「なーんだ、クラスメイトかー。俺はてっきりー・・・や、ゴメン」
篠田はあははははと笑いながら食後のコーヒーを啜る。
その悪意を感じさせない笑顔に翔も苦笑した。因みに、隣に座っている克己は無言。
食堂に来る生徒はまだ少なく、正紀の同室である人物も後で来るらしい。
「ま、改めまして俺は篠田正紀。山代中出身」
「山中?じゃあ隣だ。俺五条中だったんだ」
正紀は隣りの学区の人間だったらしい。故郷が同じ友人を見つけられて、翔は笑顔を見せる。しかし、正紀のような派手な外見を持つ彼と街中で出会わなかったことが不思議だ。短めの茶色い髪は染めているようで、根元の方は地毛の黒髪が少しのぞいている。
あれ?でも篠田正紀?
彼の外見を眺めてから、その名前に聞き覚えが有ることに気が付く。そして出所を瞬時に思い出し、翔は思わず音を立てて立ち上がっていた。
「って、篠田正紀ぃ!?」
人を指差してはいけません、という教育は受けていたけれど、あまりの驚きでそんなことは吹っ飛んでいた。正紀は翔の驚きの理由を悟ったらしく、にやにや笑うだけ。
けれどその笑みで彼が本物だと悟る。
「あの篠田正紀か!?本当に!?」
「知っているのか?」
克己の意外、と言うような言葉に翔は信じられないという眼で正紀を凝視した。
「篠田って、あのシルバーウルフの頭だろ!?」
シルバーウルフとは当時街にいた不良の集まり。なかなか大きなグループだった。
その頭、と言ったら隣町の不良をも震え上がらせた篠田正紀。今での伝説として語り継がれているとか。
彼のお陰でシルバーウルフの縄張りである街は他グループの不良に荒らされなかったという。一番有名な話は、高校生の暴走族一団を近所迷惑だろうがと言って全員素手で叩きのめしたとか。そんな警察顔負けの活躍をしたおかげで彼は一部商店街では英雄扱いだったと聞く。
勿論、その暴走族のメンバーとそのバックに控えていた暴力団には睨まれたけれど、彼の後ろには暴力団程度が手を出せる相手ではない人間が控えていたから誰も手を出せなかったと。
まさかご本人を拝めるとは。
「シルバーウルフ?高齢の狼?」
対してまったくそんな噂を聞いたことのない克己は、呆れたような目で正紀を見ていた。うさんくさい、と心の中で呟きながら。
違う意味で捉えた克己の台詞に正紀はガックリと額をテーブルにぶつけていた。オーバーリアクションはお手の物。
「ちげえよ!銀の狼!銀の狼!銀!」
正紀の必死の訂正も克己は平静な表情で流していた。そんな場面を見せられると本当に彼が伝説の不良頭なのかと疑ってしまう。むしろ克己の方がドンっぽい。
「へぇ・・・・・同い年ってのは知ってたけど、あんたがあの篠田正紀か・・・・・・・」
再び椅子に座りながらまじまじと正紀の顔を眺めた。思っていたより強面ではないのが意外。劇画調の顔をしているのかと思っていた。
「どうだ?想像よりいい男だろ?」
思い通りの反応をくれた翔に正紀は機嫌良く笑う。コレが伝説の男なのだ。
そのにこやかな笑みに翔はまだ信じられずにいた。
「ああ、つまりは番長」
一歩遅れて克己は理解したらしい。かなり冷静に、何の感慨もないさらりとした言葉だった。
「噂と全然違うなー」
翔はまだ正紀の顔を凝視して言う。隣の学区だったからか、出身地が違う克己と違って色々な噂が流れてきているが、その噂で形成した篠田正紀像とは全然違う。
「噂だと顔を鉄パイプで殴られても平気だったけどそのお陰で鼻が無いとか、上から土管が落ちてきても平気だったけど背が低くなったとか」
