「遠也」
 図書室で本を読んでいたら聞き覚えのある声に名を呼ばれ、密かにため息を吐いた。
「早良」
 振り返らず彼を呼ぶと隣の椅子が引かれ、誰かが座る。
 白衣を着た青年。いや、青年と呼ぶにはおこがましい年齢だろう。
 遠也が自分の登場にも構わず本に目を落としているのに苦笑をしながらも止めなかった。
 そして、遠也の着る制服に目を細めた。
「本当に士官科にしたのか。勿体ないなぁ」
「うるさいですね・・・・・・」
「しかも北?お前何イバラ道進んじゃっているわけ?お父さんに怒られなかったのか」
 ぱたん!
 遠也は音をたてて本を閉じた。
「・・・・・・データは?」
 睨むついでに聞くと、早良は待ってましたとばかりに黒いFDを1枚彼に渡した。
 一応礼を口にしながら遠也がそれを受け取ると、彼は疲れたようなため息を吐く。
「今年の科学科にはぱっとしたヤツが一人も居ない。俺はお前が来ると思って楽しみにしていたんだけど?」
 煙草に火をつけながら綺麗な彼の顔を盗み見るが、相変わらずの無表情。
「興味ありません」
 嘘付け。
 早良が密かに遠也の手にある本の題名を見ると、ドイツ語だが明らかに医学書だ。
「2027年の医学博士ターラーの本だな、俺も中学の時読んだよ」
「あ」
 警戒をしていなかった遠也はあっさり本を取り上げられる。それに小さく抗議の声を上げるが、彼は気にも止めない。
「ま、常人なら大学に行って初めて見る本だ」
 ふん、と鼻で笑い早良は伸び放題の自分の髪を掻き上げた。
 遠也はその本を諦め、手元に置いておいたもう一冊の本を手にする。
「今回の新入生は、こんな本なんて見たこと無いだろうな」
「・・・・・・それなりに優秀な人材を集めているはずですよ、政府は」
「なぁ、遠也」
 ことん、と机に本が置かれる音がして遠也は顔を上げた。
「科学工学医学はこの国で最も進んだ技術だ。お前のその頭を使えばこの国で最高の技術者になれる。医学者になれる。同時に世界の頂点に立つことが出来るんだ。お前は、それでも」
「権力に興味はありません。見損なわないで下さい」
「そういう意味じゃない。科学科は士官科と違って命の危険性がまったくないんだ、お前はそれを解って・・・・・・」
 遠也の黒い目に言葉を止めた。
 こっちが何を言っても意志を変えるつもりはないという強い目。
 それは、自分でも無理なことなのだろう。
「・・・・・・わかった、今のは無しだ」
 お手上げ、と言う意味で両手を上げると遠也は再び本に目を落とす。
「それより、パスワードが解らないところがあったんです。教えて頂けますよね?」
「OK、科学庁のか?最も、建物はここと一緒になっているがな」
 この国の最先端技術があるこの敷地内には科学庁お抱えの科学研究所も存在する。
 早良はそこの研究者の一人だ。
「ここのメインコンピューターに潜り込めばどうにかなると思っていましたが、パスワードがありまして」
 遠也は早良の口から吐き出される紫煙に眉を顰めた。
 ここは図書室。例えそれなりの地位を持っている人間でも禁煙だ。
「パスワードねー・・・・・・。多分SAMだぞ。それの後に数字が・・・・・・多分21230120」
 曖昧な返事に遠也はさらに眉間の皺を深くする。
「SAMって、何か意味があるんですか?」
「おうよ。Sは俺の名前からだしー、他も仲間の名前から取った」
「・・・・・・単純」
 低く呟きながら遠也は手の中のFDを弄んでいた。
「んじゃ、とーや。俺仕事有るから先行くわ〜〜。体に気を付けてv」
 早良は白衣のポケットから紙袋を出し、机の上に置いた。
 それを見ただけで中身を察した遠也は目を閉じ、礼を言う。
「あ、遠也。それと顔にも傷つけないようにな」
「・・・・・・カオ、ですか?」
