「65点。良くやったじゃないか」
小テストの結果に蘇芳は俺の頭を撫でてくる。
俺としても、自分で良くやったと思うからその称賛を甘んじて受けとめていた。
「エー?陸が65点!?どうしたんだ?」
近くで会話を聞いていたクラスメイトが心配そうに俺の顔を覗きこんできた。うるさい、俺にとってはいい出来なんだ。
「なぁー、蘇芳」
「何だ?」
「今日の放課後くらい、遊びに行ってもいいだろ?小テストも終わった事だし!」
そう、遊ぶ放課後を手に入れるために俺は今日まで頑張ってきたんだ!
街に行って遊ぶ事なんて滅多に無いから。ゲーセンとか久し振りに行きたい。
「・・・・・・来週にもテストはあるぞ」
呆れたような蘇芳の言葉は予想済み。
「いーじゃん、今日くらい!」
ダメだ、と言われると思っていた。のに
「まぁ、今日くらいはいいか」
あっさり蘇芳はOKを出してくれた。
「え?マジ?」
「ああ」
「本当に?」
「随分と疑い深いな」
「だって・・・・・・」
ねぇ?と首を傾げて見せると蘇芳は眉を寄せた。ヤバイ、撤回されるかも。
「いやいや、アリガト。蘇芳も今日の放課後、何も無いだろ?お前も息抜きしろよ」
「そのつもりだ」
にしても蘇芳って何して遊ぶんだろう・・・・・・。街とか行って遊ぶのか?
音痴っていってたし、カラオケは行かないだろうな。
「蘇芳って街行くの?」
なんとなーく聞いてみたら、あからさまに表情を顰められた。
「俺だって街には行く」
「陸と?」
「そうだな。大体は陸とか」
「何するんだ?」
「別に。本屋行ったりCD見たり」
「普通だな」
普通じゃないのはどんなんだと聞かれてもわかんねぇけどな。
それから適当に会話を交わして放課後の予定が決められた。
本当なら、もっと喜んでいたんだろうけど、この時はそんなにはしゃぐ事が出来なかった。
「空?」
放課後になっても俺のテンションは上がらず、不審に思った蘇芳がぼんやりしている俺の名前を呼んできた。
って、教室で俺の名前呼ぶなよ!
と突っ込もうとしたら教室には誰も居なかった。・・・・・・アレ?
「HR終わって1時間は経つぞ?」
首を傾げる俺に蘇芳は呆れ顔だ。
「街、行くんじゃなかったのか?」
「あ・・・・・・」
「俺はてっきり、喜び勇んでHR終了してすぐに学校から飛び出していくもんだと思ったけど?」
「ごめん・・・・・・」
1時間、待っててくれたのか、蘇芳・・・・・・。
「今日は何だか様子がおかしかったからな」
気遣うような台詞の次に、「昨日の事か?」とストレートに聞いてくる。
確かに、昨日あった事だけど蘇芳はあまり関係ない。
関係ないのに、そう聞かれてすぐにぼろっと涙が溢れてしまったからその言葉を肯定するようなことになってしまった。
「空!?」
「ち、違う!ゴメン!昨日のキスの件じゃないんだって!」
慌てて目元を擦り、珍しく慌てる蘇芳に手を横に振って否定した。って、否定するのも恥ずかしいよな。キスのことは別に平気だったって言ってるみたいで。
くっそー、人前で泣くなんて俺としたことが!
