誰かが自分の頬を叩いている。 
 冷たい皮の感触。多分手にグローブをつけているのだ。
 睡眠の邪魔をして欲しくなくて、首を横に振る。
「起きろ、翔」
 久々に名前で呼ばれる気がして相手を誰だか確かめる為に目を開けた。
 淡いオレンジ色の光に照らされている顔は
「かつみ?」
 彼はし、と口の前に指を立てる。
「妙な気配がする」
 真剣な一言に一気に頭が覚醒した。
「篠田達は?」
「二人とも交代したらすぐ寝た」
「あ、ゴメン・・・・・・」
 どうやら自分は交代時間になっても目を覚まさなかったらしい。
 木に寄りかかって寝たはずなのに、いつの間にか冷たい地面に横たわっていた。おかげで体が痛い。
 身を起こして背伸びをしていると、克己は闇の奥のほうを厳しい表情で見ている。
「さっき、あっちの方向で妙な音が聞こえた。様子を見に行ってくる」
「あ、俺も行く!」
 けれど克己は首を横に振る。
「危険だ」
「お前だって危険だろー?二人のほうがいいって!」
 克己は困った表情を見せるが、翔は構わず立ち上がった。
「わかった。俺の側から離れるなよ」
 説得しても無駄だろうことを察して克己も立ち上がる。
 その時、克己が警戒をしていた方向から何かの遠吠えが聞こえた。
「・・・・・・何?今の」
 まさか、と克己と顔を見合わせる。
 克己は眉一つ動かさずあっさり答えた。
「狼、だな」
「狼!?何でこんなところに!?その前に2世紀ほど前に絶滅しているはずだぞ!」
「クローンで復活させて飼っているんじゃないか?奇特な奴らだ」
 淡々と答えてくれるが、何故こんな危険な動物が徘徊しているところで自分達は調理実習をしているのだ。それに、確か銃の弾はすべてペイントに変えてしまったからいざという時の武器が無い。
 克己は動揺も見せず、3番手の大志を起こしにかかっていた。
「三宅、起きろ」
 ドガッとか、げしっとかかなり痛そうな音が聞こえたのは気のせいか。
 翔が振り返ると大志がふらふらと腹部を押さえて立ち上がっていた。
「お、おはよう、甲賀・・・・・・何だか凄く腹が痛いんだけど、何で?」
「さぁ。お前の体調を管理してやれるほど俺は暇じゃないんでな」
 克己の冷たい一言に大志はそうだよな、と苦笑した。気の毒すぎる。
「じゃ、俺達少し出かけてくるから」
 腰にナイフがあることを確認して翔は大志に起こした理由を告げる。
 それに彼は何故か大袈裟なほど驚いていた。
「は!?ふ、二人で!?」
 その反応は何だろう。
「狼が出たらしいから、ちょっと様子見に。三宅も気をつけろよ」
 翔の説明にさらにぎょっとしたような顔をした。確かに狼なんてものがいると知ったらその反応は当然だ。
 首を傾げる翔と怪訝な顔の克己を見比べ、彼は首を横に振った。
「駄目だ、日向お前、絶対喰われるぞ!!」
「え。まぁ、克己もいるし」
「どう見ても甲賀が狼だろうが!!」
「は?」
 翔が次に見た光景は克己が大志を一本背負いした瞬間だった。