 早良はニヤリと笑って頷く。遠也が何度か自分で顔に傷つけたことが有るのを知っていてそう言うのだ。
 もうしませんよ、と心の中で遠也は答えた。
「あああ、それとまだ話があった」
 立ち上がりかけた早良は再び椅子に腰掛ける。なんだ、と怪訝なカオをする遠也に低い声でそれを告げた。
「三宅大志の事だけど、間違いなくお前の幼馴染みだからな。優しくしてやれよ」
 最後の一言には笑いも含んでいた。ついでに額を指で弾かれた。
 早良は、楽しんでいる。
「関係ないでしょう!」
 声を少々荒立てて彼を睨むと、さらに早良は人の悪い笑顔になる。
「でも吃驚よ〜〜。むかっしから綺麗な顔しているくそ生意気なガキだとは思っていたけどな〜〜、まさか男に告られるたぁ流石の俺でも予想しなかったぜぇ?」
「早良!」
「ま、冗談はともかく。気付かれるなよ、遠也」
 急に真剣な顔で言われ、遠也も「当然」と答えるのが精一杯だった。
「こっちにも火の粉が飛んでくるのは勘弁だからな。ま、周りが信用しないだろうけど」
「俺はそんなヘマはしない」
「解っているよ、天才君。でも」
 身を低くし、遠也の冷静な目をじっと見つめながら早良は念を押した。
「三宅大志には気を付けろ」
 早良の目にはいつも逆らえない、逆らう理由もない。
「はい」
 遠也は低い声で合意した。


「何で遠也俺に冷たいんだろうー、なぁ〜〜」
 大志が床に寝転がりながらベッドに座って苦笑している翔を見上げた。図体だけはでかい大志に床に寝転がられると歩く場所が無くなってしまう。
「さあなー。でも遠也みんなにあんな感じじゃないか?」
 翔が思い出してみる限り、遠也はいつも無愛想で自分からは口を開かない人だった。が
「違うって!遠也は人一倍明るくて、優しくて、ムードメーカーで、そりゃちょっとガキ大将なところもあったけど、良い奴だったんだよ!そしてむちゃくちゃ可愛かった!!」
 それはまるで別人です。
 一人で昔の思い出に浸っている大志に少し引いた。
 しかもガキ大将な遠也なんて想像できない。つまり、正紀のような遠也、ということになるので。
 少し想像してみたが別人としか思えなかった。
「人違い・・・・・・じゃねーの?」
 恐る恐る言ってみると大志は首を横に振る。
「なわけねーだろ!初恋の人を間違えるわけ無いだろう!」
「うわお」
「女の子かと思うほど可愛かったんだよ!!っていうか女の子だと思ってた」
 成る程、それで恋をしてしまったと。
 確かに、遠也は今でも綺麗な顔立ちをしている。幼ければ幼いほど、女の子に見えただろうが。
 きらきらと初恋の思い出を語る彼に、翔は一番聞きにくいことを口にする。
「今・・・・・・も恋愛感情もっている・・・とか?」
「いや。持ってないよ」
 正直その答えにはほっとしていた。
「じゃあ別にムキになること無いじゃん」
「だーかーらー、それを笑い話に語れる相手だったら良かったんだよ。初めてこの学校に来て、誰もいない中で遠也の名前見つけて俺凄く嬉しかったんだ、なのに『誰?』だぞ!俺哀しすぎ!!」
 本気で泣きが入ってきた大志に慌ててティッシュ箱を投げたがいらないと手で制された。
「ところで」
 大志は改めて今自分がいる部屋を見回した。翔と克己の部屋。きちんと片づいている部屋だ。
「甲賀がルームメイトか、大変だな」
 克己がいないことを良いことに大志はそう呟く。大志はやっぱり彼が苦手なのだ。
「大変?」
 思っても見ない言葉に翔は正直に首を傾げた。
 大志は一瞬、しまったという表情になり、口元を手で覆うがすぐに慌てたように鼻の頭を掻く。
「いや・・・・・・お前に言うのもアレなんだけど、噂とか聞いたこと無い?」
「全然」
「ほら、アイツ美形で長身だし、女の子の噂の的なんだよ。な、わかるだろ?」
