ずっと隣にいた人がいつの間にか居なくなっていたのはいつからだっけ?


 





「起きなさい!陸!」

 母さんの声で目が覚めた。

 低血圧でまだぼーっとする頭でようやくけたたましく鳴る目覚まし時計を止めた。

 俺が寝坊するなんて珍しい、と自分でも思う。

 階下で騒ぐ母さんの声に起きたことを伝えてパジャマのまま部屋から出る。

 何となく隣の部屋のドアをあけても、そこの住人はいなかった。

 もう、3日程会っていない。

「陸!貴方は今日学校でしょ!」

「はいはい〜〜」

 だるい体に鞭打って、階段を下りる。

 リビングのダイニングテーブルにはすでに朝食の用意が一人分。

 俺の分、だけ。

 そのことに寂しさを覚えるのにももう慣れた。

 椅子に座って焼いたトーストに噛み付く。香ばしいパンの香りだけで物足りなかったけど、

今更バターを塗る気力も無く黙って咀嚼する。

 朝のニュースは芸能系の報道になっていて、ぼんやりそれを見つめていた。

『今週のCDランキングの1位は先週に引き続き‘天’の〜〜』

『綺麗な声ですよねぇ、メンバーの中でもソラくんは――――』

「ご馳走様」

 がたん、と音をたてて椅子を引くと母さんの少し驚いたような顔が目に入る。

「もういいの?」

「うん。学校遅刻しそうだし」

 それは本当。

 早足で部屋に戻って制服に着替える。

 ウチの学校は高校にしては珍しい学ランだから、ちゃっちゃと着替えられるのが嬉しい。

「じゃ、行ってくるね、母さん」

「はい、行ってらっしゃい」







 俺は平穏な生活が好きだ。

 俺は都内の高校に通う普通の高校生。

 勉強も楽しいし、友人だって良い奴ばかり。

 この生活を守る為に俺はかなり努力していると思う。

 なるべく目立たないように気を使い、ついでに一番目立ってしまうだろう顔を眼鏡と前髪で

隠している。

 因みにこの学校は男子校できゃあきゃあ騒ぐ女がいない。コレも自分の身を守る為の手段。

 目立たないようにしている、といっても普通に友人はいるし、馬鹿騒ぎ……はあんまりしないけど。

それなりに楽しくやっている。

「なぁ、陸、今日駅前の本屋に付き合ってくれないか?」

 親友の蘇芳の誘いに頷き、次の授業のノートを机から出す。

 丁度、その時だった。

 机に入れていた紅い携帯電話が小刻みに震えている。

 こんな時間に、珍しい。

 届いたメールを見て瞠目とため息。

「蘇芳、悪い……」

 まだ2時間も授業が残っているというのに、俺は帰り支度を始めていた。

 メールの内容は滅多に会わない相手から、一言。

『お願い。今すぐ駅前の喫茶店に来てくれ!』

 この相手に、俺はとことん甘いと思う。

 相手が誰だかすぐ察した頭の良い親友は仕方ない、と手を振ってくれる。

 この友人にはかなり感謝だ。

 教師に見つからないうちに、と走って俺は学校から飛び出した。






 途中、通り過ぎたCD屋からは聞き覚えのある声が流れていて。

 ポスターも見覚えのある顔。

 一番近くて一番遠い彼。

「空!」

 指定された喫茶店の扉を開けて俺は彼の名前を叫んだ。

 店の奥のほうにある席で、帽子を深く被った人物が大きく手を振る。

「陸!久し振り〜〜」

「久し振り〜〜じゃない!何だよ、このメールは!」

 携帯電話を突きつけると、彼はサングラスを取ってにっこり笑う。

 俺とそっくりな顔。っていうか俺の顔そのまんま。

「陸兄ィなら絶対来てくれると思ってたよ」

 あまり人のいない喫茶店なら良いと思ったのか、彼は帽子も取った。茶色の髪があらわになる。

「お前な、大体今、ツアー中なんじゃなかったのかよ」

「昨日終わったって。兄貴、俺のファンより情報疎いなぁ、もう」

 俺と、目の前で笑っている奴、空は双子の兄弟だ。

