タン、と矢が的に刺さる音が、朝日の入る道場に響いた。
 的を射抜いた矢を横目で眺めてから、いずるも弓を引く。いずるが放ったその矢も的中し、隣りから苦笑がもれた。
「流石、矢吹いずるだな」
 どこか当然だと言いたげな魚住の笑い方が気に入らず、いずるは矢を置いてから彼を鋭く睨みつけていた。
「いい加減にしていただけませんか」
 棘のある声に魚住が目を上げる。その眼は、何の事だと言いたげだった。その、何も知らないと言いたげな態度がいずるの眉間に皺を刻ませる。
「正紀の事です。アイツに近付かないで下さい。何度言えば解かるんですか」
「……俺が近付くと、困る事があるのかな?」
 魚住はわかっているだろうに、意地の悪い問いしか投げてこない。その態度が更にいずるの怒りを煽った。
「……貴方は、保健委員だ」
 はぁ、とため息を吐きながらいずるは指摘する。自分が危惧している事実を。
 魚住は眼を細め、口元を上げる。嫌な笑いだ。
 彼は保健委員だった。普通は隠密に動く機関だから彼がそうした役職についている事を知っている人間は少ないが、いずるは知っていた。伊達に矢吹姓を名乗っていない。
 保健委員は、薬に溺れ、末期に至った人間を暗に始末する仕事がある。魚住もその仕事をしているはずだ。生徒会から依頼され、手を下す。彼が正紀に声をかけたのも、生徒会が正紀が薬をやっている事実を突き止め、魚住に命を下したのだろう。
「ああ。俺は保健委員だ。だから?」
 魚住は矢を手に取り、弓を引く。彼が放った矢は的に刺さった。少々荒っぽいが、狙った的には必ず弓を突き立てる彼の腕は本物だ。
「正紀の事、見張っていたのではないんですか」
「……篠田君は、危険リストには載っていなかった。けど、知っちゃいけない事を知ってしまったんだ」
 くるりとこちらを振り返った魚住の笑みに、いずるは一歩引く。
「俺が、“H”をやっているという事実を、突き止めてしまった」
「……何だって?」
 魚住が、薬をやっている?保健委員なのに?
 信じられない思いだったが、自分も今それを知ってしまったということにいずるは魚住を睨みつけた。彼は、自分を殺すつもりか。しかし、彼は慌てたように手を横に振る。
「……俺は君を殺すつもりはないよ、矢吹。矢吹家の嫡男を殺したら、むしろ俺の首が飛ぶ」
「じゃあ、何故」
 その問いに魚住は視線を別な方向へやり、すぐにいずるの元に帰って来る。どこか淋しげな眼に、いずるはある事を思い出した。
「伊原先輩のこと、何か関係が……?」
 伊原優史と彼は学年は違うが、仲が良かった。従兄弟で、幼馴染だったらしい。だが、伊原は4月に死んでしまった。戦場へ行き、その傷が元だったと聞いている。
「優史は、良い奴だったんだ」
 ぽつりとどこを見るわけでもなく視線を漂わせながら魚住は言葉を落とす。
「良い奴だったから、戦場での出来事を忘れる事も、割り切る事も出来なかった」
 あそこから帰ってきた後、幼馴染は変貌してしまった。今まで女なんて抱いた事も無かったくせに、ヨシワラに入り浸り、授業にも出なくなったと聞く。そんな幼馴染の変貌に、当時学期初めで委員会が忙しかった魚住は気付く事が出来るほど彼と共にいなかった。戦争が一度あると、薬に溺れる生徒が続出し、その対応にずっと追われていたから。
 その変貌を知ったのは、彼を殺せと生徒会から命が下った時。
「それまで、ずっと何も考えず生徒会の命令どおりのやり方で殺して来たけど、流石に相手が優史となると、手が震えたよ」
 どうにか更正出来ないかと手を尽くしてもみた。だが、そう簡単に抜けるほど薬は優しくない。しかもただの覚醒剤や麻薬ではなく、あの“H”だ。
「でも、優史が3人殺していると聞いた時、もう駄目だと思った」
