真っ白い雪が徐々に紅くなっていくのは見間違いじゃない。
激しい腕の痛みに息を呑んだのは翔の方だった。
「翔!」
頭の中が熱くて克己の声がぼんやりとしか聞こえない。
「克己、逃げ・・・・・・ってア、レ?」
ふと後ろを振り返ったら彼の姿は無く、そこにあったのは急斜面。山だから、それは大して不思議じゃない風景だが。
もしかして克己を庇って突き飛ばした先が・・・・・・。
「か、克己!」
慌ててその斜面の下のほうを覗きこんだけれど、途中に生えている木々のおかげで下まで見ることは出来ない。
ヤバイどうしよう。
『仲間を逃がしたか・・・・・・ま、いいか』
す、と首元に冷たい物が触れ、振り返ったそこには敵しかいない。
『一緒に来てもらうよ』



「何でお前が来るかなぁ・・・・・・」
ブツブツと隣りで文句を言う本上に翔は言い返す気力も無かった。怠い上に負わされた傷が痛い。ぼろぼろの翔を本上は不満げな顔で迎えてくれた。
本上と共に柱に拘束されている翔を、覆面の男達がチラチラと見る。
『お前・・・・・・怪我をさせるなと言っただろう!』
その一人が翔をここまで連れてきた男を叱咤していた。怒られている男の方も、故意の傷では無いと言い訳をしている。
『それに、その子じゃなくて別な方を狙っていたんだ』
そんな仲間にリーダー格だったらしいその男は頭を押さえ、肩から力を抜いていた。
『もう良い。それぞれ配置につけ』
彼は周りにそう指示をし、かつかつと翔の方に足を進めてくる。しかも、かなりの早足で。
え、何?何?
驚いて思わず自由になる足を引き寄せてガードをしていたが、彼は手袋を取りそっと翔の額に触れた。
その手の冷たさはどこかで、覚えがある。
『矢張り、熱があるな・・・・・・暴れないと、約束していただけますか?』
「え?」
翔が頷くより先に、彼は翔と柱を結ぶ縄を切り裂いた。
「ちょ、え、何で!?僕は!?」
それを見てギャアギャアと喚く本上を尻目に、覆面の男は翔の腕の傷の状態を確かめる。その手付きは心なしか丁寧で、優しい。
『すみませんでした。怪我をさせずに捕まえるように言っていたのですが、どうにもブラウンはこちらのいう事を聞かない人間なので』
自分を捕まえたのはブラウンという名前らしい。多分偽名だろうが。
「あ、いえ・・・・・・かすり傷だと思うし」
何故か、彼に対して恐怖というものは感じず、ただ恐縮してしまう。
『傷の手当をします。一応解熱の方も努力しますが、これから傷を負ったこともあり、熱は上がると思います。何かあったら、近くに人を置いておきますので、彼に言って俺を呼んでください』
「貴方は、一体・・・・・・」
『ブラック、と呼ばれています』
彼は自分の名前を告げ、うやうやしく礼をした。

「アイツ、お前に惚れたんじゃないの?丁寧に手当てなんてされちゃってさ」
傷の手当を終えて再び柱にくくりつけられた後に本上がからかうように言ってきた。彼は自分が散々な扱いを受けていたのに、翔が何故か待遇が良い事に少し憤慨しているようだ。
彼、ブラックの言うとおり段々体がだるくなって来た。熱が上昇してきたらしい。けれど、傷の痛みはもう殆ど無かった。
あの包帯の巻き方、手付き、どこかで見覚えがあるような。
「そんなんじゃ、ない・・・・・・・」



翔と初めて出会ったのは確か、小学校の時だ。
初めて見た時女かと思って笑顔を向けられた時はそりゃあガキながらもドキドキしたものだ。そこら辺の同年齢の女子よりずっと可愛くて、そしてその頃はわからなかったけれど、儚げと言ってもいい空気を纏っていた。
けれど、性格の方はまったくもって外見と違い男らしいもので、すぐに彼が同性だと気付かされる。周りには面白おかしく語ってみたけれど、初めて共に一夜を過ごしたあの日に気付いたのは彼の性別などではなく、彼への自分の気持ち。この子を守ってあげたい。それが恋なのかどうかも、正直今でも解からない。
ただ、あの甲賀克己という人間が現れて、今まで近すぎず遠すぎずだった関係に変化が欲しくなったのは確か。佐木遠也が彼の近くに居るようになった時は、こんな焦燥は感じなかったのに。