「じゃあ、何だ?」
「い、いや・・・・・・蘇芳には関係ないから」
俺としてはかなりの気遣いだったんだけれど、蘇芳が俺の頭を撫でていた手が不意に止まる。
突き放すような言い方だったかもしれない。それで、怒ったんだと思った。
「関係ないからこそ、出来る話もあるだろ?」
でも彼の声は優しくて。
ああ、もう本当に。
「昨日、マネージャーから電話があったんだ」
ほろっと言ってしまう。
俯いていないとまた泣き出しそうで。
「陸の調子とか、俺の調子とか聞かれて、それで」
思い出すとこっちが悪いことをしているような気分になってくる、マネージャーの苦しげな言い方。
『・・・・・・おかしいとは思っていたんだよ』
そうだよ。俺だって多少疑問には思って居たさ。
「俺だって、腐ってもプロだ。確かにむしゃくしゃしてたし、普段より無茶してたかも知れないけど、喉には人一倍気を使っていたんだ。だから、いきなり喉を壊すなんて事、本当は有り得なかった」
それを知っていたマネージャーは俺の担当医に話を聞いて、密かに調べていたらしい。
その結果が
「俺、薬・・・・・・みたいなの飲まされてたって」
どのタイミングに飲まされたかはわからない。でも、細心の注意を払っていたはずなのに、俺が飲むものに微量の毒物が混入していたらしい。今、陸が口にするのもは全てメンバーかマネージャーが用意したものにしている。多分全力で高原さんは陸のことを守っていてくれているはず。
モノを口にするのは控え室やどっかの店で、控え室は収録時には誰も居なくなるからそこを狙われたのではないかと言っていた。
今、犯人を捜しているとも。
でも、大体は単なる嫌がらせで済まされる場合が多いとも。よく、とまでは行かないけれど時々あることらしい。
医者は俺本人には言っていなかったけど、その薬は喉を潰すもので他の器官には影響は無いらしい。このままその薬を摂取していたら、確実に声を失っていたということも。
事務所側には脅迫めいた手紙も送られて来ていたらしい。だから、俺の入れ替わりの話をあっさり受け入れてくれた。勿論陸をしっかり護ってくれている。でも、こんな事知ってたら俺は陸を代わりに行かせたりしなかったのに。
『気を落とすなよ』
社長とマネージャーはあえて俺にこの話をした。多分、この先どうするか自分で決めろということだ。
辞める、という選択も俺が決めるのであれば有りだと暗に言っている。
「も、正直どうすればいいかわかんねぇよ」
黒く染めた前髪をかき上げながら本音を言った。
喉が治るまで後ちょっと。
また、活動始めたら、また、薬を飲まされるんじゃないか。
今度こそ本当に、声が出なくなるんじゃないか。
そして、俺はすべてを失う。
怖い。
かたかた震える両手をぼんやりみつめて関係者には絶対言えない言葉を呟いていた。
「空・・・・・・」
「もう、嫌だ。こんな思いするなら、いっそ」
辞めた方が気が楽になるんじゃないか?
そんな囁きに耳を貸しそうで。
「空」
その先の言葉を遮るように蘇芳が俺の名前を呼んで、抱きしめてくる。
ダメだ、と強がる言葉が頭の中で響いていたけれど、その体温に縋っていた。
「俺は、歌が、好きで、・・・・・・それだけなのに」
どうして、それがいけないんだろう。
傷ついた喉がずきりと痛む。声を上げて泣く事も出来ない。
悔しい。
げほ、と空咳をすると俺の後頭部を撫でていた蘇芳の手が止まる。
「空?お前、喉・・・・・・」
「平気だ。どうせ、もう・・・・・・」
「辞めるのか?」
蘇芳の口から出た言葉がずしりと心に圧し掛かる。
「わかんねぇ・・・・・・」
もう、頭は何が何だかわからなくなっていたのに、否定の言葉が出た。
そりゃ、歌は好きなんだ。ずっとこれしかないと思っていたから。
「・・・・・・2ヶ月ある。ゆっくり考えろ」
「でも」
きっと、どんな判断をしても俺は後悔する。
「もし、辞めるのならここに転入してくればいい。それで適当な音大に入って、勉強するのもいいんじゃないか?それで妙な嫌がらせをしてきたヤツを見返してやれ」
「転入試験にまず引っ掛かる・・・・・・」
「俺が勉強くらい見てやるよ。この先仕事を続けていくのなら、俺も出来る限りのことはしてやる。マネージャーだって馬鹿じゃない。皆躍起になってお前を護る。お前の歌はそうする価値があるんだ」
「・・・・・・蘇芳」
「お前の周りは敵だけじゃない。味方だっているだろ?」
味方、なんて言葉初めて聞いた気がする。
でも初めて気がついた。
メンバーのこともマネージャーのことも俺は今まで単なる仕事仲間としてしか見てなかった気がする。陰口を言われた後で妙に夕日や周りがテンション高かったのはもしかして気を使っていたのか?