 誰かが殺すなら、自分がやる。そう思って、けれどいつものようにナイフで刺し、彼の肉の感触をこの手に感じるのは恐ろしくて、銃を手に取り、血まみれの彼の前に立った。
 彼は、助けて、と笑った。
 そんな彼に、引き金を引いた。
 そう静かに告げる魚住の眼は声の調子と同じく静かで、平静だった。
「その後、必死に優史に薬を渡していた人間を探したよ。それで、見つけたんだ」
「……彼女、ですか」
 静かないずるの返答に魚住は驚いたように眼を大きくする。まさか、いずるがそこまで知っているとは思ってもみなかったという反応だ。
「知っていたのか……」
「一応は」
「俺が、あの女を殺そうと決意した瞬間を、教えてあげようか」
 魚住は笑顔で道場の奥へと歩みを進め、ある場所の前で止まり顔を上げた。そこには、この弓道場を利用する生徒の段位を示す板が並べられていた。そこには当然いずるの名も、魚住の名も、そして伊原優史の名が書かれた板がある。
「先輩?」
 そして魚住は何故か伊原優史のその板を外し、裏表を適当に眺めてから、無造作にその板を持つ手に力を込めた。折ろうとしているくらいに。
「先輩!」
 幼馴染への無碍な仕打ちにいずるは声を上げて止めたが、それも虚しく板が割れる鈍い音が道場に響いた。その瞬間、白い粉がぱっと宙に舞う。
 小麦粉のようなそれは魚住の手を白く汚し、床へゆっくりと落ちていく。その様に、いずるは目を見開いた。
「これは……」
「あの女、これを薬の受け渡しの場所にしてやがった」
 怒りに震え始めた魚住の声に、いずるももう一度それを確認する。
 この粉が、まさかあの“H”なのか。級位が上がれば移動するが、伊原優史のその地位が変わることはもう二度とない。そして、魚住がここにいる限りこの名を外す事は無い――そういった事を見越した上での選択だったのだろう。
 確かに、ここは人もあまり寄り付かず、更に科学科の敷地の境にある。受け渡しには絶好の場所だ。
「あの女がこの道場に顔を出していた理由はこれだ。あの女、死んでも尚優史を穢し、利用していやがった……!それどころか、神聖なこの弓道場も馬鹿にしている!」
「魚住先輩……」
 彼の気持ちが痛いほどに理解出来てしまうのは、彼と自分の状況が似通っているからだろう。自分も一歩間違えていたら、いや、一歩間違えたら彼のような状況に陥ってしまうのだ。
「……どうして、貴方までそんな薬に手を出したんですか」
 以前はとても綺麗な矢を放つ人間だった魚住の変わりようにいずるは目を伏せた。彼がそんな薬に手を出した理由がまだいずるには理解出来ない。
 魚住はその問いに眼を細め、口元を三日月形に歪めた。哀しげな、何かを諦めたようなそんな笑い方だった。
「君は……正常な精神で、幼馴染を手にかけることが出来るか?」
 ……ああ。
 すとんと納得出来たと同時に、いずるは叫び出したい衝動に駆られた。
 伊原優史の死で始まったことではなく、彼の死の以前から始まっていたのだ。そして、自分が彼の異変に気付くのが遅すぎた事をこの時思い知らされる。
 不意に思い出すのは、昨日喧嘩別れした幼馴染のことだった。ただの喧嘩別れではないことが、やはりどこか引っ掛かっている。
 彼のことも、遅すぎたのだろうか。
 もし、3年前、自分が矢吹に行かず彼の側に居続けたら、自分達は今もただ笑い合う親友でいられたのだろうか。お互いにお互いを好敵手と認め、競争し合いながらも笑い合える、楽しい時を過ごせていたのだろうか。しかし、いずるはそんな架空の時を切望するのはとうの昔に止めていた。
 今の自分が彼にしてやれること、と言えば目の前にいる魚住の奇妙な行動を止める事くらいだ。
「……貴方が何をしようと勝手だ。正直貴方がどうなろうと俺にとってはどうでもいい。だけど、正紀が貴方の事を気にかけている。貴方が薬をやっている事が真実なら、それを知ったあの馬鹿は多分貴方を救いたいと思ったんだろうな。貴方の状況が」