俺の方が、アイツと付き合いが長いんだぞ、と克己に叫んでしまいたくなる衝動を堪えて堪えて、今に至る。
「木戸君」
「静かに」
先程は敵に阻まれたが、今度は人の居ないところを見計らって遺跡の中に入ることが出来た。最初は人一人が通るのがやっとだった道も、段々と奥に進むにつれて広くなり、今では二人並んで歩いても余裕があるくらい広いと思う。
中村はジミーを探したがっていたが、入り口辺りにその蛇の姿は無かった。彼を放っておいて敵に見つかりでもしたら困る。そう思って嫌がる彼を引きずるようにして遺跡の中に来た。
そして、その遺跡の中はなんと言うか、何も見えない。何となく頭をぶつける回数が少なくなった為、広くなっていることは感じるのだが・・・・・・。
「木戸君、怖いよぅ・・・・・・」
俺は毒蛇飼いならしてるお前の方が怖いよ。
腰に引っ付いてくる中村に心の中で毒づきながら、木戸は足を進めていた。
一本道のはずだから、迷うことはないだろう。というか、この暗がりで迷ったら死活問題だ。そんな事を考えつつ歩いていたら、遠くから声が聞こえた。
『氷の女王、発見!!』
と、いう声が。


こおりのじょおうはっけん。


そんな声が聞こえてきて、翔は眼を開けた。
しばらく気絶していたのか、それとも眠っていたのか、彼に手当てをされてからの記憶が無い。
背中で縛られている手を動かすと、冷たい感触に触れる。腰に差していたナイフだ。
思い通りに動かない手をどうにか動かしてナイフを抜き、ロープを切ろうとしていたら何かゴツリと奇妙な手ごたえがあった。柱の一部分がヘコんだような・・・・・・気のせいだろうか。その部分を手で探ると小石のような冷たい存在がある。武器になるかと思い、それが何か確認もしないでポケットの中に忍ばせた。
「おい、本上」
「なんだよ・・・・・・」
顔が見えないけれど、どこか不満げな声に苦笑する。それだけ元気なら、大丈夫か。
「ロープ切るから、逃げろ」
「え、お前は?」
「俺は、アイツの注意を引く。でも、なるべく早く行けよ、俺もいつまで持つかわからないから。それで、爆弾のことをみんなに伝えてくれ」
あの男が言ったとおり、熱が上がり今は腕を動かすのも億劫だ。けれど、きっと自分達を助けにくるだろう仲間に爆弾の存在を伝えなければ。氷の女王が発見されたとなると、後はこの遺跡を壊して終わりだ。
ここにいる男はネイビーという名前だった。恐らく偽名だろうが。さっきまでスカイというヤツと二人で見張っていたけれど、スカイが「俺も外に出る」と言って出て行った。彼が帰って来る前に本上を逃がした方が良い。自分では、この体では逃げ切れない。
自分のロープを切ってからナイフを素早く本上の手に握らせた。しばらくして「切った」という小さな声。
「俺が合図したら、走れよ」
そう本上に告げて、背中を向けている男に向かって飛びついた。体はいつもよりずっと重い。
『何だ!?』
驚いた男は翔を振り返り、自由になっている体に一瞬息を呑んだようだ。その隙を突いて、男の体を思い切り突き飛ばす。渾身の力でのアタックに男は対処する間もなく冷たい床に転がる。
「本上!」
翔のその声に弾かれたように彼は立ち上がり、走り出す。その意図に気付いた男は慌てて銃を握り本上に標準をあわせようとしたが、それを男の腕に抱きついて翔が止める。
『クソガキ!』
ガッという音と共に天地が揺れたような気がした。
銃で殴られた頭は酷く痛んだが、熱がある頭は元々痛みを訴えていたから、状況は大して変わりが無い。
ピー、という笛の音をぼんやり聴きながら今度は翔が床に倒れる。仲間に人質が逃げたという知らせだろう。用意周到だ。
『全く、舐めた真似しやがって!』
男はそう言い捨てながら苦しげな翔の顔を覗きこんだ。薄く眼を開けると、視界が男の覆面の色で埋め尽くされる。
『くそ、殴っちまった。キズモノは価値が下がるんだよな』
何だ、何の事を言っている。
力を振り絞って身を起こそうとしたら肩を踏まれ後頭部を床に叩きつける羽目になる。
『あぁ?売り飛ばすつもりだったんだよ。下手な宝石より高く売れるかも知れないからな!じゃなかったらボスが手当てなんかするかよ』
