爆弾が、カウントを始めていた。
ぴ、ぴ、ぴと無情な機械音に翔は腕に付けられた手錠を引っ張ってみるがそんな事で鎖が引き千切れるわけがない。ここから見えるデジタルの数字は残り3分を切っていた。
「こいつらのリーダーを探している暇はなさそうだな」
もうすでに遺跡から出た後かも知れない。
ち、と舌打ちをしながら克己は銃を手にして鎖に向かって発砲するが、なかなか鎖は壊れない。ドラマのようには上手くいかないのが現実だ。
「解体、とかは」
けれど克己は首を横に振る。
「まだ俺はそんな技術は持っていない。それに、ここのを解体したところであちこちに爆弾が仕掛けられていたから、無駄だな」
くそ。
苛立ち紛れに銃で鎖を殴ってみたが、ただ虚しく金属音が響くだけ。そしてぴ、ぴ、ぴという音と共に数字は減っていくだけだ。
繋がれている柱の方にも眼をやったが、ギリシア神殿の柱にも似たそれは石で出来ているようでとても頑丈そうだ。試しに克己が素手で軽く殴っていたが、やはり性質は硬いものだったらしい。
「槌でも持ってくるべきだったな」
舌打ちしながらタイムを確認すると2分を切っていた。もっと別な方法を考えようと克己は自分の髪をかき上げる。銃やナイフでは役に立たない。では、どうする。いっそ少しばかりある知識で解体してみるか?いや、あまりにもそれは無謀だ。
一通りのことを試してみた克己は他に方法が無いかと考え込み始めていた。それを見てから、翔は自分に繋がれている鎖に眼を移す。自分には有るけれど、彼には無い、その鎖。
「・・・・・・もういい」
ぽつりと呟くような声しか出なかったが、克己はしっかりとそれを聞いていた。
「翔?」
「もう良いって。克己は逃げろ」
もうどうしようもないらしい事は何となく解かった。きっと、普通の状態でも同じ判断をしている。
「・・・・・・何言ってんだ、お前」
けれど克己は鎖を引き千切ろうと躍起になっていた。がしゃん、がしゃんと今にも壊れそうな音は出るが、やはり壊れる気配は無い。
もう、無駄だ。
「犠牲を最小限に抑えるのも、軍人の役目だって習っただろ」
自由になる左手で克己の肩を出口の方へと押した。自分のことは諦めがつくが、彼を巻き添えにしたくはない。そういう意味で翔も焦り始めた。
「早く行けって、時間が無い」
「ふざけた事を言うな」
「ふざけてない。克己こそ冷静か?この状況は俺を見捨てるのが最善だろ?早く行け!」
「断る」
 再び手錠の鎖を握って強く引っ張る克己は本当にここから去る気はないようで。
「克己!もう時間が無い、早く行けって!」
「冗談。お前を見捨てたら見捨てたで俺はどうせ佐木あたりに撃ち殺される」
「この状況でそれを責めるヤツはいない!早く!」
ぴっぴっとタイムのカウントダウン音が半音高くなったと思ったら、20秒を切ったという意味らしい。確実にその時は迫っている。
「いいから行け!」
それに焦って克己の体を押すけれどびくともしない。熱が無かったら、もっと強く押せたのに。
それどころか彼はまだ手錠を外そうと無駄な努力を続けていた。
「克己!」
目の端で確認したタイムは残り5秒。
翔の焦った声に克己もそれを確認して鎖から手を離す。
4、と数字が変わったけれど克己の足なら、この神殿の外には出ることが出来るはず。
「早く、」
それでも克己はもう一度鎖を銃で撃っていた。けれど奇跡は起きない。
3、2と赤いデジタル数字が動く。
ちっと舌打ちして彼は銃を投げ捨てて、翔の体をこれから起こる衝撃から庇うように抱き締めた。
まさかそんな行動を彼が取るとは思わなかった。
「逃げろよ、ばかぁ・・・・・・」
それでも彼の体にすがるように抱きついてしまう自分の弱さに泣ける。
「悪い」
逃げなかったことへの謝罪か、それともこの状況から救え出せなかった事への謝罪かわからないけれど、耳元で彼の低い声が聞こえたと思ったら克己の腕に更に力が入る。
ここまで自分を救おうとしてくれた彼には心の底から助かって欲しかったけれど、もうそんな事を伝える時間も残っていなかった。
ビッっと半音下がってすべての終了を告げる音が部屋に響く。
全身に来るだろう衝撃を予想して目を強く閉じた。


