何故、生きているか、だって?
 克己の問いの意味がよく解からず、いずるは一瞬唖然としてしまっていたが、彼がじっと自分の答えを待っていることと前後の会話で彼が聞きたい事を察した。しかし、その内容は矢張り現実離れしている事で、自分と同じく現実主義だと思っていた克己の口から出た問いだという事に困惑するしかない。
「ちょ、おい、ちょっと待てよ」
 片手を上げ、眉間を寄せたり、口元を笑みの形に歪めてみたりと落ち着かないいずるの様子に、彼の困惑振りが見て取れたが、克己の方は無言だった。その克己の態度が更にいずるを混乱させる。
「あのな、確かに俺は去年酷い目にあったよ。生死の境も彷徨った。集中治療室の中で2回くらい心臓は止まったらしいけど、それが死んだことにカウントされるのか?」
 後々聞かされた話だが、18時間にも及ぶ手術中にいずるの心臓は2回止まったが、腕の良い医師達のおかげでその都度復活させられ、命を取り留めたのだ。けれど、それが彼の言う「死んだ人間が蘇った」例に入るのかというと、違うはずだ。
 どうだ?と目で問いかければ、克己が初めて怪訝そうに眉間を寄せた。
「じゃあ、何故お前は後遺症も何も無くこんなに早く回復した?」
「それは企業秘密だ。でも、これだけははっきり言える。俺は、イースターなんかじゃない。これは確かだ。だからと言って、クローンでも無いぞ。俺は矢吹いずる本人だ」
 魚住が何か言いたげにしていた事を思い出し、一応念を押しておいたが、それに克己は小さく息を吐いた。
「……それは知っている。流石に昨日今日出来た人間が、昨日今日出会った幼馴染に執着したりしない」
「納得していただけたようで」
 克己の言葉に心の中で舌打ちしつつも反論は出来なかった。したところで無駄だ。正紀のことに関しては、自分も彼にただの友人には抱かないくらい執着していることに気付いていた。気付いているからこそ、あまり表面に出したくないのだが、まさかよりによって甲賀克己に見透かされているなんて。
 ふぅ、と僅かに心の中に広がり始めていた屈辱感を吐き出し、目を上げた。
「それでどうして俺は狙われる?」
 一度死んだ身だったら、何故狙われないといけない。その理由を問えば、克己もあっさりと答えてくれた。
「話を聞いた奴らが、お前が例のイースターなんじゃないかと騒ぎ立てたからだ。本物なら、致命傷を負ってもある程度治癒するくらいの再生能力を持っているらしい。奴らは手っ取り早い方法を取っているだけだ」
「あー……手っ取り早い、っていうのはもしかしてアレか?とりあえず半殺しにして治るかどうか試す?」
「半殺しじゃない。キッチリ殺してみないと判断出来ないらしい」
「ちょっと待てよ……」
「心臓を一度止めて、何もしなくとも心音が復活すれば確定だと奴らは信じている」
 頭痛を感じ、いずるは額に手を当てて首を軽く振ったが、克己は構わず説明を続けた。それを制止するように手を上げると流石に彼も口を閉じてくれる。
「待て。それで、俺は今狙われてる?冗談じゃない、俺は違う。手術中に何度電気ショックを受けた思ってるんだ?」
 ハッ、と歪めた口の端から漏れる息は乾いた笑いの音を作り出したが、いずるはその笑みを持続させることは出来なかった。
「勘違いで殺されるなんて、マジで家の事で殺されるより死に切れない!!」
 本当にそんなことになったらそいつ等全員呪い殺してやる!と強い決意を吐き出したが、克己がため息を吐いて「本当にそんな事が出来るなら、もうとっくにアイツらは死んでいる」と首を横に振った。実際もう何人も彼らの勘違いの犠牲になっているのだ。
「あくまでも可能性の話だ。そう興奮するな」
「可能性?憶測で俺にこんな話をしたのか?」
「……信じるか信じないかはお前次第だが」
「俺は、お前を信用出来ない」