「売る・・・・・・?」
『ああ。お前らの顔だったら高く売れそうだったのに、一匹逃がしちまったじゃないか』
盗賊団という話しか聞いていない翔には初耳だった。そして、本部の情報不足を呪う。人身売買にこの盗賊団も一役買っていたなんて。
『でも安心しろよ。俺達の顧客は皆金持ちさ。お前の頑張り次第ではきっと今より良い生活を送れるぞ。国に奉仕するよりな』
もしかして、彼らは自分達が士官学校の人間だと気付いているのか。そんな空気を臭わせた台詞に翔はぐっと拳を握る。
誰かと戦わなくても良い生活。いきなり雪山に行かされなくて済む生活。ああ、確かにそれは夢のようだ。
でも、みんなと会えなくなるのは、嫌だなぁ。
ぼうっとした頭の中に浮かんだのは、いつものメンバーのいつもの笑顔。
あの人達に会えなくなるのは、辛い。
「そんなの、ぃやだ」
熱で頭の中が壊れてしまっているのか、急に巨大な悲しみの波が押し寄せてきてぽろぽろと眼から涙が零れ落ちる。
ただでさえ、今も彼が側にいないことが不安で仕方が無いと言うのに。それが一生会えなくなるとなったら、一体自分はどうなってしまうのだろう。
熱い脳はどろどろと暗い人生しか思い浮かばせてくれなくて、思わず懇願の眼で男を見上げていた。
『もう逃げられ無いようにしないとな』
観念したと思ったのか、男は取り出した手錠を今度は細い柱につけて、もう片方の方を翔の手につけた。これはナイフでは切れないから確かに逃げることは不可能だ。
くそ。
心の中で舌打ちしていると、男の足が視界に入った。何故、自分から遠ざからない?
気だるい動作で首を持ち上げると、
『噂の軍士官学校の生徒は、色仕掛けは履修に組み込まれていないのか』
そんな嫌な機械音が、残酷に昔は神聖な地であったろうこの場所に響いた。



「氷の女王が見つかったって・・・・・・!?」
木戸と中村の耳にもその声は届いていた。彼らは目的を達成した。その後どんな行動に出るか、セオリー通りなら、人質を殺害し遺跡を破壊・・・・・・少なくとも、人質を生かしておくようなことはしないだろう。
「木戸君」
同じことを考えたのか、中村も焦ったように自分を呼んでくる。
「急ごう」
変なヤツだけれど、本上を見殺しには出来ない。
そう足を進めていたら、明かりが正面に見えてきた。どうやら、敵がいる場所にたどり着いたらしい。
「中村、急げ!」
『お客様二名様ご案内、ってかぁ?』
けれど、そのあの変声機の声に木戸は足を止めた。
目の前にはあの覆面を被った男が二人、立っている。きっとその下は笑みが浮かんでいるに違いない。
『でも、ご退場してもらおうか。俺達の目的はもう果たされた。後はここを爆破して終わり。君たちも逃げた方が良い』
別な男がそう言いながら二人ににじり寄ってくる。
「爆破・・・・・・!?」
ああ、あまりにもお約束過ぎて泣けてくる。映画とかなら、主人公はどうせ生き残るんだろうとのんびり煎餅でも齧りながらみているシーンだが、今の状況、誰が主人公だか解からない。
「本上、俺達の仲間を返せ。それならすぐに俺達も帰る」
交渉するしかない。木戸の言葉を聞いた覆面の男二人はお互いの顔を見合わせ肩を竦める。
『悪いが、あの二人はここで遺跡と共に葬ることにした』
「葬るって・・・・・・っていうか、二人?」
一人多いことに木戸が気付き、驚愕に眼を見開く。それを男は鼻で笑った。
『ああ。あの女顔のヤツを捕獲したんでね』
翔のことだ。彼は克己が一緒にいるから大丈夫だと思ったのに。
ぎり、と奥歯を噛み締めた木戸を中村が不安げな眼で見る。
「日向を返せ」
『嫌だ、と言ったら?』
「無理矢理でも、通させてもらう」
す、とファイティングポーズをとった木戸に男も同じように構えた。
『アイツの計画は速やかで無駄が無いが、これくらいの戦闘の無駄は欲しかったんだよ』
その声はどこか楽しげで。
苛立ちを覚えた木戸から、動いた。
『やれやれ・・・・・・ま、じゃない。レッドは血の気が多いのがたまに傷だな』
