自分の背より10倍はあるだろう分厚い石の塀を見上げ、唖然とした。話しには聞いていたが、ここまでとは思わなかったからだ。
 しかも右を見ても左を見ても右を見てもその壁の果てが無い。一つの県ぶんの広さだというのは本当だったらしい。いや、それ以上かもしれない。 こんなに高くて立派な建物を見たのは生まれて初めてだった。改めて自分の身分を思い知る。
 少しだけ、自分がこんなところに居てもいいのかと場違いな気分を味わいながら、手の中の召集令状を握った。
 ここまでくるのに軍専用の列車で10時間もかかった。窓はすべて黒塗りだったため、ここまでいったいどういう道のりだったのかさえ見当もつかない。国家の最高機密だという噂も本当だったようだ。
 ただ、微かに潮の香りがするところから、海の近くなのかもしれないことだけは察せた。
 少なくとも、自分が暮らしていたあの家からはずっと遠いところだろう。
 ここは、自国の軍隊の本拠地だ。この中に自分が用のある国営の『青少年軍養成学校』、つまりは軍隊の機関のひとつがある。
将来的に軍で働ける人物を青年期から育成しようということから、義務教育の終了した男女を国内から選定して召集する。選定の仕方はコンピューターでランダムに選ばれていると聞いている。
 選ばれた1つの科あたり240名の16歳の男女に課せられた兵役義務。
 いわゆる赤紙が届いたら、入学するはずだった高校は諦めるしかない、国からの命令だ。
 拒否をすれば銃殺刑という噂だ。けれどこの学校に入っても生き延びられるかは保証がない。何時死ぬかわからないのはこの学校に入らなくても同じだった。今、この国は食糧難に襲われていて、農作をしようにも放射能で侵されているから作物が育たないと聞いている。
正直この国の政府をあまり好きでは無かったから、ここには来たくなかったのだけれど。
 中学校在学中に、家に帰ってきたらポストに薄っぺらい封書が入っていて、国からの呼び出しなのだと叔父が説明してくれた。
 叔母が涙を浮かべていたのを覚えている。
 この学校に入って、家に帰ってきた者は殆ど居ないという噂があるから。
 学校を卒業すると共に正式な軍のメンバーになるか、国が作った暗殺組織に入るか。大方の場合どちらかと聞いている。兎に角人間的な精神を持って帰ったものは居ないと。
 けれど、それはエリートコースに乗ったのも同じ事だった。自分達のような国にあまり税金を納めることの出来ない、北と呼ばれる下級階級者は多くの場合死ぬまで必死に働くか、大人になって軍隊に入り僅かな収入を得るかのどちらかだが、この学校に入るだけで将来に希望が見出せる。何故なら、ここに入れば軍ではそれなりの地位に立つ事が出来るからだ。
 選ばれた事は幸運だと周りは言うが、正直に喜ぶ事は出来なかった。
「入れ」
 がしゃんと重い鍵を開ける音がして、あの高い壁にあるたった一つの扉が開いた。
 その扉の向こうには軍服を着て、手には大きな銃を持った兵士が二人立っていて、冷たい眼で自分を見ていた。その温度の低さに悪寒が走るが、覚悟を決めて門の中へ一歩踏み出す選択しか与えられなかった。





 自分を迎えに来た黒い背広にサングラスをかけた男と共に広い部屋に通された。黒い背広にサングラスというのは外の世界の軍の正装なのだろうか。奇妙な威圧感を感じながらも周りに視線をやる。建物も、この国が世界に誇るレベルなだけあって立派なものだった。自分が通っていた中学校の校舎はあちこちコンクリートが剥がれていたが、それと比べると雲泥の差だ。
 紅い絨毯に黒い高そうなソファ、それと立派な彫り物がしてある大きな机。院長室とあったから、多分この学校で一番地位のある人間の部屋だろう。
「きょろきょろするな」
 自分が周りをじろじろ観察していた事に気付いたらしい黒服の男が顔を動かさずに注意してくる。
「すみません」
 小さく謝ると頭上からため息に似たものが振ってくる。子どもだ、とでも思われたのだろうか。
 子どもといえば、ここまで来る間、何人かの生徒と会った。制服らしい一昔前の旧ドイツ軍服をモデルにした制服を着た男女は自分を驚いたような目で凝視してきた。
 当然だろう。自分の姿は中学の時の黒い学ランだ。彼らにとっては俗世の臭いがキツすぎる。
 刺さるような視線に耐えつつ、大きな建物の中に入ると、さらに沢山の生徒が居て、さらに大量の視線に曝された。
 いい加減嫌になってきたときに、院長室に到着し、今に至る。

「やあ、待たせたね」

 部屋の内部同士が繋がっているらしいドアから、思っていたより若い顔が覗いた。