 克己の口から出た情報というだけで、信用出来なかった。きっぱりと告げると、まさかそう来ると思わなかったのか、克己の目が軽く見開かれ、すぐに呆れたように彼は肩から力を抜いていた。その克己の態度にいずるの口が、冷静でありたいという彼の意思に反して勝手に動き始める。
「大体何でこんな話を知っている?前から変だと思っていた。お前の知識や身のこなし考え方、マジで軍属の匂いがする。ただの16歳じゃない、お前は一体何なんだ!」
 一気にまくし立てたいずるは強く克己を睨み付けたが、大声を上げて少し気分が落ち着いてきていた。しかし、全く表情を変えずにこちらを見据える克己には憤りを感じる。まるで壁に向かって叫んでいるようだった。ちらりと揚羽のほうを見ると、彼女はどこか不安げな表情でこちらを見ている。初対面だとしても、女性の前で取り乱してしまったことに少し後悔した。
 肩を上下させ、息をゆっくりと吐いたいずるに、ようやく克己が口を開いた。
「落ち着いたか?」
「黙れ」
 そのどこか全てを見透かしているような態度が気に入らない。
 ようやく落ち着いたところで油をかけられ再びいずるの表情が険しくなったのを見かね、克己は肩を竦めた。
「俺の事を知りたかったら彼女に聞け。それ相応の支払いをすれば、彼女は何でも答えてくれる」
 そこでようやくいずるは彼女の正体を知ることになる。そういえば、ヨシワラの何人かは情報屋として動いていると聞いている。彼女がその元締めということか。
「支払い?金か?」
「いいえ、いずる様。このような地下に居る私には金銭など全く価値の無いもの。支払って頂くのは情報です。それ相応の情報を頂ければ、それ相応の情報を差し上げます。今さっき克己様が話したことは全て、私が克己様に差し上げた情報です。信憑性は、私が保証いたします」
 目蓋を伏せ、軽くいずるに向かって頭を下げた彼女に、いずるは困惑するしかない。まず、彼女の言葉も信じられるのだろうか。しかし、その凛とした姿にいずるは彼女を直感的に信じかけていた。滅多にない奇妙な感覚に、うろたえるしかない。
「貴方は一体……」
「これで充分でしょう、揚羽様」
 混乱しているいずるを見かねたのか、それともただ単に話を進めたかっただけなのか、克己が口を挟み、揚羽を見やる。
彼女が僅かに頷いたのに、克己は身を乗り出した。
「では、情報を頂けますか。橘の」
 いずるには言わなかったが、こうしたいずるとのやり取りが今回克己が彼女への報酬として持ってきた情報だった。思いがけず、予想以上のいずるの新たな情報が手に入ったのだから、もう充分なはずだった。これ以上矢吹家の御曹司の心象を悪くすることは、克己にとっても避けたいことでもあったので、早口で急かせば、揚羽も頷いてくれる。
「……わかりました」
 細い手首を軽く揺らし、その鈴が透明な音を響かせたと思えば、奥の襖が音も立てずに開き、人影が現れた。
「お呼びですか揚羽さま」
 顔を出した青年は克己といずるを見てはっと息を呑んだ。それに気付きながらも、揚羽は彼に優しい声でこちらに来るように指示をする。
「葵、こちらへ。お二人に橘さんの事を全てお話なさい」
 葵は克己をいずるを睨みつけたが、揚羽の言葉にその表情を悔しげに歪め、首を横に振った。
「でも、揚羽さま!俺は橘姐を」
「助けたいのであれば、尚更お二方にお話するべきです。貴方一人の力ではどうにもならないこと」
「揚羽さまがお力添え下さるのであれば、人間の力など借りずとも……!」
「私はあいにくと、彼女を助ける気はありません」
「揚羽さま……!」
 悲痛な声を上げて葵はその場にへたり込む。その頭を細い手で撫でながら、揚羽は彼を促した。
 葵はゆっくりと顔をこちらに向け、涙の溜まった眼を克己に向け、眉を寄せる。それが彼の最後の抵抗だった。




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