「・・・・・・・・・・・いや、俺ふつーの人だから」
翔の方の誤解は解けたが、正紀はしばらく噂の出所を考える羽目になった。絶対に一度叩きのめして自分に怨みを持っている奴らの仕業だろう。ここから出たらお礼参りに行かなくては。
正紀が元不良頭らしい目論見を立てていることに翔は気付いていない。
「に、しても甲賀さんも篠田も同じクラスだとはなー。何か、良かったよ〜」
話しによると寮の部屋はクラスで分けられているとの事だった。2年になったらクラス替えはするが、寮は3年間同じ部屋だと。
色々口には出せない不安はあったが、翔は安堵していた。
克己は無愛想だけれど普通の人だし、正紀に至っては愉快な人だ。
実は正紀が自分のイメージを格好良い人にしようと頑張っていることなど、翔は知らない。
「甲賀さん!」
その時、高くもなく低くもない少年期の微妙な声が克己を呼んだ。その瞬間、今まで無表情だった克己の顔が僅かながら引き攣った。
「本上・・・・・・」
向かい側に座っていた正紀も表情をあからさまに歪めた。何だ、今度はどんな人間の登場なんだと振り返ると
「僕も一緒に食べて良いかな?」
にこりと笑うその彼の顔が少女的で翔は思わず見とれていた。ここは士官学校だよな?と考えてしまうほど彼の顔は可憐だ。
自分はただの女顔だが、彼は美少女の域に達しているのではないだろうか。さらりとした黒髪に大きな眼に長い睫毛。紅顔の美少年と、脳裏に浮かんが表現は古いが的確だ。
世の中には綺麗な子がいるものだなと、そう思うのは初めてではないが・・・・・・。
「誰?」
見慣れない自分の姿に気が付いた彼は、いきなり冷たい視線を向けてきた。
さっきも思ったが、美形の威嚇は怖い。まぁ、不躾な視線をやっていた自分も悪いのだが。
「日向翔、です。俺、遅れて入学してきて・・・・・・・」
びくびくしながら一応敬語を使うと、彼は持っていたトレイをテーブルに置きながら対して興味なさそうに「ああ」と呟いた。
「噂には聞いてるよ。じゃあ同じクラスだな。僕は本上夕喜」
克己を呼んだときと全然態度が違う。
彼のツンとした態度の説明を正紀に視線で求めたが、彼は首を横に振るだけ。とりあえず関わるなと。
訳がわからずとりあえず笑顔で居ると、じろりと睨まれた。
「それで、何で甲賀さんといるわけ?」
何で、とは?
その質問の意図がよくわからなかったが一応素直に
「寮で、俺同じ部屋だか」
ひゅん。
鋭い風が翔の頬を掠め、背後で何かが壁に突き刺さる音がした。
翔は笑顔のまま硬直し、反射的に両手を挙げて降伏のポーズをとっていた。
「同じ、部屋・・・・・・・?」
その声色は先程の3倍は恐ろしいモノだった。
「あー!だから北寮って嫌だね!二人部屋だなんて狭苦しいことしちゃってさ!甲賀さんも南寮においでよ!甲賀さんならその気になれば南寮にすぐ入れるんだよ!?」
翔には訳がわからないことを本上はわめき、ある程度克己に意見したら今度は標的を翔に変えた。
振り返ったその目は殺意にあふれていて。恐る恐る後ろを振り返ると、普通は物を食べる時に使用するフォークが壁に突き刺さっていた。
「甲賀さんに何かしたら撃ち殺すからな」
何って何だ。
アバウトな範囲指定だ、と思っても彼の範囲指定を守らないことには撃ち殺される。
助けを求めようにも克己は何故か我関せずの態度をとっているし、正紀は遠い方向を見つめていた。
誰も助けてくれない。
もしやコレがこの学校の鉄則。
けれどまだ自分は本日入学したて。誰か救ってくれてもいいだろう。
誰か!
