「あーあ。普通の高校生活はどこ行ったんだ」
掃除中に正紀が箒を振り回しながら今更な事をぼやいた。
今更だが、そう思いたくなる気持ちはわかる。
「こうさー、潤いのあるヤツよ、ああ、青春してるなぁっていう・・・・・・」
「正紀、五月蠅い」
ルームメイトの矢吹いずるに注意された瞬間に正紀は分の悪そうな顔をする。
どうやら元不良も親友には勝てないらしい。
「なぁ、日向、グループのことなんだけど」
話題を変え、正紀は黒板を拭いていた翔に話しかける。
「俺と、いずると、日向と甲賀。それと佐木と三宅でどうよ」
丁度6人、と笑う彼だけは翔が克己に構うのを微笑ましい目で見ているから、もしかしたら仲良くなるチャンスだと気を使ってくれているのかもしれない。
「・・・・・・いいけど、なんかすっげーメンバー・・・・・・・。篠田料理出来んの?」
「出来ない」
きっぱりはっきり、しかもどこか偉そうに正紀は言い切った。
「・・・・・・不器用そうだもんな」
外見からしてそんな感じがする。
しかも彼自身自覚しているのか、そう言われても怒らなかった。
色々な意味で凄いメンバーだが、調理という面では不安が残る。
「矢吹は・・・・・・?」
おそるおそる、机を拭いているいずるに聞いてみると、彼は穏やかな笑顔で
「ほら、俺意外と温室育ちなんだよ」
つまり出来ないということですか。
いずるの家は名のある家で、彼自身は弓道の全国レベルの腕を持っている。物腰穏やかなところがある彼からは小さい頃からそういう家で育てられていたことが伺える。
が、今の段階では致命的。
翔はいくらか料理経験があるが、正紀といずるは駄目。遠也は、ある程度なら出来るだろう。残る大志と克己はどうなのだろう。
と、窓拭きをしている大志に眼をやると、何だか物凄い顔で会話を聞いていた。例えるなら、ホラー映画でも見ているような恐怖と不安が混じった物凄い顔。
「こここここここ甲賀もグループに入れるのか」
かくかくと顎を震わせながらの言葉に、正紀は輝く笑顔で応対する。
「おうよ。何だよ、三宅くんってば牧師の息子なのに仲間はずれ推奨か?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・・・・けど」
大志が克己を苦手としているのは数週間しか付き合いのない翔でも察せた。態度があからさま過ぎるのだ。
「でも、甲賀を誘っても乗って来るかわかんないだろ。だって、甲賀一人で大方の事やりこなすし、料理だってプロ並っぽいじゃん」
大志の言葉は確かに最もだった。
果たして誘ったところで克己が頷くかどうか。人数も、最高6人と言っただけで一人では駄目とは言っていない。
「まぁ、それは日向の手腕によるなぁ」
な?と正紀は笑い、翔はどうやら誘う役目はいつの間にか自分に決定しているらしいことを知る。
正直、自信がない。それなら、何だか普通に接している正紀の方がいいような気がするのだが。
「それに俺、プロ並のカレー食いたいし」
きらきらと正紀は眼を輝かせながら、克己が作るカレーに期待をしていた。だったらお前が誘えよ、と言いそうになった時
「あ、オイ!甲賀!てめぇ掃除サボり!!」
正紀の怒鳴り声に翔も振り返った。いずるに怒られたのを正紀は完璧棚に上げている。
突然の怒声に克己は疲れたようなため息を吐く。
「呼び出されたんだ」
その理由に元不良の正紀は覚えがあるらしく、一気に同情的になる。
「何?喧嘩か?よく呼ばれているよな」
克己は敵を作りやすい性格のようで、よく誰かに呼び出されていた。同級生にも上級生にも。元不良である正紀には覚えのある状況のようで、怒りを納めていたが
「違う」
克己は右手に持っていたピンク色の封筒を差し出した。
それを見た正紀はすぐ取り上げ、中身を確認する。克己も抵抗しない。
「アナタのことが好きです・・・・・・って畜生!お前ばっかし潤いやがってぇぇぇ!」
「欲しかったらやるぞ」
「貰ってどおする!!」
確かに。
持てない男のひがみだねぇと、いずるがさらりと言い放ち、更に正紀はへこんでいた。
「お前には隣に幼馴染みがいるだろ」
