遠也は本日5回目の欠伸をし、それを横から見ていた大志がそっと声をかける。
「遠也、何か疲れてるな……大丈夫か?」
昨日もあれから遠也はどこかへ行ってしまい、朝方まで帰ってこなかった。どこかへ、と言っても大志の心辺りは一つしかないのだが。4時くらいに帰ってきた遠也はベッドに倒れ込み、そして6時に大志が叩き起こしたので実質2時間しか寝られていないはずだ。
最近、そんな毎日で遠也の体力は限界に近付いて来ていた。今日はずっと学科の授業だったから良いものの、これで演習の授業など入っていたらきっと彼は倒れている。
「よし、ちょっと待ってろ!俺何か飲み物買ってくる!」
昼休みであるこの時間は、比較的自由な時間を過ごせる。大志は意気揚々と教室から飛び出し、遠也はそれを止める間も無かった。
「大志、待……!」
「ただいまー。遠也、ほら、遠也の分のコーヒー……ってどうしたんだ?」
実は先ほど飲み物を買いに行くと言った翔に頼んだばかりだったのだ。しかも、丁度良く翔が帰って来て、冷たいコーヒー缶を机の上に置いてくれた。それを目の前に、遠也はいつもより小さな声で答える。
「……なんでもないです」
「そうか?つか、何か誰もいないんだな」
きょろりと翔が周りを見回すが、いつも共に昼食をとる克己や正紀、いずるの姿は無かった。その際、目があった木戸にはひらりと手を振っておいたが。
「俺もちょっと教官とこに行ってくる」
「何をしに?」
すっと眠たそうだった遠也の瞳が瞬時に細められたのに、翔は少し驚いたが、彼の緊張の理由に軽く首を横に振った。
「女装の件、止めるって言ってくる。その後、橘さんとこに寄ってくる」
葵との約束は昼だった。放課後になると彼女にも葵にも仕事が入るから、他の時間は翔も授業があるからと気を使ってくれた。遠也がどこか安堵したような表情を見せたのは、恐らく女装を止めると言ったからだ。彼にも心配をかけていたのだと、その時改めて思わされた。
「もうちょっと慎重になるよ、俺」
「やっと学習してくれたんですね……」
「って、遠也さり気無く酷ぇ」
苦笑して見せたが、遠也の言うとおりだ。自分は少し焦りすぎていたような気がする。毎晩毎晩くり返される悪夢。あれから早く解放されたいと、どこかで強く思っていた所為なのか。
翔の決意を聞いた遠也は安心して教室から出て行く自分を見送ってくれた。教室から出るまで背に感じた彼の優しい視線に、随分と心配をかけていたようだと密かに苦笑する。
昨日話した木戸もだが、中学から彼ら二人にはひたすら心配をかけていたような気がする。中学時代の自分は、外見から攻めていった木戸とは反対の方向でそれなりの事をやっていたのだから。直接的に諌められたわけではないが、たまに顔や見えるところに傷をつくると遠也には厳しい目で見られた過去がある。
自分から喧嘩を売ったことはなかったが、売られた喧嘩は買っていた。一人を叩きのめせば、その一人の敵討ちだとまた違う人間が自分の前にやってきて、また叩きのめすという日々がしばらく続いたが、それを師であり養父である穂高に咎められ――これ以上素人相手に拳を握るのであれば、もう稽古には付き合わないと言われてしまった。彼が、彼が得意とする剣を自分に教えなかったのは、まだ翔自身に未熟な面があると見抜かれていたからかもしれない。
それ以後は無駄に拳を握る事はしなかった。おかげで、あの頃隣街で名を馳せていたシルバーウルフと直接対決をせずに済んだのだ。
早足で廊下を歩きながら、翔は手首に巻いていた腕時計で時間を確認しようとした。この腕時計は学校からの支給品で、衝撃に強く、耐水性で半永久的に時が狂わないと言われている。タイマーもついている優れものだ。時間に正確に動く事を求められているので、その軸となるものが狂うのは困る。だが、いつもは腕に巻いているそれが無いことに気付き、翔は足を止めた。