思わず天に救いを求めてみた。すると
「・・・・・あれ、日向?」
天の助けが現れた。
「木戸!」
たまには天に助けを祈ってみるものだ。見覚えのある顔に驚きと喜びで思わず声を上げてしまった。
すばやく本上の視線から逃げだし、彼の前まで走ると懐かしい身長差が。
「久しぶり!中学の卒業式以来だよな!」
木戸孝一は小学中学校が同じだった気心のしれた人物。クラス委員などもやっていた木戸は良い友達だった。
彼もここに夕食をとりに来たのだろう、そこで思わぬ再会に彼は戸惑いの表情を隠せない。
「お前、何でここに・・・・・」
「俺も呼び出されたって事だよ」
満面の笑みで言ったつもりなのに、木戸の方は無表情だ。
いや、無表情ではない。
その目は確かに自分を哀れんでいた。
「あのさ、木戸・・・・・・俺、聞きたいことが」
「あれー、木戸じゃん。なに、知り合いだったのか?」
本上のブラックオーラから逃れてきた正紀が、親しげに木戸に声をかける。
「篠田と知り合いなのか?」
「クラスメイトだ」
木戸はあっさりと答え、ということは、だ。
「っじゃあ俺、木戸とも同じクラスだ!」
ココで本格的に安堵した。
知り合いが居るのは心強い。小学校から彼とはほぼ同じクラスだったが、まさかここまで腐れ縁だとは思わなかった。
ついでに、一番聞きたいことを翔は木戸へ質問した。
「遠也は?佐木遠也!」
佐木遠也は中学の時翔と一番仲の良かった人物だ。
彼がここの学校に行くことになったことを中学の卒業式の日、本人から直接聞いていた。
きっと彼の存在がなかったら、ここに来ることをあっさりと認めなかった。
がしゃん。
正紀がよろめいてぶつかったテーブルの上からプラスチック製の皿が床に落ちた。何だそのあからさまな動揺は。
「・・・・・・同じクラスだ」
正紀に代わり、木戸が苦笑しながら答えた。
お前ら仲よかったもんな、と付け足して。
隣でいそいそと落とした皿を拾う正紀の不審な行動は謎だったが、不良の頭なんてそんなものだろう。
勝手に自己完結をして、今まで座っていた場所に戻ろうと振り返る、と
「甲賀さん、今日僕の部屋に来てよー。一人部屋だけど北寮より倍は広いよ?」
「・・・・・・・・」
翔には殺さんばかりの眼を向けてきた彼が、克己には甘い視線と声で攻撃している。男が男を口説いている場面を見るのは初めてだが、何故だろう、違和感が無い。本上が女顔だから。
こうやって少しずつ順応していくんだろう、きっと。
「うーん、相変わらず積極的だな、本上・・・・・・・」
立ち直ったらしい正紀が感心しながらその様子を眺めていた。
見た目に違和感は無いが、翔には一つ疑問が。
「本上・・・・・って女の子?」
制服は男物だが、もしかしたらこの学校にはどちらでも良いという規定があるのかも知れない。
が
「いや、正真正銘の男だな」
「・・・・・・へー・・・・・・・・・・」
正紀の力強い否定に力無く返事を返すのが精一杯。
いや、軍隊には多いと良く聞いていた。叔父にも標的になるかも知れないぞ!と何度も注意を受けた。
だが、実際に見るのとはまた別だ。
「俺は本上より日向の方が可愛いと思うがな」
「あ、俺も俺もー」
後ろではあまり聞きたくない言葉を言われるし。
それがさっきであったばかりの友人と、昔ながらの友人の間でかわされたものだと思うと泣けてく
る。
二人を睨むつもりで振り返ると、木戸が目線で本上を示す。
「本上は南のヤツだからあまり関わらない方が良い」
妙に深刻な声色で彼は自分に助言してくれた。
南と、北。
今、この国は富める一部の人間を南、貧困に苦しむ北に分かれていた。
政治的な意味での北と南は多少意味が違い、現在実権を握っている、何らかの形で軍と繋がりを持つ名家の一派が南、南を好ましく思わない旧王朝派と呼ばれる名家が北と呼ばれている。
その風潮が国民にも広まって、金持ちや財閥など、今この国を動かしている者は南側。それに反発する者は北側、と北は南に差別されるような形になっていた。
そんなこの学校でも、南と北に分かれて、差別的感情は続行中らしい。
「南と呼ばれる奴らは、この国に貢献している親を持つ奴らだよ。北はそれ以外」
「南の奴らに逆らうと、あんまりいい目みないから止めとけ。アイツ等のバックにはこの国のお偉方が控えてるからな。俺達にはそんな後ろ盾はないわけだし」
