「お前・・・・・・」

 目の前の蘇芳が呆れた声を上げる。

 彼の手には数学の小テスト。答案は俺のだ。

「いくらなんでも、0点は無いだろ、0点は」

 呆れられてもしょうがない。その白い紙には紅いペンでしっかりゼロが書き込まれていたのだから。

「仕方ないだろ!俺、分数の解き方だって忘れてるんだから!」

 それは事実だ。

 普段、点数がいい陸・・・・・・本当は俺だけど、が、0点なんて点数を取って、担任教師は目を見開いていた。

 さっき、「諏佐野くん、何か悩み事があるの?」と1時間聞かれて戻ってきたところだ。教室にはもう蘇芳しか居なかった。

「時々やっている芸能人の学力テストのアレは・・・・・・やらせかと思ったが実は本当なのか?」

 蘇芳はぶつぶつ呟きながら俺と答案を見比べる。

 芸能人学力テストの珍回答は、一応台本があると聞いてるけど、多分マジだ。イメージが悪くなるかもしれないからオファーが来ても断わっているけど。

 でも、高校レベルの数学なんだ、中学でもあっぱらぱーだった俺に歯が立つわけがない。

 ルートの計算だってもう無理だぞ。

「小テストは、平常点になるんだ。このままじゃ成績に響くぞ」

「う・・・・・・そんな事言ったって・・・・・・陸は何点くらい取ってたんだ?」

「平均的に80〜90くらいかな」

 うわ!何その双子とは思えない差!化け物か!?

「次はせめて合格点の60点は取れ」

「60!?無理無理絶対無理!」

 確か、あの数学教師は毎週小テストをやっている。

 そんなにいきなり俺の頭が高校レベルの勉強についていけるわけがない。

 首を必死に横に振って見せるが、蘇芳はあきらめない。

「俺が勉強を見てやるから。確か、次のテストは確率だったな・・・・・・」

 とか言いながら早速教科書開いてるし!

「蘇芳〜〜!マジ無理だってばー!」

「無理じゃない。陸の為だと思え。アイツだって、必死にお前の世界に慣れようとしているんだろ?だったらお前も陸の世界に慣れろ」

 蘇芳の言う事は正しい。反論も出来ない。

「う・・・・・・が、頑張る・・・・・・」

 その俺の返事を合図に、地獄の時間が始まった。

 分数の計算もわからないと言ったけれど、俺は割り算の仕方も忘れていた。

 それに気付いた蘇芳にまさか九九も忘れているんじゃないかと思われ、一の段から九の段まで暗唱させられ、そこからスタートだった。小学生レベルなんだよ・・・・・・。

 基本的なとこからの始まりだったのに、蘇芳は焦るわけでも怒るわけでもなく淡々と教えてくれた。

 こういう教え方だったら、俺もきっと理解出来るんだ、と知ったのは初めて高校の教科書の問題を解いて正解した時。

 蘇芳が正解、と言ったときに思わずガッツポーズを取ってしまった。

「やったー。疲れた・・・・・・」

 でもすぐにどっと疲れを感じて机の上に倒れ伏す。窓を見たら真っ暗だ。

「明日もやるぞ。これは一番簡単な問題だからな」

 うあー・・・・・・マジですかー。

 蘇芳の言葉にがっくりしているしている俺の目の前に、いつもの飴が置かれる。今日は何故か二個。

「ま、お前結構頭いいじゃん。一日でここまで出来たんなら上出来」

 もっと酷いと思っていた、と蘇芳は苦笑してる。成程、サービスってことか。

 上出来か・・・・・・そんな事、初めて言われたな。

 って、こんな事で感動してどうする、俺!

「は、あははは!俺だってやろうと思えば出来るんだよ」

「当然」

「へ?」

「だって、お前だし」

 さらりと、何を言い出すんだコイツ。

 何で、そんな・・・・・・さぁ。返答に困る事言うんだ?