そういえば、前の時間に外して机の中に入れっぱなしだ。
翔は元々手首に何かを巻くのがあまり好きではなく、必要な時以外は無意識のうちに腕時計を外す癖があった。暑い季節になると、ベルト部分に汗が溜まるあの感触が好きじゃないんだよな、と心の中で呟いたが、授業に遅れるのは困るので、教室に戻る事にした。
翔を見送った遠也は軽いため息を吐いていた。何だか最近周りが忙しなくて、おかげで自分も忙しない気分になってくる。眠い目を擦っていたおかげで、背後の気配に気付けなかった。
「何か、最近日向君ってば可愛さ増したんじゃね?恋をすると可愛くなるってアレはマジだったのか?」
「……誰が誰に恋をしていると?」
正紀から声をかけてきたことに遠也は一瞬背を凍りつかせたが、どうにかそれを相手に気付かれる事無く言葉を返すことが出来た。思っていたより正紀の態度がいつも通りだったことにも救われる。
正紀は遠也の素っ気無い言葉に「え?違うの?」と首をかしげ
「日向がー、川辺に?」
「そう見えるんなら貴方の眼は相当節穴ですよ」
全く持って不愉快だ。正紀も、それが偽装だと知っているはずなのに。正紀が翔をダシに遠也をからかってきていることは明白だった。翔の事を出されると遠也も口を開かないわけにもいかないことに、正紀も気付いてきたのだろう。
秘密主義だった自分の事を出会ったばかりの相手に見抜かれていることは癪で、遠也の声は自然と低くなる。
「なぁ、佐木。俺、お前に聞きたいことあるんだけど」
その時、正紀がいやに真剣な眼で遠也を見つめてきた。
「いきなり何……ああ、そうだ」
遠也も今朝早良に会い、正紀用の薬を貰ってきたのを思い出す。鞄からその薬を取り出し、机の上に置くと密かに正紀の表情が引き攣ったが、それには気付かなかった。
「これ、薬です。一日に3回、食後に」
「お前、本当なのか」
遠也の説明を遮るように正紀は低い声で追求する。その眼は遠也を静かに見据えてから、ちらりとその薬の入った袋を見た。そして再びその視線を遠也に戻し、彼は再度口を開く。
「お前に、科学科にツテがあるってのは知ってたんだけど。それが、あの薬作ったヤツだって、本当?」
その問いに遠也も思わず息を呑む。一体彼は誰からそれを聞いたのだろう。てっきり、例の病院の事を言われるのかと思っていた。
悔しげに眉を潜める正紀の目は違うと言って欲しいと訴えていた。しかし、ここで嘘は吐けない。
「……本当です」
目を伏せ、ゆっくりと遠也が答えた瞬間、正紀は彼の机の上に置かれた薬の袋を払い落とし、机を殴りつけていた。その激しい音に賑やかだった教室が静まり返る。クラスメイトの驚きの視線を気にすることも無く、正紀は目の前の友人を強く睨みつけていた。
「お前、俺をだましてたのか」
語気から滲む激しい怒りを感じ、遠也は少しうろたえてしまった。普段はどちらかといえば、遠也の方がピリピリとした空気を放ち正紀と対峙していたが、今ではその立場が入れ替わってしまっていた。
「……別に、だましていたというわけでは」
珍しく弱々しい遠也の言葉に、更に正紀は眉間を寄せた。
「じゃあ、何で言わなかった!後ろめたいことがあるから、言えなかったんじゃないのか!?」
「それは……」
正紀に詰め寄られ、正当な理由がないことに遠也は押し黙ってしまった。言えなかったという事は自分もこうした事態をどこかで恐れていたからだ。やはりさっさと言ってしまった方が良かった。だが、後悔したところで今更遅い。
沈黙した遠也に正紀は愕然とする。何かきちんとした理由を何でもいいから言って欲しかったのに、彼は何も言わない。頭の良い彼なら、適当に言い訳を即座に考えて口にし、正紀を納得させていたはずだ。ついでに怒鳴るか嘲笑してくるか、どちらかの反応を見せたはずなのに、珍しく黙り込んでいる。これじゃあ、まるで。