「それと、もし・・・・・・この先仕事を続けて声が出なくなるようなことがあったら」
一番考えたくない仮定を蘇芳は口にした。
びくりと肩を震わせた俺の体を抱きしめる力が少し強くなる。
「俺が、お前の面倒を一生みてやるよ」
そう言われた時に、ああ、それも有りかなと思ってしまった。
別に、すべてを失うわけじゃない。
「・・・・・・マジ?」
「ああ」
「そっか・・・・・・」
ありがとう。
擦れた声で呟いたから蘇芳に届いたかどうかはわからないけど、しばらく抱きしめてもらっていた。
「悪かったな・・・・・・蘇芳」
帰り道、すっかり暗くなった外を歩きながら痛む目元を擦っていた。
まさかここまで泣くとは思って居なかった。自分でも。
「悪いって、何が?」
「・・・・・・色々だよ」
その質問は少し意地悪い気がするんだけど。
「まさか、陸の友達の前で泣くとは自分でも思ってなかったし」
たった3ヶ月の間柄なのに。
照れ隠しに笑ってみせると蘇芳は突然足を止めた。
「すおー?」
「・・・・・・“陸の”は余計じゃないのか?」
「え?」
「俺はお前にとって“お前の”友達じゃないのか?」
・・・・・・あ。
「それとも人気絶頂なアイドル様には俺みたいな庶民は友達と思えないとか?」
肩を竦めながら蘇芳は言う。
そんなわけないだろ!
「友達だよ!友達!何言ってんだよ蘇芳!」
思わず彼の腕にしがみ付いていた。
いや、なんか無茶苦茶嬉しいんですけど。
「じゃあ、じゃあ、2ヶ月終わっても時々会える?電話とかしてもいいのか?」
「お前・・・・・・アイドルが普通そういう事聞くか?」
「だって・・・・・・」
蘇芳って、芸能界とか嫌いな人かと思ってた。
思わずそんな印象を持っていたことを告白すると、彼は少し困ったように目線を上げる。
「確かに・・・・・・そんなに好きじゃないけど」
「ほら、やっぱり」
俺の観察眼は鋭かった。
と、思ったのに
「お前の歌は好きだ」
それは、ちょっと見抜けなかったかも。
「じゃ。あ、じゃあコレ餞別」
分かれ道で蘇芳はいつもの飴を渡してきた。
「どんな道を選ぶにしても、体が資本だからな」
頑張れ、と俺の肩を軽く二回叩いて蘇芳は自分の家へ向かう。
茫然とそれを見送り、冬が近いはずなのに自分の顔が熱くなっている事に気付く。
原因はわかってるけど。
「歌、好きって・・・・・・」
結構、言われ慣れた言葉だと思っていた。言ってくれる人には悪いけど。だって大体は言わなきゃいけない台詞のように言われてるから。
お世辞と本気を見分ける力がついてきた、と思う。
蘇芳が言ったのも、もしかしたらお世辞か社交辞令だったのかもしれない。
でも、それでも嬉しいってどういうことだ?
「こんな時に、そんな事言うんじゃねぇよ・・・・・・」
選択肢が一つになってしまうじゃないか。
ちょっと怖いけど、また歌をやろうか、なんて。
机の上に置かれた瓶の中には飴玉が入って殆ど満杯になっている。
それをしばらく眺めて、俺は携帯を手に取った。
昨日電話を貰ったばかりの相手は、俺からの電話だと気付いて少し焦ったようで
『ソラ!?』
俺が何の用件で電話をしてきたのかわかってるからだろうけど。
「高原さん、俺決めた」
そう言った瞬間に電話の向こうの雰囲気が固くなる。
多分、最悪の状況を想定していたんだろうけど
「俺、歌、続けるから」
『・・・・・・そうか』
どことなく安心したような声だったけれど、「それでいいのか?」と聞いているような言い方でもある。
「ここで止めたら俺の喉を潰そうとした奴の思い通りになるじゃねぇか、そんなの、冗談じゃねぇよ」
ふん、と鼻を鳴らすと、高原さんの苦笑声が聞こえてきた。空らしい、というような笑い方だ。
高原さんには迷惑をかけてきた。その事はちょっと反省している。
「実は俺、好きな人が出来てさぁ」
『はぁ!?』
彼の驚きぶりは相当なものだった。失礼な、俺だって人なんだから恋ぐらいするっての。