拳で戦いあう二人をもう一人の覆面男はため息を吐きながらそれを眺めていた。ナイフも銃も持っていないから、片方が死ぬような戦闘にはならないだろう。
そんな時、じーっとこちらを見つめる視線に気付き、視線を上げると怯えた顔の中村がこちらの様子を伺っていた。
『俺達もやるか?』
拳を握って見せると、彼はぶんぶんと首を横に振る。お友達が居ないと戦闘には踏み切れないようだ。
やれやれ。
なかなかに良い勝負を眺めながら、男はため息を吐いた。
アイツが来たら、恐ろしいことになるんじゃないかと思いながら。



『流石軍学校の兵士様だな。男の勲章が沢山ある』
男の手で肌蹴させられた胸に皮の手袋をつけた指が這う。
『さっきはブラウンのヤツばかり良い思いをしていたからな』
もう何が何だか、熱に犯された頭はこの状況を確実に把握させてくれなかった。
でも、男の手にはナイフや銃が無い。きっと、自分を殺すようなことはしないはず。それだけは確かだ。
『白い肌していやがる・・・・・・東洋人は美しいと聞いていたが、なかなかに高く売れそうだ』
下卑た笑い声を漏らしながら男は手袋を外して太い指と毛むくじゃらの手を外気に晒した。その毛の色があからさまに同じ東洋人で無い事に初めて背筋が粟立った。
主に西洋系の人間は敵国に所属している。例外もいるが、それでも初めて対面する外国人に恐怖を覚える。
「嫌だ、離せ・・・・・・っ!」
拒否をしようとした手は手錠に繋がれていて、鎖がシャリと音を立てた。それでも、自由になる方の手で抵抗すれば、男の覆面が外れる。
現れた顔は昔どこかで見たことのあるような強面の西洋人。青い目が息を呑んだ自分を嘲笑う。
「大人しくしろ。商品に傷をつけたくない」
「嫌だ、離せ・・・・・・国際問題になるんじゃないのか、これ」
「バレたら、の話だけどな」
男の笑いは余裕たっぷりで、彼がこういう事に慣れているのだという証拠だ。
こんな男をどうにかする為の軍じゃないのか。
けれど、どうにも出来ない自分に愕然とするしかなかった。
どうしよう、どうしよう。
「ひっ」
冷えた男の手がぐりぐりと胸元をまさぐってきて無遠慮なその手付きに痛みを感じる。
まさか素手で殺されるのか、と思いその激痛を想像し目元が熱くなった。
『何をしている』
翔の皮膚に噛み付こうとしていた男を止めたのは、変声機から発せられた声だった。
驚いた男はすぐに振り返り、その正体を知りほっと息を吐き、翔はがっかりした。行為は停止されたが、状況は変わっていない。
「なんだ、スカイかよ・・・・・・驚かせやがって」
『お前に少年趣味があったとは、意外だな』
「俺も初めてだ。でも東洋人なんて男でも珍しいからな・・・・・・見てみろよ、なかなかだろう」
男は仲間に理解してもらおうと思っているのか、翔の方を指差し仲間から同調を得ようとする。スカイと呼ばれた仲間も、銃を下して翔に近寄ってきた。
『ああ、これは逸品だな』
「だろう?俺もお前も当分遊んで暮らせるぜ。その前に、どうだお前も、コイツで一発。ここんところお前も女と会って無いだろ?」
前言撤回、状況は悪くなる一方だ。
『でも、ソイツ熱があるんだろう?死んだりしないか?』
「大丈夫だって。むしろ感じやすくなっていいんじゃないか?」
よくねぇよ。
ああ、こんな大人がこの世にいるなんて、そりゃあこの世界終わってるよ、と思わず嘆いてしまっても仕方ないだろう。
本上は逃げ切れただろうか。・・・・・・克己と、会ったんだろうか。
ちりっとした痛みを胸に感じつつ、誰かの助けを待つしかない。
『なら、お言葉に甘えてやらさせてもらおうかな、一人で』
「はぁ?何でだよ。暴れるコイツを手錠で拘束したのは俺だぞ、大変だったんだからな!」
『さっきまで俺は外の見張りをやってて体冷えてるんだ。それに、お前人質一人取り逃がしたな?』
「う・・・・・・それは」
男は仲間の指摘に文句を飲み込み、好きにしろと肩を落とす。
それを鼻で笑ったスカイは翔に近寄ってきた。
『おい、お前コイツに何かしたか?』
「ああ?何か、ってちょっと胸揉んだくらいだ」
『揉んだ、ってな・・・・・・無い胸揉んでどうすんだ。胸が欲しいなら女相手にしろよ』