 パンッ。


思っていたより音が小さくて軽快だ。
そしてあまり体に衝撃が無いな、と思ったのは自分がその衝撃を感じる間さえ無く死んだからなのだろうか。
それにしても、おかしい。
そっと目を開けると目を閉じる前と変わりない風景で、克己の服がある。
「・・・・・・あれ?」
もしかして、生きている?
翔の声に克己も目を開けて怪訝そうに状況を確認していた。
爆弾のタイムは確かに0になっているけれど、その周りには何故かひらひらと紙ふぶきが舞っていた。
そう、まるでクラッカーが破裂したような跡だ。
「どういうことだ・・・・・・?」
『“氷の女王”を手に入れることなく俺達は爆弾のスイッチを入れた。でも、貴方達は爆破を止める事は出来なかった。引き分け、になるんでしょうかね』
困惑している時にあの変声機の声だ。克己が姿を見せた彼に向かって銃を向けるが、彼は特に怯えることなく一歩一歩近付いてくる。
あの、リーダー格のブラックだ。彼はちらりと今音を立てた爆弾らしきものを見てから再びこちらに視線を戻す。
『爆弾は偽物です。ご安心を。熱は、大丈夫ですか?』
翔に様子を伺うようにして近付いてくる彼に、克己は銃を向けた。
「手錠の鍵を寄こせ」
警戒を緩めない克己に相手はため息を吐いてポケットから小さな銀色の鍵を出した。
そして、自分の覆面に手をかける。
「随分な態度ですね、甲賀」
その声と覆面の下にあった顔に、時間が止まったかと思った。
あのネイビーとかいう男とは全く違う、見慣れた東洋系の黒髪に、黒い瞳。いつもの眼鏡こそかけていないものの、それが誰だかすぐに解かった。
「と、遠也・・・・・・?」
翔に名前を呼ばれた彼はにっこりと笑う。

「おい・・・・・・何だコレ、どういうことだ」
木戸は、自分を取り囲んでいた顔ぶれに絶句する。
覆面を取り払った男達はどれもこれも見覚えのある顔ばかり。彼らは友人の信じられないという眼に苦笑を浮かべていた。
「篠田に三宅に矢吹に小野に乃木に加藤・・・・・・お、おまえらぁっ!」
しかも、結構仲良く付き合ってきたクラスメイトの面々だ。木戸が茫然としても仕方ないだろう。
「佐木の、相手が状況を把握出来ないうちにお宝を見つけてトンズラって作戦は結構良い線行ってたと思うんだけどな」
正紀は覆面を手で弄びながら、目的を達成出来なかったことにため息を吐く。
メンバーに克己がいる、ということを知り、遠也はまともにやっては勝てない相手だから、素早い行動を重点として動くことにした。なるべくなら、戦闘もしない、と。
「最後の方で佐木が焦って判断ミスをしたのは、日向が熱出してたからだな」
和泉が、遠也が氷の女王の実物を見ずに爆弾にスイッチを入れたのはさっさとこの茶番を終わらせたかったからだと言う。
「い、和泉・・・・・・もう俺は一体何が何だか」
木戸は状況を把握出来ている仲間に説明を求めた。心なしか頭痛を感じながら。その額を押さえる仕草があまりにも気の毒に映ったのか、和泉も銃を人質にしていた大志に返してから口を開いた。
「俺は、とりあえず“氷の女王”を探した。それで、見つけたんだ、馬鹿みたいな偽物をな」
彼がポケットから取り出したのは、透明な宝石だ。きらきらと七色に輝くそれは紛れも無い鉱石に見えた。
結局は手に入れることの出来なかったその宝石を、敵側だった友人達もおお、と歓声を上げながらそれに見入る。けれど、面倒臭そうに和泉は木戸の手にそれを放った。
「お前、素手でそれ持ってみろ」
「え?」
彼の言うとおりに手袋を外し、手の平に転がして木戸は唖然とする。
「冷たい・・・・・・」
そして、その宝石はじょじょに水を纏い始めた。間違いない、体温で解けている。
「これはただの氷を適当に宝石らしくカットしたものだ。おそらく、この試験の為に本部が前々から仕込んでおいた偽物だろう。神殿は本物のようだけどな」
確かに“氷の女王”だよ、と和泉は舌打ちする。せめてプラスチックで作ればいいのに。どれだけ予算をケチっているんだ、この試験は。
「それで、何かがおかしいと思って、コイツを捕まえて覆面を剥がしたら予想通り。爆弾も偽物だ」
和泉が自分より背の高い大志の背を小突き、彼は再び仲間に「ごめん」と頭を下げた。
「・・・・・・待って、じゃあ僕で色々遊んでいた奴って」
本上が恐る恐る聞きたくないけど聞かないといけないようなことを口にすると、気軽に手を上げたのは
「あ、僕」
ブラウンこと、加藤だった。
ああ、なんというか、茶番だったんだな。
木戸は怒り狂う本上と、色々とだまされてやる気を失っている和泉と、そしてついさっきまで敵だと思っていた友人達の何とものんびりとした光景を眺めながら、そう思った。
これで一体どんな点数がつくのやら。
あまり高評価は得られないだろうと思うと、ため息を吐かずにはいられなかった。
「つーか、何でお前らの偽名戦隊物っぽいわけ?」
「ああ、何か本物の盗賊団も色で呼び合ってるらしくってさ」


