「はい、日向。顔は終わり」
「ありがと、矢吹」
みんなのところに戻ったら遠也と大志は不在で、正紀といずるだけが居た。
どうやらあまりにも遅い自分たちを探しに行ったらしく。
また、彼に迷惑をかけてしまったとため息を吐くしかない。
そんな翔をいずるは痛々しそうな目で見る。
大丈夫だよ、と笑っても信じてもらえそうに無かった。
口の端が見事に切れていて、話そうとした途端ぴりっと痛む。
指先でそこを撫でていると絆創膏が追加された。
「次は体だね」
いずるは弓道をやっている所為もあり、手当てが結構上手い。頭の傷もガーゼ一枚で事足りた。
こちらの怪我の具合を気遣いながらの処置に翔は感謝だったが、その言葉には体を固める。
「や、体はいいよ……遠也にやってもらう」
ついさっきまで遠也から診断されるのを嫌がっていた人間の言うことではない。
「でも日向、手当ては早めのほうがいいんだぞ」
優しく説き伏せてくるいずるには申し訳ないが、首を横に振った。
「大丈夫、そんなに痛くな……いってぇぇぇ!!」
突然誰かにわき腹を叩かれたから堪らない。
誰だ、と睨むつもりで振り返ると、克己が居る。
「どこがだ。ここまで痛がっといて」
「それはねぇ!痛いところを的確に叩かれたら痛いでしょう!?」
むしろ痛み倍増だ。
ずきずき痛む箇所は、多分榎木に蹴られたり殴られたりしたところ。
「じゃあ、手首は?」
いずるが怒る翔をなだめながら多分一番酷い怪我のところを言う。
「細菌でも入ったらシャレにならないから。ここは外だしね、破傷風にでもなったら」
それでも翔は首を横に振る。
「平気・・・・・・だぁっ!」
再度克己が体を軽く叩いてくる。今度は背中。
「骨でも折れていたらどうする」
うずくまって悶絶している翔にもっともな忠告をしてくれる。
「かーつーみぃ・・・・・・」
恨めしげな声を上げるが、相手は変わらず冷静な眼だ。
「服脱げ」
「ヤダッ!」
「いいから脱げ」
「絶対ヤダ!」
「剥ぐぞ」
「いやーんv甲賀君のえっち〜〜〜v」
正紀の茶化しで場の空気が瞬時に凍りついた。一応、不穏になりつつあった場の空気を和ませようとした彼なりの努力だったのだが。
そんなことに気が付くのは親友であるいずるしかいない。
しかも、彼はそんなフォローをするような人間じゃない。
当然、正紀は賽の河原を渡りかけることとなる。
「に、しても何でそんなに嫌がるんだぁ?日向」
正紀は克己に思い切り殴られた頭を擦りながら首を傾げる。
「・・・・・・もしかして、お前実は女っ!?」
「違うだろ。っていうか篠田会って一番最初に確かめただろ!」
早々に否定され、正紀もそうだった、と納得し、首を傾げる。
「じゃ、いいだろ?別に恥ずかしがるもんじゃない」
確かに彼の言うことはもっともだ。
もっとも、なのだけれど。
「む、婿入り前だし・・・・・・」
視線を思いっきりそらして、冷や汗をだらだら流しながらキツイ言い訳を口にする。
「成程!ってなんじゃそら」
ボケ突っ込みを披露してくれる元不良。裏手突込みが空を切る。
ほぼ同時、かちんと金属が触れ合うような音がし、翔はそこへ視線を流す。
そこでは、克己が無言で煙草に火をつけていた。
何だか怒りのオーラらしきものを纏いながら。
ふーっと紫煙を吐き出す彼の様子をびくびくしながら伺うしかない。
煙草は20になってから等々言いたいことは山程会ったが。
「分かった、日向」
口から煙草を離して、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべる。
しかし、この笑い方はどこかで見覚えが。
「俺が婿にもらってやるから、服を脱げ」
思い出した。大志を脅していた時の表情だ。
