひとまず応接用の部屋に迎え入れ、彼がソファに腰掛けてから自分も向かい側に落ち着いた。

「久我さん、でしたね。すみません、父の知り合いだとは気付かず失礼なことを」

 最初に頭を下げた要に久我はまた「気にするな」と言ってくれる。

「今日は、俺に何か……?」

 見たこともない知り合いに訪問理由を尋ねた。
 すると彼は自分のポケットをさぐり、ガラステーブルの上に何やら手に収まるほどの小さな紙袋を置いた。
 どこかで見たことのあるような包装紙には少し皺が入っている。
 久我に目で促され、それを手に取った。

「コレは……?」
「お前の親父から預かっていたものだ」
「父さんから……?」

 中身を見ようと袋の口に指を入れるとかさりと乾いた音がする。
 それと同時に、ちゃりと金属の音がした。
 銀の十字架のくっついたイヤーカフ。こういう類のアクセサリーは安っぽいものしか見た事無いが、コレはなかなか値の張るものだろう。それなりの重みもある。
 けれど、どこかで見たことのある気がするのは気のせいか。

「わざわざ、有り難うございます」

 形見となるものを握りしめて、配達人に頭を軽く下げた。
 要のきちんとした対応に相手も満足げだ。

「……に、しても今回は大変だったな。俺もあの人たちがこんなに早く逝ってしまうとは、思いもしなかった」
「……ええ、まぁ」

 要も苦笑して見せた。
 言い回しから彼はそれなりに自分の両親と交流があったのだろうと知る。
 けれど、こんな美形の知り合いがいるなんて聞いていない。

「あの、失礼ですが……久我さんは両親とどういったお知り合いで……?」

 神父、という職業は犯罪や法律に関係ないものだと思っていた。相談者、というわけではないだろう。
 久我は少し思考して

「強いて言えば……友人か?」

 何故疑問系。
 ついでに自分に聞かれても困るのだけれど。

「そうですか……」

 しかも強いていえば、なんて曖昧な表現付きだ。
 家に入れたのは間違いだったかもしれない。
 と、思い始めた時だ。

「で、お前はこれからどうするんだ?」

 彼の言葉に少なからず驚愕した。
 目を見開いて彼を見ると、久我にも自分の驚きが伝わったのだろう、首を傾げている。

「どうした?」
「いや……その」

 葬式の時の事を思い出し、自嘲気味に笑んだ。

 色んな人に、『大変だったね』『これから頑張ってね』とは言われたけど、これからの自分の事聞いたのは友人と彼だけだ。

 結局父にも母にも親類に当たる人物は見つけられなかった。

 みんな、両親を失った自分には同情的だったけれど、両親を失った孤児には関わりたく無いようで。
 両親が生存していたときには感じられなかった世間の荒波というやつにブチ当たった気がした。

「流石、神父様だな、と思って」

 まぁ、博愛主義の宗教だ。神父の口からならいくらでも聴ける。
 けれど、宗教に助けを求める気はさらさらない。

「……可愛気の無いガキ」

ぽつり、と久我が呟いた言葉はしっかり要の耳に届いていた。

「……今、何か?」

 引きつった笑顔で言うと、久我はどこからかタバコを取り出し、口にくわえて火をつける。
 唖然とその動作を見守っていると、久我の口から紫煙が吐き出された。

「可愛くないっていってんだよ。お前はもう少し可愛気を勉強するんだな。可愛くないガキを誰が助けたいと思うんだ?」

 びしっとタバコの火がついている方で指され、呆気にとられた。

「可愛気って……言っておくけど、俺は男で、ガキでもない!」
「今の時代、母性本能をくすぐる男がモテるんだ。男ならそれくらい研究しろ」
「けんきゅう〜〜ってあんた神父だろ!っていうか煙草いいのかよ!」
「俺だから」
「訳わっかんねー!!」

 うああああ。

 要は柄にもなく心の中で絶叫していた。
 久しぶりに理解不能な人物に出会った気がした。クラスメイトにも理解不能な人物はいることにはいるが、タイプがまた違う。
 この、神父のくせに神父じゃない目の前の天上天下唯我独尊を地でいく男が、母親の言っていた自分に会わせたい人物だったらしい。
 一生会わなくて良かったのに……と密かに頭を抱える。
 要はこの出会いを心から悔やんでいた。人生の汚点とさえ思った。

「もう少し要領良く生きていけよ、要」
「いきなり呼び捨てかよ、オイ」

 さっきまでのどこか謙虚な態度はどこに。
 いや、謙虚に映っただけだったのかもしれない。一回でも良い奴だと思った自分が馬鹿だった。
 こんな奴が、父の友人!?
 彼に対する罵詈雑言しか頭に浮かばず、黙って目の前の人物を睨んでいると、奴はニヤリと笑い

