「悪かったな」
 部屋に戻り、扉を閉めてすぐに克己が口を開いた。
 まさかいきなり謝られるとは思いもよらず、翔は反応が遅れてしまう。
「えーと・・・・・・?何が?」
「本上のことだ」
「え、別にあれは俺が自主的に行動したわけだし」
「結局は南の一人に眼を付けられたわけだ、初日早々」
 克己の言い方にやはり自分は早まった行動をしたのだと気付かされる。この学校に来ると解かった時から、あまり目立たないようにしようと思っていたのに早速だ。
「・・・・・・ま、甲賀さんの同室ってことになった瞬間からそういう運命だったんだろ?遅かれ早かれ俺は彼に目をつけられていたと思うし」
 もっともな意見に克己は感心したように頷き、ベッドに腰を下ろした。そんな様子から彼が安心した事を察す。
少し後悔はしたが、新しく出来た友人の為になったのならそこまで後悔することではないだろう。
「まぁ、助かった。有り難う、日向」
「どーいたしまして。っていうか本当にああいう人居るんだな、軍って」
 純粋に驚いている翔に克己は少し嫌そうに顔を歪める。
「ああ、俺も男に言い寄られたのは初めてだ」
 はぁ、と疲れたようなため息を吐く克己はその言葉通り男に言い寄られた事は無い。初めて男に言い寄られ、どう対応すればいいのかわからないと。
 女になら沢山言い寄られたが。
 けれど、そんな言葉がウラに潜んでいる気がした。
 美形は色々苦労が多いらしい。その顔に多少ながら苦痛が滲んでいる。
 確かに、自分も初対面でちょっと見惚れてしまったくらいのお顔だ。本上が惚れてもおかしくないかもしれない。正紀とは違う何の手も加えていない黒髪が妙に綺麗に見えて少し羨ましかった。自分の髪の色も誰に似たのか、少し中途半端な薄い色だったから。
 しかも彼の顔の造りは整っている上に男らしい羨ましい。
 じーっと羨む眼で見ていたからか、克己がその視線に気が付き
「日向の方が男に言い寄られそうなタイプなのにな」
 少し余計な事を言ってきた。一瞬何を言われたのか理解出来なかったが、翔の顔が紅くなり始めたところで克己が人の悪い笑みを浮かべた。
「な・・・・・・お前!言って良い事と悪い事があるぞ!」
 ぐっと拳を握って抗議する翔に、彼は雑誌に視線を落として何てことない事のように聞いて来る。
「実際どうなんだ。あったのか」
「あ・・・・・・っ、くっ!イジメか、新入生イジメだなコレ!」
 ある、と思わず答えそうになったところを堪えた翔は克己が全てを察した顔になったのを見て思わず拳を握っていた。喧嘩を挑んだところで勝てそうにない相手だと勘で解かるが、ついでに習っていた武術の師匠である叔父からは自分より強い敵とは戦うなと言われていたが、立ち向かわなければいけない局面だってあるはずだ。
 今度彼が何か余計な事を言ったら迷い無く拳を振りかざしていたが
「日向!!?」
 ノックも無しに部屋の扉が開き、克己は突然の事に眉を寄せたが、その不作法な来訪者の声は聴き覚えがあり翔は顔を上げ喜びの笑顔を浮かべた。さっきの怒りをすっかり忘れて。
「遠也!」
 克己も翔の空気がぱっと変わったのに気付いて顔を上げた。一応自分から喧嘩を売っていたのだから、相手の怒気を感じていた。翔が本気で殴りかかってくるのならそれなりの対処をしようとしたのだが
「久々だな、元気か?」
 翔の方は扉の方に向かって行ってしまった。それもそのはず、中学時代の一番の友人が訪ねてきたのだから。
 少し癖のある黒髪に美形を隠すような眼鏡が相変わらず。その顔が少し慌てた様子だったのは自分の所為か。知的な印象を与える顔立ちに、なにより変化のない身長。
 久しぶりに会う自分より背の低い友人に、翔はその肩を叩いた。
 硬直する佐木遠也の背後には、「本当に知り合いだったのか」と額を押さえる正紀がいる。どうやら彼が連れてきてくれたらしい。克己の方も遠也とは面識があるらしく、「佐木か」と呟いていた。
 けれど、久々の再会となった友人の方は、ただただ驚きを隠さず