「お前、まさか、俺を実験台か何かにしようとしていたのか……?」
怒りに震える正紀の思わぬ言葉に遠也は顔を上げた。その反応はまるで考えを言い当てられたようにも見え、それに正紀は拳を握る。
ぐっと怒りを堪えるような友人の姿に遠也は目を細めた。
「そうだったら、何ですか」
「……は?」
本当でも一応否定するのがセオリーというものだろうに、遠也は否定も肯定もせずにただ冷たい眼で正紀を見上げた。その眼の黒さに戦慄する。
「病理学とかそういう類の研究は、基本的に誰かの犠牲があって初めて成り立つものです。そうやって、医学は進歩してきたんですよ。これからだって、それ以外に道は無い。貴方だって今まで風邪薬の一つも飲んできたでしょう。それ一つ作るのにだって何百人の人が死んでいると思っているんですか。この先多くの人を救うには、多くのデータや症例が必要なんです。珍しい症例があれば、喉から手が出るほど欲しい」
遠也の反論に正紀は悲痛な表情になる。
「お前の、言いたいことは解かるよ、でも……度が、過ぎてるだろ」
脳から離れない、昨日見た画像と研究報告の内容に正紀は眉間を寄せた。あまりの事に頭痛を感じ、額を手で押さえていた。
「だからって、まだ生きてる人間を解剖すんのか。わざわざ、研究用の人間を作って実験したりすんのか。“H”だってそうだ……あれは、実験だったんだろ?」
去年の一連の事件がそうだと知ったのは、父の調査書を読んだ時だった。彼はその実験を止めようとして、殺された。
「何でそんな事が気軽に出来る?おい、なぁ!」
遠也の細い肩を掴み、必死に問う正紀の姿に眉間を寄せたが、すぐに黒い眼は細められた。そして、遠也は深いため息を吐いて、一言。
「……貴方は根本的に責める相手を間違っているんですよ」
冷たい目に見上げられ、正紀は彼を揺らす手を止める。
「……何?」
「若林中央病院の事、調べたんですね。貴方が見たデータは本当に極秘事項です。一部病院関係者にも知られていないことなんですよ。久川諌矢も恐らくはその真実の姿を知らずに預けられた。矢吹も、何と言っていたかは知りませんが、研究されていたと知ったのは最近の事だと思いますよ」
少し前に若林の名前を出した時にいずるは特に何も知らない様子だったことがそれを証明している。
「本当の目的を知られたら、誰も若林に血縁者を預けませんからね……でも、おかげで良いデータを得られました。矢吹に礼を言っておかないと。貴方の存在も、確かに良い研究材料ですし」
「……っお前!」
カッと頭に血が上り、正紀が我に返った時、目の前にいたはずの遠也は机を巻き込んで倒れていて、自分の手はジンジンと熱い痛みを訴えていた。
「篠田!?」
「佐木、お前ら!」
今まで固唾を呑んで見守っていたが、突然正紀が遠也を殴り飛ばしたのを目撃したクラスメイト達が騒然とする。しかし、彼らはそんな周囲の様子を気にも留めなかった。
「ああ、確かに俺はあの時の事件で唯一アレを飲んで生き残った人間だよ。お前には、俺も良いモルモットに見えてたんだろうな!」
殴られた遠也はその罵声を聞きながらも身を起こし、口元から落ちる血を拭いた。
「くそ、何だよ!馬鹿みてぇじゃねぇか!」
殴られても罵倒しない遠也に正紀は悲痛な声を上げ、自分の茶色い髪を掻き毟る。怒りと嘆きに染まった目が彼の手の影から覗き、それを見た瞬間、遠也は口の中の血の味が濃くなったような気がした。
「一瞬でも、お前を友達だと思った俺が、馬鹿みてぇじゃねぇか……!」
怒りに震えたその声に、遠也は思わず目を見開いた。その時始めて何かを言おうとした声が喉から漏れたが、それは正紀の怒声に掻き消される。
「何で俺、お前に一瞬でも頼ろうと思ったんだよ!結局お前は“佐木”なのか、お前も!」
