ヨシワラは今日も昼間はそれなりに静かだった。たまに、休んでいる少女たちの笑い声がどこからか聞こえてくるだけで、穏やかな時間に受付に座っていた老婆は人知れず息を吐く。
 だが、その時だった。一人の紅いネクタイをつけた青年が顔を出し、客かと思い揉み手を用意したが、入り口から続々と臙脂や蒼いネクタイをつけた生徒が入ってくる。しかも彼らの腕には腕章が付けられていた。その意味に老婆は目を見開く。
 リーダー格であるらしい青年が、彼女に向かって口を開いた。
「我々は陸上士官科の生徒会保健委員一同だ。先日、ここで禁止されている薬の流通が行われているという情報が入った。調べさせてもらう」
 騒ぎを聞きつけたのか、あちこちの扉が開き、様子を伺う顔が覗く。そんな彼ら、彼女らに「全員動くな!」という声が届く。
「薬を所有していた部屋にいた者は校則にのっとり、その場で処分して構わん。たてついた者、奇妙な動きを見せた者もだ!」
 指示を受けた委員会の生徒達はいっせいに中に踏み込み、どこからともなく悲鳴が聞こえた。
 その様子を茫然と見ていた老婆は、ことの重大さにようやく気付き、ガクガクと震えてその場に座り込む。そんな彼女に、保健委員の腕章をつけた青年は近寄り、膝をついてその恐怖で怯えた顔を覗きこんだ。
「薬を持ち込んだのは誰だ」
「知らないよ……!あたしは何も」
 その答えは非常につまらないもので、青年はため息を吐いて立ち上がりながら手に持っていた銃の引き金を引いた。
「監督不行き届きだな」
 すでに聞こえていないだろう老婆の体がその場に崩れ落ちたのを見て、再び彼は目を上げた。
「全員殺しても構わん!」
 部屋に入り、捜索をしている中から、悲鳴や銃声が聞こえ始め、甘い香の香りは血の匂いへと早変わりする。
「……どうせ、クローンやアンドロイドなど代わりはいくらでもある」
 失笑交じりに呟き、男は目の前の光景を一瞥した。





 
 川辺の元へと急いでいた翔は周りの奇妙な気配に足を止める。
 誰かに、見られているような気がする。しかも、視線は一人ではない。複数だ。明らかに警戒されているその視線にぞわりとした悪寒を覚える。
 何だこれ。
 こちらが警戒し始めたのに相手方も気付いたのか、彼らの気配はさらに警戒を強めた。まるで、一歩でも動いたら命は無いと気配で警告されているようだった。
「……また、君か」
 その時背後から聞こえた声にはっと後ろを振り返ると、そこにはどこか呆れたような表情の高遠がいた。
「あ、鼻血の」
「そういう記憶のされかたは不愉快だ」
 単にこの間は大丈夫だったかと聞こうとしたが、高遠の怒りの声に一蹴され、これほど元気ならば大丈夫だろうと思うしかなかった。
「全く。授業はどうしたんだ。さっさと帰って授業を受けなさい」
 彼のその態度と共に、周りの空気が緩やかになったのを感じ、翔はほっと息を吐く。
「高遠先輩……あの、これは一体」
 この奇妙な気配の理由を聞こうとした瞬間、それを咎めるように高遠の眉間が寄る。
「君には関係のないことだ」
 素っ気無い彼の返答は予想していたが、それでは引かないと言いたげな翔の目に折れたのは高遠の方だった。
「川辺教官には会えない。会わせられない。教室に戻れ」
「会えない……って何で」
「君には関係のないことだ」
 再度同じ言葉を口にし、翔を適当にあしらう彼に歯痒い思いを抱かずにはいられない。彼から情報を聞き出せるようなスキルは持ち合わせていなかった。あの頭の良い友人達なら上手く立ち回ることが出来たのだろうかと思ってしまい、翔は自分の力不足に唇を噛むしかない。
その時、遠くから手を振って走ってきた人物が声を上げた。
「おい、高遠!ちょっと不味い事になったぞ……!」
 八月朔日の声に高遠は彼を振り返る。彼は情報集めのために生徒会室に残っていたはずだが、そんな彼がこんなところまで走ってくるとはただ事では無い。
 ちらりと部外者である翔に高遠は視線を流し八月朔日は翔の存在に怪訝な顔を見せたが、それを払拭させるように高遠は彼に厳しい声をかける。
「どうした」
「ガルーがうちの領域内に侵入した」
 それに高遠は眉間を寄せる。ガルーと言えば、科学科の悪名高い戦闘用生物だ。彼らは自分の名を知る人間にしか懐かず、それ以外の人間に攻撃を仕掛ける。たまに、彼らの脱走報告があるのだ。これは科学科と隣接している陸上士官科の悩みの種だった。彼らの餌食となった生徒は何人もいる。過去の事件を思い出し、高遠は眉間の皺を深くする。
「科学科には問い合わせたのか?」
「ああ、だけどアイツら、勝手に脱走したってだけで……どうする?」
「何匹だ」
「調査中だ。そいつらの名前も問い合わせてるけど、教えてくれるかどうか……」
 彼らは手懐けられた犬のように、自分の名を呼ばれると大人しくなり、言う事を聞く。しかし、そうでない人間には牙を向くのだ。よく躾けられている。
「脱走なんてそっちのミスだろうが……」
 科学科の頑なな態度に高遠は舌打ちし、自分の腰元にあった銃の存在を確かめる。弾もフルで入っているはずだ。ちらりと翔を見れば、彼は2人の会話を聞きつつも、意味が解からずうろたえているようだった。その様子に高遠は密かに安堵していた。一応機密事項だ、理解されては困る。
「全校に外出禁止命令を。絶対に一人で行動するな。それと、2,3年の生徒会、執行部役員を全員収集。1年は校舎の警護と一般生徒への説明にあてる。指揮は執行部長の久万馨だ」
「高遠は?」
 てっきり高遠が指揮を取るものだと思っていた八月朔日は驚いたように目を大きくする。そんな彼に、高遠は肩を竦めた。
「俺は今生徒会の人間じゃない」
 少し早いバカンス中だと、さらっと嘯く彼に、八月朔日は呆気にとられた。
「この状況でそれ言うかぁ?」
 正直、猫の手も借りたい状況だというのに、高遠程の知力がある味方がいないのは辛い。しかし、高遠は首を縦に振らなかった。
「後々千宮路に色々言われるのも癪だからな……八月朔日、それと彼を教室まで送り届けてやってくれ」
 高遠が顎で示したのは所在無さげに立っていた翔だった。突然の事に翔も八月朔日も一瞬沈黙してしまった。翔は橘の元へ行きたかったと心中を顔に出し、八月朔日は、俺忙しいのに、と密かに呟く。双方の思惑を呼んだ高遠は2人を鋭く睨み付け、その眼力に2人は文句を言おうとした口を動かす事が出来なかった。
「解かったな?」
「は、はい……」
 以前一度顔を合わせただけの翔と八月朔日だったが、この時は妙に気が合い、頷いた声が被っていた。恐らく、心の中の呟きも同じ内容だっただろう。




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