「ど、どうも・・・・・・」

「家まで送ってやるから、早く帰る用意しろ」

「え?大丈夫だよ・・・・・・俺、オトコだし」

「お前、自分がアイドルだって自覚あるのか?」

 あぁ、そっか。顔似てるって気付かれたらアレだしな。今、陸が黒髪だから気付かれやすいだろうし。

 蘇芳なら、なんか上手くフォローしてくれそうだし。

「じゃー、よろしく」

「あ、俺生徒会室に用事あるから、帰ってくるまでに用意しておけよ」

「はーい」

 そういや生徒会長とか言ってたな。学級委員長もやってるのに、大変だなぁ。

 蘇芳を見送っても机の上でぐったりしていた。

 いやー、だってこんな頭使ったの久し振りですよ、俺。

 机の上に置かれた飴を握りしめてぼんやり。

 陸の言ってた通り、意外と良いやつかもな。蘇芳。

 うつらうつらしながら隣の机を見つめると、黒い蘇芳のカバンがある。

 早く帰ってこねぇかな。






「オイ、帰るぞ」

 そう言いながらも教室の扉を開け「遅い!」という怒号を覚悟したが、何の声も飛んでこない。

 それもそのはず、彼は椅子に全身を任せて寝ていたのだから。今にも後ろに倒れそうだ。

「おい・・・・・・」

 空の肩を掴んで揺らすが、なかなか起きない。起きる気配さえみせない。

「どうしろっていうんだ・・・・・・」

 途方にくれた蘇芳は自分の短めの髪を掻き回すが、時計を確認して仕方なく右手に空の荷物と自分の荷物を持ち、左手でもう一度無駄だとは思ったけれど空の肩を揺らした。

「起きろ、空?」

「ん――?ゆぅひぃ?」


 夕日。


 その名に揺らす手を止め、すやすや眠る空の顔を覗きこむ。

 確か、彼の所属するグループのリーダーと言ったか。多分彼がいつもこうやって寝ている空を起こしているのだろう。

「空」

 そっと指で彼の少し長めの前髪に触れる。

 黒く染めているそれはテレビで時々見かけるものとは違っていた。染めているにしてはあまり痛んでいないように見える。

「そら」

 耳元で囁くとそれに答えるように彼の睫毛が微かに震えた。

 けれどやっぱり起きる気配は無い。

 きしりと椅子が軋む音が自分に待てと言っているように聞こえたけれど、無視をした。

 起きない彼が悪い。

 吸い込まれるように彼の唇を奪っていた。その柔らかさを確認するだけのものだったけれど。

 結構長くそうしていた気がするのに、空は起きる気配を全く見せない。

 残念なような、安心したような。

「さて、帰るか」

 誰に言うわけでも無く呟き、空の体を背負う。

 肩も細いと思ったけれど、体重も相当軽い。





 何だかあったかいなぁ。
 気持ちいいなぁ。
 なんだろう、コレ。


「・・・・・・あれ?」

 目を開けると見慣れた天井だった。

 俺、いつ帰ってきたんだろう。服は制服のまんまだし。

 それに、俺・・・・・・ずっと、蘇芳から貰った飴を握り締めていたらしい。手の中で少し解けてるっぽい。

 慌てて緑の瓶に入れ、蓋をする。

 段々溜まっていく飴が、何だか嬉しいのは何故だろう。

「もしかして、蘇芳・・・・・・送ってくれたのか?」

 教室で意識の糸が途切れているから、もしかしなくてもそうだろう。

 怒ってるかな、アイツ・・・・・・。

 時計を見ると11時。陸、帰って来てるかな。

「陸―」

 とんとん、と彼の部屋のドアを叩くとすぐに返事が来た。

 やった、居た。

「何?空」

 疲れているらしい陸も、うとうとしていたらしい。目を擦りながら応対してくれた。ゴメン、陸。

「蘇芳のケータイナンバー知ってるか?知ってたら教えて欲しいんだけど・・・・・・」

「蘇芳?いいよ。まだ連絡先交換してなかったんだ」

 何の勘繰りもせず陸は携帯を渡してくれる。

 さっそく借りて、蘇芳の番号を探して自分の携帯に登録した。

「サンキュ、陸」

「ん。おやすみ〜〜」

 あー、疲れてるっぽいな、陸・・・・・・。

 彼の睡眠を妨げまいとすぐ自室に帰ってきた。

 まだ11時だから電話しても大丈夫だよな?

 何だか、妙に緊張するな・・・・・・。

 青い携帯をベッドの上においてしばらくじぃっと見つめていた。

 そうやってかかるんだったらずっとそうしてるんだけどさ。

 覚悟を決めて携帯を手に取り、電話をしてみる。

 数回のコールを緊張しながら聞いていると、蘇芳が出た。

『誰だ?』

 見覚えのない番号に少し警戒する声だった。

「あ、お、俺だけど・・・・・・」

『・・・・・・空?』

 名前を呼ばれ、心臓が本気で飛び上がった。

 いや、どうしたよ、俺。名前を呼ばれたくらいでなんでこんなにドキドキするんだ!?

 ああ、多分、コイツの声格好良いんだ。それで耳元で言われるからだ。

 速いリズムになる胸を押さえながら、どうにか平常を装う。

「その・・・・・・えーっと・・・・・・」

 ダメだ、平常装えてない。

「お、俺のこと送ってくれたか?」

『送った』

「あ、やっぱ?ゴメン、俺・・・・・・そのえーっと」

 何を言えばいいのかわからなくて頭がパニックになる。どうした俺!俺らしくない!

