たった独り残されてしまった自分。
 
 彼らは写真の中の人間となってしまった。
 
 人気の無い一軒家に茫然と座り込んでいた。

 頼れる親戚など居ない。聞いたことも無い。

 取りあえず葬式以来何も食べていない事に気が付いてふらふらとしながらも冷蔵庫を開けた。

 その中には彼らが居た時の夕飯の残り。

 悪くなっていない事を確かめて口に入れて最後の味を噛み締める。

 これからは誰も自分をこの家から送ってくれないし迎えてくれない。

 眼が熱くなって、フローリングの床に涙が落ちた時、玄関の呼び鈴が鳴った。





「何だかんだ言って結構上手くやれてんじゃねぇの?」

 利哉の言葉には苦笑を返しておいた。

「ま、そうかも知れないな」

 あの後、彗日は日月から蹴りで報復をされ、何故か土下座で謝られた。

 多分、彼は悪くない。

 気恥ずかしさがあってすぐにあの場から逃げ出した。

「・・・・・・要、なんか眼、紅くない?」

 瑞希の指摘に顔が熱くなる。

 珍しい反応に友人二人が身を乗り出した事には気が付かなかった。

「要!あの叔父と何かあったのか!?」

「僕たちようやく要のお守卒業?」

「はぁ?」

 利哉と瑞希が訳のわからない事を言って来るのに首を傾げて見せる。

 その反応にさっきまで眼の色を変えていた二人が一瞬にして落ち着いた。

 訳のわからない、という表情をする要に二人は彼から少し離れたところに移動し小声で会話を始める。

「なーんだァ、キスくらいしたのかと思ったのにィ」

「つかそんな事していたら俺はあの美形ぶん殴っているぞ」

「利哉は要の幼馴染だもんな・・・・・・でもあの叔父さんには負けるかもよ?」

「わかっている。でもまだ早い」

「厳格な親父だねぇ、まるで」

 なにやらひそひそ話す友人たちにいい加減要がキレた。

「おい、お前ら次移動だろ」

 怒りを込めて警告すると嘘くさい笑顔で二人が振り返る。

 あまりの爽やかさにちょっと引いた。

「そうだね、行こうか要」

 がしっと瑞希に左腕を掴まれ

「じゃあ急ぐか、要」

 がしっと利哉に右腕を掴まれる。

 何なんだ、この構図は。

 教室の端の方からきゃあ、という女子の声が聞こえる。

「ちょ、何なんだお前らぁぁぁぁぁぁぁ」

 何故かずるずる引きずられて移動する事になった要の絶叫が教室にしばらく響いていた。



「おかえり」

「へ?」

 帰ってみればいつもはいない叔父が居た。しかも、珍しく一人。

「なんで、居るの?」

「ここは俺の家だけど?」

 そりゃあそうなんですが。

「おかえり」

 戸惑う自分に彼はもう一度その言葉を繰り返す。

「た、ただいま・・・・・・」

 あ、久し振りの言葉だ。

 懐かしい発音に口元へ手をやると頭を撫でられた。

 もしかして彼は自分に気を使ってくれているのだろうか。

「じゃあ俺仕事に行くから、遅くなると思うから鍵かけとけよ」

「わかった・・・・・・」

 革靴を履く久我を茫然と見、彼がノブに手をかけた時に「あ」と小さく声を上げる。

 それに不思議そうな目で見てくる彼に、声を上げてしまった口元に手をやりながら少しの間逡巡したが

「い、行って・・・・・・らっしゃい」

 戸惑いながら言った言葉に久我は柔らかく微笑んだ。

 その笑顔に不覚にもドキリとしてしまう。

「おう、行ってくる」

 ひらひらと手を振られ、茫然としつつそれに手を振り返し、我に返ったのはドアが閉まった音がしてしばらく経ってから。

「・・・・・・俺、なにやってんだ?」

 手を振ったことなど親にもしばらくしたことなかったのに!!

