蘇芳は好きだけれど授業は嫌いだ。
 気分が悪いと言って、授業を抜けてきた。典型的サボり場である屋上だ。中学の時はよく屋上に友人達と溜まっていた。その癖が残っているんだろう。
 蘇芳には多分バレバレだったんだろうけど。俺が抜けるって言った時微妙な顔してたっけ。
 こんなに天気がいいんだから、授業なんてしてる方が勿体ない。真っ青な空が俺は好きだった。
 授業中は静かで、どこかのクラスが体育なんだろうな、その笛の音くらいしか聞こえない。
 適度な静寂で思うことはただ一つ。
 あぁ・・・・・・歌いてぇ。
 気付けばもう一ヶ月歌ってない。うお、新記録だ。
 ってゆーか、絶対レベル下がってるだろうな。3ヶ月も休んだら、多分目も当てられない歌になってるぞ。あああああ、夕日に怒られる。
 この入れ替わりの事を知らないから、尚更だ。アイツ、怒ると怖いんだよなぁ。
 慣らす位は歌っておかないとダメだろう。3ヶ月終わったらしばらくはみっちりボイストレーニングしないと。
 何てったって、アイツの為に歌うって決めたから、一曲だって気が抜けない。
 こほん、と空咳をしてみる。喉は痛まなかった。
 久し振りに歌ってみようか、と思った瞬間わくわくしてくる。やっぱ、俺、基本歌好きなんだよな。
 何を歌おう。
 自分の曲は多分NGだよな、万が一気付かれたら後が面倒だし。
 不意に頭の中に蘇ったメロディは、小さい頃父さんがよく俺と陸に歌ってくれた歌。外国の歌らしくて、小さい頃はその意味がわからなかった。そんな俺たちに父さんは意味を教えてくれたっけ。
 次々と思い出したメロディを口ずさむ。
 あ、意外と歌いやすいや、この曲。
 フランスの歌って言ってたかな。蒼い月に自分の想いを託す女の人の歌。
 蒼い月になって、眠る愛しい人を優しく照らしてあげたい。確か、そんな意味。
 忍ぶ恋ってヤツだったんだろうな。多分。
 フェンスを掴んで歌いながら空を見上げた。俺の名前である、空を。
 この歌詞の彼女が、どうして太陽ではなく月を選んだのか、なんとなく解かるような、解からないような。
 でも、愛しい相手なら昼も夜も側に居たいとは思わないのかな。
 そう思ってしまう俺が欲張りなのか?
 太陽は昼にしか会えないし、月だと夜にしか会えない。多分そういうところが切なくてこの歌の売りなんだろうけど。
 昼間は明るい光を提供して、夜は優しい闇になる空のほうが、いいかな。
 うーん、流石俺の名前!なんて。
 色々考えていたら曲が終わった。途端に口淋しくなる。
 大分調子も良くなったし、もう一曲くらいいっとこうか。なんて思ったときだ。
「空!」
 この学校で俺の名を呼ぶのはただ一人。
「あれ、蘇芳?お前なんで?今授業中・・・・・・」
 振り返った瞬間、頭に衝撃をくらった。
「歌歌うなって言われてるんだろうが。馬鹿か!」
 う、歌を歌って褒められた事はあっても怒られたのは初めてだ。
 叩かれた頭を擦りながら怒っているらしい蘇芳を睨んだ。
「いいだろ、別にー。今日は調子良かったんだからさぁ。ってか、俺の生だぞ、生!貴重なんだからもっと喜べよな」
 蘇芳に貴重って言っても無駄なんだろうけど。
 生歌なんて基本的にライブの時くらいしか聞ける機会が無いっつーのに。ファンが聞いたらきっと奇声を上げるか卒倒する。
「あ、じゃあ蘇芳」
 笑顔で手を出した俺に彼は訝しげに眉を寄せる。
「何だ、その手」
「ん?ホラ俺も一応プロだし?聞いたんだったら金払え?」
「押し売りみたいだな・・・・・・」
 俺の台詞に呆れたらしく、蘇芳はため息を吐いていた。
「なんだよー。感想くらい聞かせてくれたっていいだろ?」
 別に、本当に金取ろうと思ってたわけじゃない。あっさり手を引っ込めた俺に蘇芳は意外そうな顔をしていた。コイツ、俺のことなんだと思ってるんだ・・・・・・?