翔の熱に浮かされながらも驚いたその顔に、遠也はいつもの笑みで頷いた。
「はい。さぁ、さっさとこの遺跡から出ましょう。ここに長くいても貴方の病状が悪くなるだけ」
「ちょっと待て佐木。それに異論は無いが」
手錠を外した遠也が立ち上がろうとするのを克己は手で制止する。それをうっとおしそうに遠也は見上げたが、克己には納得の出来ないことがあった。
「俺は、何度かお前ら何じゃないかと疑った。でも、スカイとかいう奴を襲って、覆面を剥いでみたら、知らない外国人だったから本物の賊だと判断した。そこのネイビーとかいう奴もそうだ。特別ゲストでも招いたのか」
「はい?仲間は皆クラスメイトのはずですが?」
確か、ネイビーとスカイというのはここまで同じヘリで来たメンバーではなく、途中参加のメンバーだ。先にここに送り込まれていたのかと思ってあっさりと受け入れたが・・・・・・。
しかし、克己の指差した先には、確かに見知らぬ男が眼を回して倒れている。
「・・・・・・誰ですか?」
遠也は改めて克己を振り返るが、克己も「知るか」と素っ気無い答え。
怪訝に感じた遠也が彼が持っていたらしい銃を手に取り調べるが、その中から出てきたのは、自分達が持っている銃は実はペイント弾だったのに、実弾。
興味深げに眺めてから、遠也はそれを自分のポケットに入れた。
「・・・・・・甲賀、そのスカイはどうしたんですか?」
「服を剥いで木に縛り付けておいた」
「この極寒の地で、それはなかなかに酷なことを・・・・・・」
けれど台詞の内容とは違い、遠也は笑っていた。しかも妙に乾いた笑い。
克己も遠也と同じことを考えたらしく、ふっと笑みを漏らし、翔の体を抱え上げた。
「変なことに巻き込まれないうちに逃げるぞ」
「同感です」

そんな時、持たされた携帯が鳴り響く。


試験終了。
迎えが行くまでそこで全員待機。迎えが行ったら1週間の休み。

この1週間が夏休みなんて詐欺だ。


「あぁー、ジミー、良かった」
迎えが来るまでひとまず村の簡素な宿屋に泊まる事に。兵士の宿舎にもなっているらしいそこに、突然大人数の軍属がやってきても店主は驚きもせずに接待をしてくれた。この時期、雪が多くて滅多に他の土地から人が来ないと言っていたとおり、宿屋は閑散としていたのが幸いだった。
暖かい部屋で動くようになった友達に中村は頬ずりをし、それを正紀達は遠巻きに見ていた。あの後遺跡から出てきたとき、木の枝に引っ掛かっているのを和泉が発見して中村に渡したのだ。見つけなくても良かったのに、と心の中で嘆いたのはきっと中村と和泉以外の全員だろう。
翔はまだ熱が下がらないらしく、ベッドに伏している。けれど遠也が看病をしているようだから安心だろう。
克己は本部と連絡が取れる携帯片手に廊下に出た。電波が届く場所が限られているのが不便だが、まだ電波が届くだけマシだ。
『あの二人は本物の国際手配の盗賊団だった。お手柄だな。遺跡も本物だったんだから、本物の宝も見つけてくれれば更に良かったのに』
担任の何とものん気な言葉には呆れるしかない。
「冗談でしょう。こっちには病人もいたんだ」
『あははは。まぁ、ゆっくり休め』
そんな適当な会話で終わりにしようと思っていたらしい上司にすかさず克己は話を切り出した。
「では、しばらくこちらで休暇を頂いても?」
『は?休暇?どうせ1週間休みだぞ』
「いえ。どうも俺にはその1週間という日数が、そちらに着くまでの時間と聞こえて仕方が無いのですよ」
行きは確かに速いヘリだったが、空軍から借りてそうな高性能のものをそうそうひょいひょいと使えるわけがない。
行きにちらっと見たが、運転をしていた男の腕章は航空士官科のマークがあった。
アレは実は航空士官科の実技テストだったのではないだろうか。その予想と、1週間という日数を合わせて考えてみると。
「帰りはもしかして、海軍の船になるんじゃないかと思うんですが、違いますか」
『んー、まぁそうなると思うけど。今、海の士官科の子たちがそこら辺にいるらしいからついでに拾ってもらおうかと』
「船での長旅に病人は耐えられません。なので、こちらで一週間お休みを頂きたく」
戦闘訓練テストをしている船なんかに乗せたら病状が悪化するだけだ。
渋々、といった感じだったが了承をさせてすぐに克己は携帯を切った。


