速く走らないと、と思っても昼間の怪我でどうにもならない。足がズキズキ痛むが、それを誤魔化しつつ最大限のスピードを出す。
翔は逸る心を抑えながら走っていた。
今頃誰かと克己が戦っていると思うと。
「うわぁ!」
その時、がさりという音と共になにかが正面から飛び掛ってきた。
人ではない重さと大きさと形状。
頬に触れるひんやりとした感触に思わず声をあげてもがいた。その拍子に後ろへ倒れてしまう。
「いって・・・・・・」
腰をさすりながら身を起こそうとすると、胸の上に何かが乗っかっていることに気付く。
細長くて、うねうね動いて、舌をちろちろ出したり引っ込めたり・・・・・・。
「・・・・・・蛇?」
目の前に、蛇がいた。
「当たり。可愛いだろう」
どこか得意げな言い方に脱力する。
蛇というキーワードを貰えば、相手が誰なのかすぐにわかる。
クラスでも有名な蛇好き、中村清志。
茂みから姿を現した彼の両腕には一匹ずつ蛇が巻き付いていた。よくもまぁ飼いならしたものだ。
中村の手には懐中電灯があり、翔の胸の上を陣取っている蛇をスポットライトのように照らす。
「僕の右腕にいるのが南国出身ハブのハーサーくん。左腕がマムシのマーサー2世ちゃん」
ご丁寧に説明を始めてくれた。くん、ちゃん、と名称が違うのは性別を気にしているからだろうか。
2世ってことは1世もいるのか。
「そして、君の上に乗っかっているのは外国出身のナイスガイ、暑い砂漠に咲く一輪の赤い花!キングコブラのシーサーちゃんだ!」
「き、キングコブラぁぁぁぁぁ!?」
とても有名な毒蛇だ。
顔を青ざめた翔に向かってコブラは横を向いて、口を開けて、歯を光らせた。
確かにナイスガイかもしれない。
「除けてくれ、中村・・・・・・」
芸達者なようだが、一応毒蛇だ。怖い。動いたら咬みつかれそうで、翔は息を吸うのも気を使った。
哀願するが、中村は「ちちちち」と指を横に振る。
「シーサーは君に惚れたようだよ、日向」
「はぁぁぁぁ!?」
慌てて蛇に視線を戻すと、いつの間にかその口に紅い花を加えていた。多分ハイビスカス。
「や、・・・・・・ほら、俺人間だし」
真っ当な言い訳のはずなのに、中村は破願した。
「愛に人種は関係ないよ、日向」
中村のバックから後光がさしているように見える。
「いや・・・・・・そんなこと諭されても」
流石に蛇は勘弁してもらいたい。
「シーサーが嫌いかい!?日向!!」
突然中村とシーサーに同時に詰め寄られ、ぎょっとする。シーサーは「しゃー」という音を出して二つに割れた舌を出したり入れたり。
人間に恐喝されたほうが100倍マシだ。
「シーサーは僕の飼っている仲間たちの間では美人と評判なんだよ!?」
訳のわからないことを熱弁されても困る。自分は人間なので蛇が美人かそうでないかなんて判断できないのだから。
「あーあ。きっと日向カーサーにかみ殺されても文句言えないなぁ。アイツシーサーに首っ丈だったから」
カーサーって誰!!
でも怖くて聞けない。
「よく見てくれ!この美しい鱗!瞳!二つに割れた舌!そして危険な香りを漂わせるこの肢体!何て美しい生物なのだろう!!ああ!ラブスネイク!」
「他人事だけど俺お前の将来心配だ」
陶酔している中村はきっと誰も止められない。
ひとまず、シーサーには退いてもらわないといけない。
「こ、こんにちは、シーサー・・・・・・」
にっこりと引きつった笑みを浮かべながら恐る恐る彼女(?)のからだに手を伸ばす。
意外と大人しくしているので体に触れた時にほっとした。が
「シャ――――――!!」
「うぎゃあああああ!!」
突然吠えられ驚いた拍子に後頭部を地面にぶつけてしまう。痛い。
「『もうっv日向さんったら手が早いのねvきゃv恥ずかしいv』とシーサーは言っている」
ご丁寧に今の威嚇を中村が通訳してくれた。
「さっきナイスガイだって言ってたのに女なのかよ!ってんなことどうでもいい!克己が危ないんだ!」
自分で叫んだ言葉にはっとする。
克己が危ないということを蛇と強烈キャラの登場で忘れかけていた。
急いで立ち上がると重力にしたがって蛇がぼとりと地面に落ちる。
「あ、ゴメン、シーサー・・・・・・」
「『んもぉ、つれない人ねv』とシーサーが」
「中村、通訳はもういい」
とにかく自分は急がないといけないのだ。
「ゴメン、じゃな。中村」
「ああ、残念だよ」
中村は左腕の蛇を撫でながら微笑する。
「本当に、残念」
急に低くなった中村の声に疑問を感じ、振り返ろうとした時何かが目の前を横切った。蛇だ。