いずるの咎めるような言い方に正紀は「あいつとはそんなんじゃない」とか細い声で否定していた。それにいずるがちらっと微妙な表情を見せたが、それに気付いたのは翔だけだったらしい。
F組の草野郁は正紀の幼馴染みだ。おとなしい少女で、美人だと噂の古河都の親友でもある。
廊下などで何度か見かけたが、結構可愛い女の子だ。正紀は否定しているが、彼女の方は彼を好きだと思う。
それなりに時間が経つと、そういう話はひょいひょい出てくるもので。
それと同時に嫌いなタイプの人間もはっきりしてくる。少なくとも南寮の住人には好感は抱けない。
男子も、女子も。
隣のクラスに元アイドルグループの一人が入学してきた、と聞いて男子が騒いでいたのを思い出す。
彼女の名前は西村柑奈。噂では甲賀克己を狙っているという話で、本上がブチ切れていた。
まぁ、克己は長身だし顔も雰囲気も格好良い。オマケに頭も良いし運動の方もかなり優秀だ。性格だって悪くない。
でも、『好き』ではなく『狙う』という表現にはいまいち共感出来ないかと。
そんな彼女は南の住人。
「あーっもうムカつく!甲賀、お前罰としてそこのバケツを日向と片付けて来い」
「え」
正紀の突然の言葉に驚いたのは翔の方だ。まさかそんな展開に持っていかれるとは。
克己の方は、流石に掃除を抜け出したのは悪かったと思ったのか、水入りのバケツを軽々と持ち上げた。勿論片手で。自分が持ってくる時は両手でも苦労したのに。
筋力つけないとなぁ、と決意を固めつつ克己の後を追おうとした時、正紀が「日向よろしく!」とジェスチャーで言ってくる。
あぁ、誘えってことな。
了解、と同じくジェスチャーで返して、翔は克己の後を追った。
しかし、いざとなると何と切り出していいものか。しばらく考えて、それとない振りで翔は口を開く。
「あ、そういえば克己さぁ」
「何だ」
「料理って出来るか?」
克己のことだからさらりと凄い料理を作ってしまうかも知れない。
そんな期待を持ちつつ、のさり気無さを装った質問だった。
「料理は戦いだ・・・・・・」
「は?」
しかし帰ってきた返事は意味不明。
「それはいいから出来るか出来ないかきいてんだよ」
「・・・・・・」
「おい、克己?うわッ」
会話に集中していた所為で目の前にいた人物を避けそこなってしまう。
しかも相手は南側の和泉興。その隣には同じく南の明石勇太と榎木真もいた。
このクラスで関わりたくないベスト5に入っている。
翔もこのクラスに馴染み、友人も作ったがそれの多くは同じ北側の人間ばかり。南の中にも気のいい奴はいるが、中には結構性質の悪い者もいる。彼らはその性質の悪い部類にはいるクラスメイトだった。
「悪い」
それだけ言って立ち去ろうとした。謝るだけまだマシだと思ってくれればいい。
「小さいから見えなかったな」
明石の言葉には喧嘩を売られたような気がしたが、彼らに必要以上に関わってはいけない。
克己も早く来い、というように顎を引いていた。
「待て」
けれど、強い力で腕を捕まれ、彼との会話を余儀なくされる。はっと振り返ると、会話もしたことのない和泉の顔が。
いちゃもんでもつけられるのかと思うと心底うんざりした。
けれど耳元で囁かれた言葉に、その方がマシだったということを思い知らされる。
「お前、『有馬翔』だろう」
「え」
驚いて和泉の顔を凝視すると、彼の眼鏡の奥の目がニヤリと笑った。
「お前・・・・・・」
その名を知っているのは小学校辺りの知り合いだけ。けれど自分の記憶に彼はいない。
「何、少し気になってな」
翔の驚きを和泉はくすくす笑って手を離す。
彼のあまりにも不躾な態度には流石に頭に来る前に背筋に冷たいものが走った。何故その名を知っているのかも、理由を知るのが怖ろしい。
それに、近くに克己がいる。出会ったばかりの人に知られたくない。
だから、なるべく早く彼から離れようとした。相手もそれを読み取ったのか、擦れ違う間際に
「お父さん、元気?」
体がその一言で硬直した。
けれど、父とは義父のことを指しているのではないかと思い、気を取り直す。院長に言われたとおり、義父は軍では有名人。彼が義父を知っていてもおかしくない。
けれど彼の、自分をどこか蔑んだ目にその期待は打ち砕かれた。彼は確実に実父の事を示している。
こいつ、何を、どこまで!?
