「何が起こったの……?」
 おそるおそる彼女は翔の背から出てきた。少し遠くにいる明石は完璧目を回しているようだった。
「みぞおちに入れたから、そう簡単には起きないと思う」
 翔は説明しながら肩を竦めて見せた。構えを解き、修行時代の癖で明石に向かって一礼しそうになる。
 それに彼女は驚いたようで。
「何したの?日向君がやったの?」
「ん、まぁ……蹴り飛ばしただけだけど」
 師匠である叔父には、素人には手を出すなと言われていたが、この場合彼は素人には入らないだろう。一応、軍に籍をおいているのだから。
 苦笑すると、彼女の表情がみるみるうちに笑顔になる。
「すごい!動き見えなかったよ!?」
 彼女はきゃあきゃあ言いながら翔の肩を叩いた。その痛さに翔は戸惑いつつ、礼を言う。
「う、うん・・・・・・ありがと」
「礼を言うのは私のほうよ!」
 肩を叩くのを止め、彼女は一歩後ろに下がって頭を下げた。
「ありがとう、助けてくれて。弱いなんて言ってごめんね?日向君、強いわ」
 にっこりと微笑まれ、頬が熱くなるのがわかる。気が強いとは思ったが、彼女はそれなりにやっぱり可愛い顔なのだ。
 不覚にも少しドキドキしたが、次の彼女の台詞でそのトキメキは瞬時に無くなった。
「それに、可愛いし」
「……それは余計だよ」
 はぁ、と息をつくと彼女がくすりと笑ったのがわかる。
「これ、お礼よ」
 そして彼女の手の中に有ったジャガイモを3つ渡してくれる。
「いいのか!?」
 驚いて顔を上げると彼女はこくりと頷いた。
「助けてくれたから、これくらい」
「うわ、マジありがとう!」
 これで遠也たちのところに帰れる。
 一人で感動している翔に彼女は背を向けた。
「じゃ、私もう行くわね。都達待っているだろうし」
「あ!」
 思わず声を上げると彼女はくるりと振り返り、小首を傾げた。
 気恥ずかしい思いを誤魔化す様に翔は頬を掻く。
「あのさ、名前……俺君の知らないんだけど」
こんな風に女の子の名前を聞くのは初めてで、なんだか恥ずかしい。
けれど彼女は何だ、と微笑んだ。
「若生、若生上総よ」
 じゃあね、と彼女は手を振って帰っていく。
「若生、さんか……」
 ポニーテールの彼女を見送り、翔も仲間の元へと足を進めた。


「重い……」
 大志は自分の前をずんずん歩いていく克己に聞こえるように呟いた。
「文句言うな」
 遥か10メートル先にいる鬼はこちらを振り返り、訴えを却下してくれた。
 大志の背中には先程しとめたばかりの豚一頭。
 勿論、しとめたのは大志でなく克己だ。
「俺しとめた人。お前運ぶ人。分担配分は完璧だ」
「いつ分担したんですか、甲賀さん」
 確かに先程の克己の狩りは手早く、大志が手伝う隙もなかった。
 こちらに突進してくる豚が怖かったわけではない、けして。
 大体怖いのは豚だけじゃない。その豚をしとめた克己のほうが恐ろしい。
 はぁ、とため息を吐く大志に見かねた克己は手に持っていたサバイバルナイフを投げた。
 見事に大志の頬を掠めて木の幹に突き刺さる。
 びぃーんと僅かに震えるナイフに大志の視線は釘付けになった。
「こ、殺す気か!!?」
「違う。重いなら必要な部分だけ切り取って来い」
 ああ成程。
 納得してナイフに手をかけた時、克己はすでに50メートルは先のところに居た。
「!?オイ、甲賀!?」
「先に帰る」
 呆然とする大志を置いて克己はさっさと足を進めていた。
 ざわりと頭上の木の葉が鳴り、克己はふと足を止める。
 大志ではない気配が近づいてくる。右横からだ。
 がさがさと茂みを掻き分ける音が段々大きくなってきた。
 無意識のうちに手が腰の銃に伸びた。中身はペイント弾だがいた仕方ない。
 はっきりしてくる人の気配に引き金に指をかけた。
 が
「あれ。克己?」
「……日向」
 誰かと思えばルームメイトの翔だ。
 人物を確認できた克己は銃をしまう。
 翔の方はきょろきょろを克己の周りを見渡し、
「?三宅は?」