「どうして、こんなとこに、貴方が!?」
 久しぶりの再会で一番最初の台詞はそれかい。
 友情を感じさせない感動の再会に翔は苦笑するしかない。でもそれなりに彼も自分のことを心配してくれているのだろう。
「俺も呼ばれたんだ」
「そんな能天気な!というか俺は聞いていな・・・・・・っここがどういう場所か、わかっているんですか!」
「や、わかっていたところで拒否できたら遠也だってココにいないだろ?」
 頭の良い彼にしては間抜けな言葉だな、と思う。でもそれだけ自分を心配してくれていたのだろう。感謝感謝と心の中で手を合わせた。
 佐木遠也とは中学から同じクラスで、色々事情があって友人になった人。3年間同じクラスで過ごして、自分と彼の学力はかなりの差があったため、高校は違うところだなぁと半年前に話していたのだけれど、幸運なのか不運なのか、それとも腐れ縁なのかまた同じ学校同じクラスだ。
 彼の家は国が指定する総合病院だから、遠也は南側なのだろうか?どちらにせよ、友情に変わりはないが。
「と、ゆーわけで3年間よろしくな」
 笑顔で言う翔に、ようやく落ち着いたらしい遠也は複雑な表情を浮かべた。
「まさか、とは思いましたが・・・・・・」
はぁ、と疲れたようなため息に翔は苦笑するしかない。遠也はいつも自分が何かした時には同じようにため息をついていたのが懐かしい。憂いを帯びたその顔は相変わらず綺麗な造り。
「軍が美形を集めてるっていう噂も本当なのか?」
 知り合いと今日知り合ったばかりのルームメイトを見比べ、翔は興味津々といった態度で遠也に問う。
 じゃあ、もしかして選ばれた自分も美形に分類されるのか、とくだらない期待をしながら。
 遠也は予想もしてなかった質問に一瞬呆気にとられたようだが、すぐに首を縦に振った。
「まぁ、あながち嘘でも無いでしょう。軍が国民から好印象を得る為には、まず見た目重視ですし。そういう面なら航空科の方が美形は多いですが。それと、」
「人造人間だな、クラスにも何人かいる」
 克己の低い声に、遠也も肩を竦めて「そういうことです」と同意した。
 アンドロイドやクローンという言葉は翔も聞いたことがあった。けれど、今まで本物を見たことはない。
 人工の人間達は、それを作った人間達から酷い扱いを受けていることは知っている。
 人間を死なせない為に、アンドロイドやクローンの軍隊を作ったり、お金持ちの『観賞用』として依頼主の好みの外見に作られ、性行為の相手にされているなどなど。
 実際は、自分が知っているより酷い現状だろう。
「まぁ、わざわざ作るんだから、見た目は良い方がいいだろうしな」
 克己の口ぶりからして、クラスにいる人造人間は美形らしい。遠也もクラスメイトの顔を思い出したのか、表情を歪めた。
「完璧な人間を人工で作れるわけがないから無駄な努力でしょうが」
 彼の家は、国が認めた大病院だ。父は医学会の会長であると聞いている。
 クローンやアンドロイド、2種以上の遺伝子を掛け合わせて作った合成人間の製造も行っているはず。
 彼自身、天才といって良いほど頭が良い。それ故、馬鹿な科学者より一足早くその結論に至ったのか。
「・・・・・・まぁ、日向、またこれからもよろしくお願いします。こんなところですが、また会えて嬉しいですよ」
 遠也は今までほぼ無表情だったが、最後の言葉でその表情を和らげた。多少複雑そうに見えた笑みだったが、翔も笑みで返す。見覚えのある彼の笑みに、見知らぬ場所に来て緊張していたものが無くなったのを感じる。
 が、遠也の背後で物凄く驚いた顔をしている正紀が
「天才が笑ってる・・・・・・」
と呟いて、遠也の笑みがすっと消えた。
 今日来たばかりで人物関係がよくわかっていない翔はそんな二人の様子が険悪なものだとは気付かなかったが、正紀と遠也はあまり仲が良くは無かった。
「俺が笑っては、いけないと?」
「いや、そうは言ってないけど。お前、日向には何か優しいのな」
