そっと重ねた唇は薄く、熱かった。
柔らかい感触にゆっくり目を閉じ、彼の唇に唇で噛みつく。その接合だけでは物足りず、既に密着していた体を更に近づけようと、彼の背に腕を回した。思っていたより分厚く硬い体だった。自分の貧相な体とは違い、しっかりとした体で、その違いを知られることに急に恥ずかしくなり、身を引こうとすると逆に引き寄せられる。ぴたりと合わさった胸から、熱い体温を感じた。その熱さに衝動的に彼の体をベッドに倒す。彼の方が体格が良いが、あっさりと押し倒せたということは、彼が嫌がっていないという証拠だろう。
彼の顔ははっきりとしない。けれど、その匂いは鼻が記憶していた。
その彼の名を口にしようとして、眼が覚める。
自分が変だということを自覚して、しばらくすれば落ち着くかと思えばそうでもなかった。むしろ、どんどん酷くなっていった気がする。
翔はそわそわと自分のベッドに座っていた。落ち着けばいいものを、足はブラブラと当てもなく動き、耳は微かに聞こえてくるシャワーの音に集中していた。同じシャワールームを使っている所為か、その水の跳ね音だけで、彼がどう動いたのか何となく想像出来る。
って、友人のシャワーの音に耳を傾けるとか俺は変態かよ!
自分の不審な行動に翔は頭を抱え、そんなことをしている間に克己がシャワールームから出て来てしまう。
「起きてたのか」
シャワールームに入った時は寝ていた翔が起きていた事に、克己は少し驚いたようだった。それもそのはず、現在時刻は朝の5時だ。普段ならまだ寝ている時間であるはずなのに、翔が起きていることを怪訝に思ってもしょうがない。
「ちょっと、変な夢みて」
本当は昨晩、この間の事の夢を見てしまい、よく眠れなかったなんて言える訳がない。まだ眠気が残る目を擦ると自然と欠伸も出た。
そんな曖昧な表現だったからか、克己が少し顔を顰めた。
「……大丈夫か?」
自分の過去を知る克己は、きっとその夢を見たと判断したのだろう。心配げな彼の手が少々熱くなっていた額に触れる。冷たい手が心地良かった、が
「あれ、お前シャワー浴びてたんじゃねぇの?」
冷たすぎる手は先程までお湯に触れていたとは思えない温度だった。思わずその手を取るが、やはり冷たい。彼の地の体温はもう少し高いはずだと目を上げると、克己はその手を引いた。
「ああ、俺も変な夢を見たから、気晴らしに水浴びていた」
「お前も?風邪引くなよ?」
ぽん、と克己の頭に手を乗せれば、冷たい髪の感触に迎えられた。自分より背が高い彼の頭に手を置こうとすると、自然と克己との距離は縮まる。ほんの数センチしか距離の無いところまで顔が近付き、友人の端麗な顔を目の前にして、何となくキスしたいなぁとぼんやり思ってしまった。後ほんの少し顔を近づければ、一度触れたあの感触を味わえる。
「翔?」
そんな時に名前を呼ばれ、ハッと我に返った。
「う、お、俺もシャワー浴びてくる!」
奇妙な行動を取りそうだったことが負い目になり、克己の顔を見る事も出来ず、それだけ言うのが精一杯で、慌ててシャワールームに駆け込んだ。
何やってんだ俺、気を引き締めろ!
シャワールームに入ってすぐに、思いっきり自分の顔を両手で叩いた。ばしん、という結構な音に比例した痛みが顔には残ったが、少し自分は取り戻せたような気がする。
何やってんだ、キスなんて友達にするもんじゃねーだろ!!