 翔の記憶では克己は大志と共に行動していたはず。けれど彼は今一人でいた。
 克己は今頃豚の解剖をしているだろう大志を思い出し
「はぐれた」
「どうせ置いてきたんじゃねーの?」
 はははは、と笑う翔の言葉は大当たりだったので克己もそれ以上何も言えない。
 無言の肯定にマジか、と思う。
「ま、いいや。まだ時間あるし、一緒になにか探そう?」
 そう言う翔の手にはビニール袋がある。中身はジャガイモ。彼の戦利品だ。
「それに俺何か道に迷っちゃってさ〜〜、帰ろうとしてるのに帰れないんだよねー」
 歩き始めた克己の後について翔は笑う。
 でも克己は無言。
 翔の笑い声が止むと気まずい空気がやってくる。
 この間の一件以来、何となく克己と話をしようとすると緊張している自分がいた。
 でも、言うべきことは言わないといけない。
「あのさ、ありがとな」
 意を決して礼を口にすると、前を歩いていた克己が足を止めた。
「何が……?」
「ホラ、この間の和泉の」
「礼なら聞いた」
「でもお前きちんと受け止めてくれなかったろ?」
「当たり前だ。お前の為にやったことじゃない」
「嘘吐きー。あの状況でお前よくそんなこと言えるよな」
 彼は人一倍意地っ張りなのだろうか。
 今まで出会ったことの無いタイプのルームメイトに少々困惑する。
 それはあちらも同じらしく、表情に少し困惑が見えた。
 それに何となくほっとする。彼だって人だろう。周りでは冷血漢とかロボットとかなんとか言われているようだけれど、翔はそうは思わなかった。
「助けてくれて有難う。勘違いでも何でも、俺は助かったの。だから克己に感謝」
「日向……言ったはずだ」
「『この学校では誰も信用するな』?それは克己の意見だよ。俺の意見じゃないし、助言として受け取っておくけどな」
「お前な」
「それと、俺お前に興味持った」
「はぁ?」
 あからさまに驚く克己の表情がなんだか笑えた。
 無愛想な彼の初めて見る表情だったからかもしれない。
「覚悟しとけよ!」
 びしっと人差し指を突きつけると驚く彼の顔が呆気にとられたものに変わる。
 美形の変化というものは見ていて楽しいものだと翔は遠也の時に学習していた。
 それ以前に無表情な人間の表情の変化を見ると嬉しくなる。それは自分だけだろうか。
「何を?日向」
「ふえっ?」
「俺は何を覚悟すればいいんだ?」
 克己に問われ、口を開きかけるが答えが自分の中でも見つからない。
 慌てて考えるが、なかなか。
「……なんだろう?」
 ついには質問者の前で首を傾げてしまい、克己の笑いを誘ったらしい。
 本気で悩み始めた翔の耳に聞こえてきたのは彼の笑い声だった。多分、初めての。
「お前、変なヤツだな」
「変って何だよ!克己のほうが変だろ!俺お前の笑い顔ってまともに見たこと……」
 翔が言葉を止めたのは、克己が目の前で笑っていたから。
 何だ、笑えるんじゃないか。
 しかも悔しいことにかなりの男前に。
 一瞬本上の気持ちを解りかけた自分が嫌だ。
「日向?」
 大人しくなった翔を不審に思った克己が顔を覗き込んでくるが、慌てて顔を背ける。
 自然、視界に入ってきた風景に「あ」と声を上げた。
「ゴメン、克己!先帰って。ジャガイモよろしく!」
 ビニール袋を克己に渡し、翔は記憶を辿る。
 ここはさっき明石を蹴り飛ばしたところの近くだ。何となく心配だったのだ。あれから放っておいたから。
 背後から克己の制止する声が聞こえたが、足は止めなかった。
「あ。居ない」
 見覚えのある場所には人一人居なかった。
 まぁ、人体急所といってもみぞおちだし、すぐに意識を取り戻したか仲間が見つけたかしたのだろう。
 ほっと息を吐いて近くの木に手をつく。
 明石の仲間、というと和泉の顔が浮かぶ。
 自分の昔の名前を知っていた上、更に何かを知っていそうだった物言い。
 どこまで知っているのか、一度聞かないといけないだろう。
 嫌な記憶を思い出さないといけないことになりそうで、その予感に翔は唇を噛んだ。
 に、しても彼は何者だ?