 瞬間、隣に立っていた背広の男が機械のようにびしりと敬礼をする。
 彼が、ここの学院長碓井建生なのだ。
 同時に、国の最高官僚でもある。
 こうして見るとただの人だと思っていると背中を軽く叩かれた。隣りの男が顎で示し、何かと思えば自分と共に敬礼しろという意味らしい。
 慌てて隣の男に習って敬礼すると学院長は穏やかに笑う。
 軍隊でそんな表情が出来る人がいるのか、と少しだけ安堵してしまった。
「君が日向翔くんか」
「はい、本日付で士官科に配属されるNO.E7253-56200Rの日向翔です」
 多少緊張しながら答えると学院長は革製の椅子に座り、机に両肘をついて頷いた。
 そのまま翔を足下から頭の先まで眺めて、彼の隣にいた背広の男に視線を移す。
「君はもういい、ご苦労だった」
 背広の男は再び敬礼をしてから部屋から出て行く。彼はいるだけで威圧的だったから、いなくなってくれて肩の緊張が少しだけ抜けた。
「さて、日向君、入学おめでとう。君を歓迎するよ。無事卒業してこの国のために尽くしてくれ」
 院長の言い慣れたような台詞にも「はい」と言わせる重圧を感じる。矢張りただの人ではないということか。
 “碓井”は確か軍部では幅を利かせている一族だ。軍の上層部は大方碓井一族で埋められていると聞いている。実際、ここの院長も碓井で、陸軍の士官科の生徒代表である生徒会長も碓井姓だった。
 話には聞いていたけれど、初めて見る碓井一族の人間の黒い眼に翔は慌てて頷いた。
「はい、覚悟は、しています」
 つまりは、死ぬ覚悟を。
 翔のはっきりした返答に気を良くしたのか、院長は笑みを見せた。
「君は、この国が軍国主義国家に変貌した過程を理解しているかい」
「え?あ、はい。教科書程度には」
「それで充分だ」
 彼は満足気に笑う。
 翔が生まれるずっと前にこの世界は今よりも酷い戦争をしていたと聞いている。その戦争に何度も使われた核という兵器がその後使用禁止にされた事も。今でもそれとそれに似たものは作ってはいけない事になっていると。確かに便利な兵器ではあったが、そのおかげで今人間が暮らす土地が激減してしまった。そして今は、その少ない土地を得る為に戦争をしていると。
 これがとりあえずの教科書どおりの歴史のはずだ。
「君の努力次第では、南入りも可能であることを心に留めておくといいだろう」
 南、というのはこの国の上流階級のことを一般的に指す。この学校で有る程度の地位を確立することが出来れば今の貧乏生活からおさらば出来ると言っているのだ。自分も、その家族も。
 「はい」と答えたが、どうも間延びした返事になってしまったような気がする。
「・・・・・・ところで、日向君。君は入学が遅れたのだが」
 院長の言葉に翔は体を硬直させた。
 今はもう5月初旬。本来、普通の高校と同じ日にここの学校も入学式が有るのだが、自分は有る理由があって遅れを政府に認めて貰っていた。それを聞かれるのかと思ったが
「かの有名な日向氏の愛弟子というのは本当か」
 なるほど、何の身分もない自分がわざわざ院長様とお目通りが叶ったのはそこに理由があるらしい。
 翔はしばし逡巡し、彼のその質問の意図を探った。すでに軍役から離れた叔父の動向を探っているのか、それとも自分の力量を測ろうとしているのか解からないが、彼の眼は自分の答えを待っている。
 乾きかけていた口内に舌を巡らせてから、大方の言葉を選び、口を開いた。
「義父がいか程まで有名かは存じ上げていませんが、お・・・私が日向に師事して頂いたのは事実です。しかし、正式な弟子入りではなかったので愛弟子と言えるかどうか」
 愛弟子などという表現を聞いたのは初めてで、翔も多少驚いた。そういう見方も出来るのかと思ったが、自分と彼の関係は父と息子のそれで、師と弟子という側面はあまり無かったように思える。それに弟子、と言えるほど彼は真摯に自分を鍛えようとはしなかった。翔が修練を望み、叔父はそれに付き合ってくれただけだ。多少、翔の飲み込みが良かったからあれもこれもと面白半分に教えてきたという面はあるかもしれないが。
「そこまで謙遜することはないだろう。あの有名な日向穂高が除隊後育てた弟子は君だけだと聞く。君にはそれほどの素質があるのだろう。期待しているよ」
 その素質のある自分に、叔父はお前には軍は向かないと言われてきたのだが、その事は黙っておいた。それに、ちゃんと何故自分しか弟子を取らなかったのかというのも理由がある。
 特に欲しくもない励ましを貰い、翔が「はい」と答えると他に用は無いらしく、院長はすぐに翔を外へ追い出す。
 一応、見よう見まねの敬礼をして彼に背を向けた。
