「日向!」
 はっと目を開けると出会ったばかりの美形顔がすぐ目の前にあり、瞬時に現実へと戻される。あまりにも早い場面展開に頭がついていかず、翔は軽い眩暈を感じた。
「え?俺・・・・・・?」
 寝ていたのか、と思い身を起こすと克己がほっと息をつく。
「うなされてたぞ、大丈夫か」
「うなされ・・・・・・」
 首を傾げようとしたがうなされるような夢の内容を思い出し、納得した。
「ああ、いや、大丈夫」
 汗で濡れた額を押さえて手を横に振ると、彼はそれ以上何も聞いてこなかった。
 動悸は激しいが、夢の中で打ち付けた頭も背中も痛くない。多少怠い程度だ。
「取り敢えず、夕食の時間だ。・・・・・・シャワー浴びてこい」
 冷や汗で濡れてしまったシャツを脱いでいるとシャワー室を指差された。
 個室にシャワーとトイレ付きらしい。普通の高校の寮ならこうはいかないだろう。
 流石、国の施設ということか。
 そう思いながらバスタオル片手にシャワー室に入る。洗面台と、トイレは別部屋らしい。ユニットバスタイプなのかと思っていたから少し意外だ。白い壁に少し大きめの鏡が貼り付けてあり、鏡に映った自分と眼が合った。それを無視して半透明の茶色い扉に手をかけると小さなシャワールームが。
 ごうんごうんという換気扇の音が耳障りで仕方なかったが、まだどこでそれを切ればよいのかわからない。
 ついでにもう一つわからないことが。
 お湯の出し方がよくわからない。
 シャワーのコックをじーっと見つめて適当にひねってみると、冷水が出てくる。
 下手にいじると熱湯が出てくるだろうし。
 克己を呼ぼうかと思ったが、もうすでに服は脱いでいて、さらに水に濡れていたので止めた。
 雨に濡れたと思えば。
 雨。
 ふう、と翔はため息を吐いた。先程の夢を思い出して。
 政府の役人だった父はある日を境に突然家族に暴力を奮い始めた、らしい。
 らしいというのはその『ある日』が翔が3,4歳のころで、優しい父親の記憶など欠片も無かったから。
 けれどその優しい父親の記憶が残っていた姉は抵抗らしい抵抗が出来なかった。
 死ぬほど殴られて、父親は毎夜のように姉を犯し、母は何故か家にはいなかった。きっと父親が恐ろしくて近寄れなかったのだ。
 それが、翔が小学五年生のある日、翔が彼に階段から突き落とされて足を骨折した。それがきっかけで母親は自分を叔父の家に預けたのだ。叔父は盲目だったが自分に良くしてくれた。
 中学の入学式の日、叔父と叔母に養子になったと告げられ、驚いて新しい制服のまま走って家に帰った。
 その日は、午後から雨だった。
ばしゃばしゃばしゃ。
 シャワーの水があの時と同じ音をたてている。
 あの時の記憶を払拭しようと、髪を束ねていたゴムを取り、頭から水を被った時だ。
「甲賀ー、俺の部屋何か水出ないんだよ〜。シャワー貸して」
「篠田!ちょっと待て!」
 聞き覚えの無い声と、克己の慌てたような声。
「ん?」
 何だ、どうした。
 バスタオルを腰に巻いて外に出る準備をしていると、キッと扉が開かれる音がした。自分の背後で。
 振り返ると茶色の髪の青年が丸い眼で自分を凝視している。
 そのさらに後ろにはしまった、と頭を抱える克己が。
「あー、・・・・・・・ゴメン」
 茶髪の青年は頭を掻いてすぐドアを閉めた。
 ・・・・・・何なんだ?