 確かに、わからないでもない。
「だからさ、ほら・・・・・・根も葉もない噂が立つんだよ。男も女も見境無いとか、赤ん坊いるとか、喧嘩方面だと先輩をも叩きのめしてるとか・・・・・・」
 良くある噂だ、と思う。特に最後の方は自分より階級が上の人間には絶対服従なので有り得ない。
 けれど大志は神妙な顔になる。
「気を付けろよ、日向?」
「うん?何が?」
「だから、男も女も見境無いってヤツ。噂って言っても火のないところにはなんとかって言うだろ?同室っていうのはかなり危険なんじゃ・・・・・・」
「何が?」
「だから・・・・・・」
 怒りを含んだような低い声に大志は言葉を止めた。今の問いかけは明らかに翔の声ではない。
 冷や汗が背中をつたう。
「何がだ?三宅」
 ぎこちない動作で大志が後ろを振り返ると、予想通りの相手がそこにいた。制服姿の克己が滅多に見せない笑顔でドアに寄りかかっている。
「面白いな、もっと聞かせろよ三宅。自分の噂話なんて滅多に聞かないからな」
「や、あははは・・・・・・嫌です」
 コワイ笑顔に乾いた笑いを返す。けれど克己は引かない。
「そう言うな。俺のことが知りたいのなら激しく語ってやろうか?ベッドの中で」
「や、あのな、ははははは!俺そっちの気ねーの!ホラ俺ん家教会で親牧師だから!同性愛は禁でね!」
「・・・・・・その気がないのならさっさと出て行け」
 その言葉には殺気が込められていた。
 大志は慌てて「じゃ!」と片手を挙げてそそくさと逃げ帰っていく。
 ばたん、と音をたてたドアを克己はしばらく睨み付けていた。
「あー・・・・・・おかえり」
 そんな彼に声をかけて良いものか迷いどころだったが取り敢えず翔は言ってみる。
 すると何故か彼は驚いたようにこちらを振り返り、翔を凝視した。
「日向」
「やー、何か、人気者だな克己は。噂沢山」
「火のないところには煙は立たない、って言葉、知っているだろう?」
「・・・・・・それは噂を肯定しているのか?」
 克己は首を横に振った。
「全部は肯定しない。だが、俺に恨みを持つ人間は多数存在する」
「何やったんだよ・・・・・・」
 でも、克己は見た目だけで喧嘩を売っている気がする。女にモテる男を好ましく思う同姓は居ないだろう。
 言いがかりの敵が多いのかと思いきや
「何人か階級上も殴り倒したことがあるからな」
 やることはやっているようだ。
「日向、俺はお前に部屋替えの申請を勧めるよ」
「・・・・・・?何で?」
「俺と同室だから」
「関係ないだろ」
 上に恨まれているのは克己本人で、女癖が悪くて泣きを見るのは彼と関係を持った女の方。
 自分には関係ない。直接的には。
 しかし、間接的に克己のルームメイトとして八つ当たりをされる可能性も否定できない。
 ぱっと見て翔の体は細い。殴られたらすぐに骨の一本や二本イってしまいそうなくらい。
 それに容姿の所為で変な気を起こすヤツもいるかも知れない。
「克己が思う程弱くないけど?俺」
 いつもこの体格と顔でそう思われがちなのだ。悔しいけど、いくら食べても太らない上に身長も余り伸びない。
 理由をわかっているだけに悔しい。
「その見た目で、そう言うのか?」
 克己は鼻で笑いシャワー室へ消えた。
 明らかに、馬鹿にされた。
「あのなぁ!俺はこれでも」
 シャワー室から水音が聞こえてきて、翔は言葉を止めた。
 どうせ自分の声なんて聞こえないだろうから。
 ふと部屋の窓を見ると仄かな灯りが見えた。街だ。
 遠い存在になってしまったかつて自分が居た場所。
 もう、あの光の中には戻れないのだろう。




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