 正紀は一端そこで言葉を止めたが、荒くなりかけた口調を押さえ、目の前の魚住を見据えた。
「……お前達の状況は、俺達に似過ぎている」
 忌々しげに吐き捨てたいずるに、彼は眉を上げ、それとほぼ同時に持っていた弓も下げる。
「伊原は死に、アンタは薬漬けで殺人者。アンタらの最悪の状況に、アイツは俺達にも最悪の状況を予感した。だからアイツは俺から離れた」
「……警告してやったんだ、人生の“先輩”としてな」
「あぁ、お優しい心遣いに感謝しているよ、心から」
 ゴッといずるが左手で殴った壁が鈍い音を立てる。魚住はその様子に目を細め、小さく笑う。どこか満足げにも見えた笑みに、いずるは奥歯を噛んだ。
「もう良いだろう。アイツは俺から離れた。アンタの狙いが何だかは知らないが、アイツに、正紀に……もう関わるな。それとアンタももう変な行動をとるな!アンタが変な動きをしたら、正紀が勝手に嫌な未来を予測して不安になるんだ……!」
 例の薬に侵されているという点では正紀と魚住は共通している。そこから、正紀が不穏な未来を予見していることがいずるにとっては腹ただしいことだった。お前と彼は違う、と自分が言ってもそれを正紀はきっと受け入れない。自分の言葉を受け入れない親友など、見たくは無かった。
 再度壁を殴ったいずるに魚住は肩を竦める。
「……矢吹、君は他人の、特に篠田に関しての危機は鋭いが……どうも自身の危機となると鈍いな」
「……何?」
 ため息混じりに言われた言葉にいずるは顔を上げ、彼を振り返る。そこには、眉を上げる魚住がいた。
「君は、君自身をよく知った方が良い。矢吹家のお家騒動の話は俺も聞いているよ。君のお母上は今の矢吹家現当主の一人娘。その一人娘が消え、矢吹家を継ぐのは現当主の弟一族かと思われていたが、娘は突然帰ってきた。しかも息子を連れて。弟一族の落胆は酷いものだったはずだ、君を殺そうと思うくらいには」
 唐突な話題にいずるは一種違和感を覚えたが、それを潜めて目を伏せる。
「……何のことか解からないな」
「実際命を何度も彼らに狙われただろ?」
 すっと指を差されたいずるは魚住を見据えた。先ほどまでの焦りなどあっさりと沈ませて。
「去年の秋頃……確か君のいた街で殺傷事件があったはずだ。酷い事件だった。被害に遭った中学生は、確か左半身がメッタ刺しにされてた。まるで、あの薬の乱用者に刺されたように」
 魚住の言葉に熱が入り始め、その目にはどこか狂気を孕み始めた。
「彼は瀕死だった。瀕死だったのに、運ばれた病院から姿を消した。彼一人じゃ移動は到底無理だ。誰かがどこかへ彼を移したのは間違いない。だが、誰が、一体何の為に?」
 わざとらしく両手を広げ、答えを求めるように肩を竦める魚住を、いずるは感情の伺えない目で見ていた。
「矢吹、君はその日から1週間、学校を休んだよな」
「ああ、風邪を引いた」
「その2週間後に中学最後の大会があったのに?体調管理には厳しい君にしては珍しいな」
「たまにはそういうこともある。俺だって生き物だ」
「だがその中学最後の大会に君は出なかった」
「体調がまだ思わしくなかった」
 すらすらと答えを示すいずるに魚住は一度言葉を止める。しかし彼がまだ何かを探ろうとしていることは明白で、いずるはそれを鼻で笑う。
「それが、何か?」
「……矢吹、君は――頭が良い」
「お褒めに預かり光栄ですね」
「だったら、知っているだろ?名家の当主になるにはある程度の条件があることを。宗家の直系でなければいけない。また、自然授精でないといけない。今じゃ人工授精は一般的に行われているけれど、それさえも禁じるのは、正常な血を残す為だ。変に科学に頼って異常が発見されるのは数十年後だからな」