心の中で自分を罵声し、その都度頬を叩く。べしべしと部屋の中に音が響き、どうにか気が静まった時には、鏡に映った自分の顔は赤くなっていた。
「よし!」
ぐっと拳を握り、もう大丈夫だと思った時に、鼻に慣れた香りが触れる。まだ克己が使った名残があるシャワールームは湿度が高く、彼のボディソープの匂いが残っていた。それに気付いた瞬間、また耳が熱くなり、そんな自分の変調にはもう項垂れるしかない。
「な、何なんだよこれ……」
あ、また呼び出されてる。
今まではあまり気にすることは無かったが、こうして改めて見ると克己はモテた。モテモテだった。今日も教室で呼び出されること2回、外で声を掛けられること1回、下駄箱のラブレターの数は4通、と正紀が羨むのもしょうがないと思ってしまうほどに、克己は女の子から声をかけられていた。
それを見るたびに何だかモヤッとするものを胸辺りに感じるのだけれど、それの正体もいまだ解からずじまいだ。
しかし何だ、凄く苛々するなコレ。
正紀の言うとおり、自分は男として彼に妬いているのだろうか、とも思うが、そんな単純なものではなさそうだと感じたのは、最近だ。克己が何か行動するたびにドキドキしているのだから、女の子の存在はあまり関係ないというのが翔の見解だった。
では、何だと答えを考えても、全く解からない。
ただ、じっと克己の背を見つめていた。克己の告白の断わり方には2パターンある。教室の先で断るか、それでも食い下がる女子の時には場所を移動する。そして断る……のだと思う、多分。
今日はただ思いを伝えたかったという類の女子だったらしく、すぐに頭を何度も下げて去って行った。克己も一仕事を終えたと言わんばかりに肩から力を抜き、帰ってくる。そんな彼に、何となくホッとしてしまった。
「おかえり」
そう声をかけると、「あぁ」といつもと同じ声が返ってきた。普段なら、話の続きを何もなかったように続けるのだけれど、何だか今はそんな気分にならなかった。
「具合でも悪いか」
目線を下にしていた翔に、克己がその額に手を当てる。朝ほどではないが、ひんやりとしたその体温に思わず肩を揺らしていた。
「ひわっ!」
ガタタッと座っていた椅子ごと体を跳ね上げた翔に、克己の方が驚かされる。
「翔?」
「ななな何でもないぞ!気にするなっ!」
あわあわとフォローをする翔の顔は真っ赤だ。
「お前いきなり熱くなったぞ?もしかして熱あるのか?佐木に」
「ちょ、まぁーって!!」
教室にいない遠也を呼んでこようとした克己の肩に縋りつき、そんな行動をしてしまったことには失敗したと思うが、遠也に知られるのは不味いと瞬時に判断していた。これが病気の類でないことはここ数日で気付いていたからだ。
それに、折角克己が戻ってきたというのに、またどこかに行かれるのが何故か嫌だった。しかし、肩を掴むという大胆な行動を取っている自分の手に気付き、慌ててその手を離す。が、やはりどこか掴んでいないと彼がどこかへ行ってしまいそうだと思った瞬間、胸の辺りが物寂しくなり、肩から外した手を今度は克己の腕へと伸ばした。袖口を指で軽く摘むのが、丁度良かった。
「だっ大丈夫だ、大したこと無い」
「本当か?でも結構熱いぞ」
再度ぺたりと頬に当てられた手に、今度は驚かずに済んだ。予測が出来ていたからだろうか、確かに少々ドキドキするものの、心地良い。
「お前の手、冷たくて気持ちいーな。もっと」
思わずその手に擦寄ると、ひくりとその手の平が僅かに動いたのが解かった。この間も思ったけれど、矢張りというか何と言うか、克己の手は大きい。体格の差はあるが、ここまで違うと哀しい気分になる。
そういえば、この手がこの間俺に触っ……
「お前、本当に熱あるんじゃないのか?食欲も最近無いだろう」
