「ごめんなさい!」
「謝ってすむのかよ、ぇえ!?」
 中村に素直に怒りをぶつけるのは元不良の正紀だった。流石、なかなかの迫力だ。それが怖いのか、すっかり小さくなっている。
「お前、本気で反省してるのか!?」
「しています!本当にゴメン!」
「いいよ、別に・・・・・・こうして生きてるわけだしさ」
 翔はやれやれ、と息を吐いた。今起きたばかりの頭はまだぼんやりしている。
 中村が自分に使ったのは単なる睡眠薬に近いものだったらしい。最初から殺す気はあまり無かったようで。
 話を聞いた仲間たちは怒り心頭といった感じで、翔の分まで怒ってくれていた。
 まだなんとなく体がだるい翔に遠也が「大丈夫ですか」と声をかけてくる。
 遠也がいると何となく安心。
「大丈夫」
 そう翔が答えるのを克己は木に寄りかかりながら見つめ、ほっと息を吐く。
「あの、僕そろそろ帰るから・・・・・・」
 明るくなり始めたところで中村が言いにくそうに口を開くと、遠也が冷たく一瞥した。
「その前に日向に言うことは?」
「あ・・・・・・ゴメン!日向!それと、ありがとう」
 気恥ずかしそうに言われた礼に翔は笑顔で答える。
「おう。じゃ、またな」
 ひらひらと手を振る翔に正直まわりは呆れていた。
「日向・・・・・・お前、殺されかけておいて」
「ん!結果生きているからOK!」
 正紀の力ない言葉にも元気な返事。
 さっきまでぐったりと眠っていた人間とは思えない。
 中村は安堵の笑みをわずかに浮かべ、立ち上がる。
「途中まで送る」
 克己が珍しく積極的になった。
 あからさまに不満顔になる仲間たちを無視して克己は中村の背を押した。
「別にわざわざ送ることねーじゃん」
 中村嫌いになった正紀たちの不満を聞き流し、克己は彼を送っていく。
 遠也だけは、それをみて苦笑していた。

「ちぇ、何だよ。甲賀のやつ」
「そいや、篠田達も助けに来てくれたんだな、ありがとう」
 舌打ちする正紀と、その隣りにいたいずるに翔は頭を下げた。仮眠の邪魔をしてしまったのはやはり心苦しい。すると二人はいいコンビネーションで「気にするな」と同時に言ってくれた。
「甲賀に叩き起こされた時は流石に驚いたけど」
 正紀の言葉に翔は首を傾げて見せた。一度克己は仲間のところに戻り、翔が戻って来ているかどうか確認してから、再び森の中を走ったのだと彼らから説明される。
 その際、狼の遠吠えが何回か聞こえたから、仲間が多い方が良い、と戦闘要員である正紀といずるを叩き起こし、あの崖までたどり着いた事。
 いずるが、昼間あの崖の奇妙な事に気付いていたから発見が早まった事。
「甲賀の慌てっぷり、お前にも見せてやりたかったぜ、日向」
「え?」
 克己が慌てていた、という事を教えた正紀はにやりと笑う。
「やっぱ、お前甲賀と仲良くなれたじゃん。快挙だ、快挙」
「・・・・・・そうかな?」
「ああ。俺の眼に狂いはなかったな!なぁ、いずる」
 同意を求められたいずるも首を縦に振る。そんな風に言われると、少し照れるじゃないか。
「だって、克己イイヤツなんだ」
 彼の過去も知った上での言葉だが、何の躊躇いも無かった。
 本当に悪い人間なら、自分を助けてはくれないはずだ。狼の群れにも冷静に戦った彼の姿には感動さえ覚えた。
「・・・・・・でもま、ちょっと人間離れしたところがあるような気がするけど」
 いずるも克己が狼を相手にしていた場面を思い出し、低く呟く。普通の人間なら決して出来ない芸当だ。翔は普通に感動しているし、正紀も何も思っていない様子だから、深く考えなくても良い事なのかもしれないが。
「なぁ、おい正紀」
 遠也にあちこち怪我の手当てを受けている翔には聞こえないように、隣りにいた友人にいずるは小声で声をかける。
「何だよ」
「甲賀だけど。普通、狼の群れに飛び込むなんて事、お前出来るか?」
 まるで恐怖も何も感じていないようなあの姿には、異質なものをいずるは感じ取っていた。正紀はしばらく逡巡し、「うーん」と唸ってから
「俺も多分お前が狼に囲まれていたら、飛び込むぞ?」
「・・・・・・そりゃどうも」
「何、お前は俺が狼に囲まれていたら助けてくれないわけ?」
「いや、確実に飛び込む」
「だろ?」
 正紀は何てことないように言うが、それは自分と彼の関係だから成り立つわけで。長年連れ添った親友の危機だからそうするのだ。
 だが、あの甲賀克己が出会って数週間くらいの相手を助ける為にわざわざ狼の中に入るか?
「・・・・・・まぁ、いいか」
 一体どういう感情でそんな行動をとったのか解からないが、自分が気にすることでは無い。
 そう、いずるは自己完結させた。




