05 その隣
 
「大丈夫なのかよ、日向」
 その日の夕食中に同じ班のクラスメイト達に心配され、カツフライを食べつつ頷いた。回りも翔の実力は知っているから、そう心配はしていないようだが、やはり不安は残るようで。
「それにしても、海の奴等ぜってぇ俺達のこと舐めてかかってるよな!」
「日向、絶対負けるなよ!これやるからしっかり体力付けろ!」
 そう言い、一人が昼食についてきた牛乳を翔の前に差し出すと、周りもそれに便乗して昼食の何かを翔の皿に置き始めた。
「プリンやるから!」
「ハムやるから!」
「にんじんやるから!」
 しまいにはそれお前喰いたくないだけなんじゃないのかというものになっていたが、まぁ、いい。
「大丈夫なの?」
 隣りに座っていた田中が心配げに首を傾げた。田中は遠也の次にクラスで身長が低く、顔がアザラシの赤ちゃんにどことなく似ているため、たまにゴマちゃんゴマちゃん呼ばれている。
「大丈夫……だから遠也とか克己には内緒な?」
 別な班にいる彼らに心配はかけたくなかった……というか知られたくなかった。また変な厄介事に巻き込まれて、と呆れられるに決まっている。
 今日はまだ彼らの姿を見かけていないが、海の生徒の囁きで、1年の2班に凄いヤツがいる、という会話は耳にしていた。2班ならきっと克己のことだ。彼は賞賛の声、対して自分は……と考えると少し頭が痛い。
 正直、勝てる自信は半々くらいだ。相手は自分を見た目で判断して、油断をしている。そこを上手く利用すれば勝てると思う。負けるわけにはいかない。
 負けたときのことを考えると手が震えそうになるが、どうにかそれを堪えた。勝つことだけを考えていれば良い。
 日時は後々のことを考えて、訓練に支障が出ないように終了日の前の日の夕飯前となった。それまで精一杯体力つけておこう。
 白米を一気に口の中にかき込んで、翔は立ち上がる。
「じゃ、俺先に部屋戻ってるな、か」
 あ。
 思わずここにいない人物の名を呼びそうになり、口を噤む。そんな翔の不自然な行動に周りのきょとんとした目が集まった。それに笑って誤魔化し、慌てて食堂から出た。
 そういえば、この学校に来てから克己とこんなに長い時間離れて行動したのは始めてかもしれない。何だかんだ言って、三食はほぼ共に食べていたし、寝るときも同じ部屋だから勿論一緒。けれど今は違う。班が違うので寝る場所も違うし、行動時間、夕食を摂る時間帯も違う。だから、今日はまだ一度も顔を合わせていない。狭い艦だと思っていたが、意外と広いものだ。多分、こうしてフラフラ歩いていたら迷う。
 迷うのが恐ろしくて艦内は同じ道しか歩いていなかった。行動範囲が狭まれたこともあり、偶然会うということもない。
 今頃、何をしているんだろう、あそこらへん。ケンカとかしてないと良いけど。
 一日の訓練やら何やらで凝り固まった肩を回しながら、翔は苦笑する。そして不意に過ぎるのは、寂寥感。
 もし、あの時彼が隣りにいたらこんな変なことにはならなかったのかな、と考えて更にヘコんだ。
 いつも側にいる彼がいないだけで、こんなに隣りが淋しいなんて。
「おい。日向翔」
「へっ!?」
「何変な声出してるんだ」
 呆れたように言うのは、この間自分に例の勝負を申し込んできた張本人だった。確か名前を佐川統吾とかいっただろうか。
「……そんな警戒すんなよ。別に何もしねーし。ちょっと話あるんだけど」
 一歩後退した翔の警戒振りに彼は少し傷ついたように肩を落とした。そんな彼についていくと、甲板に出る。外はもう暗く、何もない海はただ黒くうねるだけだ。
「そんなに変な警戒はしなくて良いからな。例え君が負けたとしても、他のやつらに手は出させないから」
「え?」
 人がいないと確認してから統吾が言ったことに驚くと、相手はそれが心外だったようで何故か胸を張る。
「残念ながら俺は男に興味はありません!女顔でも無理無理絶対無理!」
「あ……はぁ、そーなんですか」
「だから、男が犯されてるところとか見るのもぜってぇ嫌なんだよな。んだから、他のヤツにアンタにそういう事させないから、それは安心して良い」
 生徒会からの命令だし、と付け足されてようやく翔も彼の言葉を信用した。少し安堵した相手の表情に統吾は意地悪く笑う。
「んま、でも残念だったな?俺に抱かれたとか女に言ったら羨ましがられただろうに」
 軽口を叩きながら彼は胸ポケットから飴玉を取り出し、口の中に放り込んだ。
「そんな羨望の眼差しいらねーって……別に俺だって男に抱かれる趣味ねぇし」
 そう答えつつ、何とも珍しい光景を見ていたら、いる?と飴を渡された。そういう意味ではなかったのだが、一応受け取っておく。同い年の男が飴を食べるなんて光景、久々に見たような気がする。
「甘いもの、好きなのか」
 だからついそんな事を聞いてしまう。が、相手は首を横に振った。
「別に好きって程好きじゃねーよ。今禁煙中なの」
 中学の終わりから吸い始めた煙草を久瀬に見咎められてから、口淋しくなった時に飴を放り込むことにしている。確かに、船の中で煙草の火の不始末なんてあったら一大事だ。特に禁止されているわけではないが、上司が意識的に煙草を好まないから生徒会に入った以上自分もそうするべきだと思った。
「うるっさい人がいるんだよー。煙草は体に悪いって顔見るたびに言われちゃあ止めないとだろ?」
「ああ、まぁ……そうだな。その人に言われて止めたのか」
「そいうことになる……な」
 そこで統吾はある事に気付いた。
 アレ?何であの人に言われた程度で煙草止めようとしてんだ、俺。
 その答えはしばらく考えていたが、見出せず少し苛々してしまい、口の中の飴を噛んだ。
「その人、佐川……くんにとって大切な人なんだな」
 けれど、翔の突然の言葉にはっと顔を上げる。
 大切な人?いや、まさか。
「そんなんじゃ、ねーけど……日向、お前女抱いた事ある?」
「は?」
 困惑しつつ、統吾は違う方向に話を変える。翔は何の脈絡もない話の展開に困惑していたが、統吾には意味のある方向転換だった。
 自分は女が好きだという認識のための。
「女は良いぞ。柔らかいし暖かいし、何より胸がある!」
「ああ……うん……そうですね」
 何なんだこの人。
 唖然としつつ、いきなり女性について語りだした男の話に付き合った。そんなに女性に飢えているのだろうか。まぁ、飢えているだろう。この船に女性はいない。
「だから、こう……入れた時のあの柔らかくて今にも壊れそうな感覚がほんと……!男相手にしたら無い感覚だ!」
「だーっ!そんな生々しい話は止めろ!!」
 慌てて耳を塞ぐが、何だか自分に言い聞かせているような彼はこちらの反応を気にしちゃいない。何度も男より良い、とか男より、と何故か男相手の時と比べている。一体何が言いたいんだかわからない。
 そんな時だった。
「佐川君!僕と勝負してください!」
 元気の良い声が2人の背を叩いたのは。




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