 正紀は教室の遠也の様子を思い出し、そんな彼からは到底想像出来なかった翔と遠也のやり取りに純粋に驚いていた。友人と会話をする時はするが自分からは他人に歩み寄る事のない遠也が、翔相手には歳相応の顔を見せる。
 ひょっとしたら。
 正紀の中にちょっとした予感が生まれた。ちらりと克己の方に眼をやると、それに気付いた彼が怪訝な眼を向ける。何も気付いていないらしい彼に、思わずにんまりと笑みを向けていた。
 面白くなりそうだ。これは早速同室の幼馴染に教えないと。
「そろそろ帰ろうぜ天才。早く寝ないとそのちっこい体じゃあ明日の授業死ぬぜ?」
「・・・・・・余計なお世話です」
「じゃあな、日向、甲賀!明日学校で!」
「ちょっ篠田!!」
 半ば無理矢理だったんじゃないだろうか。正紀は片手に遠也、片手は別れの挨拶をビシッと決めて部屋から去って行った。その様子を見て翔も流石に遠也が心配になった。長い付き合いだから解かるが、正紀は遠也にとっては苦手なタイプのはず。けれど苦手であって、嫌いではないタイプだ。いっそ嫌えた方がよっぽど楽だと前に自分も言われた事がある。
 まぁ、でも何とかやっていけてたようで、よかった。
 自分が遠也の事を心配していたなんて本人には口が裂けても言えないが。これからは他人の心配より自分の心配だ。
「そういえば俺、制服持って無いんだけど」
 遠也達が帰って、荷物整理も終わらせた時重大な事に気が付いた。
 明日は月曜で通常の授業が始まる。
 一瞬着てきた学ランでいいか、とも思ったが、ここに来た時の視線を思い出し気が重くなった。大体にして学ランは動きにくいだろう。3年着て慣れたからそんな事は感じないが、ここの学校の授業の大部分を占める戦闘には不向きだ。
「制服ならそこに」
 ベッドで雑誌を読んでいた克己が指差す先には、白い箱が数個、積み重なっていた。
 さっきから視界には入っていたが、まさか自分のものとは。
 さっそく手にとって中身を開けてみると、先程見かけた制服と同じものが入っている。
 濃い緑色のブレザーとカーキ色のワイシャツ、黒のワイシャツ。一年生用の緑色のネクタイ。さらにもう一つの箱には黒とカーキのズボン、訓練服などが入っていた。新しい布の匂いがする。
「カーキは主にイベント用だ」
 克己の簡潔な説明に、イベント・・・何の?という疑問も浮かぶが、普段はどちらでも構わないらしい。
 そういえば、テレビで時々陸軍記念日やら海軍記念日やらというイベントがあったと報じられているのを見たことがある。テレビに映っていた軍人とは違う制服だが。
 軍帽をかぶると少し大きかった。
 まさかと少し嫌な予感がしてワイシャツに袖を通してみる、と。
「で、でか・・・・・・っ」
 袖は手を隠し、中指がちょっとしか見えない。肩幅も全く合っていない。腕の太さも全然だ。成長期にあわせて少し大きめに、なんて余計な気遣いに現実を見せ付けられた気がして泣きたくなった。
「・・・・・・流石にそれは酷いな」
 克己もこちらに視線を寄こしていて、あまり見られたくないところを見られ、慌てて制服を脱いだ。
「現物を管理課に持っていってサイズが合うやつと交換して貰え」
「交換してもらえるのか?」
「そこまで酷ければしてもらえる。今日はもう遅いから、明日になるが」
 明日。
 ということはもしかしてこの服を明日は着ていかないといけないのでは。
 ちらりと克己を見ると、それくらいは我慢しろというような眼だった。やはりそうなるのか。
「・・・・・・あのー。甲賀さん」
 少し緊張すると首を撫でる癖がある事を遠也に指摘されたのは2年くらい前だったか。気付いても治らないのが癖。
「管理課って場所、俺わかんねーんだけど・・・・・・連れてってくれる?」
「構わないが」
「お。マジで」
 何だ、意外とあっさりだな。
 変な緊張して損した、と思いながら首元から手を離す。
「じゃあ、も一つお願い言っても?」
「何だ」