「あの、ここまでで良いです。ありがとう」
 もごもごと中村は克己に礼を言い、頭を下げる。
「日向に、ゴメンって・・・・・・本当に」
「ああ」
「でも、僕甲賀があんなに慌てたところ、初めて見た」
「忘れろ」
 他人に自分が取り乱したところを見られてしまったことを思い出し、克己は舌打ちをする。
 もと来た道を戻っていく克己の背を見送ってから中村は早足で茂みを掻き分けた。
 克己はその様子を足を止めて厳しい目で見つめる。
 方向転換した時、足元の砂が鳴った。



「お帰り、中村」
 息を切らして戻ってきたところには和泉たち3人組が待っていた。
 中村は彼らの存在に表情を硬くする。
「殺せた?」
 簡潔に聞いてくる和泉に中村は首を横に振った。
「嫌だ、僕、日向は殺せない!」
「何故?」
「だって、僕のこと助けてくれたんだよ!」
「そんなことで!」
 明石が一歩踏み出したのを和泉が手で制した。
「僕、嫌だ!人殺しは、嫌だ!」
 訴えを続ける中村を和泉は嘲る。
「正気か?中村」
「当たり前だ!」
「あ、そ」
 和泉は肩をすくめて首を横に振った。
 理解できない、といった感じで。
「もういい。お前は用済みだ。人選ミスだったんだろうな。いらないものを連れてきてくれたみたいだし」
 和泉は丁度中村の真後ろにある木を見ると、身を隠していた克己が姿を現した。
 その登場に明石と榎木は身構え、中村は驚きに目を見開いた。
 そんなギャラリーには目もくれず、克己は首謀者らしい和泉に歩み寄った。
「やっぱり、お前が」
 その言葉に和泉はにやりと笑う。
「自分の手を汚すのは好きじゃないからな。なかなか確実な手だと思わないか?」
「詰めが甘いがな」
 克己はまだ驚いている中村をちらりと見る。
「まぁ、いい。どうせ今回はただの様子見だった」
 和泉はそう呟き、克己を見据えた。
「で、何か俺に用?」
 平然と問う彼は余裕の表情。
「ああ。一つだけな」
 克己は短く息を吐いた。
 次の瞬間鋭い風が和泉の左肩から右肩へ通りすぎていく。空気を切る音だけが確認できた。
 突然の攻撃になすすべも無く、そう自覚して守りに入ろうとする前に、左耳近くにその風が通る。
 空間を引き裂くような鋭さに背筋に寒気が走った。
 自分の後ろにあった木に彼のナイフが深く突き刺さっているようだ。
 目の前には克己の黒い目があり、その威圧感に体が硬直する。
「次に、似たようなことがあれば」
 彼が話し出すのが合図だったかのように和泉の頬から血が流れた。
 刃は触れていないはずなのに。
「必ず殺す」




 訓練服と下に着ていたTシャツだけすっぱり切れていた。
 皮膚に傷は無い。
 克己が去ってしばらくたってから和泉はその場に座り込んだ。
「何だ、服だけしか切れていないじゃん。ナマクラ使ってんじゃねーの?」
 軽い口調で榎木が言う。それに明石が笑う。
 今更だが自分の仲間の低脳振りには呆れてものが言えない。
 彼らは何もわかっていない。
「ナマクラが、防弾仕様の服、斬れるか?」
 呻くような声しかでなかったが、彼らの馬鹿笑いを止めるのには十分だった。
「肌には傷つけず、服だけ綺麗に斬っていやがる・・・・・・」
「なんだよ、ソレ」
 和泉の言いたいことがまだ解らない榎木が首を傾げた。
 それに、苛立ちを感じた。
「俺だって、服は切れても肌に傷一つつけずになんて出来るもんか!神技なんだよ、アイツがやったことは!!」
 怒りまかせに後ろの木を殴りつけると、先程のナイフの刃の跡が目に入る。
 流石、甲賀克己というべきか。
「くそ、何者なんだ、アイツ・・・・・・・!」



 く。
 即席グループの元に帰る道のりで、克己は激しい頭痛を感じ頭を抑えていた。
 時々、感情が高ぶるとこうした痛みを感じるようになった。あの日から。
 それはまるで、誰かを攻撃しようとする自分を牽制するような痛みでもあり、もっと殺せと急かすような痛みでもあった。恐らくは後者なのだろうが。
 この状態で仲間の元に戻るのは、得策ではない。
 そう判断して、克己はその場に座り込み、木にもたれかかる。
 はぁ、と熱い息を吐き出し、痛む頭に手を伸ばす。そこには、誰も知らない古傷があった。
 まさか、またこの頭痛を感じるようになるとは。
 心拍数が上がり、掴んだ太めの木の枝はあっさりと折れる。
 最近の自分は、少しおかしい。何故、あんな事をしたのか自分でもよく解らない。
 わざわざ大して付き合いのない相手を助ける為に走り、狼の群れに突っ込んだり、挙げ句の果てには彼に敵意を持つ相手に牽制までした。
 同情だろうか。意外な過去を持っていた彼への。
 ただの同情ならば、まだ良いのだが。
「遥・・・・・・」
 懺悔の呟きは、鳥の羽音にかき消されていた。