大分熱は下がりつつある。
昨日までは苦しげな顔で眠っていたが、今は気持ち良さそうな顔で眠っている翔の表情に遠也は一息ついた。
「佐木」
そんな時、部屋の扉がノックされて顔を出したのは心配げな面持ちの木戸だった。彼は翔が熱を出していると知ってかなり慌てていた。それは、翔と長い付き合いの友人だからだと遠也は解釈をしていた。
それに、木戸はそういう性格だ。周りで困っている人間がいたら放っておけない、そんな人物。
「木戸」
「日向の具合・・・・・・どうだ?」
「大分良いですよ」
「そっか。なら、佐木も少し休めよ。お前昨日寝てないんじゃないか?俺が代わりに見てるからさ」
遠也を気遣うのも彼らしいことで、そういうところをあの無愛想な男にも見習って欲しいと密かに心の中で呟いた。
「じゃあ、少しの間だけ・・・・・・ああ、でもすぐに甲賀が来ると思うので」
「甲賀が?」
その時、遠也が木戸の表情の微妙な変化に気付けたら少しだけ木戸への評価が変わっていたかもしれない。
でも遠也も木戸とは中学の時からの顔見知りで、彼の性格は大方把握出来ているという思い込みがあり、その事に気付くことは無かった。
もし遠也が木戸への評価を過信しすぎていなかったらまた結果は違っただろうが。
「そ、か。なら甲賀が来るまで俺が日向見てるよ」
「じゃあ、よろしくお願いします」
安心されてるな。
遠也があっさりと部屋から出て行った事に木戸は思わず苦笑していた。下心があると知れたらきっとあの遠也なら自分にこの場を任せなかっただろう。
「お。昨日よりは良い顔してるな、良かった」
翔は起きているわけじゃないけど、何となく話しかけるように声をかけてしまった。ちょっと馬鹿みたいかな、と思いつつもさっきまで遠也が座っていた椅子に腰掛ける。
「そろそろ、10年くらい経つんだよな。俺達、会ってからさ」
初めてお互い顔を合わせたのは6歳の時だから、もう10年経っている。
「お前と付き合いは長いけど、俺はお前のこと何も知らない気がするんだ・・・・・・甲賀の方がお前のこと、知ってるのかな」
不意に顔を上げて見た窓の外は雪景色。自分も彼も雪とはほぼ無縁の場所で生まれたから、こんな景色を見るのはお互い初めてのはず。
「俺、今までお前のことただの友達だと思ってたんだけどな。何でかな、お前と甲賀が一緒に居る所見ると悔しいんだ。おかしいよな、別に今まで凄く親しくしてきたわけじゃないのに」
今までは同じクラスに自分がいて彼がいて、時たまに会話する。それだけで充分だった。
眼があったらお互い笑い返す。その程度だったのに。
「おかしいよな。俺、一応彼女とかもいたんだぞ。その時はきちんと彼女の事を考えてたし、好きだったのに。なんで、今になってお前が」
これは恋なのか、それすらも良く解からないけど、ただ胸が苦しい。
「・・・・・・もし、俺があの時お前の話を聞いていたら、また違ったのか?」