 翔が外に出る寸前に「君のクラスは1−E、寮室は308だ」と言われ、一人、寮へと向かうことにな る。
 大して重くないはずの荷物が鉛のように重い。
 卒業、できるかな、と考え、自然、ため息が出た。

 小柄で折れそうな印象を持たせる体に、女子に見える童顔。今来た生徒の姿を思い出し、思わず呟いた。
 あの日向の縁者だと聞いていたが、あれではあまりにも。
「アレじゃあ、兵士としては役に立たんだろうな」
 まぁ、『兵士としては』だが。
 ランダムに選んでいる、と国民に言ってはいるものの、実はしっかり選定をしている。
 国側として邪魔な者、危険思想を持っている者、国の味方に欲しい者。
 ある程度選んで、他の人数埋め合わせ分はランダムだが。
 日向翔は意図的に選んだ者。
 この国のものにする為に。
 彼本人はその理由なんて知らないのだろうが。
「ご武運を」
 そう呟いて翔を送ったことを、当の本人は全く気が付いていなかった。








「・・・・・・あー、緊張した」
 寮のエレベーターに乗り込んで初めて翔はそこで一息つく。まさか、軍の偉い人の前にいきなり立たされるとは思わなかったからだ。それと、ここで初めて久々に独りの空間を手に入れることが出来たから。家に迎えに来た男達がずっと自分の側についていたから、あくびをするのも緊張するという状態だった。
 凝り固まった首を動かすとパキリと音がする。
 寮のエレベーターはガラス張りで、しかも建物が高いので学校の敷地内を遠くまで一望できた。
 森やら射撃場やら何やらが見えるが、やはり学校と他の地域を区切る壁は見えなかった。
 かなり広い。
 駅らしきものが見え、学校内を電車で移動する場合も有るのかとその広さに唖然とする。ここが自分の知る国の地図でどこに当たるのか探ろうとしたのだが、どうやらそれは無理らしい。脱走防止の為だろうか。
 丁度そう考えた時に機械で作ったような音声で3階を告げられた。
 その声と共に扉が開き、すぐ外に出る。あまり狭い場所に長時間居るのは好きではない。
「308・・・308・・・・・・」
 自分の部屋番号を間違える訳にはいかず、忘れないよう何度も呟きながらきょろきょろ見渡すと、右手の方には316、左の方には315の数字が書いたドアがあったので左に進んでみる。
 敷地も広いが寮も広い。
 長い直線の廊下を小走りで進むとすぐに308を見つけることが出来た。
 木のドアに黒いインクで印を押したような数字308。
 緊張しながらドアをノックした。北寮は二人部屋だと入学案内で読んでいたからだ。
 それが正しければ、先に入学しているルームメイトが居るはず。同い年の。
 誰かと同じ部屋で日常を過ごすという事は始めてなので、いい人ならば良いのだが。
 けれどこの学校がまず普通の学校ではないので、普通の人は望めないだろう。
 そう考えるのは偏見だろうか。
 最初は普通の人かも知れないけれど、この学校の教育ですさんだ性格に変貌しているかも知れない。一ヶ月のブランクは大きかった。
 怖い人だったらどうしよう。
 自然と何故か筋肉ムキムキのスキンヘッドを思い浮かべ、青ざめた。多分翔の中での強くて怖い人の姿がそれなのだ。
 不意に眼に入った横のネームプレートに“甲賀克己”と書かれている。
 なんて厳つい名前なんだ。しかも甲賀って忍者?甲賀流?
 名前のイメージで、想像のルームメイトが今度は忍者服を着た。いや、でも流石にそれはないだろう。
 うだうだ考えながらもノックを続けるが、一向に人が出てくる気配がない。
 こんこん、という軽いノックから次第に手に力が入り、ドンドンという殴る音に変わっていった。
 もしや一人部屋か。
 そんな淡い期待はすぐ打ち砕かれた。
「はい」
 どこか面倒くさそうな低い声はなかなか耳に心地良いもので、それに驚いているとドアが開く。
 一瞬、スキンヘッドのボディビルダー(忍者服着用)が笑顔で迎える姿を想像したが、現実にそこに居た人は、想像より遙かにずっと美形で背の高い人だった。いや、文句なしに良い男だと言って良い。
 黒い少し長目の髪に大人っぽい容姿は、どこかで見たような気がしたが多分気のせい。
 こんな美形知り合いには居ない。いや、一人心当たりがあったが彼とは違う顔の作りだし、目の前の彼とはだいぶ身長差がある。
 ぽかんとその顔を見ていると、始め少し驚いているように見えた彼の表情が怪訝なものへと変わった。
「ここの部屋の人?」
 慌てて多少緊張しながらもそう聞くと
「そうだ」
 とさっきと同じ美声で返された。
 これで同じ16歳?