 首を傾げつつコックをひねると途端冷水が丁度良い熱さの湯に変わった。
「あ、お湯こうすれば出るのか」




 再びシャワーの音が聞こえてきたのに、彼はにやにやと笑いながら平然とした顔で雑誌を読み始めた克己に声をかけた。
「何だよ〜甲賀。その気無い振りしてやっとくことはやってんじゃねぇかv」
「・・・・・・何が」
 克己が冷たく返しても、彼のにやけ顔は消えなかった。それどころか更に調子にのりバシバシと克己の背を叩いている。
「まったまたー、シャワー室の娘だよ。可愛い子じゃん、ヨシワラのコ?女子連れ込むなんてやるじゃん」
 彼は同じクラスで隣室の篠田正紀だ。入学当時から何故か克己に親しげに話しかけてきた稀有な人間の一人だ。成績は頭の方もそれなり、体術の方もそれなりと克己も認めてはいる。
 克己と大体同じくらいの身長で、明るい性格の持ち主だが、人の話を聞かない所がある。そこをどうにかして欲しいと、彼の一番の友人も苦笑交じりに言っていた。
「アイツはただの」
「まったまたー、照れるな照れるな」
 今もこうして彼の正体を明かそうとしているのに聞かない。
 まぁ、確かに見慣れぬ人物がシャワールームにいたらそう誤解されても仕方ないのかも知れない。そしてその人物が女顔であるからまた。正紀の背中越しに見た彼の体が男とは思えない程細かったもの、誤解の一因となっている。
「ゴメン、甲賀さん。待たせて。飯いこ・・・・・」
 バスタオルを被った翔がシャワー室から出てくると、正紀は待ち構えていたように「や」と片手を挙げた。その見知らぬ顔に翔は戸惑いながらも頭を下げる。風呂を覗かれたものの、彼が何者であるかは気になっていたから。
 長身に染めたような金に近い茶色の髪。その短い髪をきちんとセットしている辺り、身だしなみに気を使う方なのだろうが。
「誰・・・・・・ですか?」
 一応敬語を使うと彼は人好きされるだろう笑みを浮かべる。
「俺、隣の部屋の篠田正紀。甲賀とは同じクラスなんだ」
 笑顔での自己紹介が正しいとすると、彼は自分と同じ年で明日から同じ教室で学ぶ学友だ。それで克己とも親しい理由を知る。
「ああ、俺は日向翔。よろしく」
 翔としては同じクラスになるであろう人物への自己紹介だったのだが。
 正紀はにやりと笑い、翔を手招きした。
 翔も抵抗せずそれに従うと肩に腕を回され、正紀がこそこそと小声で聞いてきた。近寄ると正紀のつけているらしい香水の香りが僅かに鼻腔をくすぐった。高校生で香水をつけてるなんてオシャレさんだなぁと感心していると
「なぁなぁ、どうよ、コイツ」
「どうよって・・・・・・何が?」
 主語の無い言葉に翔が聞き返すと、正紀は声をさらに小さくして
「甲賀だよ、甲賀!」
 その克己は正紀の奇怪な行動に気付きつつもそれを無視して本を読んでいる。
「甲賀さん?今日初対面だけど?」
「初対面で喰われたのか!?」
「くう・・・・・・?」
「まぁいいや。で、コイツ優しい?」
「は?まぁ・・・・・・いい人だとは思うけど?」
「そうじゃなくて、優しい?それとも激しい?」
「・・・・・・?優しいと激しいって対義語だっけ?」
「あー!もう!だから、コイツ優しいの!?せっ」
ゴッ。
 鈍い音がしたと思えば、正紀の頭に漢和辞典が命中していた。
「いってぇ〜〜〜何だよ!甲賀!!」
 涙目で振り返る正紀と共に翔も振り返ると、黒いオーラを放つ克己が辞書を投げたまんまの格好でベッドに座っていた。
「篠田、そいつは男だ」
 黙っていようかと思ったが、正紀がそんな誤解をしているとなると矢張り後々面倒だ。
 彼の誤解を一瞬にして解ける言葉を克己が言うと、正紀は目を見開いて今度は翔を振り返った。
「嘘!男!?」
 ・・・・・どうやら女だと間違われていたらしい。
 それなりの自覚は持っているが、女と間違われることに良い気分はしない。
 笑顔を引きつらせながら「男だよ」と言うと正紀は慌てた様子で
「まさか甲賀お前、そういう趣」
 今度は英和辞典が正紀の顔にめり込んだ。結構整った顔立ちなのに、克己は容赦ない。
「日向、馬鹿はほっといて食堂に行くぞ」
「あ、はーい・・・・・・・」
 怒りをまとった美形は恐ろしく、翔は正紀をフォローすることが出来なかった。
 まぁ、人を女と間違えた彼にフォローする気も無かったけれど。









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篠田好きです。