思い出すのはあの夕日の中の出来事。あの時は、翔は自分に頼ろうとしてくれた。でも、それを拒否したのは自分の方。あの事件が新聞に載って真実を知った時にどれだけ後悔したか解からない。
「ごめん、翔・・・・・・本当に、ごめん」
あの時、きちんと彼の話を聞いていたら。それをしかるべきところに伝えていたら、最悪の状況にはならなかったかもしれないのに。
「なのに、俺お前が好きなのかも知れない」
自分の乾いた声だけが静かな部屋に広がり、誰かに受け止めてもらうことなく消えていく。
眼を上げて翔の顔を見ると、起きる気配も無く寝息を立てている。聞いてもらうつもりは無かったからいいんだけれど、少しだけ残念だ。
そっと手を伸ばして熱の所為で仄かに紅くなっている頬に触れると、熱かった。
そのまま指を滑らせて乾いた唇をなぞると僅かに漏れた吐息に触れる。ぞくりと何かが背中を駆け上がったような気がした。
「翔」
久々に名前で呼ぶと、何故かもう後戻りは出来ないと何かが背を押した。
これが衝動、というものかと初めてその言葉の意味を実感した時はもうすでに唇を重ねていた。ベッドが不満を言うように軋んでいたが、思った以上に心地良い感触にそんな音は耳に入らない。
熱で乾いたそこを潤すように舌でそっとなぞってみたけれど、起きる気配は無い。欲望とは限りないものだ、と再び唇を重ねてからぼんやり考えた。
でも息苦しさを感じてきたのか、目の前にある翔の眉根が寄り、目蓋が震える。
いっそ、起きてしまえばいい。
湧いて出た想いに突き動かされて、空気を求める為に開かれた小さな口に少々乱暴に舌をねじ込んでいた。
熱の所為で熱い口内のおかげで自分の体に熱が移って熱くなっていくのが解かる。
どうしよう止まらない。
恐らく無意識だろうが口の中に溜まった唾液を翔が飲み下す音を聴いて、何かに勝利したような気分になり、彼から離れる。
ようやく新鮮な空気を得た紅い濡れた唇と忙しなく空気を求めて上下する胸に誘われ、再び身をかがめようとしたその時、開かないと思っていた目蓋が揺れてうっすらと開かれた。
「・・・・・・誰、だ」
擦れた声での問いに逃げ出したくなるのを堪えて、木戸はその眼を見つめる。こうなることを望んでいたのだから、名乗らずに逃げたくなるなんて、おかしいじゃないか。
「翔」
恐る恐る名前を呼ぶと、翔は再び眼を閉じた。寝たのか、そう思ったが
「・・・・・・克、己?」
さっきまで重ねていた唇から漏れたその名前は。
近くにいる相手を彼だと思ったのか、そのまま翔は安心したようで眠りにつく。
そりゃあ、今翔を名前で呼ぶのは確かに彼しかいない。そう考えれば、何てことの無い事だ。
でも、もし名字で呼んでいたらきっと何の躊躇いも無く遠也の名を翔は呼んでいただろう。一体、自分の名前を呼んでくれるのは、何番目か。
「・・・・・・やっぱ、俺達ただの友達、なんだろうな」
もう変わることの無いだろう自分の位置に、ただ苦笑するしかなかった。
「でも、俺は何だか凄く苦しいよ」