「綺麗だった」
 そして、蘇芳は結構唐突なヤツだ。
「え?」
「だから、感想。綺麗だった」
 そういう事、真顔で言われるとこっちが困る。
「本当?」
「自分の利益にならない嘘はつかない」
 聞き返さなくても蘇芳が本音を言ってるって事はわかるんだけどさ。何度でも聞きたいじゃん?
 聞きたいけど、照れる。
 しかも無茶苦茶嬉しいから、顔がにやけるじゃないか。
「・・・・・・蘇芳」
「ん?」
「やっぱ、俺、歌好き」
 ・・・・・・やっぱ、蘇芳が好きだ。
 心の中では別な事を呟いて。
 嬉しすぎて相当しまりの無い笑顔だったと思う。
 もう、迷いは無い。歌は絶対続けてやる。
「決めたのか?」
 俺の選択を察したらしい蘇芳が少し心配げに聞いてくるから、力強く頷いてみせた。
「続けるよ、俺」
「・・・・・・そうか」
「たまにでいいから俺の出る番組見てくれよなー。痛んでない喉で完璧に歌ってみせるから」
 そうそう、その為に俺はあの世界に戻る決意をしたんだから。
 軽い口調だったから、これが俺の切実な願いだとは気付いてないだろうけど。
 別にそんなに悪いことを言ったつもりはないのに、蘇芳は少し不機嫌そうに眉を寄せた。
「・・・・・・多分、見ないぞ」
「はぁ!?」
 ってか、普通そういう時「了解、任せとけ〜」あたり言うのが社交辞令ってもんだろ!思ってもいわねぇだろ、そういうこと!
「何で?お前、さっき俺の歌綺麗だって・・・・・・」
「こっちにも色々事情があるんだ」
 どんな事情だコラ!テレビが無いとか!?
「俺は・・・・・・」
 予想外の事に頭がパニックになっていた。何て言えば、コイツは俺を見てくれるんだろう。
「俺は、お前に観て欲しいのに」
 そして、ついつい本音を漏らしてしまう。
 言ってしまってから頭の中が真っ白になった。
 しまった、こ、コレ別に告白にならないよな。
目の前の蘇芳は少し眼を大きくしてこっちを見てる。
「え、えと・・・・・・だって、こうやって決められたの、お前のお陰だし、一応、結構感謝してるんだ。お前と友達になれて本当に良かったって、俺、頑張る以外に自分応援してくれる人に感謝すればいいのかわかんないから。と、とにかく、俺のこと友達だと思ってくれてるんなら、観ろ!」
 誤魔化せたか?
 びしぃっと指を指して命令口調で言ってしまったけど・・・・・・。蘇芳は何だか複雑そうな表情だ。
 何でそんな顔するんだよ・・・・・・。
 もしかして、迷惑とかだったりするんだろうか。
 そうだよな、興味ないって言ってたし・・・・・・。
「わかった」
 少し間を置いて蘇芳は答えてくれたけど、あまり嬉しくなかった。
 なんか、俺が強制したっぽくて、やだな。
 嫌々観られるのは、嫌だし、悲しいものがある。
「別に、嫌ならいい」
「空?」
「嫌々観てもらっても、俺・・・・・・嬉しくないし」
「別に、嫌って訳じゃない」
 少し慌てたような蘇芳の台詞はあまりフォローにならない。
 嫌じゃなきゃなんなんだよ。嫌って事なんだろう?
「じゃあ、何なんだよ」
「テレビで観ると、遠い人間だって思い知らされるから」
 ・・・・・・へ?
「ついさっきまで隣りで笑ってた相手が、いきなりテレビの中でしか会えなくなったらそれなりに淋しいだろうが」
 ・・・・・・・えーと・・・・・・・。
 もしかして、これって喜んでも良い事なんだよな?