「何だ、惚れたか。参ったな、男に惚れられるまでの美形か、俺は」

 要の理性もそこまでだった。

「ふざけんな――――!!」

 がっしゃあああん。

 衝動的に思い切りガラステーブルをひっくり返した。
 所謂ちゃぶ台返しというやつで。いや、この場合はガラステーブル返しか。
 二人分のカップはフローリングの床で割れて粉々だ。ガラステーブルは強化ガラスだったのかヒビ一つ無いが。

「誰がお前みたいな性格悪い奴に惚れるか!つーか初対面にその言い草は何なんだよ!ええ!?人を馬鹿にすんのもいい加減にしろ!」
「馬鹿にはしていないつもりだが?」
「してんだろ!可愛気ないだとかガキだとか!」
「あれ?もしかして気にしてる訳?」
「してねえ――!」
「なら、気にした方が良いな。心配してくれた相手に、素直に笑って礼を言えるくらいには」

 久我の指摘に要は開きかけていた口を止める。
 多分、彼は先程の事を指しているのだ。
 また神父という職業だけで彼を疑った事に彼は気付いたのだろう。
 久我は黙って煙草をくわえ、足を組み直す。
 立ち上がって怒鳴りつけていた要も、力が抜けたようにソファに座り直した。

「悪、かった」

「ああ?聞こえないな」

 ………45%はそっちにも非があるような気がしてならないが。

「悪かった、ごめんなさい、謝りますので許してくださいー」

 棒読みで返すと久我は苦笑して携帯の灰皿に灰を落とした。

「かっわいくねー……謝り方は目元に涙を溜めて上目遣いだろうが」
「……それは女子限定でお願いします」

 つい自分が目元に涙しているところを想像してしまい、鳥肌がたつ。

「とりあえず、今日はご苦労様でした、さようなら」

 もうこんな男には帰っていただこうか。

 ぺこり、と別れの意味で頭を下げると久我は壁時計に目をやり、「そうだな」と呟いていた。

「じゃ、今日の所は引き上げるか。ここの片付け頑張れよ」

 フローリングの床には粉々になったカップと零れた紅茶。

「うるさい……」
「アハハハ。自業自得」
「ってあんたにだって問題が」
「ストップ」

 久我は長い指を立てて横に振って見せた。

「俺の名前はあんたじゃない。久我日月、Vous, compris ?」
「は?」

 いきなり自分の知らない言葉を付け足され、要は眉を顰める。
 英語でもなければ、当然日本語でもない、どこか柔らかい発音。
 しかも勘に障ることに相手の美声が妙にそれを引き立てている。

「お前日本人なら日本語で言えよ」

「……非国際的だな……要は」

 再びファーストネームを呼ばれ、要は表情をあからさまに歪めて見せた。
 友人たちには下の名前で呼ばれる事が多いが、この気にくわない男に親しげに呼ばれることには抵抗がある。
 その事に気がついたのか、久我はどこか大人の笑みを浮かべた。

「俺が嫌いか?」
「ああ、嫌いだね」

 即答だ。

 子供らしい怒りの表し方には久我も苦笑していた。

「それは残念」

 笑顔で返事をされても説得力に欠ける。

「ま、今日はここら辺で帰るが……何かあったらここに来い」

 薄青いメモ用紙を手渡され、一応素直に受け取っておく。
 そこにはポールペンで彼のものらしい携帯電話の番号が走り書きしてあった。

「じゃ、な」

 ぽん。

 頭が少し重くなったと思ったら、どうやら頭を撫でられたらしい。

 それに気がついたときにはすでに彼は玄関に手をかけていた。

「がっガキ扱いすんな!」
「十分ガキだろうが。じゃーな、要。またな」
「またなんて無い!」

 手の中の紙切れを丸めてヤツに投げつけたが、閉められたドアが要の目的を遮った。
 久しぶりに大声を出して肩を上下させている要の足にクロンがすり寄る。
 と、その時再び玄関が開いた。

「おーい、要〜〜迎えに来たぞー。っていうか今出てきた人すっげえ美形じゃなかった?もしかしてあの人さぁ…………要?」

 珍しく怒りのオーラを漂わせている親友に驚き、利哉は少し後退りをする。
 美形が怒ると怖いというのは本当だな、と密かに思った。

「……知るかッ!」

 要はクロンに首輪と散歩用のリードを付けながら苛立ちまぎれに吐き捨てた。


 『もう二度と会いたくない人物』に、あの神父の名を刻むことを忘れずに。





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要は低血圧なんですがね・・・・・・。
相性が悪いのかも、この二人。