あらぬことを思い出し再び体温が上がった翔に、克己が心配そうに口を開いた。
「ひゅーが!」
赤面状態のまま硬直していると、神の救いか突然背後から呼びかけられ、振り返ると大志がそこに立っている。
「三宅?」
丁度良いところにやってきた彼は、2人の雰囲気に首を傾げる。
「どうしたんだ?」
友人の明るい声に少々ほっとして首を横に振ってみせた。
「何でもない。三宅こそ、どうした?」
「あ、そうそう日向、呼び出し」
「へ?」
彼が指し示した教室の扉の先には、確かに顔を赤らめた少女が立っているが、その事に翔は一瞬何かの間違いでは?と疑ってしまう。
「俺?」
思わず自分で自分を指差して確かめると、大志は笑顔で首を縦に振った。
「そうだよ」
「克己じゃなくて?」
今度は横にいた克己を指し示したが、大志は笑顔で首を横に振った。
「日向だってば」
大志に何度も確認してしまうが、頷かれても何だか実感が湧かない。
「俺……?」
「お前だぞ、日向!ほらしっかり行って来い!」
どこから聞きつけてきたのか、正紀が強く翔の背を叩いてきた。克己が呼び出されている時は不満を言っていた彼だが、翔に対しては優しい言葉をかけてくる。恐らく、同類視されているからだろう。
「あ、うん」
その時、思わずちらりと克己を見てしまう。特に何かを求めたつもりはなかったが、彼が何も言わないことに、少し自分の心の中のテンションが下がったのが解かる。
「可愛い子じゃん!良かったな!」
反対にとてもテンションの高い正紀に背を押され、翔は教室から出た。そこで待っていたのは、頬を赤らめ緊張で潤んだ目で自分を見上げる可愛らしい少女だ。緩くカーブを描く髪が肩まであり、全体的にほんわかとした空気を持つ。
「あの、日向君……ちょっと一緒に来て貰えませんか?」
恐る恐る聞いてきた彼女には頷いて見せるしかなく、翔は彼女について行く。いや、きっと彼女も克己狙いで、いつものようにアイツに手紙を渡してくださいだとか、好きなものを教えてくださいとか、そういう相談を受けるに違いない。そう思いながら歩いていると、矢張り少しムカッとしてきた。が
「私、日向君が好きです」
人がいなくなったところで足を止め、振り向きざまに言った彼女の一言に翔は茫然としてしまった。
「……へ?」
「日向君が好きなんです。私と、付き合ってください」
もう一度力強い声で言った彼女の勇気はきっと自分には無いものだ。虚を突かれた翔が何と返事をしようか逡巡していると、先に彼女の方が目を伏せる。
「ごめんなさい、突然こんなこと言われても困るよね?日向君は私のこと知らないだろうから……でも、日向君彼女とかいないみたいだし、その……」
こ、こういう時ってどうすればいいんだろう。
彼女もかなりの緊張をしているようだったが、翔の方はその倍緊張していた。断る断わらない以前に、こんな告白をされたのは久方ぶりだ。女の子の本気をぶつけられ、毎日それを交わしている友人のタフさにこんなに感心してしまう瞬間はなかった。
「ごめん、俺……」
しかし、今そんな事を考える余裕はない。それは本当だ、今は克己のことで頭がいっぱいで、彼女の事まで考える頭はなかった。それに、断る時はきっぱり断わったほうが良いと、自分は過去のことで学んでいる。
「やっぱり好きな人、いるの?」
断わりかけた翔の言葉を遮るように彼女は突然今まで伏せていた顔をバッと上げて、真剣な眼で訊ねてきた。その“やっぱり”という言葉に翔は首を傾げる。
「え、やっぱり、って」
「だって最近日向君変だったもの!何か物思いに耽ったり、たまに運動なんてしてないのに顔を赤くしてたり、一目で解かるよ、恋してるって!最近なんかすっごく可愛かったし!」
だから私も思わず告白しちゃったんだけど!
