01 告白
「もうこれを機会に告白すればいいんじゃないか」
「そうだよ久瀬ちゃん。ウジウジ悩んでるより告った方が早いですよ」
「……それでさっさと振られれば良い」
最後の言葉を言ってくれたのは北條で、あまりにも冷たい友人の反応に泣きそうになったが、それを慌ててフォローしたのは相良の手だった。よしよしと頭を撫でられ、奏はどうにか気持ちを落ち着かせることが出来た。
「まぁ、奏。確かにいつまでもこうしてるわけにもいかないだろうから、今回の演習中に告白してしまえ。これ、会長命令だ!」
そう言って、相良は笑う。笑うな。
「ってかさぁ、久瀬ちゃん。例の勝負にかこつけて、佐川くんに勝負挑んで勝てばいいんじゃないかな」
成澤の提案には首を横に振った。久瀬は体術はそんなに得意な方でない上に、対する佐川は武道を嗜んでいる。それに
「全力で拒否されたら、絶対立ち直れない……」
友人達とのやり取りを思い出し、久瀬は艦内巡回中一人ため息を吐いた。
統吾が自分を好きになってくれる日は絶対に来ないと思っていたし、それが間違いではないことも良く知っている。彼は自他共に認める女好きだし、自分は嫌われている。
「エンジンの構造はー」
海の生徒が陸の生徒に説明しているところを覗くと、そこには統吾がいた。2年の補佐をしているのだろう。どことなく面倒臭そうにしているのが、なんとも彼らしい。
ああ、何であんなヤツ好きになったんだろう。
心の中で嘆きながら、その場に背をもたれていると、説明が終わり、自由見学の時間になったらしい。少し背後が騒がしくなった。統吾に気付かれる前に去らなくては、と壁から背を剥がしかけた、その時。
「日向くん、コイツが佐川統吾。さっき勝負して欲しいって言った相手」
この声は、志賀か?
慌てて振り返ると、そこには志賀と統吾、それと見知らぬ陸の生徒が困惑した面持ちで立っている。
「おい……志賀。何だよ、このチビ」
統吾はため息を吐いて自分を唖然と見上げる少年を見下した。紹介したいヤツがいると聴いていたが、こんな女顔の男を紹介されるとは思ってもみなかった。翔も翔で、まさか彼が本気で紹介したいと言っていた相手を連れてくるとは思わなかったのだ。しかも、昨日あんな場面を見た後にだ。
残念な事に、今回この艦内を行動するのに1クラス4班に分けられていて、あいうえお順の出席番号で組まれたその班で翔と気心の知れた友人はいなかった。けれど、1班はこ・さ・しの並びのおかげで克己と遠也と正紀が同じ班というある意味恐怖な班になっている。寝る場所もその班に分けられているから、彼らはこの1週間共に過ごさなければいけない。それを心配している暇は自分には無かったようだ。
「チビじゃねぇ……」
小声で呟くと相手は「あぁ?」と馬鹿にしたように聞き返してくる。それにイラッときた。けれど、相手は小声での反抗に呆れたため息を吐く。
「こんなヤツ、勝負にも何もなんねーよ。だからと言って男を抱くのもカンベンだ。嫌だね」
統吾は初めて見る陸の生徒の体格を鼻で笑い、お話にならないと口角を上げる。
「あれ?統吾ってば、もしかして勝つ自信も気持ちよくさせてやる自信もないってことか?」
そんな彼に志賀はため息を吐き、わざと友人が苛立つような言葉を投げつけた。
「……何言ってんだ、志賀。こんなん相手に俺が負ける訳ねぇだろ」
「こんなん!?」
「チビ」の次は「こんなん」かよ!
流石の翔も統吾の言葉に我慢出来ず、眉間を寄せた。それを見た同じクラスの田中が慌てて翔の腕を引いたが、もう遅い。
「チビとかこんなんとかさっきから黙って聞いてりゃなぁ……!」
「間違ってるってのか?」
翔が怒りを露わにしたのを統吾は嘲笑う。どう見ても自分に敵う相手ではない。そう確信していた。
けれど、翔も海の領内で怒りを見せてしまった失態に気付き、すぐ握っていた拳を下した。ここで怒った方が大人げ無い。
「……勝負なんてしない。まぁ、したとしても負けるつもりはないけど、こんな下手そうな男に抱かれるなんて絶対嫌だ」
とりあえず、変な相手に絡まれたらすぐに手は出さないでこう言えば良い。
いずるから教えてもらっていた言葉を連ねると、統吾の表情が固まる。
「下手そう?俺が?」
口元を引き攣らせた百戦錬磨の男のプライドは傷つけられた。
「顔だって、もっと格好良い奴、陸には沢山いるしな!」
これは言われたら絶対海の奴等プライド傷つくよーといずるは黒い笑みを浮かべていた。言うつもりは無かったが、苛々していた感情がこれを言わせた。
「いっつも土まみれで、どいつが格好良いなんて見分けつくのかよ」
統吾がそういうと、海の生徒達がいっせいに笑いだす。それにクラスメイト達も不快な表情になり始めた。
「……少なくとも、俺の友達は初対面の相手にチビとかこんなんなんて言わない」
ギッと気の強い眼で睨まれ、統吾はハッと自分の口に手をやっていた。そういえば、前に自分は生徒会長にお前は少し言葉が乱暴だと諌められたことがある。
失敗だった。
これは確実に自分の方が悪かった、と思った瞬間に翔に対する怒りが冷えていった。
けれど周りは燃え始めた火はなかなかおさまらないらしく、陸の生徒に対する野次が止まない。
しまった、こうならない為に生徒会という立場があったのに。
「おい、お前、日向っつったな」