「……ああ、その話なら中学時代嫌ってほど聞いた。最近の人間の遺伝子は弱ってきてて、性衝動が極端に弱っている。良い事じゃないか、性犯罪者が減る。ま、種の保存本能が薄れてきているって事だけど」
「そこまで解かっているなら答えてくれ、矢吹。名家の当主になれないのはどんなヤツだ?」
 彼もここまで会話を誘導させていたのなら知っているだろうに、聞いてくるその態度にいずるは目を細める。それは中学時代のテストにも出た問題で、いずるはそのテストで高得点を出していた。
「……そうですね。取り合えずは、直系の血を持たない者、それと人工授精で生まれた者、遺伝子が変質する可能性が有る人工的な処置をされた者。それと、性的不能者。一族の血が残せない人間は用済みだ。それと……」
 もう一つ頭に浮かんだものを口にする前に魚住の方を見れば、彼はどこか、何かを期待しているような目でいずるを見ていた。それで、彼の背後に関わっている人物が何者なのか、少し理解出来たような気がする。
 いずるは、彼の後ろにいる人物に対し、挑戦的に口元を歪めた。
「それと、クローンとか、ですか?」
 魚住の目が待ち望んでいたように軽く見開かれる。その瞬間、道場の扉が軽く音を立てた。
 二人が同時に振り返るとそこには、克己が立っていた。彼がその扉を叩いたらしく、その手はまだ軽く握られていた。
「……邪魔だったか?」
 彼は淡々と問うが、それにいずるは軽く首を振った。
「いや?じゃあ、先輩、俺はそろそろ授業が始まるので」
 わざとらしく笑い、いずるは克己の立つ扉に向かう。彼が魚住を振り返ることは一度も無かった。
 重い扉を閉め、克己と共に歩き始めたいずるは笑みに口元を歪ませていた。
「流石甲賀、良いタイミングだった」
「……俺をお迎えに使うなんて、良い度胸をしている」
 忌々しげに呟く彼だが、自分の思い通りの展開になり、いずるは上機嫌だった。
「お前は最高のカードだよ。もうしばらく持っていたい切り札だったけどな……ホラこれだ」
 いずるはポケットから探り当てた小さなメモリーカードを克己に渡す。濃い紫色をしたそれを受け取り、克己は小さくため息を吐いた。
 以前、うっかりいずるに撮られた写真はすっかり弱みになってしまい、それを理由に今日は彼に使われた。
「もう無いだろうな?」
 疑り深い克己の黒い目に、いずるは苦笑する。
「無い。ずっと持っていたところで俺じゃ扱いにくいから、もう良いさ。それに充分利用させてもらった」
「なら良い」
 パキリ、と軽い破壊音にいずるは克己を振り返った。克己は手の中でそのメモリーカードを折ったところだった。それに驚いたような顔をしたいずるに、克己は怪訝な目を返すが
「……消去すればまた使えるのに」
 勿体ない、と続けたいずるに今度は克己が眉を上げる。
「お前、本当に名家の御曹司か?」
 みみっちい。
 そう呟く克己に、いずるは眉間を寄せる。
「元は庶民なんだ、仕方ない」
「そうだったな。だが、そんな事は俺にとってはどうでもいい」
「ん?」
 克己は口元を歪めながら、手に持っていたメモリーカードの残骸を地に落とす。4つほどに割れていたそれは、あっさりと砂の中に沈んだ。その一部始終をいずるは目だけで追い、その目を上げて、自分のその行動を後悔した。じっと自分を何か思案している目で見つめている克己がそこにいる。
「矢吹……お前は“矢吹”だったな」
「……何だよ、羨ましいか?」
 名字を連呼した克己に軽口を叩いてみたものの、彼の眼の色は危険だった。それを察知したいずるは激しい後悔に襲われ、砂に散った自分の盾をちらりと見た。残念ながら、それはもう盾として使えないほど粉々になっている。
 克己の方もいい加減鬱憤が溜まっていたのか、彼を逃がす気はさらさらなかった。
「丁度良い。一緒に来い、矢吹」
「は?って、これから授業だろ?一体どこに……」
「生憎だが、お前に選択権はない」