「!」
自分が行かないといけない方向に、蛇が立ちはだかって自分を睨んでいた。
コイツは
「ハーサー!?」
「いや、マーサー」
「知るか!なんのつもりだ、中村!」
この蛇の行動は彼らの飼い主である彼の指示に決まっている。
「何って、俺南だし」
中村の胸元には南の生徒を意味するエンブレム。
でも、南だからって何なんだ。
「いいから、どけ!」
サバイバルナイフを抜き、蛇に切っ先を向ける。
「ごめんな、日向。運命だと思ってあきらめてくれ」
背後からどこか哀れんだ声が聞こえると同時、3匹の蛇が同時に飛び掛ってきた。
好きだと言われたシーサーも。なんだか少し裏切られた気分。
「『ああ、何て残酷な運命!』と、シーサーが」
「何時言っているんだ、何時!!」
飛び掛ってくる3匹を必死に払いながら中村に突っ込みを入れる。
流石防弾出来ると言われる訓練服だ。多少重みはあるが、蛇の歯から翔の体を守ってくれていた。
翔には毒蛇の毒に関した知識は全くと言って良いほど無い。だからこの服を着ていることはかなり幸運だった。
昼間怪我をする理由となった重いブーツもこの時ばかりは履いていてよかったと思う。
「ああ、そっか」
なかなか翔が倒れない理由を中村は察し、腰の小さなバックから細い針を取り出した。
「じゃあ少し痛いよ」
中村の声がすぐ後ろで聞こえ、振り返るより先に首の後ろに鋭い痛みを感じる。
そこを慌てて手で押さえるが後の祭り。
「なか…ッむら!?」
間合いを取ると蛇も追って来なかった。
中村は得意げな表情で手の中の針を見せ付けてくる。
それで刺されたのだろう。
「何、を?」
嫌な予想が次々と頭をよぎる。
こっちは死だって考えているのに、彼は笑っていた。
「大丈夫。そんなに怯えることないよ。多分ね」
「多分って何だ!!」
勝利を確信した中村の忌々しい顔を翔は苦悶の表情で睨みつけた。
体が段々だるくなっていくのがわかる。
本当に、死ぬかもしれない。
ぐらりと視界が揺れた。
それと同時に足元もふらつき、どん、と背に木が当たる。体が、段々言う事を利かなくなっているのがリアルに解かった。
その時、空気が変わる。
ざわりと木々がざわめき、翔の背筋に冷たいものが走った。この感覚は、殺気だ。
「何だ!?」
中村も気が付いたらしいが、彼のペットはもっと早かった。
蛇たちはこれからやってくる強敵からさっさと身を隠したようで、姿を消していた。
ざわざわと木々がざわめきが強くなり、ものすごい殺気を伝えてくる。人間のものではない。
低いうなり声が四方から聞こえてきた。
そこでようやくその正体を知る。
狼、だ。
「ひぃ!」
中村の情けない声をぼんやりとしてきた思考でもとらえることが出来た。
でも翔は思考が麻痺しつつある所為か不思議と恐怖は感じない。
がさり、と茂みのなる音と一緒に濃い灰色の毛色を持つ狼が一匹現れる。犬にも見えるが、犬とは気迫が違う。
「ガウウウウッ!!」
狼は先に懐中電灯を持っている中村を狙ったようだ。すぐ近くにいた翔には気付かなかったのか、視線は中村にある。
「うわああああ!」
灰色の巨体が彼に飛び掛り、うなり声を上げる。
翔は呆然として狼と彼の戦いを見ていたが、助けを求める声に力の入らない体をどうにか持ち上げた。
はぁ、と息を吐いている間にも中村が悲鳴を上げる。
「助け・・・・・・誰か!」
先程見た兵士の死体を思い出し、翔は手を強く握った。
血は見たくない。どんな相手の血でも。
だるい体をひきずるようにして、狼が飛び掛った拍子に中村の手から離れた懐中電灯を握り、小石も一緒に拾った。
小石を狼に投げ付けると、ヤツは顔を上げてこっちを振り向いた。
金色に光る瞳にここでようやく恐怖を感じるが、その目をライトで照らす。
「こっちだ、来い・・・・・・っ!」
どうにか腹に力を入れて叫び、踵を返して走り出す。すると今まで隠れていた狼たちが二三匹飛び出してくる。
ああもう、どうでもいいよ!!
ヤケクソになりつつ必死に走る。
狼は群れで活動するから、クローンであってもその習性は忘れなかったらしい。
ついでに動くものに反応する犬にそっくり。流石犬の祖先だ。
走るのはいい。中学時代は陸上部に入っていたから走るのは好きだ。
けれど、まさか犬ではなくて狼に追いかけられることになるとは。
しかも、体調は最悪。さっき刺された首が何だか痛いし、足は元々痛かった。
我武者羅に茂みを掻き分けて走ると、がくりと足元の感覚が無くなる。
「な・・・・・・っ」
崖!?