変声機の声が物凄く近いところにある。
眼を開けるのにも一苦労だったが、うっすら開けた視界にはあの覆面の男。それより少し離れたところで、あの西洋人が腕組みをしてこちらを眺めている。
「俺に、さわ、るな・・・・・・」
ようやくそれだけ言って、覆面の男を睨みつけた。相手が変わっただけで、事態は好転しない。
体の自由が利けば、こんな無様なことにはならなかったのに。
そんな自分を覆面の男はしばらく眺め、手袋をつけた手を伸ばしてきた。何をされるのか解からないその手にびくりと体を震わせていた、が彼の手が向かったのは、さっき負った腕の傷。そこはすでに手当てをして貰っていて、白い包帯が巻かれている。
『ごめんな』
こそりと小声で言われた謝罪が、一体何を示しているのか。
「おい、早くやれよ」
なかなか行動しない友人に痺れを切らしたのか、後ろからそんな声が飛んで来た。
『・・・・・・お前にじろじろ見られてたらやりにくいんだけど』
男は身を起こし、肩を竦めながらそう言う。それもそうかと思ったのか、相手はすぐにくるりとこちらに背を向けた。
「これでいいか?」
『ああ』
彼が背中を向けて初めて気付いたが、その腰には様々な銃器がぶら下がっていた。それを見た覆面の男は素早く翔の元に戻り、耳元でこそりと囁く。
『適当にそれっぽい声上げておいてくれ』
「え・・・・・・」
『さっき、本上が良いお手本を聞かせてくれただろ?』
覆面から覗いた黒い眼が微笑むのを見て、翔は今目の前にいるのが誰かすぐに察せた。
「か」
うっかり名前を呼ぼうとしたら、口を手で塞がれた。今のは完璧自分が悪い。こくこく頷いて了承を伝えると、彼はそっと手を離す。
『ああ、確かに、触り心地は最高だな・・・・・・』
そう、どこか恍惚とした響きをもつ台詞を言いながら彼は男の腰からゆっくりと銃を引き抜いた。
「だろ?次は東洋人を狙っていこうぜ」
男は、そんな事に気付きもせずに笑い声を上げる。
二丁目の銃も、あっさり克己の手によって取り上げられた。
『綺麗な体だ、真っ白で』
「き・・・・・・って、おまっ!」
演技で、更に声が変わっているというのに彼が克己だと知ると何だか気恥ずかしい。思わず声を上げると眼で咎められてしまった。
しまった、と思ったけれどもう遅い。
「?何だ、どうした」
振り返った男が見たのは、丁度仲間が人質の肌の感触を楽しんでいる光景だった。
『・・・・・・振り返るな、と言っただろう』
「ああ、悪い悪い。お前、覆面取ったら?その方がやりやすいと思うが」
『人質に顔を晒すなんて、素人のやることだな』
っていうか克己さん、何か今のはかなり素な受け答えな気がしますけど。
はん、と鼻で笑った友人に気を悪くしたのか、克己からは見えなかっただろうが、男の顔はむっとしたものになる。
「お前、俺より弱いくせにデカイ口叩くようになったなぁ?スカイ」
『・・・・・・いいから、早く向こうを向け。お前の順番が回る時間が遅くなるだけだ』
「何でそんなに偉そうなんだよ、えぇ?スカイ、今日という今日は」
やばい、口論がこのまま長続きしたら絶対ボロが出る。
さぁっと血の気が引いたからか、頭の熱さが一瞬だけ引いた。こういう時は、どうすればいいんだろう。
色々と今迄の授業内容を思い出したけれど、参考になりそうなものは何も無い。
えーと。
えーと。
「お、おねがいっ早く触って・・・・・・おれ、寒い、から・・・・・・あっためて」
寒いのは事実だ。熱があって悪寒がするのに、シャツ一枚な上に肌蹴られている。
吐く息が白いこの場所で、それはまさしく拷問だ。
だから、口論を始めそうになった目の前の人間の首に抱きついたのだ。ぎこちない捨て身の戦法だったが、いきなり態度を変えた翔に疑問を持たないわけがない。
『ああ、可哀想に。唇が紫色だぞ・・・・・・全く、お前は大事な商品を殺す気か?』
けれど克己がそれに乗ってきたから少し不自然さが消えたように聞こえた。
「あ?俺の所為かよ」
『当たり前だ。ほら、さっさとあっちを向け。流石に、見られるのは恥ずかしいよな?』