「名前で呼んでも?克己って、何かかっけえ名前だよな」
 いや、甲賀も充分カッコイイ名字だけど。
 いきなり名前を褒められた克己の方は少し呆気にとられつつ、無言で頷いた。瞬間、翔の表情が輝いた。
「お、マジでー。こうがさ・・・・・・じゃない、克己ってもしかして甲賀忍者の末裔とかだったりすんのか?忍者服似合いそう」
「よく言われるが、それは無い」
 よく言われるのか。
 確かに克己の冷静すぎる受け答えには疑う余地はないのだが、もう少し突っ込みとかしてもらいたいところだ。これがあの正紀のようなタイプだったらきっと面白いくらいの突っ込みをしてくれるんだろうが。
「あ、俺の事も翔でいー」
「それは遠慮する」
 即座に拒否され、翔も反応が遅れてしまう。
 冷たすぎる声での拒否に、本能が体を後退させた。
「俺はお前と馴れ合うつもりはない」
「・・・・・・本上の前では友達って言ったくせに」
「アレはアレだ」
 アレはその時本上から逃れるための嘘だったのだ。
 その事に気付いてはいたが、こんなに冷たく拒否をされると流石の翔も戸惑うしかない。
「言っておくが、この学校で信じられるヤツは誰一人としていない。佐木や、篠田も、いつ豹変するかわからないからな」
 助言と、牽制だった。
 遠回しに自分のことも信じるなと言っていることに、翔は気付いたのだろう。眉根を寄せて、初めて表情を歪めていた。
 そして、翔のことを信用するつもりもない、という意味でもある。
「克己は俺を警戒しているのか?」
「普通はするだろう」
「そんなに警戒すること無いだろ。俺は人殺せない」
「そのうち殺せるようになる」
「間違い、俺は友達は殺せない」
「俺は殺せるぞ」
「なら友達になろう!」
「は?」
 コイツ頭がおかしいのではないかという克己の視線に翔は苦笑してみせる。
「どうせ、友達になってもならなくても克己は俺の事殺せるんだろ?だったら、友達になった方が得じゃないか」
「お前・・・・・・呆れるほど楽観的だな」
 あの佐木遠也が陥落したのも、彼のこういうところに、だったのだろう。克己はため息を吐きながら、先ほどの遠也の慌てぶりを納得した。
 日向翔は、軍には向かない。外見もだが、中身もだ。
 軍という組織は基本的には絶対服従だけでなりたっている。命令をする上官と、それに忠実に従う部下。まぁ、部下の方は上から命令されないと何も出来ないというのが正しいのだが、この日向翔にその素質があるかというと、怪しい。それにこうした明るい性格の持ち主ほど、他人の死に敏感で精神的にまいり易い。
 それとその外見が、問題だ。その容姿では女のいない戦場で上官の慰め物となるだろう。汚れた事など一度もありませんといったような彼の性格で、それに耐え切れるかどうか。
 恐らくは、壊れる。
 佐木遠也もそれを危惧しているのだろう。本人が友人の心配をどこまで理解出来ているのかは謎だが。
「うぉー、すっげ、枕やわらけぇ」
 楽天的な翔は克己がそんな分析をしていることなど気付くことも無く、寝具で遊んでいた。
 誰かが使った形跡のない枕を抱きしめてみると意外と柔らかかった。
 甘いヤツ、とでも思われたのだろう、克己の呆れたようなため息が聞こえてくる。
「おい、日向」
 さっきより近いところからの呼びかけと、頭に何かが乗っかる感じ。
「簡単にそう言うことを他人に言うなよ、付け込まれるからな」
「・・・・・・え?」
「俺も、聞かなかったことにしてやるよ。さっきの借りを返すからな」
 慰められるように頭を撫でられていることに気が付いたのは数秒経ってから。
 克己が何を考えたのかは解からないが、どこか同情的なその言葉にしばし硬直していた。
「あ、ありがとう・・・・・・・」
 借りを返すって、これだけか。
 そうは思ったけれど、同室の友人の優しさに触れた気がした。
 当分は上手くやっていけるかも知れない。
 ココでようやくこの部屋割りに感謝をすることが出来た。




next