「あ。来た来た、甲賀」
「木戸」
翔の部屋の前で立っていた彼の姿に克己は訝しげに眉を寄せた。
「何故中に入っていないんだ」
「ああ、もうすぐ甲賀来るかと思ってさ。日向、顔色良くなってたな。良かった良かった。じゃーな」
手を振りながら何ともあっさりと去ろうとするその姿に「ああ」と答えてドアノブに手をかけると、くるりと木戸が振り返る。
眼が合うと、彼はにやりと笑った。
「甲賀さ、俺の事嫌いだろ」
「は?」
「俺もさ、お前のことどうも好きになれない」
「ああ、よく言われる」
「だからもっと俺の事、嫌って良いから」
「・・・・・・」
「お前が俺の事嫌いになればなるほど、お前はきっとあいつのことを好きになっているってことだろうし」
「・・・・・・」
「だからもっと、俺の事を嫌えば良い。殺したくなるくらいに。それくらいお前に恨まれれば、俺も本望だからさ」
ふっと克己からそらされた木戸の眼はどこか淋しげに窓の外の風景を眺める。
「木戸、お前」
「あぁ、言っておくけど俺は、お前が大っ嫌いだよ。そりゃあもう、殺したいほどにな」
この言葉を伝えたいのは、克己にではないけど。
木戸孝一という人は、誰にでも平等に優しくリーダー格になりやすいタイプだ。だから色んな周りの意見を飲み込み、それを踏まえた上で何が最良かを考慮した結論を自分の意見にする。そういう人間だから、あまり個人の感情を吐露することがない、吐露することを恐れる。
彼も彼で、幼い頃両親を亡くして孤児院暮らしで小さい子どもの面倒も任されて来て、我がままなんて言えるような状況じゃなかったという背景があるが、その事を克己は知らない。
早くに大人になる事を求められた彼が、きっとそんな事を言うのは珍しい。
「・・・・・・本人に言え」
「言って、良いのか?」
「俺の許しなんて必要ない。違うか?」
どこか哀れむような音を含んだ言葉に木戸は唇を噛む。
「お前は、俺より卑怯者だ」
そう言い捨てて彼は早足で廊下を歩いていく。背中に克己の視線を感じながら、それから逃れるように。
「あ、おい、木戸」
曲がり角を曲がったところで出会ったのは、特に会って話をすることもない本上で。
どうせ、また何か甲賀さんがどうのという話を聞かされるのだろう。
「何?」
少し素っ気無く返事をしてやると、彼は俯き用件を言おうとしない。
「・・・・・・用が無いなら、呼び止めるな」
「な、この僕がお礼を言ってやろうとしてるのに、何だよ、その言い草!!」
ちょっと冷たいことを言うとすぐに噛み付いて来るんだから、解かりやすい。
けれど本上のその台詞に木戸は少し驚かされた。
「は?礼?」
「だから、その・・・・・・助けに来てくれて、ありが・・・・・・とう」
ごにょごにょと語尾の方は殆ど聞き取れず、これでいいかというような眼で見上げられたけれど、くすりと笑ってやった。
「聞こえない」
「木戸!!」
「お礼っていうのは、相手の眼を見て満面の笑みではっきりと言うべきじゃないかな?」
「うるっさいな!とりあえず僕は言ったんだから、北のクセにこの僕が礼を言ったんだ、感謝しな」
少しは成長出来たと思ったのに全然この子は成長出来てない。
それでも、礼を言うようになったんだから少しは進歩なんだろう。
「どういたしまして」
にっこり笑ってそう言ってやると、本上は少し悔しげな表情になってそっぽ向く。
本上くらい、好きな相手に引っ付きまわっていれば自分も彼にこの気持ちを察してもらえるのだろうか。本上の行動を思い出して考えてみたけれど無理だ。自分にはそんな勇気は無い。
そう思うと、結構な勇気の持ち主なのだと感心して
「お前、意外と凄いよな」
と、思わず呟いていた。
何を褒められたのかも解かっていないだろうに、本上は胸を張る。
「今更気付いたのか、この僕の魅力に!」
「・・・・・・お前、単純だな。ま、いいけど」