「何でそうなるんですか!?うわーん!克己が怒ってる―!克己が嫁なんて嫌過ぎる――!!」
「婿でも嫁でもどうでもいいから服脱げ!」
「あ、俺日向が嫁のほうがいいと思う」
正紀が要らない提案をし、
「あ、うん。俺も。きっと純白のドレス、似合うよ」
いずるも賛同する。そういう問題じゃないだろう。
「姫姫言うな馬鹿――!!」
本日言われまくった単語を直接言われたわけではなかったが、翔の耳にはそう聞こえた。
しかも翔が一生懸命否定していることを、正紀が悪乗りする。
「姫ねぇ、じゃあ甲賀は王子?」
「騎士だろ、どっちかといえば」
こういう時にはいずると正紀はコンビネーションを発揮する。
克己もそれにはいささか閉口した。
おろおろ慌てる翔は見ていて面白いが、いい加減この話を終わらせないことには始まらない。
そうふんだ克己は煙草を地に投げ捨てて踏み潰した。
「日向、服の上からでいいからとりあえず骨が折れていないか確かめさせてくれ」
服の上、という条件に翔は頷きながら身体検査を受けるように両手を挙げた。
殊勝な態度に克己はかるく笑って両手を広げる。
まるで予防注射を受ける寸前の子供と医者だ。
「少し痛むぞ」
やる寸前に言うところが本当に。
「いってぇぇぇぇ!!」
うずくまる翔と遠目で見てくる他二人を無視して克己は淡々と
「骨には異常無しだ。よかったな」
「そりゃどうも!」
くっと呻きながらも礼を言うあたり律儀だ。
「折角、日向のウェディング・・・・・・」
傍観人からの残念そうな呟きは無視しておいた。
「誰のウェディングですか?」
けれど、聞き逃さなかった人がいた。
冷静だが少し怒気を含んだ声に、空気が固まり、翔一人ほっとする。
遠也と大志の帰還だった。
「さっきから不思議な単語が聞こえてきたんですが?嫁とかドレスとか脱げとか」
笑みを浮かべてもこの様子ではかなりご立腹の様子。
「あ、遠也、ゴメンな。探しにきてくれたんだろ?」
フォローを入れる翔には素直な笑みで「いえ」と答えている。
「で、脱げっていうのは何だったんですか?」
彼にフォローは殆ど通じないようだった。
「それは、俺が体に怪我したから・・・・・・だよ」
目線で訴えると遠也の怒りが瞬時に収まった。
彼は自分の事情を大体把握してくれているから。
「ああ・・・・・・じゃあ手当てしましょうか、あっちに川があるので」
遠也が先に立ち、その後に翔も痛む足でてこてことついていく。
それを見送ってようやく空気が緩む。
脱力している正紀達をただ一人、大志だけが笑顔で首を傾げていた。
「何だよ、どうしたんだよ」
「一人だけ幸せそうな顔しやがって・・・・・・」
正紀が恨めしそうにため息を吐いた。
「ああ、骨は折れていませんね。手首の出血もおさまっています」
克己の正しい診断に驚きながらも、遠也の言葉にほっとした。
手当てが終わり、服を着始める翔の両手首には白い包帯が巻かれている。
克己たちの前で服を脱ぐのを拒んだのは昔の傷がいまだに生々しく残っているからだ。見ていて気持ちのいいものではないと自分でも思う。白く残っている痕は痛々しい。
良い意味でも悪い意味でも変わらない翔の体の傷跡を眺めながら遠也は密かにため息を吐いた。
「あ、そだ、遠也」
そこでいきなり明るい声を上げられたからたまらない。
ぎくりと身を震わせる遠也に翔は首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いえ、何も。で、何です?」
動揺を悟られないために笑顔で接すると、翔もあっさり見逃してくれた。
「克己の事なんだけど」
しかしその話題はあまり歓迎できない。
遠也が克己を良く思っていないことは翔も気が付いていた。その理由はわからないが。