「あ、ありがと・・・・・・う」

 どうにかお礼を言う事に成功した。

 つか、別に緊張して言う事じゃないよな、なんでこうさらっと言えねぇんだ?

 陸、だったらきっと普通にさらっと言えるんだろうけど・・・。

「そ、それだけだから!んじゃ・・・・・・」

『ん。じゃあまた明日』

「・・・・・・」

『・・・・・・』

「・・・・・・」

『・・・・・・』

「な、なんで切らないんだよ・・・・・・」

 あっちが切るかと思って待っていたのに、全然通話が切れた音がしない。

『いや、お前が切るかと思って』

「お、俺だってお前が」

 慌てて言うと電話の向こうで蘇芳が笑った。なんか悔しいんですけど・・・・・・。

『あんまり電話使うなよ。喉に悪い』

「わかってるよ!」

『叫ばない』

「・・・・・・わかってるよ」

 注意をされ、思わず小声になってしまう。

 なんか、こんなに敵わないと思った相手、初めてだ。

『良い声しているんだ。大切にしろよ』

「い、良い声ってお前のほうがよっぽど・・・・・・」


 あ。


 しまったー!!

 動揺して思わず本音をぽろっと零してしまい、慌てて口を手で覆うが後の祭り。

 な、何俺素人褒めてんの!?ってか、夕日もそれなりに良い声だと思ってたけど、言った事無いのに!

『良い声?俺が?』

 あっちも相当驚いているらしく、声が少し高くなる。そういう声も良いな、と思うけど。

「つか、こういうのは人それぞれだし、好みも色々有るわけで、一般的にはどう判断されるかわっかんねぇけど・・・・・・」

 なんか、前置きを置くだけ墓穴掘って無いか?俺・・・・・・。

「俺は、好き・・・・・・かな?」

 最後に「かな?」をつける辺り俺だ。

『・・・・・・そうか』

 蘇芳の声が微妙に嬉しそうなのは気のせいだろうけど。

「歌とか、ちょっと聴いてみたいかも」

 これは一応歌のプロとしての興味。だからすんなり言えた。

 蘇芳のこの声の歌を聞いてみたい。

『無理だな』

 けれど、何故かあっさり拒否される。

「はぁ?なんで?少しくらいいいだろ!」

 何だよー!と憤慨する俺に蘇芳はため息。そして

『音痴だから』

 その理由を白状した。

「・・・・・・へ?」

『だから、俺、かなり音痴なんだよ。陸に聞けば判る』

 あまりにも堂々と言うからネタかと思ったぞ。

「マジ?」

『マジ』

「うっあー・・・・・・勿体ねぇー・・・・・・」

 ここでまた本音が。

 しみじみと言ってしまった俺に蘇芳が無言になる。

 だって、この低音で歌歌われた日にはライバル登場だと思っていたし。てか、ライバルになる前にウチのグループに引き入れる!

「音痴は治るって話が・・・・・・」

 確かバケツを被って歌うとか何とか・・・・・・。

『あぁ、無理』

 そんなはっきり。てか、コイツ直す気もねぇな。

「俺がお前の歌を聞きたいから、直せ!」

『無理だっつってんだろうが』

 少し焦ったような声はマジなんだと言っている。

 完璧かと思った蘇芳の弱点を発見し、なんだか嬉しかった。別にこれをネタにしてからかうとかそんなんじゃなくて。ただ。

 ・・・・・・ただ、なんだ?

「んじゃ、また明日」

 それからちょっと話して、通話を切る。今度はどうにか切ったぞ!

 うっしゃあ!と理由の無いガッツポーズを決めていると

「そーらー・・・・・・」

「うっわぁ!陸っ!?」

 いつからそこに居たのか、部屋のドアが少し開いて隙間から陸がこっちをじっと見つめていた。

「電気点いてるから早く寝ろって言いに来たんだけど、楽しそうだったから声かけそびれた」

 陸はそう言いながら部屋に入ってきて俺のベッドに腰掛ける。つまり、俺の隣。

「相手、誰?蘇芳?」

「あ、うん。そう蘇芳」

 そう答えると意外という表情で陸は俺を見る。

「最初、あんなに嫌がってたのにな」

「あ、あはははは・・・・・・」

「イイヤツだろ?蘇芳。ちょこっと曲者だけど、みんなに優しいんだよ」

 くすくす笑う陸の言葉に、俺は笑顔が返せなかった。

 陸は蘇芳ともう2年の付き合いがある。だから、俺よりアイツのことを色々知ってて当然なんだ。

 みんなに優しい、という言葉も本当なのだろうと思う。

 イイヤツ、だと思うけど。

 俺もその「みんな」に配分されているのかと思うと何だか胸がざわついた。




 なんで、だろう。





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