 ついでに、空は今をトキメクアイドルグループのメンバー。芸名はソラ。

 そんな彼と顔がそっくりな俺は、中学の時から散々な目にあってきていた。

「で、何のようなんだよ」

「あ、2、3ヶ月俺の代わりに仕事して欲しいんだよね」

「寝言は寝て言え。じゃあな。俺、帰るから」

「あーにーきー!!」

 帰ろうとする俺の腕を空は必死になって引っ張る。

「俺、喉やられちまって、医者に歌うなって言われたんだよ!」

「お前の歌い方が悪いんじゃねーの?俺には関係ないね」

「それが血を分けた双子の兄の言う言葉かよ!」

 うるうると目に涙を浮かべて懇願する弟は俺が何に弱いのか知っていて行動する。

「メンバーの奴らに言って、休ませて貰え」

「言えるか!今、大事な時期なんだよ?」

 今をトキメクアイドルグループ、『天』。その中でも一番歌で注目されているのはソラ。つまりコイツ。

 誰をも魅了させる甘い歌声は天使の歌声だとどこかの解説者が言っていた。

 空が頑張っているのはわかる。歌はコイツの生き甲斐だ。

「兄貴にしか頼めないんだ」

 必死な彼は、今まで誰にも頼ることなく今の自分の地位を確立させていた。いつの間にか。

 俺が彼が芸能界入りしたと知ったのは空がデビューした1週間後の朝のテレビだった。まさに目覚まし

ニュースだった。

 ついついカレンダーを確認して4月1日じゃないことに更に驚いたほどだ。

 テレビの中で歌を歌う彼を尊敬している。

 けど

「嫌だ」

 空の代わりなんて出来るわけが無い。

「陸しか出来ないことなんだよ!陸だって昔歌やってたろ?」

「そりゃ……でも俺はもう辞めた事だ」

「俺、もう一度陸の歌声聞いてみたいなぁ」

「馬鹿。レベルが下がっているに決まってる」

 毎日あちこちで歌っている空に比べたらお話にならない。

「とにかく、お願い!俺の所為でグループに迷惑をかけるのは嫌なんだ」

 ……俺は昔から弟の切実な願いに弱い。

「……わかったよ」

 こうして今回も俺は頷いてしまう。

 了解を得た空は行動が早かった。こういう行動力の速さが彼を物凄いスピードでトップアイドルにしたの

だろうけど……。

「じゃ、今から髪切りに行くぞ!」

 俺はまだこの店に来て何も頼んでいないというのに空は早々に立ち上がる。

 俺のためにメニューを持ってきていたお姉さん、ごめんなさい。

「行きつけの店があるから、そこに行こう」

 空の言う行きつけの店、は……。

 雑誌等でカリスマ美容師だかなんだかが経営している高そうな店だった……。

 煌びやかなドアの前で呆然とする。

「空、俺そんな金持ってないぞ!」

「陸、俺を誰だと思ってんだよ」

 羽振りのいい弟に唖然とする。

 双子でこの違いは一体……。

 空は何の気負いも無くガラスのドアを開き、俺は恐縮しながら後に続いた。

「あ、空くんいらっしゃい」

 テレビで見たことのある若い男の人が空に手を振る。顔見知り!?

「陣内クン、コイツの髪俺くらいの茶色にして」

 空の指示に俺は一歩後退した。

「ちょ、待てよ。空!校則でそれ禁止されてるんだけど!」

「はぁ?陸は学校行かないからいいだろ?っていうか、んな暇無い」

「学校行かなかったら俺留年なんだけど!」

 そういえば空は高校に行っていない。だから俺の身辺で俺が双子だって知っている奴はほとんど居ないん

だけど……。

「俺が陸の代わりに学校行くに決まってんだろ?」

 ……どこかわくわくした感じの空に、むしろそっちが目的なのでは、と思ってしまう。

 忙しいゲイノージン様はスクールライフにある種の憧れを感じているご様子。

「大丈夫、俺の演技力はすごいぜ!」

 空はそういうけど……すっげー不安。

「でも、空、俺髪染めるのは嫌だ」

 頑なに拒否をすると空もまぁいいか〜と頷いてくれた。今はドラマとかやっていないし、とも。

 