木戸を見送ってから部屋の扉を開けると、眠っていると思っていた翔が身を起こしていた。
「翔、眼を覚ましたのか」
まさか、部屋の前の会話を聞かれていたんじゃないかとも思ったが、ぼーっとした眼でこっちを見た彼の様子だと杞憂だったようだ。
「あぁ。克己か・・・・・・ごめん、何か色々迷惑かけたな、遠也にも後で」
その声が擦れているのは、長い時間寝ていた所為だろう。
「そんな事気にしてないで、まだ寝てろ。しばらくここで療養すればいいしな」
「つーか、テストってどうなったんだ?なーんかイマイチ記憶が・・・・・・」
まだ少し痛む頭を翔は押さえて、ぼんやりとした記憶を辿ろうとする。遺跡がどうの、爆弾がどうの、と断片的にしか思い出せないのだが。
うーん、と考え込んでると押さえていた額に冷たいタオルを置かれた。
「テストは終わったんだから、わざわざ思い出さなくてもいいだろう。成績も後は神頼みだな」
「俺、人質になったからなぁ・・・・・・点数低そう」
「補習じゃないことを祈れ」
「だな。あ・・・・・・」
その時、突然翔は克己の顔を見上げたまま、掛け布団を口元まで上げた。寒いのかと思ったが、違うらしい。
「ごめん、俺、突き落とすつもりは無かったんだけど・・・・・・」
何の事かと思えば、あの翔が克己を庇った時のことを彼は謝ってきたのだ。別に謝るようなことではないのに、思わず克己は苦笑してしまった。
「ああ・・・・・・その事なら、俺が礼を言うべきなんじゃないか?お前に庇われたんだから」
「でも・・・・・・」
「有難う、助かった」
「・・・・・・克己にお礼言われちまった」
何か、照れるなぁ。
ちょっと頬を紅くして枕に顔を埋めると乗せてもらったタオルが落ちる。それを拾おうとベッドに座った克己が伸ばした手を見て、思わず掴んでいた。病人にしては素早い行動に克己も少し驚いた眼を向けてくる。
「何だ?」
「・・・・・・今回は、偽物だったけど、本物の時は逃げろよ、な?」
あの時からもう一日以上は経っているのに、いまだに鎖の形を残して紅く腫れている手の平にお前が冷やせとタオルを乗せてやった。
「俺は、これで充分だから。ありがとな、でも嬉しかった」
有難う何て言葉だけじゃ言い尽くせないけど。
もう熱は大方下がっているから、とタオルをそのまま克己に渡すとそれをじっと見つめながら克己が口を開いた。
「・・・・・・気にするな」
気にするだろ、普通。
あまりにも簡単すぎる答えに、もしかしてあの爆弾が偽物だったと気付いていた上での行動だったのではないかと邪推してしまう。
「でも俺、克己と一緒ならそんなに死ぬのも怖くないかも」
あんな状況だったのに克己に抱き締められて安心してるんだから。
あっはっは、と笑い飛ばしてから、何だか自分が物凄いことを言ったような気がした。
「なんつーか、あれだ。克己って頼れる兄貴みたい。地獄の果てまで付いていける気がする」
付いていきますぜ、兄貴ィ。
と、どこかのヤンキーのように冗談めかして言ってやると何故かため息を吐かれた。
「それくらい元気があるなら、もう大丈夫だな」
べしっ。
水気を含んだタオルが眼を直撃し、思わぬ攻撃に「いでっ」と悲鳴を上げてしまう。
病人にこの扱いはどうなんだ。
「かつみー、お前酷い。でもそんなつれない所が素敵ですよ兄貴!なんてな」
「はいはいはい。ったく、すっかり元気だな」
「克己さんのおかげです、感謝してるよ。頼りがいのある男って素敵だ」
あっはっはと笑いながらじゃれるように背中に抱きついてきた翔のテンションに、克己はついていけない。
熱の所為でちょっとおかしくなったんじゃないかと思いながら、その腕を外そうと手をかける。
「だから、さん付けはやめろと」
「良かった・・・・・・」
けれど、背中でぽつりと呟かれた静かな声に文句を飲み込む。
「翔?」
「夢で、爆弾は本物で、お前が死んで俺だけ生きてた」
「・・・・・・そりゃ、随分な夢を見ていたな」
「今は、夢じゃないよな」
「あぁ。間違いなく現実だ。解かるだろ」
「・・・・・・うん。克己が暖かいし、何よりさっきタオル投げられたのが痛かった」
「根に持つな」
「持って無いから安心しろよ」
克己の背中に額を押し付けながらようやく自分と彼が生きている事を実感する。熱という妨害の所為で、何が現実で何が夢だったのか、記憶も曖昧なのも手伝ってしばらく解からなかった。
この分じゃ、さっき誰かにキスされたのも夢だろう。それにしても、生々しい夢だった。名前を呼ばれたから克己かと思ったが、匂いが違う。
・・・・・・夢に、匂いなんてあるのか?
ふっと過ぎった疑問に思わず克己から物凄い速さで離れていた。
「翔?」
不思議そうに振り返った克己が見たのは、顔を紅くして自分の口元を押さえている翔の姿。
夢に匂いなんてあるわけがない。どこかで確かに嗅いだ事のあるあの香りは、確かに現実で、そしてきっとあのキスも。
一体、誰が。
「どうした?」
「あ、いや、何でもない!」
「何でも無くはないんじゃないか?顔紅いぞ、熱上がってるんじゃ」
「うわわわわわ、ちょっと待て、顔近づけんな!!」