ぐっと拳を握って力説する彼女の突然の豹変に翔はぽかんとしてしまった。
「か、可愛い……?」
しかも、自分より可愛い女の子に可愛いなんて言われてしまっては、それは唖然とするしかない。しかし彼女はついていけてない翔に気付かず、満面の笑みを浮かべた。
「日向君、好きでした。頑張ってね、私も新しい恋、頑張るから!」
彼女の話によると、翔の事をずっと見ていて好きだったけれど、でも最近翔が誰かに恋をしていると気付き、それなら告白して振られてスッキリして、ついでに恋を応援してしまおう、という意味の告白だったらしい。
「ま、待って!俺、別に恋なんてしてない!」
心当たりのない事に翔は慌てて首を横に振る。すると、その反応が意外だったのか、彼女は大きな目を更に大きくする。
「え、なに、あれ?もしかして日向君、自覚ない?」
「自覚も何も……俺が最近ちょっと色々考えてる相手は克己だし、恋とかそんなんじゃ」
恋、と表現され、全く考えもつかない単語に翔は思わず克己の名前を出してしまった。更に変な誤解をされてしまうと即座に口に手を当てたが、彼女は大して驚いた風もなく
「あ、やっぱり甲賀君だったんだねぇ。最近、甲賀君に告白しに行くと日向君が何か怖いって真亜子が言ってたから」
「え、えええええ!?」
確かに、最近克己が女の子に呼び出されているところを見ると苛々してはいたが、そんなに怖い眼で見てしまっていたのだろうか。心の底から自覚の無かった翔に、彼女はくすくすと笑った。
「本当に自覚無かったんだね」
あまりのことに翔は混乱した。自分は男で、彼も男だ、恋なんてするわけがない。
「でも俺男だし、あいつだって」
真っ当なはずの言い訳を口にした翔に、彼女は首を横に振る。
「恋するのに男も女もないよ。私もどっちかと言えば女の子の方がいいもの」
「え」
「日向君好きになったのだって、日向君が何か見た目女の子っぽいからだし」
「えええええ」
思わぬことまで暴露され、翔は正直ショックだったが、彼女の方はもう色々と吹っ切れているのか、ベラベラと話し始めた。
「女子の間でもね、一部で有名なんだよ、日向君と甲賀君。あの2人絶対付き合ってるよとか、噂になってたし。でも甲賀君の方は普通に女の人と付き合いあるみたいだから、皆本気にはしてないけど……」
彼女はちらりといまだに彼女の言葉を信じようとしていない翔を見て、口角を上げた。
「甲賀君といると、ドキドキしたりしない?」
ぎくりと身を竦めると、彼女はまた苦笑を浮かべる。
「じゃ、女の子といるのを見ると苛々したり、自分のところに帰ってくるとホッとしたりしない?」
まるで自分の心を読んでいるかのような彼女の指摘に翔は素直に頷く。
「後、妙に触りたくなったり、キスしたくなったりしない?」
その問いに頷くことは出来なかったが、僅かに翔の頬が赤くなったのを見て、彼女は口を開いた。
「ね、日向君、それが恋って言うの」
恋という言葉は良く耳にするが、その言葉の意味を初めて理解出来るのは、恐らく初めて恋をした時だろう。
恋、これが、恋。思わず自分の胸を擦った翔は、その胸が通常よりも早く鼓動している事に、彼女の言葉を飲み込むしか出来なかった。頭ではまだ理解出来ていなかったが、体の方は素直だ。
「そっか……」
最近の奇妙な自分の状態に翔は納得し、安堵の息を漏らす。彼がその正体を見つけられたことに、彼女は満足していた。
妙にスッキリした顔で「じゃあねー!」と手を振って去っていく彼女には、茫然と手を振り返すしかない。
「おー、日向どうだった?」
教室に戻ってくると、そこにはいつもの仲間が揃っていた。勿論、そこには克己がいる。どきりと馬鹿正直に反応してしまう心臓に、落ち着け、と心の中で言い聞かせた。
「どうって、何でもない」
「何だ、振ったの?」