克己の言葉にこくりと頷くと男はため息を吐いて再びあちらを向いた。
「早く俺にも回せよー」
どうにか一難去ったらしい。
『何か、適当にな』
こそりと克己は耳元でそう言って再び男から武器を奪うのを再開した。適当に、と言われても何を言えば良いのやら。
「え、えと・・・・・・く、くすぐったい・・・・・・」
どうにか引き出した台詞は棒読み。本上のあの技量を分けて欲しいとこれ程思った瞬間は無い。
「おい、スカイー?お前実は下手なんじゃねぇの。やっぱ俺が代わりに」
くるりと男が振り返る。
さっきは翔の機転で場をしのげたが、今度は翔の演技力不足で崖っぷちに立たされた。慌てて翔を組み敷いた状態に戻った克己の反射神経はもう神レベルだろう。
『俺はお前より経験浅いんだよ。練習させてくれよ、コイツで』
平然と軽口で返せる彼には本当に尊敬する。
ごめん、と眼で謝ると、懇願するような眼で見られた。
そうは言っても、本当にこればっかりは経験も知識も無いんだからどうしようもない。
「へーえ。じゃあ、俺が指南してやろうか」
こちらの事情なんて知らない相手は何とものん気なものだ。
『要らない、そんなもの』
「あ?お前、前から俺にテク伝授して欲しいっつってたろ」
『そんな事言った覚えないが?』
「言ってただろーが!!」
『うるさい・・・・・・』
ムキィと怒り出す相手に克己は苛立ち、翔にしか聞こえなかったこの声からは怒りが感じられる。
再び男が背中を向けた時には疲れたようなため息を吐いていた。
「つか、俺あんまり知識も経験も無いからこういう台詞のレパートリー少ないんだよ!」
小声で言い訳をすると解かってる、というように肩を叩かれる。何だか解かられているのも悔しいが。
『篠田とか三宅とかからAVとか借りて観たりしないのか?』
「しません」
『・・・・・・何か無いのか』
「あ、昼ドラとかなら時々観てたけど・・・・・・」
翔の記憶にあるベッドシーンというと、中学時代に長期休みの時に叔母が見ていた昼ドラぐらいなもの。変なものは観てるんだな、というような視線を感じたが、すぐに克己からOKが出た。
しかし、そんなに記憶が新しいわけではなく、しばらくそのドラマについて考え込むことになる。
えーとえーとえーと。
確か、主人公と主人公の相手役は身分の差があって、男の方が良い家の生まれで、女の方がその家の家政婦の娘なんだよな。で、初めてのベッドシーンは屋敷の蔵の中で。ん?それってベッドシーンじゃなくて蔵シーンって言うんじゃないか?いや、どうでもいいけど。でも確か、それって主人公が好きな相手じゃなくて、二人の仲を裂こうとした奴が根回しした男達だったような。
そんな事をぐるぐる考えている間に克己は男の武器を奪っている。時々こっちを振り返るのは何かを言えという意味だろう。
「い、嫌だっ!俺にさわんな!」
っていう台詞が確か有ったような気がするな。
さっきは自分から触ってと懇願していたことを忘れて言っていたが、背中を向けている敵は大して疑問に思わなかったらしい。
「やだ、いやぁー。お願い、助けてーぇ」
多少棒読みに聞こえるが、適当に手錠を鳴らしていたらそれらしく聞こえるようだ。
ああ、そういえば、物凄く印象に残った台詞があった。
「俺が何をしたというのー。俺はただあの人を愛しただけなのにー。愛することが罪だというの?あの人に恋することは罪だったの?あぁあの甘い薔薇の香りは罪の香りだったのね・・・・・・」
これを聞いて、叔父と二人で大笑いした覚えがある。罪の香りって何だよ!と。今思い出しても笑えるから、相当だ。この脚本家は昼ドラなんて書いてないでお笑いの作家になれば良い。
『・・・・・・随分と辛い恋をしていたんだな、俺が慰めてやるよ』
どうにか話を合わせてきた克己の声も笑いで少し揺らいでいる気がする。笑いを堪えるその表情が覆面で見ることが出来ないのが残念。
「んや、あ。・・・・・た、たすけて、征二さーん!!」
『征二って誰だ!!』
その昼ドラの相手役の男の名前ですよ。
思わず馬鹿正直にその名前を言ってしまった翔に克己が何故か鋭く追及してきた。そりゃ、いきなり聞き覚えの無い男の名前を叫ばれたらそんなツッコミが口をついて出ても仕方ない。
