連れて来られたのは、警察病院だった。

 女教師はしきりに「大丈夫」と繰り返していて、いい加減にしてくれと言いたくなる。

 少なくとも彼女よりは自分の方が落ち着いている自身はあった。自分より慌てているヤツに「大丈夫」と言われても説得力に欠ける。

 むしろ、なにか嫌な方向に考えているこの女教師には怒りを覚えた。

 おろおろしているだけならもう帰れ。

 そこまで思考して、自分も苛立っていることに気がついた。

 どうして、苛立つ必要がある?

 矢張りあの夢のことを引きずっているのだろう。早く二人の笑顔に会いたい。

 そう考えながら自動ドアの前に立つ。と

 ばたばたと看護婦が走り回り、重症人が居ることを物語っていた。

 消毒液の香りに眉を顰めていると、女教師が近くの看護婦を呼び止めて島崎の名前を出した。するとその看護婦は待ちわびていた、というようにすぐ廊下の奥を指差す。

「今手術中です」

 手術中という赤いランプのついた部屋。どんな部屋かということぐらいあまり病院に来なくてもわかる。

「ありがとうございます・・・・・・」

 要は呟くように言い、近くにあった長椅子に座った。

 手術なんて事になったのは初めてだ。

 それに教師は「じゃあ、学校に帰らないといけないから」と早口で言って、あっさり帰っていってしまった。

 居るだけ邪魔だからいいか。

 ばたばたと走り回る看護婦を眺めながら冷たい壁に背をもたれ掛ける。ひんやりとした感触に、少しぞっとした。

 どんなに待っても、赤いランプは消えなかった。

 日が沈みかけているのを窓から見つめ、もうすぐ夜だなぁとぼんやり思う。
 こういう時、何を考えれば良いんだか。

 はぁ・・・・・・と息を吐き出し、目を閉じた。

 何も考えたくない。

 あの人たちが無事だということは信じているから。
 無事、なんだろう?
 だから


 ばしん
 そんな音をたてて赤いランプが消える。
 
 その大きな音に驚き、目を開けると手術用の服を真っ赤にした医師が目の前に立っていた。

「遺族の方?」

 どこか慣れたような言い方に要は目を細める。

 遺族・・・・・・って?

 家族の聞き違いか?

「すでに、手遅れだったようで・・・・・・」

 言っている意味がわからない。

「死んだんですか?」 

 はっきり聞く自分に医師は少し驚きながらもすぐに頷いた。

「・・・・・・二人とも?」

「お母さんの方ははこばれて来た時すでに亡くなっていたよ」

 からからから・・・・・・と医師の後ろを白い布をかけられた人が運ばれていく。

 それが肉親であることに、現実感がわかなかった。

「署のものですが」

 背広をきた男が二人、医師を捕まえる。

「島崎周星は」

「おなくなりに・・・・・・そちらが遺族の方です」

 そんな声もどこか遠くで交わされている会話に聞こえた。

 あの夢の続きなのだろうか。

 に、しては現実味が有り過ぎた。

「こちらへ」

 医師に呼びかけられ、薄暗い廊下の奥の方に自然と目が行く。

 生を守る為の病院にしては、死を感じさせる空間だった。

 手を強く握り締めて重い足を一歩踏み出した。

 後からあの男たちも付いてくる。

 かつかつという足音がうるさい。
 
 医師は廊下の奥のさらに奥の部屋へと要を導き、ある一つのドアを開けた。
 促されるまま中に入るとまず線香の独特の香りに迎えられ、目の前には白い布をかけられた誰かがベッドに寝かせられている。
 しかも、二人。
 顔にも白い布を被せられているから誰だかはまだ判別をつけられない。