勿体なーいと正紀は続けるが、まさか自分が親友に恋をしていることを見越しての告白だったなんて言える訳がない。
恋というのは翔とっては未開の感情だった。もう、これは自分一人ではどうにも出来ない。それならば、親しい友人に相談をした方がいいだろう……とは思うが、一番親しい克己がその対象で、相談するわけにはいかない。かといって、正紀も彼曰くあまり恋愛を経験したことは無いようだ。遠也も頭は良いがそうしたことには興味がないだろうし、大志には克己が好きだとは言い難い。
と、なると。
翔の視線の先には、正紀の隣りにいるいずるがいた。彼は一癖あるが、この程度のことでは動じなさそうだし、恋愛経験もそれなりにありそうだ。
「次は移動教室だぞー」
日直の案内に、クラスメイトが次々に立ち上がり、教室から出て行く。それは友人達も同じで、正紀が先に立ち上がり、克己も彼と何か話しているようで、彼の後に続いていた。丁度良く最後に立ち上がったいずるの袖を軽く引っ張ると、彼は首だけで振り返る。
「日向?」
「なぁ、矢吹、ちょっと後で話があるんだけど、良いか?」
小声で言ったからか、いずるも翔が自分だけに話したいことだと察したらしい。
「良いけど、いつだ?」
「矢吹の都合の良い時で良いんだけど……」
しかし、問題なのは場所だった。いずるとは親しいが、あまり2人きりで話したりしたことはない。いずるは正紀と特に仲が良く、彼と2人でいることが多い所為だろう。となると、いずると2人きりになれる場所、更に言えばあまり人が来ない場所というと翔は思いつかない。
「解かった。じゃ、放課後だな」
いずるがあっさりと承諾してくれたことにホッとし、翔も安堵の笑みを浮かべる。その瞬間だけ、何となく振り返った正紀が見ていたことに、気付くことも無く。
「あれ。珍しいな」
その正紀の少し驚いたような声に、克己も2人を振り返り、久々に満面の笑みを浮かべている翔を目に入れていた事にも、翔は気付いていなかった。
いずるが選んだ場所は、彼が良く来る弓道場だった。正紀も遊びに来る時があるが、今日は遠慮してもらったと言われ、何だか恐縮してしまう。
「悪いな」
「気にするな。それより、珍しいな、俺に話なんて」
人のいない弓道場の中は翔が望んだとおりの環境だった。いずるが徹底して彼の望みを叶えたのは、翔が自分に何か話そうとするのが初めてだったからだ。普段なら、克己や遠也を相談相手として選ぶだろう翔が、何故か自分を選んだ。その内容はそれなりのものなのだろうし、自分を選んだ理由もそれなりにあるのだろう。そう考えてしまうと、親身にならざるを得ない。
早速話を進めようとするいずるに、翔は一瞬沈黙したが、意を決して口を開いた。
「なんか、最近アイツを見るとドキドキしたりちゅーしたくなったりするんだけど、これって恋か?」
「は?」
早口だったが、翔がいずるが予想していなかった事を口にしたことは間違いない。そしてその正直すぎる言葉を告げた翔の顔が紅潮している辺り、自分のその言葉の解釈も間違ってはいないだろう。
「恋……なんじゃないでしょうか?」
「そうか」
翔はやっぱりそうか、と納得して気難しい顔になり、腕組みまで始める。あまり恋をしている男の表情には見えないが、彼は間違いなく恋をしているようだった。
「何だ、今日の告白を断わったのは好きな相手がいるからだったんだな」
「……一応、そうなるな」
本当は告白相手から指摘されて初めて気付いたなんて言えない。若干言葉を濁して答えた翔に、いずるは矢張りそれ程驚くことも無く「へぇー」と間延びした声を上げた。その声を上げている間、いずるは自分の中の疑問をいくつか解消していた。恋の相談なら、確かにあまり人がいないところが良いし、あの天才佐木遠也も色事に関しては良いアドバイスをあげられないだろう。しかし、まだ全ての疑問が消化出来たわけではない。と、いうことは、翔はまだ自分に言いたいことがあるはずだ。