「何だったんだろうな、三宅の奴。意味わかんねぇ」
「さぁな」
 夜の森はどこか不気味で、光は空の半月しかない。
 懐中電灯なんて調理実習に必要だと思わなかったから誰も持ってきていない。
 前を歩いていた克己がぴたりと動きを止める。理由はすぐにわかった。
 鼻を突いた血の香り。
「克」
 彼を呼ぼうとしたら口を手で覆われる。
 黙っていろということだ。
 ゆっくり足を進めていくと段々臭いがきつくなっていく。
 血生臭い臭いに慣れ始めた時、また克己が足を止める。
「あまり見ないほうがいいと思うぞ」
 克己の注意の声と共に暗闇に小さな明かりが灯る。彼愛用のジッポライターの輝きだ。
 克己はしゃがんで下にあるものを照らそうとする。
 茂みが血に濡れているのがまず最初に目に入り、翔は眉を寄せた。
 小さな光が照らしたところには赤い肉と白い骨。部分的にしか照らされていないからよくはわからないが、骨の形には見覚えがある。
 肋骨の綺麗な曲線に申し訳程度に肉片がこびりついていた。
 克己が横に光を動かすと食い荒されている下腹部があらわれた。
 この形は間違いなく人間。
「兵士だな」
 克己がぽつりと言う。
 自分たちが着ている訓練用の戦闘服と彼らの戦闘服は微妙な違いがある。血にべっとり濡れている服を見て克己はそう判断したのだろう。
 クラスメイトでないことに少なからずほっとした。
 多分、彼は監視役の兵士で、監視中に食い殺された。
 無残な姿に翔は思わず口元を覆っていた。
「大丈夫か?」
 自分の様子に気が付いて克己は光を死体から放す。
「あんまり・・・・・・」
 けほ、と軽く咳をして胸部分を擦った。
 血は苦手だ。臭いも、色も、嫌な事しか思い出させない。
「帰るぞ」
 そんな自分に気を使っているのか、克己は光を消す。
 気持ち悪い血の臭いから解放されたいのは彼も一緒だったのかもしれない。
 翔も口元を押さえながら一歩後退した。
「翔!」
 帰る、と言ったのに克己は翔の腕を掴んで引っ張った。
 一瞬、何で彼がそんな行動をしたのかわからなかったが、背中のほうで空を切るような音がして納得する。
 金属的なもの同士がかち合ったような音が静かな森に響いた。
 この音には聞き覚えがある。ナイフ演習の授業で。
 かなり強く克己の体にぶつかったはずなのに、克己はよろめくことなく誰かの攻撃も受け止めている。
「行け!」
 一瞬、翔は何の指示をされたのかわからなかった。
「は・・・・・・?行けって、何で!?」
 気配から察するに今のところ敵は一人。2対1の方が絶対に有利だ。
 なのに克己は自分に逃げろと指示をしている。
「良いから早く行け!・・・・・・三宅たち呼んで来い!」
 どうにか翔が去る理由を口にした。
 それには納得してくれたらしい。
「わかった、すぐ戻るから!」
 茂みを掻き分ける音に克己はほっとした。
 庇わないといけない人間が去り、ようやくハンデ無しで戦える。
 渾身の力で相手のナイフをはじき、十分な間合いを取った。
「加藤だな」
 ポケットに入れたばかりだったライターを取り出し、火をつけて近くの茂みに放り投げた。
 オイルが漏れたのか茂みは勢い良く燃え始める。
 大きな明かりの出現に闇が消え、相手の姿を浮かび上がらせた。
 オレンジ色に照らされたのは穏やかな笑顔。
「流石、甲賀君だね」
 くすくす楽しそうに笑う相手に克己は目を細めた。あまり、予想は当たって欲しくなかったのだけれど。
 小柄の童顔は一見人の良さそうな顔。色素の薄い茶色の髪も明るい雰囲気に見せている。
 しかし、手には使い古されたバタフライナイフ。
 彼が着ている訓練服には南と特待生のエンブレム。最悪の組み合わせだ。
 このクラスの危険人物の一人、加藤亮助。
 人懐こそうに笑うくせに、中身にはかなりの残虐性を秘めている。
「日向君を逃がしたのは正解だったね。もうすぐ沢村君もここに来るよ」
 沢村はもう一人の特待生だ。加藤と大体行動を共にしているのでまさかと思い翔を逃がした。
 自分の判断は正解だったわけだ。流石に誰かを庇いながら特待生二人相手はキツイ。
「でも、珍しいよね。君が誰かを庇うなんて。何かの気まぐれ?まぁ、日向君可愛いしね」
 ナイフを手の中でくるくる器用に回しながら加藤は笑う。
「それに、美味しそう」
 妙な表現に克己は眉を寄せた。
 加藤は笑顔を浮かべたままナイフの刃をしまう。
「甲賀君も美味しそうだけど……その素敵なものは君の作品?」
 彼の視線の先には狼に食い荒らされた死体があった。克己は黙って首を横に振る。
「人工的な大自然の驚異の成れの果て」
「いいの?」
 特に怯えるでもない克己に加藤は首を傾げた。
 訝しげな顔をする克己に親切に加藤は口を開く。
「その人工的な大自然だけじゃないよ、狼は」
「どういう意味だ」
「中村君をみたよ」
 ここに来る前に、と付け足してもまだ克己はその意味を飲み込めていない。
「僕が、彼と彼を引き合わせようとしたとすれば?」
 ようやく克己の目が大きく見開かれ、加藤はそこにつけ込むように笑った。
「僕は、オトリ」
完全にこちらの行動を読まれていたらしい。克己はすぐに走り出そうとしたが、加藤が立ちはだかる。
「ああ、行かせないよぉ。頭のいい甲賀君が僕が彼をあっさり逃がしたことに疑問を持たないなんてなぁ。僕がびっくりだよ?」
「お前!」
 一度しまったナイフの刃を出して、加藤は笑う。
「僕と遊んでくれるよね?」
「ガキと遊ぶほど暇じゃない!」