「何だよ」
「そういうなら、本気の勝負、しよう」
「……え?」
「お前が負けたら……そうだな」
抱く、という選択肢は統吾の頭の中にはなかった。別にこんな相手を抱いたところで満足出来るとは思えない。甲板掃除を一人で、とかそんなものが頭の中に浮かんでいた。が
「俺らの好きにさせてもらうってのはどーよ」
隣りにいた2年生が統吾の言葉を遮った。
「先輩!?」
「俺らも貶されてるんだぞ?それくらいさせて貰わないとなぁ?」
おいおい、本気かよ。
統吾は上級生に物申すことは出来ず、ただこの無茶な条件を陸の生徒が跳ね付けることだけを願った。
「……な、日向やめときなよー……」
クラスメイトに腕を引かれる翔の姿に、「逃げんのかよ」と周りは逃げ道を塞ぐ。だから、翔はこう言うしかない。
「やる。じゃあ、俺が勝ったらここにいる海の皆さんで俺らが任された甲板掃除、お願いします」
馬鹿だな。
翔の返事に統吾は頭を抱えそうになった。絶対会長に怒られる。勝負、という時点までならまだいい、問題はその後の彼だ。
けれど、周りは翔のその返事に色めきだち、すでに勝った気分だ。
ああ、どうしよう。志賀を見ても彼も肩を竦めるだけ。ここを収めるのが生徒会役員である自分の役目なんだろうに。
「……何の、騒ぎですか。騒がしい」
けれど、その盛り上がりはその冷たい声で消えた。統吾がその声の方向を振り返ると、口を利きたくないと思っていた彼がそこで呆れた目で立っている。
「変な見栄の張り合いは止めろ。それに今はまだ休み時間ではないはずですが?」
低い声での叱咤に海の生徒達はそそくさと自分の持ち場へと戻っていく。一瞬にして元通りになったその光景に統吾はほっと息を吐く間もなく久瀬に顎で呼ばれた。いつもはここで苛立ちを覚えるのだが、今日はもうそれに従うしかない。
「何をやっているんだ……」
別な部屋で久瀬に嘆かれ、顔を上げることも出来ない。
流石だ、としか言いようがなかった。久瀬の一声で生徒達の騒ぎが一瞬にして止んだ。自分では出来ない芸当だ。
「……すみません」
「陸との仲を取り持ってこその生徒会。それを、貴方は……」
「……反省、してます」
本当に心の底から反省しているらしい統吾に、久瀬もそれ以上は何も言えなかった。勝負も相手はあの条件で了承しているから、こちらが何か口を出せる事でもない。
「まぁ、いいですけど……でも、まさか貴方が男もいける人だったとは。俺はてっきり女だけかと」
「は?な……俺は男は抱かねーよ!」
何を言われたのかすぐに理解した統吾は顔を上げ、叫んだ。殊勝な彼など気持ちが悪くてしょうがない。これくらいが丁度良い。
「彼、可愛い子じゃないですか。良かったですね」
「抱かねーって言って……ああ、も……」
まだからかい続ける彼に、頭を掻き毟っていた統吾ははた、と視線を久瀬に留め、じっと彼を見つめる。その視線に、久瀬も何か嫌な予感がし、一歩後退した。
「何ですか」
「そういえば、久瀬さんも男に抱かれたか、抱いたことがあるってこと……だよな。あんた俺の先輩だし」
「……は?」
突然、何を言い始める!
正直な話、久瀬はそうした経験がない。ずっと逃げ切っていたのだ。たまに友人である相良達の手を借りながら。勿論、女性相手の経験もないのだ。多分これは彼に知られては大笑いをされる。
けれど、にやりと笑った統吾がそんな久瀬の動揺を知るわけもなく。
「どうだった?気持ち良いもん?」
「な……知るかっ!」
「ちょ。久瀬さん顔真っ赤なんだけど」
「上司をからかうのは止めろ」
くすくすと笑う統吾の顔面に手に持っていたノートを叩きつけ、ため息を一つ。そのまま部屋から出ようとしたところを統吾が止めた。顔面に叩きつけられたノートを手に、彼は苦笑を浮かべる。
「久瀬さん、ごめん」
からかってきた事に対してへの謝罪だと思ったのか、久瀬はふいっと顔を横に逸らした。けれど、今のはそれに対する謝罪じゃない。
「あんた、すげーよ。一言であの場収めちゃうなんてさ。俺じゃ無理だった。ありがと」
本当は最初から分かっていた。彼が、そんなに悪い人間じゃないということくらい。
「貴方に礼を言われる筋合いは無いですけど」
ただ、こういうツンケンした相手に接するのが初めてで、どうすればいいのか自分でも戸惑っていただけ。
「ちょっと反省してるんだから、良いだろ……あの子との勝負は本気でやる。多分、勝つ。でもその後のことは俺に任してくんねぇかな。不味いことにはならないようにするから」
「……わかった」
「それと、もう一つ」
指を一本立てて、統吾はにこにこと笑い彼に近付き、ノートを持ち主に渡すついでに彼の耳元で囁く。
「あんたがどうかは知らないけど、俺はあんたのこと嫌いじゃないよ」
色々知っている、本当は。
彼が、部下の会計報告書をちゃんと見て考えて判断してることとか、それに徹夜する日もあることとか、生徒の要望に答えるべく、頭を悩ましていることも。
尊敬できる相手だからこそ、ぶつかりたい。そう思っていた。
じゃあ、と先に出て行った後輩を見送ってから、久瀬はその場にへたり込んだ。あそこで足の力が抜けなかったのは奇跡だと思う。
「うそ……」
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