こつん。

この時翔が暴れた拍子に、ベッドから転がり落ちた透明な石の存在に気付くのは、翔がこの部屋から去る日のことだった。
あの遺跡で見つけたのだけれど、“氷の女王”は偽物を和泉が見つけたと聞いていたし、大したものではないだろうと手でひんやりとした温度を弄びながら克己と村を歩いていたら、雪遊びをしている子ども達がそれを見つけて駆け寄ってきた。
わあわあ何か言われたようで、この土地の言葉が解からない翔が困惑していると克己が「綺麗な石だと」と通訳をしてくれた。
克己にも見せたけれど、彼は鉱物には興味が無いらしく「水晶か何かか」と言っただけだった。
「あ、じゃあこれあげるよ」
一人の子の手の平にそれを乗せてやると子ども達はとても喜び、はしゃいで翔の前から走り去る。
「良かったのか」
「うん。だって、ここの土地にある神殿から持ち出したものだし、俺が持ち帰るのは悪いだろ」
熱もすっかり下がり、他のみんなより少し遅れたけれど今日はこの土地を去る身だ。しかも船ではなく、ヘリで。
帰ったらきっと船で帰ったメンバーに恨み言を聞かされるんだろうなぁと思いつつ足を進めていたら、とてとてと正面からさっきの少女が何かを手に走ってきた。
「ん?何?」
小さな手には真っ白い花が握られていて、その花の名前は解からなかったけれど雪のような花だ。彼女の様子からして、石のお礼辺りだろうか、一生懸命それを差し出してくる。
「お礼だそうだ」
克己の通訳に、その花を受け取り「有難う」と笑ってみせた。けれど彼女は何か違うと訴えてぴょこぴょこ飛び跳ねる。花をいったん渡すと彼女はそれを片手に、もう片方の手で翔に座るように指示をする。
「何か、髪に付けさせて欲しいらしいぞ」
「は?え、何もしかして俺、女と間違えられてる?」
ああ、そういえば今日は面倒臭くて髪結んでなかったかも。
多少ショックだったけれど、この少女があまりにも必死でしかも自分がこちらの国の言葉を話せないのもあり、翔は黙って腰を落とした。そうしたら彼女は嬉しそうに翔の髪にその花をさす。
「似合うじゃないか」
「うるさい克己」
こちらの言葉が解からない彼女はにっこりと翔に微笑み、両手を組んで眼を閉じた。教会に行けば必ず見れるようなお祈りのポーズに何事かと思い腰を浮かせたけれど
「ああ、好きにさせてやれ。ここらへんの風習だ。何か物を貰った時は、相手の幸せを願う祝詞を唱える」
克己のその言葉に、再び腰を落とした。
異文化とは不思議で面白い。何となくあの和泉が遺跡に惚れこむ理由も解かったような気がする。
小さな少女が不思議な言葉を唱え、その不思議な音色に耳を貸していると背後で「え?」という克己の戸惑いの声が聞こえてきた。
少女はすべてを唱え終え、笑顔で手を振って街中へと消えてゆく。
「な、さっきのアレ、どんな内容だったんだ?」
「祝詞か?」
「そうそう」
「女王が王様の膝元で永遠の幸せを得られますように。ここら辺の伝説にのっとった祝詞だな」
「ん?で、結局はどんな意味が?」
「俺とお前が永遠に幸せであるように。お前が、俺によって永遠に幸せであるように、か?」
「え?何ソレ。結局どういう意味?」
「早い話、結婚式に良く使われる祝詞だな」
「・・・・・・へ?」
ぽかんとしている翔の頭上にバラバラバラというヘリの音が聞こえてきた。街の外に見慣れた黒いヘリが下降していくのを見て克己が歩き出す。
「あぁ、急がないと、行くぞ翔」
「ちょ、待て!ってゆーか、お前なんでそんなに冷静なわけ!?」
確かに、彼女があらゆることを勘違いしていただけで、親切心なのだから笑って済ませるのが最良だ。けれど何だかこうしてあっさり流されるのも少し癪だ。
憤慨しながら歩いていたら水分大目の雪がザクザクと音を立てる。その足音で機嫌を損ねたと気付いたのだろう、突然克己が振り返り、何故かにやりと笑った。
「何だ、慌てて欲しかったのか?」
「な・・・・・・」
ちっげーよ馬鹿。
と、叫んだが上のヘリの音で声がかき消され、彼には届かない。
ちらりちらりと雪が舞う空に再びヘリが上昇していくのはそれから間もなくのことだった。



それから約一週間後のこと。
自販機前でコーヒーを買ういずるに付き合って来た正紀は、その間長椅子に置かれていた新聞に眼を通して軽く声を上げた。
「あ。なぁ、いずる。この間、テストで遺跡に行っただろ?で、終わった後村に泊まったよな」
「ん?ああ・・・・・・それがどうかしたのか」
「何か、そこの子どもが遺跡に眠ると言われていた宝石を持っているところを発見されたらしい」
「子どもぉ?っていうか、あの例の“氷の女王”?あの話本当だったんだ」
「そうそう。子どもの話に寄ると、カップルの女の方から貰ったんだって」
「カップル?」
「村では見ない顔だったらしい。あの神殿に祭られてる女王と王が村に来たんじゃないかってお祭り状態らしいぞ。見出しが天使の贈り物、だし」
「へーえ。奇特な奴もいたもんだなぁ、子どもにそんなものやるなんて」
「世の中捨てたもんじゃないなー。あー、天使様!俺に宝くじの1等当選クジくれないかなぁ」
「お前の願いは微妙に現実的で嫌だな・・・・・・おら、コレおごりな。お前は俺を天使と崇めとけ」
「お。さんきゅー、いずる大明神。早く部屋に帰ろう」
正紀が折りたたんだ新聞は再び長椅子に置かれ、次に誰に読まれること無く清掃員の手によって廃品回収に出された。もう二度と行くことの無い土地の話だ。その村は貧困に喘いでいたけれどその宝石が見つかったおかげでどうにか持ち直すことが出来たのだが、そんな事は本人達のあずかり知らぬところ。
因みに同じ新聞に、ある有名な盗賊団が捕まったということも明記されていたが、それには誰も気を留めなかった。










top

木戸君・・・・・・(゚∀゚)
ファーストキスですよ!翔は!多分!
反省会は本日付の雑記にて。