「その、何でアイツ階級上がったか、遠也は知っているんだろ?」
「・・・・・・知っていますが」
珍しく遠也が口篭る。やはり翔がいない1ヶ月で何かがあったのだ。
「遠也が克己のこと嫌いなのはソレが理由?」
普段、遠也は必要以上に克己を警戒しているように見えた。同じく大志のことも。
あまり他人と仲良くしない遠也だから、クラスメイトたちは気にしないようだったけれど。同じ中学校で過ごしていた翔から見れば、実は珍しいことだった。
遠也は首を横に振る。
「違います」
きっぱりと否定したということは、嘘をついているわけではないということだ。
「え?じゃあ、何で?」
更に問われ、遠也は俯いた。
「わからない。でも、気を許してはいけない相手だと直感的に思ったからです」
まさか、翔が彼と同じ部屋になるとは思わなかった。そうでなかったら、絶対に口も聞いていないし視界にも入れなかった。
川の水で手を洗い、遠也はその冷たさに思わず眉を寄せていた。
「まぁ、相性が悪そうですし。あの身長は見ていて結構気分悪いです」
意外とそれが本音では。
克己の身長は多分180後半で、対する遠也は150前半。大人と子供の身長差だ。
それは翔にも当てはまるが、遠也ほどではない。
「遠也の身長可愛いと思うけどなぁ」
「そりゃあ、自分より低かったら可愛いでしょう」
もうあきらめている遠也はすぐに認めてくれる。
けれど遠也の場合、頭脳と顔がその身長が無い分をしっかり補っていた。小さいと存在感というものが無くなりがちだが、遠也はその存在をかなり頭と顔で強調している。それは素直に凄いと思う。中学の時もクラスで一番背が低かったのに関わらず、眼鏡では隠しきれない美形が異彩を放っていた。
「遠也はきっと栄養が身長じゃなくて頭に行ったんだな」
微妙なフォローだ。
「身長にも頭にも行った人がいますけどね」
遠也が言っているのは克己のこと。
オールマイティにすべてをこなす甲賀克己。羨望のまなざしを毎日受けている人。
でも、本人はあまり他人に関わろうとしない。
その理由は、和泉の言っていた事と関係がありそうだった。
「どうして、人を殺したのか、遠也知っているんだろ?」
だったら、教えて欲しい。
けれど、遠也は首を縦に振った後、今度は横に首を振った。
『知っていること』に頷いて、『教えて欲しい』願いに首を横に振ったのだ。
「大事なことは本人から直接聞いたほうがいい」
黒い真摯な目で遠也は自分を見つめてくる。
「俺だって、最初から最後まで全部知っているわけじゃないですから。全部知っているのは甲賀本人だけ。彼本人に聞かないと、正しい判断は出来ないでしょう?」
本当のことをどこまで話してくれるかはわからないけれど。
「それに、どんな理由でもどうせ貴方の答えは変わらないでしょうし」
翔のきょとんとした表情に、違う?と首を傾げてみせた。
するとすぐに彼は満面の笑みになって首を横に振った。
違わない。そんな意味。
「克己、凄い良いヤツなんだ!」
「・・・・・・それは良かった」
それは、遠也の本当の気持ちだ。
確かに、自分は彼のことをよく思えないけれど、人の見る目が自分より有る翔がそういうのならそうなのだろう。
それに彼がこんなに嬉しそうなところを初めて見た。
ここで余計なことを言うほど馬鹿じゃない。
「じゃ、さっさとカレーでも作りますか」
あまり時間を気にして行動していなかったが、昼は無しで動いていたのだから体は空腹を訴えている。
多分今ならどんなものでも食べられそうな予感。
「そうだな」
不意に見上げた空には星が光っていた。
「あ。日向その前に足の怪我も見せてください」
「・・・・・・やっぱり気付いていたのか」
必死に気付かれないようにしていたというのに。
恐るべき天才。