「おいおい、何でお前が怒るんだよスカイ」
そして仲間が突然激昂したと思っている男はからかうように肩をすくめていた。
多分、仲間か誰の名前を呼んだと思っているのだろう。
『こういう時に他の男の名前叫ばれたら気分悪いんだよ・・・・・・』
そのフォローもあっさりと納得したらしく、彼がこっちを振り返ることは無かった。
『翔・・・・・・』
もう少しだから、どうにか堪えてくれ。普通で頼む。
小さく呼ばれた声にはそんな願いが込められているようだった。昼ドラでOKって言ったのはお前だろう、と言いたかったが、少し位頭を使って台詞を変えた方がいいのか。
熱の頭でどこまで考えられるか解からないけど。
んー。と首をかしげて考えたら少し眩暈がした。
「熱い・・・・・・克己、さん、苦し・・・・・・」
考えた結果、名前はとりあえず克己でいいか。さん付けなのは、昼ドラでさん付けだったから何となく。そして言った台詞は自分の体の現在状況。
克己の背が微妙に硬直したことには気付かなかった。
「かつみさん、はやく」
ああ、ちょっと気を抜いたら意識がどっかに飛んでしまいそうだ。
『・・・・・・ところで、ネイビー。お前が持ってる銃は、8丁で全部だったか?』
「あぁ?そうだけど、それが」
がんっ。
そんな痛そうな音に翔が顔を上げると、背を向けていた男が床に倒れていた。
「す、スカイ!?」
流石、やり手の盗賊団というべきか、一発頭を殴ったぐらいでは気絶しなかったらしい。手が銃を沢山ぶら下げていた腰元に行くが、勿論その手が武器を握ることはなく。
「手錠の鍵はどこにある」
覆面と取り払った仲間の姿に男は眼を見開いていた。仲間だと思っていた相手が全然知らない人間になっていたのだから当然か。
そして、向けられている銃が自分のものという屈辱に男は一瞬表情を悔しげに歪めたがすぐに笑みに変える。
「ハッ。しらねぇな。俺は持ってないね」
「お前がアイツにつけたんだろう。お前が持っていないわけがない」
克己の問いは冷静で、もしその銃口を向けられて問われているのが自分だったらきっと恐怖で足がすくんでいたろう。しみじみ、彼が敵じゃなくて良かったと思う。
「俺は持ってない。こういう鍵の管理はリーダーに任せてるんだよ。裏切り者が出て、人質を逃がすようなことがあっちゃ困るからな」
どうやら本当にこの男は鍵を持っていないらしい。
ち、と軽く舌打ちをした克己は男の頭を蹴り、完全に気絶させる。
「翔、大丈夫か」
「あ、うん・・・・・・」
ようやく克己の素顔を見て心からほっとした。手が自由にならない翔の代わりにシャツのボタンを閉め、肩にコートをかけてくれる。
「ありがと、克己さん」
「・・・・・・さん付けはやめろ」
その時、安堵する暇も無く、近くにあった爆弾が音を立て始めた。



「木戸君、僕がこの二人の相手をするから、行って!」
なかなか勝負が決まらず、お互い息だけが荒くなっていたその時、そう中村が叫び、レッドの腰に突撃して行ったのには正直木戸も驚いた。まさか、中村にそんな勇気があったとは。
「中村、悪い!」
即座に彼の意図を察し、走り抜けようとしたところにもう一人の男が立ちはだかるが
「ジミー、行け!!」
『げっ!!』
中村のその声に、男は反射的に体を避けていた。その隙を突いて木戸は走る。
『しまった!何やってんだよ、ブルー!!』
レッドの怒りの声にブルーがやってしまったというように額を手で押さえていた。
『うるさい。俺だって毒蛇が飛びついてくると思ったら逃げたくなるわ』
そんな口論を聞きつつ、木戸は遺跡内を走る。
けれど、走りながらちょっとした疑問が浮き上がる。何故、彼は中村の「ジミー、行け」という言葉で毒蛇が飛びついてくると思った?普通なら、ジミーという名前ならもう一人仲間がいたと考えるのが普通ではないだろうか。中村が、毒蛇を飼っていると知っているなら、別だけれど。
そんな考えがよぎり、木戸は走る足の速度を落としていった。ああ、でもあの入り口の一件で、あの蛇がジミーだと思った?