聞き慣れた声の怒声に、翔は思わず教室の扉の前で足を止めていた。正直、目の前の状況が理解出来なかった。翔が教室を出る前はきちんと並べられていた机が今では正紀を中心に乱れ、そして彼の視線の前には遠也が倒れている。
「遠也……!?」
眼鏡も殴られた時に吹っ飛んでしまったのだろう。けれど、遠也はそんなことには眼もくれず、自分を殴った相手を平静な眼で見つめ続けた。
どうして遠也は不平を言わず罵声も暴力も受け止めるのか。そんな態度が更に正紀の苛立ちを募らせていた。
「アレの所為で、俺は……親友だって無くしたんだ!」
悲痛な叫びに、遠也も昨晩の一件を思い出し、密かに奥歯を噛んだが、正紀の前では軽く眉を上げて見せた。
「その程度で無くなるような絆なら、最初から無くても良かったんじゃないですか」
無機質なその回答に、正紀は戦慄する。
「何だと……!」
「待て、やめろ!」
ぐ、と正紀が拳を強く握ったのを見て翔は慌てて目の前の机を蹴飛ばし、突き飛ばしながら片手を伸ばして遠也の前に立つ。何故こんな展開になったのかは解からなかったが、遠也と正紀では力の差が有りすぎる。本気の正紀の拳を受けたら、遠也なら骨折くらいするかもしれない。
突然の介入者に正紀は驚いたように目を見開き、その様子にまだ彼が我を失っていないことに翔は安堵した。
「篠田、どういうつもりだ」
彼を落ち着かせるように、なるべくゆっくり落ち着いた声で話かけたが、正紀は眉を上げる。
「どけ、日向!」
その肌に突き刺さるような怒声に、足を力を入れるしかなかった。
「嫌だ。これ以上何かするって言うなら、俺が相手に」
構えを取ろうとした翔の肩を遠也が掴み、それを制止させた。その顔は片頬が真っ赤になっている。小さな顔半分が痛々しい状態になっているというのに、彼は表情を変えることが無い。そのことに、正紀は腹の底が冷えていくのを感じた。
「……佐木、どうなんだ。お前は俺を」
わずかに平静を取り戻したように聞こえた正紀の声に、遠也はそっと目を伏せる。
「だましていたつもりはありません。言わなかった事は……すまなかったと」
「言うつもりなかったってことだろ、それ!何で言わなかった!」
静かな声に、正紀は即座に噛み付いた。それが遠也の口から出た初めての謝罪だという事にも、気付く事は出来なかった。しかし、正紀の言う事も最もで、遠也は僅かに眉間を寄せる。
「それは……貴方が彼に敵意をむけるのではないかと思って」
彼、というのは早良の事だ。彼に今死なれるのは、遠也にとっても正紀にとっても良い結果にならない。だが、この頭に血が昇りやすい元不良頭は、自分の損得など考える前に早良に手を上げるのではないかと、遠也は危惧していたのだ。
しかし、そんな遠也の不安に気付く事無く、正紀は拳を握る。
「言い訳ならいくらでも言えるよな。結局はお前も“佐木”だったってことだろ!」
眉根を寄せた正紀に遠也は一瞬だけ苦痛の表情を見せたけれど、それは誰にも気付かれること無く翔の背に隠れた、その時。
べしっ。
静まり返った教室内で次に響いたのは、翔が正紀の頬を叩く音だった。
「日向?」
まさか彼に叩かれると思わなかった正紀は、茫然と間抜けな声で彼を呼んでいた。叩かれるとしても、拳で殴られると思っていたのに、彼は平手で叩いたのだ。ぽかんとした正紀の顔を翔は睨みつけ、拳を握る。
「……何も知らないくせに、遠也を責めるな」
「何も、知らない?」
しかし、その翔の静かな言葉に正紀は引っ掛かりを覚えた。
「何も知らないのはお前だろ、日向!佐木が何をやっているのか知っているのか?こいつの家の所為でどれだけの人間が死んだか……俺の父さんだって、元はと言えば……!」
鋭く遠也を睨み付けたその眼は殺気を隠していなかった。剥き出しの感情に遠也は目を伏せ、翔は息を呑む。そんな翔の様子を、正紀はその瞳で貫いた。遠也への怒りは、何も知らずに彼の前に立ちはだかった翔へも分散される。