まぁ、俺の職業が職業だからな。
「あ、大丈夫、告白する気とか無いし、ってか脈無しだし」
笑い飛ばしてやるとなんだか疲れたような声が聞こえてくる。
『お前・・・・・・それはそれで哀れだぞ』
うるせぇ。
「その人に、俺の歌が好きだって言われたんだ」
凄く嬉しかったんだ。本当に。
「好きな人にそんなこと言われちゃ、止められないだろ?」
『こっちは願ったりだよ、ソラ』
「それと、悪いんだけどさ」
俺の手の中にはあの瓶が納まっている。
この飴くらいの小さな気持ちが沢山集まって、多分あの人を好きになった。
「これから、俺、あの人の為だけに歌う」
ファンの為に、とかはもう多分無理だ。
歌を歌うたび、きっと俺はあの人の事を考えてしまう。
「それでもいい?」
『構わない。・・・・・・ソラ』
「ん?」
『陸くんには迷惑をかけてしまったけど、お前にとっては良い事だったのかもな、入れ替わり』
「俺も、そう思う」
この先は多分、辛い事しか待っていない気がするけど、俺は多分乗り越えていけると思う。
そんな強さとか、俺は今回手に入れた。
電話を切って、ベッドの上でじっと瓶を見つめる。
新しい瓶を買わないと、これ以上は収まらないだろうな、飴。
勿体なくて食べられないだろ、やっぱ。
好きなヤツから貰ったものなんだから。
蘇芳が好きだ。
多分、気付くのがもう少し早かったら俺は自分の中で全否定していたと思う。
だって、男だし、最初は嫌いだったし。
でも、今はアイツを好きになることが自然だったんじゃないかと思えるから。
アイツを好きだと自覚したら胸がじんわり熱くなった。不快な熱さじゃない。どちらかというと心地いい暖かさで。
後二ヶ月しか一緒に居られないけれど。
カレンダーをみるとちょっと憂鬱だ。
二ヶ月もあると思ったら、二ヶ月きっちゃってるし。
蘇芳にはあんな事言ったけど、本当は連絡を取る時間も無いと思う。だって、今まで家に連絡する時間も無かったわけだし。多分、ってか絶対、この期間が終われば俺はもう二度とアイツに会えなくなる。
それは今から胸の痛みの種だし、それならいっそ告白した方がいいんじゃないかと思うけど、アイツがいくら優しいといってもやっぱ男から告白されるのは引くだろ。
友達として過ごして、友達としてアイツの記憶に残った方がいい。
そしたら、何かの拍子で偶然会った時にお互い笑顔で挨拶出来るしな。
俺はきっと、アイツにとってテレビの向こうの人間になるだろうけど、どこかで俺の歌を聴いてくれたらいいな。結構今でも街中で流れてるし。もっと良い歌歌えば、もっと有名になれる。
そのたび、俺のこと思い出してくれればそれで充分。
本当は、いっそ辞めてしまおうかとも思った。
でも、多分側にいたら自分の気持ちとか言ってしまいたくなるだろうし、アイツが彼女作ったりするのを目の当たりにしなくちゃいけなくなるわけで。それはそれで相当辛い。
今頑張ってくれている陸にも悪い。
それに、蘇芳に俺には味方がいるって教えてもらった。
だから大丈夫。
何があっても、やっていける。例え歌いすぎて喉を潰してもそれはそれで本望だし。
多分、それくらい歌ったら一生遊んで暮らせるほど稼げてるだろうしな。
それに、歌くらいでしか、この気持ちを伝えられない。
好きと口で言えないなら、歌に気持ち込めるしかないだろ?
気付かれなくても別に良い。俺は多分それで満足。
彼が好きだと言ってくれた俺の歌で、彼を想う事が出来るなら結構幸せかも。
そういう恋の仕方も有りだよな。
「俺も乙女だよな・・・・・・」
こんな恋愛の仕方を選ぶとは自分でもちょっと吃驚だけど。
それほど、大切にしたい相手なんだ、きっと。
2ヵ月後、別れは刻々と迫っているけど笑って別れられるといい。
また会おうな、なんて絶対じゃない約束を交わして。
友達として別れるのが一番良いだろうから。
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