 そこまで考えた時、背後に人の気配を感じる。
 克己が追いかけてきたのだろうか。
「克己?ゴメン、俺……―――」
 振り返る隙を狙われ、頭を何かで殴られた。とても硬い何かで。悲鳴を上げる暇も無かった。
 一瞬で意識を奪われ、翔は地に倒れた。



「あ、遠也……」
 大志がやっとのことで帰ってくると彼一人、火の番をしていた。
 遠也は顔を上げ、あからさまに気まずそうな表情を見せる。
「篠田達もまた探しに行きました」
「あ、俺は……肉、持ってきた」
 ビニール袋に入れた紅い塊を一瞥してから、遠也は彼の後ろを見る。
「……甲賀は?」
「途中で、はぐれて」
 本当の理由なんてどうでも良くなっていた。
 伝えるだけお互い伝えることを口にしたら沈黙。
 ぱちりと木がはじける音だけが響く。
「あのさ、遠也」
「何ですか?」
 やっぱり敬語で返ってくる。
 それに少し淋しさを感じた、
「別に、覚えて無くてもいいよ。俺のこと」
「……」
「俺も、少し舞い上がってた。遠也に会えて嬉しかったのは本当」
「……俺は」
「で、お願い。俺のことは名前で呼んで。ついでに敬語も止めて」
「……はぁ?」
 殊勝なことを言い出したと思ったら今度は何だ。
「じゃないと俺呼ばれても返事しねーから」
 どこの子供だ。
 遠也はそう思いつつも、こちらに非があるのは理解していた。
 『幼馴染』の彼を覚えていない『自分』が悪い。
「わかった……大志。これでいいだろ?」


「よっし、出来た」
 ナイフと木を握り、一人で格闘していた正紀にいずるは視線をやった。野菜と米を探していずるは地図を眺め、その時間正紀は何やら工作をしていたらしい。
 手の中にある完成品を彼は誇らしげに見つめていた。
「いずる、お前用な」
 それは、拾った木とどこかで拾ったタコ糸で作った短弓と矢だった。
 いずるは小学校の頃から弓道を習い、今では全国レベルの腕を持つ。そんな彼に実は意外と器用だった正紀からのささやかなプレゼントだ。
「お前の分は?」
 いずるは一つしかない弓を手に取り、思わず聞いていた。正紀も小学校時代共に弓道をやっていたのだが、中学に入ってからは止めていた。正紀は曖昧な笑みを浮かべ、矢をいずるに押し付ける。
「ペイント弾じゃあ、いざとなった時に意味が無いからな。聞いた話だと、ここ結構危険な動物いるらしいし」
「正紀、お前、もう弓は持たないのか」
 突然の幼馴染の問いに正紀は笑顔のまま振り返った。
「なぁに言ってんだよ、いずる。俺が弓を持っていたのは習い事気分。ただの習い事程度に大金使えねえだろ?」
 弓道にはかなりのお金がかかる。そんな大金、今の正紀の家にはなかった。ひらひらと振るその正紀の手には、僅かながら傷跡が見て取れた。
 いずるは簡易弓の弦を引っ張り、調子を見ながらもちらりと茂みをかき分けて前を歩く正紀の背を見る。
「なぁ、正紀、俺は」
「ぬぉあぉぉあああああ!?」
「正紀ッ!?」
 悲鳴と共に正紀の姿が突然視界から消え、いずるはすぐに彼が消えた地点まで走り茂みを掻き分けた。そして、その先にあったものに眼を見開く。
「崖・・・・・・」
茂みに隠れて見えなかったが、そこには高さ5メートルはあるだろう土肌が露わになった崖があった。地図には無かった地形に愕然とする。
「地図に書いとかないとな」
「いずる、良いから手を貸してくれ・・・・・・」
 ふるふると震えた声が足元から聞こえたと思ったら、咄嗟に茂みにしがみ付いたらしい正紀がいた。その反射神経にほっとする。が、正紀は足をばたつかせながらいずるの態度に抗議した。
「お前なー、親友が崖に落ちたってのに「地図に書いとかないとな」はねぇだろう」
「お前が動物的反射神経を持っているのは知っているよ」
「うるっせ。あー・・・・・・でもコレ落ちたら結構痛いよな」
 いずるに手を借りてよじ登りつつ、下を見て正紀は少しぞっとした。足は宙を掻き、パラパラと砂と小石が正紀の代わりに落ちていく。
 いずるは崖を覗き込み、奇妙なものを見つけた。白い岩肌に紛れるように散らばっているが、白い骨のようなものがある。
 ここから落ちた人間の骨だろうか、と改めて崖を見たが、人が死ぬほどの高さではない。
 では、何故だ?