「それでも拒否したら?」
「この場で犯す」
 克己のその言葉をハッと笑い飛ばしかけたが、それを思わず止めたのは彼の目が本気だったからだ。代わりに出した声は、わずかに戸惑いが滲む。
「…………冗談だろ?」
 だが、軍の拷問方法に、その気のない男を犯すという手法があることをいずるも知っている。そうすることで、敵の尊厳やら威信やらを奪う事が出来るらしい。その気持ちは、解からなくも無い。
「好きに判断しろ、御曹司殿。さぁ、答えろ、当主に求められるのは正確で適切な判断力だ。YES?NO?」
 克己の口元は笑っていたが、目は笑っていなかった。どうやら自分があんな弱みを握ってしまっていたことに、克己はかなり憤慨していたらしい。いずるが思っていた以上に。
 ということはつまり、彼は今とても怒っているという事で。つまりは大方本気だ。
「……YES」
 両手を挙げ、降参の意志を示すと、克己は満足気に鼻で笑った。
「懸命な判断だ」
 そう言いながら、克己は背後にあった小さな倉庫の扉を開ける。こんなところに倉庫なんてあったのかといずるもその中につられるがままに入ったが、中のあまりの埃っぽさに咽た。
「何だ、ここ」
 小さな豆電球に照らされるだけのそこは使い古された武器やら何かの用具やらが乱雑に置かれていた。その型が旧型であることは一目で解かった。つまりは、長く使われずに放置されていた倉庫だ。
「この間見つけた。掃除すればきっと良い隠れ家になるな。監視カメラも盗聴器も仕掛けられていないようだ」
 克己はそう答えながら自分のネクタイに手をかけた。
「あぁ、在学中にその掃除が終わればな」
 不満を隠しもしないいずるの態度に克己はネクタイを外しながら口角を上げた。まるでいずるが苛立っているのを見て楽しんでいるように。その黒い眼が何を考えているのか予測が出来ず、足先から痺れるような恐怖が走った。
「……って、何やってるんだ、お前」
 濃いカーキ色のネクタイの代わりに彼が首に巻こうとしているのは、濃い蒼のネクタイだった。
「昨日一人で行ったらあっさり追い返されたからな。お前の名前が必要だ」
 着替え終えた克己の姿にいずるは眼を見開く。普段着ている制服だが、その首元に付けられた蒼いネクタイは最高学年を示すものだ。
「お前そんなもの付けてて見つかったら階級詐称で捕まるぞ!」
「捕まらなければ良い」
「何言って……これからどこに行くつもりなんだ」
「どうだ、上級生に見えるか」
「質問に答えろ」
 整髪剤を手に取り前髪を上げてから滅多に被らない軍帽を頭に乗せた克己は、いずるの問いに人の悪い笑みを浮かべた。確実にわざとだ。この間の意趣返しをされている。
 確かに、目の前に立っているのはこの学校の上級生以外の何者でもなかった。しかも、どこか位が高いような雰囲気もある。普段下している前髪を上げるだけで、随分と大人びた顔になるものだ。そしてその顔で口角を上げられると、野心を秘めた軍人にしか見えない。
「付いてくれば解かる」
 付いて行きたくない。
 心の底から危険を感じていたが、クラス一の実力を持つ彼からは逃げられなかった。そんな隙も見当たらない。
 身から出た錆というか、自業自得というか。
 いずるはこの先克己相手に脅すのは止めようとこの時心に誓った。そんな彼の決心を知ってか知らずか、克己はいずるを帽子の下に隠れた目でちらりと見る。
「まさかお前も、あの魚住の話を全部鵜呑みにしたわけでもないだろう?」
「は?」
 殆ど鵜呑みにしかけていたいずるは、克己の言葉に高い声を上げていた。その声一つで、克己はいずるが魚住の言葉を信じていたことを察したらしい。はぁ、とため息を吐いた彼は額を押さえていた。
 


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