 それから1時間後。



「……俺が居る」

 お互い目の前に立った人間をまじまじと見てしまった。

 俺は染めなかったけど、空のほうは髪を黒く染めて、ついでに眼鏡をかける。

 それで俺の制服を着たらまんま、諏佐野陸だ。

 俺は前髪と全体的に少し切って、髪が黒いソラになる。

「完璧だ……!」

 感嘆の声をあげる空はかなり嬉しそう。

 なんだか凄いはしゃいでいる空を店員さんたちは微笑ましそうに見ていた。

 こういう感じは昔から変わらない。

 親戚の人達は元気で無茶をする空を凄い可愛がっていた。

 確かに、空は可愛い。感情をすぐ見せるし。

 俺は、そんな空のなだめ役だったわけなんだよ……。や、保護者か。

「陸、俺のグループのメンバーの名前、言える?」

 家に帰って、陸の部屋でさっそく作戦会議。

 昔、いたずらの作戦をたてていた時と同じ状況だ。なんだか懐かしい。

 首を横に振ると陸が大げさに驚いた。

「嘘。今時小学生だって言えるのに」

 ぶつぶつ文句を言いながら手近な雑誌を広げてくれる。

 彼のメンバーの写真が載っていた。

 多分、ライブ中か何かの。

「コレ、俺」

 真ん中でマイクを握っている俺と同じ顔をまず空は指差した。

「知ってるって」

 それだけは何とか。

「で、コイツ八雲」

 ぴんぴん跳ねた黄色に近い茶色の髪の男の人。

「こっちは星夜」

 茶色い短い髪を立てている人懐っこそうな人。うおお、背が高い。

「コレは夕日な。これ一応リーダー」

 こっちもこっちで背が高い。黒髪の人。この人は知ってる。よくテレビで空と話をしているから。

「この人は知ってる。メンバーの中で唯一髪が黒い」

「……陸、茶髪嫌い?」

 ショック〜〜と空がおどけながら雑誌を閉じた。

「でも、夕日とはあんまり仲良く出来ないかも。っつーかしないで」

「?何でだよ」

「俺と夕日、メンバーの中で一番仲悪いから」

 それは俺としてはショックな言葉だった。

 テレビとかで彼らのグループを見ていると一番先に目が行くのが、彼、夕日だ。

 美形で長身。目立った存在だと思う。でも一番心魅かれたのは、彼の声。

 俺も昔歌をやっていたから憧れる事なのだけれど、彼の低音は俺も空も持っていないもの。

 いいな、この声欲しいなぁとテレビの前で思ったことは空には秘密だ。

「この間なんかさぁ、無理だっていってんのに音域高い歌作りやがって、出るかぁ!」

「……空、音域意外と狭いもんな」

「2オクターブ出れば十分だろ!」

 まぁ、確かにな。

「高原さんには言っておくからさ、よろしくな、陸」

 高原さんというのはマネージャーさんらしい。

 頷いて、次は俺が説明する番だった。

 自分の部屋から教科書類を持ってきて、どさっとほとんど使われていない空の机の上に置いて

やる。

「コレ、時間割な」

 俺はもう頭の中に入っているけど、空は全然わからないだろう。

 予想通り、空はその紙を受け取っても首を傾げていた。

「社会の選択は日本史。選択Aは数学、Bは物理、Cは……」

 俺の言葉に空の表情が段々嫌そうな顔になる。ちょっと面白い。

「空、理解しろとは言わない。ノートさえとってくれれば」

「……陸兄…そうさせてもらう」

「期間は2、3ヶ月だっつってたな。その間に一回テストあるわ。どうする?」

「……陸が成績下がってもいいって言うのなら俺が」

「却下。テスト一週間前になったら交換な。この条件が呑めないのなら今回のことは無しだぞ」

「……いや。陸の好きにして」

 空は勉強にはかなり自信が無いようだ。

 ま、中学の時から空の成績は凄かったからなぁ。

「それとクラスの奴の名前だけど」

「あ、だいじょーぶv覚えてるから」

 は?

 空の思いがけない言葉に俺は開いた口が閉まらない。

「いつか絶対こういう日が来ると思っていたんだよね〜〜vだから覚えてんの」

「無駄な記憶を・・・・・・」

 その能力を、完全主義を、どうして勉強に生かせなかったのだろう・・・。

「じゃ、明日はお互い早いんだし、もう寝ようぜ、陸v」

「ああ、そうだな・・・・・・」

 不安なのは俺だけですか?

 そうして、俺たちの悪戯が始まった。




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芸能界詳しくないんですが・・・・・。