「いいから、早く上がって来い正紀」
 謎は解けないままだったが、いずるは見なかったことにした。
「はいはいっと」
 軽い身のこなしで上がってきた正紀は土で汚れた手を叩き、身を伸ばす。
「そいや、いずる、何か言いかけなかったか?」
 くるりと振り返った正紀に、いずるは密かに小さくため息をついた。
「何でもねぇよ」
「あ、そぉ?なぁ、それよかさ、お前、どう思う?甲賀と日向」
「どうって?」
「俺は、絶対あの二人ならうまくいくと思うんだよな」
「その自信はどこから」
「勘!」
「勘、ってなぁ・・・・・・」
「ただの勘じゃねぇぞ。将来名探偵になる男の観察眼込みの勘だ」
 自信満々に言う正紀の実力を一番知っているのはいずるだ。そう簡単に否定出来ない辺りが少し悔しい。
「まだ言ってたのか、探偵になるなんて」
 幼い頃から正紀がよく口にしていた将来の夢。それはまだ彼の心の中に残っていたらしく、こんな軍施設に来ても希望を失っていない。いずるは、正紀のそんなところに同情めいたものを感じるが、救われてもいた。
「当たり前。こんなとこに来た位で潰される夢じゃねぇ」
 ふん、と胸を張る正紀にいずるはため息を吐いた。彼の場合、夢ではなく信念、と言った方が正しい事情がある。
 正紀の父親が探偵だった。そんな親を見て育った彼は、父に対する憧れをも含め、その職業に更なる憧憬を抱いている。
「親父に負けない名探偵になるんだ」
 そう言う正紀の強い眼がいずるにとっては羨ましい。いずるは大昔から続いている名家の一つ、矢吹家の当主になる事がすでに決まっていた。自分の好きな職を選べるわけもないし、将来の夢も見つけられない。見つけたところで、現当主である祖父に握りつぶされるだろう。
「ま、せいぜい頑張れよ、迷探偵にならないようにな」
「何だよ、他人事みてぇに。お前も来るんだよ」
「は?」
「お前も、俺の探偵事務所に来るの。ガキの頃約束しただろうが」
 正紀に呆れたように言われて思い出す。
 そういえば、昔、探偵になる!と意気込んでいた彼に「お前一人じゃ心配だから俺もついてってやるよ」とかそんな事を言ったような。そんな昔の事を、どうやら正紀は覚えていたらしい。
「名家のお坊ちゃんが探偵ってのも、面白いんじゃねぇの?」
 言葉どおり面白そうに眼を細める正紀に、思わず手に持っていた弓を強く握っていた。
「そう、だな」
 一体どれくらい未来が自分達の思い通りになるかは解からないけれど、努力もせずに諦めていては駄目か。時の流れは思ったより強く、自分の意思が無かったらそのまま流されてしまいそうだったけれど、自分には引き止めてくれる友人がいる。
「お前といると面白いよ、正紀」
「俺もお前といると楽しいぞ、いずる」
 にぃ、と笑いあう顔だけはお互い幼い頃から変わらなかった。





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