肩を竦めながら言う正紀の言葉に、唖然とした。今まで小中は基本的に北と南は通う学校が分かれていたから、金持ちの人間と対峙するのはこれが初めてだ。おかげでいらない気遣いが必要になることを教えられ、初日から肩が凝る。
「子供の喧嘩に親が入ってくるなって感じだよなぁ」
まぁ、親に言いつける子供の根性の無さも笑えるが。
そう言って鼻で笑う正紀は、くどいようだが元不良。喧嘩の流儀というのをきっと誰よりも熟知している。
ため息を吐いた翔の肩を正紀は軽く叩いた。
「南のヤツは制服にこれくらいのワッペンが貼ってある。見かけたら気を付けろ」
親指と人差し指を2センチほど開いて説明してくれる。北寮の人間にはその証が貼り付けられていないようだ。階級章の一つと言っても良いだろう。
「ま、でも俺達も場合によっては反撃出来るわけだし?」
表情を強張らせる翔に正紀は笑顔を見せた。
学校といえども階級制で、それなりの功績が認められたら級位が上がる。
それは制服の肩に貼り付けられる。
北の生徒は常に南の生徒よりワンランク下の階級を与えられているが、自分と同室の克己はすでに階級が上がっていることを彼は教えてくれた。
やろうと思えばいつでも南と同じ目線になれるということだ。
「さあて、そろそろ部屋に帰るとするかな」
大体内情を話した正紀は背伸びをし、木戸はまだ夕食を取っていなかったらしく、彼の同室者が待つテーブルへ急いでいた。
「甲賀さんは、どうするんだ?」
見るとまだ本上に捕まっている。
「ああ、ほっとけほっとけ、アイツは自分でどうにかするヤツだから」
確かにそういうタイプだ、克己は。まだ出会って数時間しか経っていないが、克己は自分で何でもどうにか出来る人間だろう。むしろ他人の介入を嫌う。
けれどお人好しの翔はほっとけなかったようで。
「俺、呼んでくる」
「え、オイ。だから南には逆らうなって・・・・・・」
折角話して聞かせたのに、どうやら効果はなかったようで、克己と本上の方へ翔は小走りで向かう。
あちゃあ、と頭を押さえながら正紀は遠くから一部始終を眺めることにした。流石に辞書を二冊投げられた後で、フォークを投げつけられて避けられる自信はなかった。
「ねえ、甲賀さんー」
「・・・・・・・」
無視を決め込んだは良いものの、克己は段々苛立ちを覚えてきていた。
その気は無いと、何度も何度も何度も本人に直接伝えたのに。まったく効果がない。
本当に、いい加減にしてくれないとこちらの神経が危うい。南に逆らってはいけないと、いったい誰が決めたのか。
克己のイライラ度が最高潮まで高まった時に
「甲賀さん、そろそろ戻ろ」
意外な助けがやってきた。今日出会ったばかりのルームメイトだ。
「俺ココ来たばっかだしさ、色々教えて欲しいんだよな」
あははは〜と彼は脳天気に笑い、克己の腕を引っ張る。でもその笑いが引き攣っているのはおそらく克己の見間違いでは無い。
それに本上があからさまな敵意を剥き出しにした。
「・・・・・同じ部屋だからって何馴れ馴れしくしてるのさ」
「馴れ馴れしいって・・・・・・大げさだな」
自分はただ、克己の腕を掴んで引っ張っているだけ。しかし本上には、翔が克己に甘えている図にしか見えなかったらしい。怒りで顔が紅くなっている。
「今日来たばかりなのに、甲賀さんに触るな」
流石の翔も彼の殺気にはやばい、と本能的に危険を察知し、克己の腕から慌てて手を離した。今、冗談ですと笑ったら許してもらえるのだろうか。
人助けをくじけそうになったのは初めてだ。
しかし克己の方は折角の助けをむざむざと見過ごす訳が無く。
「馴れ馴れしくして何が悪い・・・・・・」
わざわざ本上に見せつけるようにして翔の肩に腕を回して見せた。そりゃあもうがっちりと。
「俺たち友達だからな?」
にっこりと笑ってはいるが眼が笑っていない克己に、翔は色々な意味で八方塞となってしまっていた。
「・・・・・・・そーだな・・・・・・」
初めて彼の満面の笑みを見たが、何だかちょっと嘘くさい。
かなり無理をしていることは十二分に伝わってくる。
彼の精一杯の演技を無駄にしない為にも、この寸劇は成功させなければならない。
「じゃあ、行こう、甲賀さん」
「ああ。じゃあな、本上」
・・・・・・・恐らく本上はショックのあまり放心していたのだろう。そう言っても何の反応もなかった。
少し可哀想だなぁとは思ったが、むしろ明日の自分の身が心配だった。
南には逆らうな。
あの正紀の台詞を思い出し、嘆息するしかなかった。
「やっちまったかなぁ」
明日の初登校が今から恐ろしい。