焦った頭が知られていては不味い事象を駆けめぐらせる。
知られては不味いことは、自分でも思い出したく無い内容なのに。
顔色を白くして俯いた翔の反応を和泉は鼻で笑う。
と、その時。
ばしゃり、と少々間の抜けた音がし、翔の頬に雫が数滴飛んで来た。
はっと顔を上げると、和泉とその仲間が濡れ鼠になっている。
何故、と原因を辿ると克己が水色のバケツを片手にしている。さっきと違うのは、そのバケツに水が入っていないこと。
「悪いな、手が滑った」
「克己・・・・・・」
翔が彼の名前を呟くと彼は少し困ったな、というような顔をし、肩をすくめた。
「てめ!甲賀ぁ!!」
導火線が短い榎木が自分より背の高い克己の首元を掴み上げる。しかし、克己の方は顔色一つ変えない。
「手が滑ったんだから仕方ないだろう?それに俺はちゃんと謝った。ゴメンナサイ」
誠意の全く感じられない台詞に榎木はさらに顔を赤くする。
「北が南に逆らって、タダですむと思うのか!!」
そう。
正紀から聞いた話が正しければ、南に逆らえば殺されても文句が言えない、はず。けれど
「俺は北でも、一応立場はお前達と変わりがない」
馬鹿にしたような笑みを浮かべ、克己は階級章である肩の星の数を指した。
克己は、普通の北の一年生より一ランク上の階級。つまりは普通の南の一年生と同じ階級。
同じ階級同士なら、喧嘩は成立するのだ。
「別にいいぞ。喧嘩くらい、いつでも買ってやる」
克己の視線の先は目の前の榎木ではなく、和泉。
「いくらでもな」
それに最初から気が付いていた和泉は目を細めていた。周りの人間よりはいくらか冷静のようだ。
「甲賀、その言葉、後悔させてやる」
「しないな」
自信に満ちた返答に和泉も挑戦的な笑みを浮かべた。
そして榎木に声をかけ、その場から去っていく。榎木は渋々克己から手を離し、彼の後に付いていった。
「さて、俺たちも行く手間が省けたし、教室に戻るか」
空になったバケツを指し、翔の肩を軽く叩く。
しばし放心状態だった翔は突然の刺激にびくりと肩を揺らした。
「あ、ごめ、俺・・・・・・」
なんて説明すればいいんだ。
「あ、りがと・・・・・・克己、助かった」
とりあえずそれだけしか言えなかった。
「・・・・・・手が滑っただけだ」
何かは聞いてくるだろうと思ったが、ただそれだけ克己は言って、先に教室へと歩き始める。
それには驚いた。
「何も聞かないのか?」
慌てて後を追ってみるが、彼はこっちをちらりと見るだけ。
「聞いて欲しいのか?」
「それは・・・・・・」
「実際、知りたいと思うほど俺は今のところお前に興味が無い」
「それは、ありがたいような哀しいような・・・・・・でもさっきの和泉の」
「あれは、手が滑ったんだ」
克己はひたすらそう言い張り、こちらの礼を受け取らない。
「勘違いするな。お前を助けたつもりはない。俺が奴を気に入らないからの行動だ」
厳しい言い方に、最初に彼に言われたことを思い出す。
この学校で信じられる人間はいない。
そんな警戒ばかりで、疲れないのか?
「わかった、よ」
でもそう答えるしかなかった。
遠いな。と漠然と思う。
克己が、どんな過去を持っているのかは知らないけれど。
でも知りたいと思わないのは、多分自分も彼に知りたいと思うほど興味がないからか。
けれど、同じ年齢なのにどうしてそこまで色々割り切ることが出来るのだろう。
「な、克己」
「何だ」
こんな状況で切り出すのは馬鹿かも知れない。絶対拒否されそうだと思いながらも
「今度の調理実習、篠田達と一緒にグループ組むんだけど、克己も一緒に」
「・・・・・・構わない」
あれ?OK?
この状況でのあっさりとした返事に驚いた。と、同時に少し嬉しかった。
まぁ、これから頑張れば友達になれるよな、と。
克己が何故あっさりと承諾したのかは疑問だが。