 恐る恐る蘇芳を見るとバツが悪そうな顔をして口元を手で覆っている。・・・照れてる?
「・・・・・・蘇芳」
「何だよ」
「俺、頑張るからな」
「ったりまえだ、馬鹿」
 ぐしゃりと頭を撫でられて、泣くかと思った。
 嬉しい時って本当に泣けるんだ。
 コイツに会わなかったらきっと一生わからずに終わっただろう新発見。



「渡貫に気付かれた!?」
 そんな時だった。陸が順調だったこの計画の最初の問題を持って帰ってきたのは。
 渡貫は何度か共演したことのあるヤツだから、気付こうと思えば気付けるのかもしれない。アイツ、切れ者っぽいし。それに嫌な思い出もあることだし。
「それで、明日生で、渡貫サンと一緒なんだけど・・・・・・」
 明日の生・・・・・・ってことはアイツが司会やってる番組か。
 そこまで考えて、嫌なことを思い出す。
「その番組、確かアーティストのトークが主体だけど最後に一曲歌わせるぞ?生で・・・・・・」
 高原さん・・・・・・チェックしといてくれよ。
 多分、彼のミスだと思うけど。忙しいもんな、間違うよなぁ、時々は・・・・・・。
 陸はすぐに事の重大さを知ったらしく、体の動きを止めていた。
 こうなったら仕方が無い。
「明日、俺が行く」
「はっ!?」
「だーいじょうぶ。昨日屋上でちょこっと歌ってみたけど結構イケたから」
 喉もそんなに痛くなかったから、多分大丈夫だろ。うん。
 安心するように笑顔で陸の肩を叩いてやる。別にこの件は陸の所為じゃないし。
「でも、空!」
「この話はこれで解決。明日は俺が行くからな〜〜」
 ひらひらと手を振ってやってるのに、陸の表情は不安げだった。
 明日は蘇芳に会えないけど、まぁいいか。

 頑張るって、約束したし。



「本当にゴメンな、ソラ!」
 控え室に来た瞬間高原さんに謝られた。彼のスケジュールミスだったらしい。珍しいな。
「いいって。今、喉好調だし、一曲くらいならヘーキ」
「本当に大丈夫なのか?」
 心配げな彼の目に笑顔で頷いてみせる。噂の可愛い男NO.1の微笑で。
 この笑みを見ちゃうと何でも許せちゃうらしい。某雑誌の読者投稿にそんなことが書いてあったのを八雲が笑いながら見せてくれた。
「大丈夫。たまには歌わないとファンがうるさいだろうし」
 口パクっていう手もあるけど、それはちょっと嫌だから。
 にこっと笑って見せると高原さんは少し驚いたような表情になる。
「・・・・・・少し、雰囲気変わったな、ソラ」
「そうか?」
「恋って、本当に人を変えるんだな・・・・・・」
 しみじみと彼はそんなことを言ってきて、その内容に思わず顔を紅くしてしまう。
「ば・・・っ!何言ってんの!?」
「ほらほら、本番前に大声出さない。よろしくな、ソラ」
 ぽんぽん、と軽く頭を叩いてくる彼にそっぽ向いて椅子に座った。
 もうすぐメンバーも集まるはず。
 化粧台に変装用サングラスと帽子を置いて、鏡と向き合った。
 いつもの俺の顔。陸と同じ顔。
 ・・・・・・いつもと変わりないじゃーん?
「あー、ソラがいっちばんだー」
 最初に楽屋に来たのは八雲だった。久々の顔にいつもより2倍の笑顔で答えてやる。
「よ。オハヨ」
「めっずらしぃ。ってわけでも無いか、最近ソラ真面目君だもんねー」
 それは陸だからだ・・・・・・。
 俺はため息を吐きながらカバンの中をあさる。すぐに手に堅くて少し冷たいものが触れた。
 何となく持ってきてしまった、あの飴を入れた瓶。
 アイツが今日の番組を観てくれる確立は低いけど、まぁ頑張る力を貰う気持ちで。
 銀色の蓋を開けて、一個取り出して初めて飴を口に入れた。
 透明なセロファンに包まれた飴は水色だった。
 あ。少しスースーする。のど飴だって言ってたしなぁ、不思議な味だけど。ラムネ・・・か?