「俺の気持ちは、日向、お前には絶対解からない!」
その一言に、翔は背筋に力が入るのが分かった。確かに、ここで一番正紀の気持ちを理解出来ないだろう人間は間違いなく自分だ。それをあっさりと指摘され、口惜しいものもあり、密かに奥歯を噛み締めた。
正紀が思っていた以上にその一言は翔の心に突き刺さっていたが、翔は自分の心の痛みには気付かない振りをした。
「……ああ、俺にはお前の気持ちは理解出来ない。だけど、だから協力したいと思ったんだ。そんな風に思える篠田が羨ましかったから。でもこれだけは言える」
遠也を庇うように、そっと片腕を持ち上げ、翔は正紀を睨み上げた。
「お前が殴るべき相手は、遠也じゃない。篠田だって、本当は分かってるんだろ……!」
「……だけど」
再び言い訳を口にしようとした正紀の先を読み、翔は彼を強く見据えた。
「自分の信念を見失うな。怒りを向けるべき相手を間違ったお前の行動は、ただの暴力だ」
静かに、しかしどこか強く言い、翔は遠也の腕を引いて教室から出た。茫然とした正紀の視線が背中に感じたけれど、振り返ることは無かった。
さっさと教室から出て行ってしまった二人を眺め、正紀はようやく頭が冷えてくるのを感じた。じわじわと冷静になるにつれ、後悔もじわじわと広がってくる。
不意に落とした視線の先には遠也の眼鏡が落ちていて、それを拾い上げてみると少しヒビが入っていた。結構な力で叩いてしまったらしいことを目の当たりにし、奥歯を噛み締める事しか出来なかった。
「篠田?ちょ、お前どうしたんだよ!」
遠巻きに見ていたクラスメイトの壁を掻き分け、騒ぎを聞きつけた大志が顔を出した。彼は事が起きた時はこの教室にはいなかったのだが、戻ってきて正紀が遠也を殴ったと聞き、慌てて未だ苛立っていた正紀に駆け寄った。
確かに正紀は元不良という過去を持っていたが、むやみやたらに人を殴るような人間ではない。その事を大志は良く知っていた。しかも、よりによって相手は遠也だ。
肩を掴むその友人の手を正紀は乱暴に振り払う。大志は突然正紀の殺伐とした空気に当てられ、唖然とする。
「篠田?」
「っせぇ!……っなんなんだよ」
翔に叩かれた頬が熱い。大して強く叩かれたわけでもないのに。いっそ、殴られた方が良かった。あの五中の日向と呼ばれたほどの鉄拳で、歯が折れるほど殴られた方がマシだった。
何だか無性に自分が惨めな気分に陥り、視界が滲む。
「篠田……」
クラスメイトの視線が耐えられなくなり、教室から足早に出て行こうとした彼を大志は慌てて呼び止めた。自分は最近彼らが何をやっているのかは知らない。けれど、自分も彼らの友人なのは確かだ。
「俺、お前らが最近何やってるかは、知らないけど……遠也は、すっげ頑張ってたよ」
その言葉に正紀は足を止める。
「朝方になるまで、ずっとパソコンに向かってたり、なんか資料みたいなの見てたり、授業なんかもうフラフラで……最近、篠田と一緒にいるところ良く見たけど、それ、もしかしなくてもお前の為だったんじゃないのか?」
伺うような大志の言葉には、正紀も思わず奥歯を噛み締めていた。
知っていたはずだった、その事は。解かっていたはずだったのに。
じっと自分を見上げてくる大志に背を向け、正紀は早足でその場から去った。怪訝な目で自分を送るクラスメイトの視線が痛かった。
この体の奥から湧き上がってくる苛立ちは、一体誰に対してなのだろう。真意が見えない佐木遠也か、それとも沈黙を貫き通していた幼馴染か、それとも――。
その時ドン、と肩がぶつかった相手に、正紀は顔を上げる。早口で謝罪したらそのまま行くつもりだった。が
「篠田?」
「……川辺教官」
何でこんな時に、彼に会うんだろうと正紀は心の中で呟いていた。
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