「で、相手は?」
先ほどの問いではアイツと代名詞を使っていた。そうこちらから問うと、翔の顔が赤くなる。正に恋をしている顔だ。
「それが、さぁ……」
翔の上げられていた顔が徐々に項垂れていく様をいずるが見つめていると、その視線には逃げられないと判断したのか、翔は小声で答えた。
「克己、なんだよなぁ」
何か面白いことになってる。
翔の答えを聞いていずるが真っ先に思ったのはそれだった。流石にそれを口にしたら翔はもう二度と自分を頼ってこないだろうということが見えていたから、口にはしなかったが。
そして、彼の答えで全ての疑問が消えた。確かに消去法でいけば、自分にしか相談出来ない。克己本人に言うわけにもいかないだろう、遠也に言えば、翔はそこまで考えたわけではないだろうが、きっと克己が殴られる。正紀や大志は心臓に悪い反応をしそうだ。それならば、あまり動じなさそうな自分、だろう。
「そうか。甲賀は格好いいしな、強いし、頼りになるし、優しい」
心の中で日向だけにな、と付け足しながらも、翔が克己を好きになったのはそれほど不自然ではないと納得していた。
「俺、どうしたら良いかな」
どことなくしょんぼりした翔が言いたいことは解かる。告白して友人を失うか、友人を得て恋を捨てるか、という悩みを抱いているのだろう。が、いずるは克己の顔を思い出し、思わず言ってしまった。
「告白したら良いんじゃないか」
「は!?待てよ、何でそんな急に!無理だって!俺男だし、今まで友達だったのに!」
翔の中に告白という選択肢は無かったが、突然それを口にしたいずるの考えは全く読めない。肩をいからせて否定した翔に、いずるは首を傾げた。
「や、多分振られないと思うけどな」
「馬鹿言うな、振られるに決まってる。そしたら友達でだって、いられなくなる」
その事を思うと、苦しくてしょうがなかった。じわりと涙を目尻に浮かべた翔に、いずるは慌てて手を伸ばしてその頭を撫でた。
しかし、いずるから見ればあの克己がこの翔をあっさりと振るとは到底思えなかった。彼が一番大切にしているのは、この日向翔だ。それは傍から見ていれば良く解かるもので、女子よりも翔との時間を一番に思っていそうなあの男が、涙を溜めて好きだと訴える翔を突き放すだろうか。そんなビジョンは全くいずるの頭に浮かばなかった。むしろ、歓喜する克己の姿を思い浮かべた方がしっくり来る。
しかし、翔の頭の中には冷たく突き放されるビジョンが生々しく浮かんでいるらしかった。
「矢吹だって、いきなり俺に好きだって言われて無理矢理キスしたり抱き締められたり体触られたりされたら泣くだろ!」
「いや、それはそれで面白……って何だそれ、ねぇよ」
翔の頭の中では、克己が無理矢理彼にキスされたり抱き締められて咽び泣いているらしく、その想像力の方にむしろ驚かされた。
「じゃあ日向はどうしたいんだ?」
「友達を失いたくない。でも、どうしても色々苦しい」
無意識か、翔は胸を押さえて眉間を寄せる。つまり、この数日彼は色々と苦しかったらしい。その気持ちは解からないでもない。
「ああー、なるほどな。因みに本音は」
「アイツ押し倒してちゅーしたい」
胸を押さえていた手を拳に変えて強く訴える翔は、思春期の少年として真っ当な欲望を即答する。
だから押し倒してやれって、多分喜ぶから。
思わずそう言いそうになった口を手で押さえ、いずるはしばし考える振りをした。完全に振りだった。頭の中にはすでに、自分がどう行動すれば良いのかというビジョンが出来上がっていたから。
「……なら、そうだなぁ」
彼が手で覆った口が、楽しげに歪められていたことなど、翔は気付きもしなかった。
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