 先程まで意志に関係なく動いていた手を見つめ、羞恥に顔を紅く染めた。

 不意に叫び出したい衝動に駆られ、部屋をうろうろ歩き回ることでどうにかそれに堪えたけど。

 あの叔父と暮らす事にして、良かったのかもしれない。




 なんて思ったのは一瞬のことで。

「だから女を家に連れ込むなっていってるだろーが!」

 朝から要はご立腹だった。怒られている久我はそ知らぬ顔だということがさらに怒りを煽っている。

「アンタの性生活に口出す気はねぇけどな、いい加減公害なんだよ!」

「はいはい、ゴメンなさい」

 適当な返事に、我慢の限界が近かった。

「・・・・・・もういい」

 カバンを引っつかんでマンションから飛び出した。

 何だか凄くムカムカする。

 学校までの道のりを早足で歩きながら心の中であの叔父に対する罵詈雑言を呟いていた。

 毎回毎回連れてくる女性は美人でスタイルもいいけど、違う人。つまりはとっかえひっかえなのだ。

 あの美形を有効活用しているのだろう。

 本当は、叔父に言うほど声は聞こえてこない。けれど、彼が女性を連れて帰って来て部屋に閉じこもるといい思いはしない。

 本当に、あの“ひーちゃん”なんだろうか。

 記憶の中の彼は頭が良くて、格好良くて、優しい手で自分の頭を撫でてくれた。

 別人だ、と思いたいのだけれど・・・・・・。

「つか、要もそこまでイライラすることなくね?」

 瑞希の一言にちょっとある程度の衝撃を受けた。

「だって叔父さんだって男なわけだし、しかも大人の。ある程度は仕方ないじゃん」

 多分、それは今まで要の脳裏を過ぎる事の無かった正論。

「毎日って訳じゃないんだろ?」

 畳み掛ける言葉に頷く。

 毎日ではない。

「・・・・・・そういう考え方もあるか」

 感心するような要の一言に友人二人は驚いたような顔をする。

「そう解釈するのがフツーですよぉ〜」

「常に冷静な要くんがどうしちゃったのかなぁ〜?」

 瑞希も利哉もからかうような台詞。

 どうしちゃった、なんて自分が聞きたい。

 なんでこんなにイライラするんだろう。

 そんな不可解な自分の感情を抱えながら帰宅するとやっぱりというか叔父はいなかった。

 まぁ、その方が良いと言ったら良いのだけれど。

 不意に視線を滑らせると電話の留守電ボタンが点滅していた。

 多分、叔父の仕事関係の連絡だろう。

 留守電は嫌いだ。

 まだ記憶が新しい一ヶ月ちょっと前。コンビニにノートを買いに行って、ついでに本屋に行って参考書を眺めて、2時間ほど家を空けて帰ってきたら、紅いランプが点滅していた。

 何の警戒も無く押して、冷蔵庫から飲み物を取り出した瞬間、両親の死が伝えられた。

 あれから、留守電に妙な警戒心を抱くようになってしまった。

 まぁ、叔父が帰ってきたらどうせ聞くだろう。

 ほっといて夕食の準備をすることにした。



 気がついたら眠っていたらしい。

 ソファから身を起こして時計をみると深夜の2時。

 空腹感を覚えてダイニングテーブルを見るとすっかり冷めた夕食。

 どうやらテレビをつけたまま寝入ってしまったらしく、深夜放送も終わってノイズタイム。

 寝起きの悪い頭はまだぼぅっとして、質の良い黒いソファに寝転がった。

 けれどすぐに感じた異常に飛び起きる。

「久我さん?」

 もう一度テーブルを見ると二人分、きちんと残っていた。

 彼が帰ってきた気配が無い。

 さっと血の気が引く。

「久我さん!?」

 部屋をノックしても返事が無く、ドアを開けたらやはり彼の姿はなかった。

 いつもは8時くらいには帰って来ていた。それより遅い日はなかった。

 どこかの大きな会社の重役らしく、仕事の時間の調整は自分で出来るといつか自慢していた気がする。

 じゃあ、何故帰ってこない?

 パニックになりそうになる頭を押さえてドアを閉める。バタン、という音が要を追い詰めた。

 リビングに帰って来て目に留まったのが、赤いランプ。

 まさか。

 一番考えたくない可能性に鼓動が速まる。

 多分、答えはここにある。

 けれどもし最悪のメッセージだったら?

 一度体験して感じた恐怖はなかなか忘れられるものじゃない。ボタンを押す勇気は無かった。

「嘘だ・・・・・・」

 両親のときもメッセージを聞いてすぐに呟いた言葉。

 口で否定したところで何も変わらないことを知った日。

 茫然としたまま朝を迎えた。

 結局、彼は帰ってこなかった。



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次回で終わりです。