 そんな俺にすぐ八雲が気が付いた。
「あ、ソラ、イイもん食べてるじゃん〜。俺にもちょーだい」
「ヤダ」
 首を逸らしての即答に八雲は硬直していた。まさかここまであっさり断わられるとは思わなかったんだろうな。差し出してきた手が虚しい。
「いいじゃん!そんなにいっぱいあるんだからさぁ!一個くらい!」
「ダメ。これは全部俺のなの」
 瓶を胸に抱えて、舌を出してみせる。
 一個一個、思入れあるんだから、誰にも渡したくない。
「ソラのケチー。欲張りー」
 諦めたらしい八雲はそんなことを言ってくるけど。
「欲張り、じゃないさ」
 俺にはこれしかないんだから。
 両手に納まる瓶を少し強く握り締めた。

「あれ」
 スタジオに入って変な声を上げてきたのは問題になった渡貫だ。
「なーんだ、ソラ君かぁ」
 残念そうな彼の声に彼が俺と陸を本当に見分けているらしい事を知る。
 厄介だな・・・・・・。
「俺で何か都合が悪いんですか?」
 棘を含んでやると彼はにっこり笑う。
「悪くは無いんだけど、つまんねぇなぁって」
「別にてめぇを楽しませる為に芸能界入ったんじゃねぇんだよ」
 ボソっと呟いてやると、聞こえているはずなのに聞き流しやがった。
「じゃ、よろしくね、ソラ君」
 そう言いながら彼はにっこり笑った。
 本当に、つかみどころの無い・・・・・・。頭を悩ませてくれる存在だ。
「まったく、どこまでも無茶してくれる」
 ・・・・・・って。
 渡貫を見送っていたら、いきなり後ろから聞こえた声にぎょっとして振り返り、俺は硬直してしまう。
「しゃ、ちょぉ?」
 そこには、呆れた顔をした我が事務所の若社長が立っていた。
 うひぃ、と思わず心の中で悲鳴を上げてしまう。
 俺は自慢じゃないが、この社長が苦手だった。何か、こう、高圧的な空気ってか何ていうか、そういうのがあって。苦手だ・・・・・・。
「嫌なヤツに会ったって顔だな」
 そんな俺の心中を察してか、彼は軽く笑い身をかがめてくる。くそ、この人身長たけぇんだよ!
「まさか・・・・・・そんなぁ。自分の事務所の社長に会って、嫌がるなんてアハハハハハ」
「顔が引き攣っている上に棒読みだ。その程度の演技力じゃあ、“天”も長続きしないな」
 ・・・・・・こういうところが苦手なんだよ。
 ちっと舌打ちしてから、色々と面倒臭くなって取り合えずにっこりと笑ってやった。
「いいえ。大好きな社長さんに出会えて光栄です」
 今度は棒読みじゃないだろうこのヤロウ。
 今のには彼も満足したらしく、ふ、と鼻で笑いスタッフの方に歩いて行った。何なんだ。
「なぁ、高原さん。何で今日社長来てるわけ?」
 社長がわざわざ顔を出すなんて今まで無かった事だ。だから、高原さんに聞きに行くと彼は「あぁ」とスタッフとなにやら話し込んでいる社長に眼をやった。
「ソラが久々に来たからな」
「は?」
「うちの社長の目の前で、変なことが出来るヤツなんて滅多にいない」
「それって」
「愛されてるってことだろ、良かったな」
 高原さんは早口でそう言って彼もまたスタッフと打ち合わせに行ってしまったけど。
 愛されてるぅ?
「・・・・・・俺が稼ぎ頭だからだろ?」


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社長さんが好きです・・・。