「あ〜、血相変えて行っちゃったよ。どうしよう」
 くしゃりと髪を撫でながら加藤は後ろに立っていた沢村を振り返る。
「殺しておけば良かったかな?」
「返り討ちにあいたいのならそうしろ」
 沢村は美形顔を歪めることなく答えた。
「何だよ、沢村は僕より甲賀君の方が強いと思っているの?ひどーい」
「どう見てもそうだろう」
 特待生より強い存在。沢村はそんな克己に一目置いている様子。
 特待生は政府が誇る最強の暗殺団、もしくは戦闘部隊にすでに席を置いている人間の事。生徒会に順ずる委員会のどれかに所属していなければいけないという条件もある。自由に外と学校の出入りが出来るという特権も持っている。南のエンブレムを貼ってはいるが、北に特待生は存在しない。
「無駄な殺しはするな。命令されていないだろう」
 叱る様な言葉に加藤は頬を膨らませる。
「だってー。こんなお遊びみたいな学校、暇なんだもん。なんで僕たちがわざわざこんなとこ通わないといけないわけぇ?」
「『人』としての学歴が必要だからだろう」
 冷静な一言に加藤は低く笑う。
「流石、院長のお気に入りは頭が良いですねぇ。本当は殺したくて仕方ないくせに」
 嫌味のような言葉を聞き流し、沢村は茂みへ進む。それを止めたのは加藤の一言だ。
「なぁ、コイツ喰って良い?僕お腹減っちゃって」
 振り返りもせず、足を止めただけで沢村は答える。
「好きにすればいい」
 嬉々として死体に飛びつく加藤が目に浮かぶ。
「そいえばさ、沢村君、昨日はご苦労様。暗殺」
 さらに自分を引きとめようとする声が聞こえたが、耳を貸さず沢村はその場から立ち去った。


 まだ温かい体に手を伸ばした。ぐちゃぐちゃに食い荒らされた腹部に手を突っ込む。
 生温かく、柔らかい粘膜の感触が気持ちいい。久々ぶりの感触。
 胃を引きずり出すと鋭い牙でぼろぼろになっていた。ここは柔らかくて好きなところなのに。残念。
 次は小腸。大腸は食べれない。
 目指したところも食い尽くされていた。
 肋骨を舐める。ほんのり血の味がした。
 肋骨が守る部分にも食べれるところがある。引き剥がすように引っ張るとべき、という音がした。
 血の臭いが空腹を刺激し、たまらず顔を死体に突っ込んだ。
 普通の人間ではない、とある科学者が自分に言った。ソレが目的で自分を造ったくせに。
 普通の人間は、人間を食べないんだと、人を食べる自分に向かって言った。
 普通の人間が可哀想に思えた。こんなに美味しいものを食べないなんて、変な人達。
 その科学者は自分に人を食べるなと言った。
『だからこの研究は止めたほうがいいと言ったでしょう!』
『しかし、一度は君も賛成したじゃないか!』
『猛獣の遺伝子を人間に掛け合わせるなんて……!合体獣より最悪だ!』
 遠くから聞こえてきた怒鳴り声。難しい単語は理解できない。
 君の体は人と虎の遺伝子で出来ている、なんて言われてもわからない。
 解る気も無い。そんなことどうでも良かった。


 人さえ、食べれれば。


 その日まで餌はクローンの人間だった。
 けど、その日は科学者を一人食べた。
 初めて『狩り』をした。
 普通の人間(オリジナル)は、クローンより10倍美味かった。


「ご馳走様ぁ」







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