ぼんやりと少々重みのある目蓋をあげると、目の前に克己の顔がある。ああ、そういえば俺昨日こいつと一緒に寝たんだっけ、と思い出し、もう一度目を閉じる。が、その時に「……ん?」と怪訝な声が近くで聞こえてきた。どうやら友人が起きたようだ。無理矢理目蓋を上げると、目の端が軽い痛みを訴えてきた。
「……翔?」
身を起こそうとした克己は、どうやら頭痛に襲われたらしく、その頭を反射的に押さえていた。昨日の酒の量は流石の克己も二日酔いになるくらいだったようだ。
「すっげ飲んでたしな、お前」
ベッドの主である克己が起きたのなら自分も起きなければ、と翔も欠伸をしながら身を起こし、時計を見た。14時20分。休みにしてもありえない時間だった。
自分の服装を見れば、寝る前に着ていた服ではなく、克己の服を着せられていた。どうやら自分が寝てしまった後に彼が着替えをしてくれたらしい。それに礼を言おうと振り返ると、克己が頭痛に耐えているにしては少々オーバーに見えるほど、顔を顰めていた。
「克己?」
「……お前、何で俺と寝ていた?」
ん?
不思議な問いに、翔は首を傾げる。
「何お前、もしかして昨日の記憶無いのか」
「篠田と飲んでいた辺りまでならある、が……もしかして俺、お前に何か」
「ほぉぉおおぉ」
思わず上げてしまった声に、克己がしまったと言いたげな顔になったのは面白かった。にこりと満面の笑みを向けて、軽く手を上げる。
「別に覚えてないなら俺はそれでいいぞ」
「何?」
「そうかー、覚えてないのか。あっはっはっは」
そっちの方が自分にとっても好都合だな。
昨晩の自分の痴態を思い出し、翔は密かに心の中で呟いた。
まさか友人の前で自慰をするわけにもいかず、克己に続きを懇願したは良いものの、出すものを出せばそれまでの酒量と純粋な眠気に負け、意識はブラックアウト、そして今に至る。そんな記憶を思い出されては、男としてのプライドに関わる気がした。
「大したことじゃない、酔っ払ったお前が俺をぬいぐるみみたいにぎゅーぎゅー抱き締めて離さなくてそのまま寝ただけだ」
罪悪感も何も無い嘘というのがここまで吐きやすいものだとは。
心の中で乾いた笑いを漏らしながら、翔は自分のベッドに戻り、整えられていたブランケットの中に潜り込む。冷たいベッドの中は火照った体には気持ち良い。あっさりと夢の中に引き戻された翔を追いかけるように克己が呼ぶが、目を開けることは出来なかった。
あれから、特に何も変わらない日常を送る予定だったのだけれど。
「甲賀、呼び出し」
翔が教室で克己と他愛も無い話をしていると、正紀がやってきて、扉の方を指差した。克己も翔もほぼ同時にその方向を見れば、女子が数人、一人は恥ずかしそうに、そんな彼女を勇気付けるように肩を抱いている少女達の姿がある。そんな様子に、呼び出しの内容くらいは翔でも察せる。いつもの光景だった。
無言で立ち上がり、友人2人に背を向けた克己を正紀は見送り、そしてその背が教室の外へと出た時にため息を吐く、と
「……何で克己あんなにモテるんだろ」
いつもの正紀の嘆きを先に呟いたのは、意外なことに翔だった。それに少々驚かされながら、正紀も
「格好良い……からだろ?」
普段翔が言う言葉を口にすると、当の本人からバツの悪そうな視線を貰った。
「そりゃ、知ってるけどさ」
「おやおやおやおやー?日向くーん?」
翔の変化に正紀はにやにやと笑い始め、それに翔は「なんだよ」と居心地が悪そうに一歩引いた。そんな反応で、正紀は悟る。とうとう日向翔にも、男のプライドというものが築かれたのだと。
「いやいや、成長したな、俺のおかげだ!」
「何でそうなる!」
「だって、甲賀モテるの嫌なんだろ?」
「い、嫌だけど……」
「見ててなーんかモヤモヤするんだろう?」
「するけど……」
「それはつまりあれだ、俺たち男に共通するモテる男へのやっかみだ、嫉妬だ、苛立ちだー!!」
新しい仲間を手に入れた正紀は歓声を上げて翔の細い背をばしばしと叩く。それを受けつつ、翔は何もいえなかった。言う気も起きなかった。
「日向も男だったんだなー」
どすりと正紀の太い腕が肩に回された時は思わずため息を吐いてしまったが。
本当に、そうなんだろうか。
教室の扉の前で女子に断わりを告げている背に視線をやり、翔はいまだに落ち着かない感情を持て余していた。
自分は、友人が極端に女の子に人気がある事に、今まで何も思わなかった。なのに最近は妙に嫌な気分になる。それどころか、あの日あの瞬間で終わるだろうと思ったあの奇妙な動悸は収まることがなかった。
克己は勿論普段どおりだ。覚えていないのだから、当然かも知れないが。例え覚えていても、普段どおりだったろう。特に自分達の間に、今までの関係を揺るがすようなことは何も無かったのだから。
無かった、はずだ。
じっと克己の背を見ていると、視線に気付いたのか不意に彼が振り返る。予想していなかった彼の動きに、また心臓が一瞬止まった。ぱちぱちと瞬きをして動揺を抑えようとすると、克己が僅かに口角を上げる。「待たせて悪いな」そう彼の口が動いたように見えた。
「し、しのだっ!」
「んあ?どーした、ひゅ……」
「俺、病気かも!ちょっと遠也のところに行ってくる!」
「はぁ?ちょ、大丈夫か?」
正紀の問いかけに答える余裕は無かった。克己がいる扉とは違う扉に走り、翔は廊下に飛び出し、遠也がいるだろう化学準備室に急ぐ。しかし、あまりの事に長く走ることが出来ず廊下を曲がってすぐ壁に背を預け、まず顔に両手をあて、その熱さに更に動揺する。
「なんだよこれ……」
もう、その場にへたり込むしかなかった。とくりとくりと身を縮めると自分の心音がよく聞こえる。
教室から出る直前に見たのは、少し驚きつつも心配そうな正紀の顔と、単純に驚いているクラスメイトの顔。それと、克己。
「心臓、すげ……」
お終い
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