 自分よりはるかに背が高く、美形で、しかも纏う空気が大人っぽい。
 翔は思わず彼と自分の身長差を目算し、神を呪った。
「そ、か。じゃあよろしくな。俺、今日からここに・・・っていうか遅れて入学してきたんだけど」
 第一印象は大切に、と笑顔で言うと美形の彼は無言で身を避けた。
 入れ、と言っているらしい。
「話しには聞いている」
 俺の一人部屋生活もここまでか、という呟きが聞こえた。
 小さな玄関で靴を脱いで中に入ってみると、それなりの広さがある普通のビジネスホテルのような部屋だった。学生らしく、きちんと勉強机も設置されている。
「あ、俺日向翔」
 鞄を下ろしながら簡単な自己紹介をすると、すでにベッドに座っていた彼も
「甲賀克己」
 低い声で教えてくれた。
 この空気からして、克己はあまり友好的なタイプではないらしい。必要以上の事は話してくれない。
 どうしよう、とちょっと考えてから翔は次の会話を探す。
「・・・・・・同じ1年だよな?」
 まず聞くべきだと思ったのはその事。クラスメイトと同室だと聞いていたけれど、彼の雰囲気があまりにも大人びている為、もしかして年上かと思ったが
「ああ」
 克己は頷く。その返事に心底ほっとしたが、意外だ。
「老けてるなぁ」
「・・・・・・よく言われる」
 老けている、という評価に克己は密かにショックを受けつつため息をついた。せめて大人っぽいと言って欲しいものだ。けれど当の翔は自分の失言に気付かずに、周りをきょろきょろ見回している。
「えーと、甲賀、さん?ベッドどっち使ってた?」
 思わずさん付けしてしまったのは、彼の老けているオーラの所為か。
 両壁にベッドと机が一つずつ寄せられていて、克己は黙って向かって左側を指さした。
 右の方を見ると、確かに使われた形跡がない。
 すぐ自分のテリトリーを発見し、翔はそのベッドに持ってきた荷物を置いて自分もそこに腰掛ける。
「なぁ、学校、どんな感じ?」
 克己が彼のベッドに腰掛けるのを待って聞いてみると「別に」という返事が。
 聞き甲斐がない。もう少し会話が続く返答をしてもらいたかったが、彼の性格はそれで大方察せた。
 克己の下は制服、上はただの黒いTシャツという姿に全身真っ黒だなぁ、とどうでも良い事を思い、学ランを脱いだ。
 先程彼は何に驚いていたのだろう。この学ランの事か、それとも自分の容姿か。
 自分の顔が女顔に分類されるということは自覚している。さらに、後ろ髪を伸ばして結い上げているからこの制服を着ていないときには女に間違われることもしばしば。自分の頬を何となく撫でると手が思ったより冷たかった。
 だが、間違われて良い気分はしない。
 克己はすでに自分には興味を示さず、もくもくと雑誌を読んでいる。しかもミリタリー系の。どうやら彼はすっかりここでの生活に慣れてしまっているらしい。
 まぁいい。無愛想ではあるが、悪い人ではなさそうだ。ただ、友達は少なそう。
 そこまで考えて急に頭の中がぼんやりしてくるのがわかる。
 ここに来るのに今日は4時起きだったのだ。しかもずっと緊張しっぱなしで。
 段々と下がってくる目蓋に抵抗は出来ず、眠りへと引き込まれていった。
ぼすん。
 奇妙な音に克己が顔を上げると、翔が寝息を立てている。
 初対面の相手がいるところでよくもまぁ安心して寝られる。克己にしては考えられないことを彼はやってのけていた。だが、逆にその大物振りに感心させられた。
「・・・・・・・」
 ちら、と壁掛け時計を見ると午後4時。
 まだ夕食までには十分余裕があった。
「ひゅうが かける・・・・・・・・」
 先程元気よく名乗られた名前を小さく呟き、息を吐く。
 そして自分のベッドから布団を一つ引き剥がして、彼の体の上にかけてやった。




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