「はい、みなさ〜ん、楽しくカレー作れましたか?」
 一人だけハイテンションな女教官を皆疲れた目で見ていた。
 正午になり、一人も欠けることなくクラスメイト全員が集合する。どこかしら怪我をして。
「おい、大丈夫か?」
 まだふらついている翔に克己が声をかけた。こんな妙な薬を使われたのは初めてだったから、ものすごい倦怠感だ。
 けれど中村の心配そうな視線を感じ、克己には大丈夫だと答えておく。
「残念なことに、一人だけズルしちゃった人がいるんだよね」
 疲れた生徒たちへのねぎらいの言葉を終えた教官は本題に入る。
 疲れていたが、その一言で騒然となった。
 命令違反は階級剥奪。
 皆、自分じゃないかと不安なのだ。
「はいはい、静かに〜〜」
 彼女は手を叩いて彼らを静めた。
 緊張した表情の生徒たちを彼女はどこか満足げに眺め、
「甲賀くん」
 その生徒の名を呼んだ。
 再び、騒然となる。
 信じられない、というクラスメイトのざわめきの中で一番驚いていたのは翔だ。
 当然だ。克己が階級剥奪されるようなことをしていたとは思えない。
 けれど、当の本人は平然とした顔。
「じゃあ、コレ預かっておくから」
 教官は笑顔で克己の胸に貼られている階級章を剥がそうとした。
 納得できない。
「待ってください、教官!」
 翔が声を上げると彼女は手を止めてこちらを振り返った。
「俺、ずっと一緒にいたけど、別に何も」
「あら、彼、実弾使ったわよ。私、ペイント弾って言ったはずだけど?」
 あ、と翔は息を呑んだ。
 あの狼を倒した時だ。
「でも、アレは俺を助けてくれる為に!」
 どんなに翔が頑張っても、彼女は克己の階級章から手を離そうとしなかった。
「規則は規則。それに貴方たちに助け合いなんて教えているつもりないしね」
 何を言ってもだめだ。
「それなら、俺の」
 自分の階級章を剥がそうとする翔の手を克己が止めた。
 最低階級の翔が階級を失うことは危険すぎる。
 なんで?という目で見つめてくる翔に首を横に振って見せ、自分の階級章を自分で剥がす。
 大人しく差し出された階級章を彼女は迷い無く受け取った。
 多分、明日あたりにワンランク下がった階級章が与えられる。
「はい、じゃあ解散!ご苦労様!」
 一部始終を見つめていたクラスメイトはその高い声で動き出す。
 動き出せなかったのは気まずい空気が流れるチーム。
「ごめん、克己。本当に、俺」
 擦れた声で何度も謝るが、そんなことしか出来ない自分に腹が立つ。
「お前の所為じゃない」
「俺の所為だろ!」
 彼の階級の重みを聞かされたばかりだった。
 なのに。
「ま、好意として受け取っとけよ」
 沈む翔に周りの正紀たちもそれぞれ励ましの言葉をかける。
 特待生並みに強い甲賀克己だ。階級なんて勝手についてくるようなものだろう。
「甲賀は殺しても死にませんよ」
 遠也の冷たいフォローには克己自身首を傾げたが。
「それ、フォローか?」
 大体、階級をワンランク下げられただけなのだから死ぬようなことは無い。
「ごめん、な・・・・・・」
 でも、どんなフォローも耳に入らない翔は俯いてひたすら謝っている。
 ここまで落ち込まれるとは思わなかった。
「大丈夫」
 翔がここまで謝るほど自分はショックを受けていないのだ。というか銃だってわかっていて引き金をひいたわけだし。
 後悔だって、していない。
「お互い、死ぬことはなかったんだ」
 ぽん、と肩を叩くとようやく翔は顔を上げた。
「克己・・・・・・」
「ん?」
「俺、もー、お前に一生ついていく!!格好良すぎるお前!!」
 兄貴と呼ばれそうな剣幕で抱きついてきた翔には少々驚いたが。
「おー。なんかお前等本当に仲良くなったよなぁ」
 正紀ののんびりした評価に
「・・・・・・何したんだか」
 いずるの妙な呟き。
「友情だな!」
 大志の感動した声。
「・・・・・・」
 遠也の冷たい視線。
 とりあえず何一つ欠けること無く、恐怖の調理実習は終了した。


end




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