けれど何かが、引っ掛かる。
けれど、突然曲がり角から飛び出してきたものが胸に飛び込んできたのに、その思考は中断された。
「本上!?」
「木戸!?」
お互い顔を見て驚きの声を上げるしかない。木戸からしてみれば、今から助けに行こうとしていた人物が自分の目の前にいるのだから、こんな幸運はない。
「お前、無事だったん」
けれど、本上の眼は徐々に潤んでいく。
「な、何でお前が助けに来るんだよぉ〜〜甲賀さんはぁ?」
言う事にかいてそれですかい。
彼の性格ならばまずそう言いそうだったけれど、何だか必死になって助けようとしていた自分たちが凄く馬鹿に見えて情けなくなった。
「うっわ、何ソレすっげぇ失礼じゃないか?」
あーあ。やっぱり助けに来て損した。
中村救出の方がきっと素直に感謝してもらえるに違いない。
「甲賀に助けて貰いたかったら一人でいれば?俺は、お前助ける為に命はってる中村助けに行くから」
冷たく言い放ち、木戸は本上に背を向けて元来た道を戻ろうとする。が
「・・・・・・本上さん?」
何故か、彼は自分のコートを掴んで離さない。
「か弱い僕を置いていくつもりなのか」
じろっと涙目で睨まれ、木戸はあまりのわがままっぷりにもう呆れるしかない。
これだから南のおぼっちゃまは。
「あのなぁ、俺もお前も軍の人間。か弱いんならこの学校辞めちまえ。どうせ、南の方々はすぐ嫌になったら辞められるんだろ?大体、軍人が人質になっても見捨てられることの方が多いんだぞ。それを、お前は」
『仲間割れか、見苦しい』
木戸の小言を止めたのは、あの変声機の声だった。
はっと顔を上げると道の向こうも自分が来た道の先にも、覆面の男が待機していた。そして、そこには捕まっている中村の泣き顔も。
「お前ら・・・・・・っ!」
『ここは爆破される。仕掛けられた爆弾にすべてスイッチが入った。5分後にここは消滅する』
和泉が聞いたら怒り狂いそうなことを覆面の男はひょうひょうと言い抜いた。というか、和泉は何をやっているんだ。もしかしなくても見捨てられたか。
「くそ、中村を放せ!」
本上を自分の背に庇いながら木戸は覆面の男達を睨みつける。相手は銃を持ち、更に人数も自分達より多い。圧倒的にこちらが不利だ。
すっかり敵側は自分達の勝利を確信し、余裕の動作で銃口をこちらに向けてくる。
『・・・・・・俺達の勝ちだ』
「それは、どうかな」
しかし、覆面の男の後ろから聞こえてきた声に中村の表情が輝いたのを見てから、木戸も彼が来たのだと知った。
「和泉!」
入り口で別れた仲間が、一人の覆面の男のこめかみに銃口を突きつけながら木戸の前まで歩いてくる。突然の伏兵に驚いたのか、覆面の男達はどこか呆然としている様子だった。
『グリーン、お前』
けれど、誰かが和泉に捕まっている男を呼び、
『ご、ごめんー』
呼ばれた男は情けない声でがっくりと項垂れる。
和泉はそれを鼻で笑い、ここに集まっている敵の人数を数えた。
「おい、お前ら、全員で何人だ?答えろ」
ごりっと銃口を人質に押し当てながら聞くとどこからか『9人』という返事が来る。
3人、足りない。
けれど大した問題では無いと考えたのか、和泉は眼を細めてから銃を下した。そのあまりにも無謀な行動に木戸が口を開こうとしたけれど、和泉がそれを手で制す。
何やら考えがあるようだが・・・・・・。
「お前らの目的は、『“氷の女王”を手に入れて遺跡を破壊する』ことだな?」
『・・・・・・ああ。爆弾にはもうスイッチが入っている』
「でも、肝心の“氷の女王”を手に入れていなかったら、目的は不達成だよな?」
和泉が口角を上げたその一言に覆面の男達は動揺したのかお互いの顔を見合わせている。木戸も和泉が何を言いたいのか良く解からなかった、が。
「さっき、氷の女王が見つかったと言ったのは、俺だよ。コイツの変声機を借りて、な」
現物を確認せずに爆弾にスイッチを入れるとは馬鹿な奴。
敵を嘲笑う笑みを浮かべた和泉に、利用された男は『ごめん』ともう一度頭を垂れた。
氷の女王は、実際は見つかっていなかった。けれど、その事を言うのであれば、もうちょっと遅いタイミングの方が良かったのでは無いか。例えば、遺跡を爆破してからとか。けれど、和泉は遺跡爆破だけは避けたかったのかもしれない。横から見る和泉の表情から、彼の考えは伺えなかった。
嘘だろ・・・・・・と嘆きの声が聞こえ始めた時、再び和泉は銃を持つ腕を上げる。
「お前ら全員、覆面を取ってもらおうか」





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襲われるのは受けの天命だと思いませんか。