からりと先に落ちていく小石を見て翔は咄嗟に眼を瞑る。強い衝撃の後、眼を開けると悔しそうにこちらを見下ろす狼の目が上の方にあった。
流石に、ここまでは追ってこないだろう。不幸中の幸いとはこの事だ。
ほっと息を吐くと、崖の上で狼が遠吠えをする。
助かった。が・・・・・・。
ぐらぐらと頭が揺れて、起きあがれない。さっき中村に変なものを刺された所為か。
そういえば、中村は大丈夫だろうか。自分を捕まえられないと察した狼たちが、彼に的を定めなければいいが。
でも、他人を心配する前にまず自分のこの状況をどうにかしなければ。
「・・・・・・だ、誰かー」
弱々しい声で呼んでも、返事が来るわけもなく翔はため息を吐いた。体のあちこちが痛くて堪らない。
このまま、ここで死ぬんだろうか。
いや、死ぬわけにはいかないだろう。こんな所で死んだら、きっとあの世で姉に怒られてしまう。
「いてて・・・・・・」
身を起こすと背中やら腰やらあちこちが痛い。その時からん、と手に当たったものに何となく眼をやり、眼を見開くこととなる。
そこにあったのは、石ではなく人の骨だ。
「何で・・・・・・」
しつこく聞こえていた狼の遠吠えが止み、またあの気配に包まれる。
それで全てを了承した。自分は、狼たちに誘導されていたのだ、ここに落ちるように。
そして、ここは狼たちがねぐらとする場所なのだろう。ギラギラと獲物を狙う眼に囲まれ、思わず崖に背をつけていた。
こんなところで死んでたまるか!
懐中電灯を握り、戦闘の意を見せると狼もそれに気付いたのか少し怯んだように見えた。が、突然背中に重いものが圧し掛かり、翔はその体重を支える事は出来ず、その場に倒れた。
慌てて仰向けになると、狼の鋭い眼が目の前にあった。上から駆け下りてきたらしい。動物ながら、戦闘を知っている。
「止めろっ!」
白い牙が目に入り、無我夢中で手に持っていた懐中電灯をその大きな口に放り込んだ。がきん、と音がする。
どうしておばあさんの耳はそんなに大きいの?
それはね、お前の可愛い声を聞くためだよ。
どうしておばあさんの目はそんなに大きいの?
それはね、お前の可愛い顔をよく見るためだよ。
どうしておばあさんの口はそんなに大きいの?
それはね、お前を食べる為だよ。
人間、窮地に立たされると妙なことを思い出す。
あの少女は食べられたけれど狩人に助けられた。まさか、自分は丸呑みされるわけないよな、と鋭い牙を間近で見て思う。
狼の牙と懐中電灯の間から生温かい唾液が顔に落ちてくる。
かなり悲鳴を上げたい心境だったが、体にはもう力が無くなっていた。
ぴしり、と懐中電灯のプラスチック部分にヒビが入る。
「嘘・・・・・・!」
バキィと音がしてすぐにプラスチックの破片や電池が顔に降り注ぐ。
明かりは消えた。
狼の雄叫びを聞いて絶望感に襲われる。
もう、狩人でも何でもいいから助けて欲しい。
強く目を瞑り、そう願うしかなかった。
「―――翔!」
うるさい狼のうなり声の遠くで誰かが自分の名前を呼んだ気がした。
それからすぐに何回か銃声が響き、切ない鳴き声と共に、体を押さえつけていた巨体が横に倒れる。
恐る恐る目を開けてだるい体を起こすと、克己が反対側の崖の上で銃を構えて立っているのが目に入った。狼たちの視線が一気に彼に集まる。
それにも構わず、彼は崖から降りてきた。狼が彼に向かって走っていくのにも臆することなく。
「克己!」
大量の獣に襲われているのにも関わらず、克己は身軽な動作で彼らの牙を避け、その体に拳を入れる。
凄い、神業だ。
本当に彼は、自分が思っていた以上に強いのかも知れない。
ぽかんと克己の無駄のない動きを見ていると、崖の上から炎が飛んできて、克己の肩に噛み付こうとしていた狼を射抜いた。
炎じゃない。火矢だ。
矢は確実に狼の体を貫き、あたりを明るく照らす。
思いがけない味方の登場に克己も顔を上げる。
「大丈夫か」
「矢吹!?」
正紀の作った弓矢を片手に彼は口角を上げ、すぐにまた矢を射る。その隣りにいた正紀の腕には、気絶しているらしい中村の姿が。
狼も敵わないと察したのだろう、鳴きながら次々と闇へと逃げていった。
「間に合ったか・・・・・・」
荒い息を落ち着かせようと克己は胸を二三回擦りながら、へたり込んでいた翔のところまで来る。
「中村は、大丈夫なのか」
正紀に抱えられている彼は遠くて怪我の具合が解からない。
「ああ、見た目血だらけだけれど引っかき傷だけだ。たいしたこと無い」
「そ、か・・・・・・」
ああ、もう駄目だ。体に力が入らない。
地面に寝転ぶと目蓋が重くなってくる。
「翔?狼に噛まれたのか!?」
「違、う」
ああもう、声を出すのも辛い。
「なんだろ・・・・・・。ゴメン、克己・・・俺」
死ぬ、かも。
最後に言った言葉は音に出来たのか不安だったけれど、誰かが近くにいてくれるならあんまり淋しい死に方じゃないかも知れない。
特に言い残すことは無かったから、まぁいいか。