 のに

「お父さんとお母さんですね?」

 先に彼らの正体を告げられた。

 何故か刑事に。

 見ないと、わからない。
 勝手に、決め付けるな。

 いつもなら声に出せる言葉なのに今日は何故か口に出来なかった。

 布を捲くろうとする自分の手が小刻みに震えているのは見ない振りをした。
 絶対に、彼らじゃない。
 そう願いながら思い切って顔の白い布を取り去った。


 それは願いがあっさり打ち砕かれる瞬間だった。

 青白い顔色は生きている人間の色ではない。

 しっかりと閉じられた目蓋はもう開かれることが無いのだろうと容易に想像できた。
 いつも笑いかけてきた口元に笑みが乗せられる事ももう無いわけで・・・・・・

「かあ・・・さん・・・・・・?」

 見たことの無い彼女の顔に本当にあの母親かと疑ってしまった。

 じゃあ、もう1人は・・・・・・

 向こう側のベッドに寝かせられている人物に視線をやり思い浮かんだ顔は


 『おはよう、要』


 父の顔だった。

 早足でそのベッドに移動して今度はすぐ布を取り払う。

「父さん・・・・・・」

予想どおりの顔にもう何も言えなくなった。

背後からは他人からの同情の視線。

すべてが、嫌だった。

「・・・・・・帰ります」

すぐに部屋から出てココまで案内してくれた医師と向き合った。

「後で、引き取りに来ます。今日はお願いしてもよろしいでしょうか」

「・・・はい、では後日」

 医師は驚いた表情を浮かべていたが、要はふらりと元来た道をたどり始める。

 自動ドアをくぐって外に出ると、もう真っ暗になっていた。


 ふと時計を見ると午後7時ちょっと過ぎ。
 
『じゃあ7時に駅前の噴水で・・・・・・』

 ここの病院は家まで帰るには電車に乗るしかない距離だった。
 恐らく事務所の近くなのだろう。
 彼等は矢張り、事務所で殺されたのだ。

あの夢は、一体何だったのか。

 人間の第六感というものが自分にも働いたのだろう・・・・・・現実味の無い話だが。
 
 そして随分と役に立たないシロモノだ。

 肩に引っ掛けていた通学用のカバンが妙に重く感じた。

 頭の中が真っ白でなにも考えられない、考えたくない。

 ・・・・・・らしくない。

 ふ、と細く息を吐き出した時誰かに肩がぶつかった。
 気に止めるほど強くぶつからなかったのでそのまま歩き去ろうとすると、かったるそうな声に呼び止められる。

「おい、無視すんなよ」

 振り返ると、荒れているという噂を耳にする他校の制服を着た3人組みが。
 その存在に面倒くさいな、と心の底から思った。

「ぶつかった癖に謝りもしないのか?」
「・・・・・・ぶつかるのが嫌ならそっちが気をつけろ」

 あっさりとした切り返しに相手が表情を変えるのが気配でわかる。

 本来なら、要も馬鹿ではない。当たり障りの無い言葉を選んで適当にあしらうのだが、今日はどうやらそんな余裕がなかったようだ。

んだと?偉そうに・・・・・・」
「謝れよ・・・でないとその女にモテそうなお顔に傷がつくぜ」

 わざわざこいつ等は自分の容姿を誉めている。
 第一こんな顔、女にモテるとはよく言われるが自分にとってはどうでもいいもの。
 
 どうなっても構わない。
 

 むしろ今は、いっその事。

「・・・・・・うるさい・・・俺に構うな!」

 自分の考えを払拭しようと手近にいた男を殴った。
 
 いきなりの攻撃に相手はなす術がなかったのかあっさりコンクリートの上に倒れ、仲間は一瞬息を飲んだがすぐに怒りを向けてきた。

「お前!」

 なにか叫んでいたようだが要の耳には届いていなかった。


 ただ、もう。


 わからない。


「・・・・・・っわかんねーよ・・・なんで殺されてんだよ!!」

 叫んだ瞬間左頬を殴られ、口の中に鉄臭い味が広がった。

 かしゃん、とフェンスが背中に当たる。と

「・・・・・・3対1、は無いんじゃないですか?」

 穏やかな制止に要に迫っていた3人は動きを止めた。
 彼等が動きを止めた事に要は疑問を感じ、重い頭を持ち上げる。

「体格差も結構ありますし、その辺で許して差し上げてください。無意味な暴力は神のお怒りに触れますよ」

 黒い服を着た青年が自分に背を向け、少年達を諭していた。
 話の内容からすると・・・・・・聖職者だろう。

 全く違う雰囲気を持つ介入者に少年たちも覇気を失ったのか、なにやら文句を言いつつも去っていく。
 それを見送りつつ、青年はほっと息を吐いていた。

 要もフェンスから背をはがし、痛む口元を指で触れながら歩き出す。

「あ、待って下さい」

 その動きに気付いた青年が早足でこちらにやってくる。
 
 ・・・・・・しまった。妙なヤツに助けられた。
 
 それを密かに確信し、やはり揉め事は起こすものではないなと殴られて冷静になりつつあった頭で思う。
 
 だから無視を決め込んだ。

「何か、あったんですか?」
「・・・・・・」
「よろしければ、私の教会に寄って行きませんか?私は神父なんです」
「・・・・・・うるさい・・・ついて来るな」
「いえ、そういう訳にもいきません。困っている人を見過ごすなど・・・・・・」
「俺は困ってなんかいない。余計なお世話だ」

 神父が自分を追いかけるのを止め、足を止めた。諦めたのかと思い要はそのまま帰ろうとした、が

「なぜ、殺されてるのだと」

 その何か含みの有る言い方に足を止めざるを得なかった。

「先程、そう叫ばれていましたよね?」

 どうやら聞かれていたらしい。

「うるさい・・・・・・」

もうここは逃げるしかないか、と走り出そうとしたところを物凄い力で腕をひかれる。

「だから、待てと・・・・・・」

 初めてお互いの顔を見て相手が驚くのが解る。

 何に驚いたのかはすぐに知る事になったが。

「お前・・・・・・泣いて・・・?」

 さっきとは違う口調の呟きで要自身も初めて気がついた。

 泣いてる?
 俺が?

 状況を判断した瞬間、激しい羞恥心に襲われる。
 今まで泣いた事など滅多に無かった。それは・・・・・・色々あって人前では絶対に泣かないと決めていたから。

 なのに。

 今、全く知らない人物の前に泣き顔をさらしている。

 こんな、興味本位で自分に声をかけてきたようなヤツに――――!

「うるさ・・・っ見るな!!」

 渾身の力を振り絞って要は相手の腕を振り払った。

 走り出して、彼が追いかけてくる気配が無いことに心から安堵した。

 それから先の事はあまり覚えていない。

 恐らく、電車に乗って、いつもの駅で降りて、歩いてココまで帰ってきたのだろう。

 もう、自分以外帰ってこないこの家に。

 玄関を開けると、たたっという軽い足音と共にクロンが迎えに走ってきた。

 要の姿に必死に尻尾を振り、飛びついてくる。

 その生き物の暖かさに緊張が緩み、足の力ががくりと抜けた。

 玄関に座り込むのは初めてだとぼんやり思いつつ、クロンの体を抱きしめる。

「クロン………」

 これからは二人きりだ。
 彼にそういって通じるのか分からないが、何かを察したようでクロンははしゃぐことなく要の顔をペロペロ舐めた。

「クロン」

 ひたすらクロンを抱きしめることしか出来ない。
 これもあの悪夢の続きなのだろうか。

 夢にしてはリアルだ。

「何で、死んじまうんだよ・・・・・・ッ」

 自分の涙がクロンの毛並みを滑っていく。

 柔らかい毛に顔を埋め、久しぶりに声を上げて泣いた。












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