大丈夫だと思っていても、やはりこの瞬間は緊張するものだ。
 真壁茅哉は目の前の扉を視界にいれ、目を細める。私服の尻ポケットに滑り込ませていたあるものに指を滑らせ、その硬さにわずかに緊張が緩んだのが分かった。
 目の前にある扉は、自分がいる南寮から少し遠いところにある倉庫だ。今回の会合はここで行うと言われた。自分達の動きを気付かれないように、会合場所は数箇所候補がある。ヨシワラの一室、校内の教室、体育館の裏などなど、警備の薄いところが主だ。
 軽く息を吸い、真壁はノブに手をかけた。
「失礼します」
 扉を開けると、目の前の机に座っている少女と、黒髪の青年が一人部屋にいた。
「遅い」
 少女がきつい目で真壁を睨みつけ、それに軽く頭を下げて見せた。
「すみません、凛さん」
 しかし、誠意が足りなかったのか彼女は眉を上げ、机の上から飛び降り、詰め寄ってきた。気の強そうな目に見上げられ、真壁は助けを求めるように黒髪の青年に視線を投げた。しかし、彼は人の悪い笑みを浮かべるだけ。
「時間は守って下さい。まぁ、軍人じゃない貴方がたに多くは求めませんが」
 凛の言葉から棘を感じつつも、真壁は肩を竦める。彼女はそこに立っている黒髪の青年にあまり良い感情を持っていないので、短時間でも二人きりにさせられたことをかなり不満に思っているようだ。
 まぁ、軍人に協調性を求めるつもりはないが。
 今日は新しい仲間の紹介の為に集まったのだった。さっさと紹介して帰ろうと、真壁は手を上げる。
「凛さん、紹介します。こちらが以前お話した御巫先生……本名は」
「本名はデューク。デューク・ヴァッセル」
 そこで黒髪の青年がようやく口を開いたが、それは逆効果だったようだ。凛の表情はその瞬間険しいものになり、その理由もわかりやすく、真壁はため息を吐きたいのを必死に堪えた。
 ヴァッセル家といえば、彼の国でも名門貴族で、デューク自身ナイトの称号を得ていた上に、軍でも最高の地位を得ていたはずだ。そう、女王の親衛隊という、最高の地位を。凛は優秀な軍人ではあるが、下っ端ゆえに他国へと侵入する使い捨てのエージェントという扱いを受けている。貴族ゆえに最高の地位を得ていた彼のことは、気に入らなくて当然だろう。見えない亀裂が二人の間にはある。
「天下に名高いヴァッセル家の騎士殿が来て頂けたとは、心強いですが」
 彼女は腕を組み、何かを図るように指を上下に揺らしていた。
「何故、騎士の称号を持つ貴方がこのような辺境の地に?」
 それは、真壁も気になっていたところだった。他国の軍内に潜入するなど、死んで来いといわれているようなものだ。そんな危険な任務に、通常ならば貴族出身でさらに騎士の称号を持つ人間が付くわけがない。
 彼女の問いに、御巫は軽く笑った。
「さぁ?騎士の称号を剥奪されたから……ではないかな?」
 軽い口調だが、それは彼にとって極刑にも近い処遇のはずだ。一体何をして女王の逆鱗に触れたのだろうか。
 だが、真壁には思い当たるところがあった。それは彼独自の情報ルートから流れてきたもので、凛は恐らく知らない。険しい顔をしている彼女は、それ以上追及することはなかった。たとえ騎士の称号を剥奪されたとしても、彼は彼女の上司。縦社会である軍に所属する彼女が、彼に何か言えるわけがない。
「今日は顔合わせのみですよね。それでは失礼します」
 と、思えば彼女はさっさと帰ってしまう。最後に敬礼と「女王陛下のために」の一言を忘れずに。
 御巫自身も彼女から拒絶の空気を感じ取っていたのだろう、真壁と顔を見合わせ、肩を竦めた。
「……彼女は軍人ですから、貴族の貴方とは馬が合わないのでしょう」
 仕方なくフォローをすれば、彼は普段の御巫先生ならば見せないような笑みを浮かべた。真壁も彼が仲間だと聞いて本当に驚いたものだ。自分が見ていた御巫は、あまりにも頼りなさ過ぎる。だが、それが演技だと知れば、頼りがいがある。というより、気の置けない相手だ。
「君もか?真壁茅哉君」
 お前も軍人かと聞かれ、真壁は首を横に振る。
「俺は、下っ端ですが軍人ではありません」
 それどころか、自分の国籍はここの国だ。恐らく、今の自分の行為は裏切りとなるのだろう。御巫の怪訝な目には、答えを示さないといけない。
「一応文人ですよ、祖父は外交官でした。それに」
 真壁は苦笑し、思いだしたように尻ポケットから銀細工の懐中時計を取り出した。その表面には鳥の翼とある植物の葉らしきもの、そして羅針盤が描かれている。それに、御巫は目を剥いた。
「君は……」
 思ったとおりの反応に、真壁は少し安堵する。
「これは、祖父の形見ですが、俺がこれを受け継ぎました」
 何も知らない人間が見れば、それはただの懐中時計だろう。だが、同志だけが知るその意味に御巫も耳につけているピアスを外した。そこには、彼と同じ紋章が彫られている。
「まさか、こんなに若い同志と出会えるとは……しかも、この国で」
 御巫は驚きを隠せないようで、何度もそのピアスと懐中時計を見比べていた。これは、真壁は確かにこの国の人間だが、志を同じくする同志である証しだった。
本当に驚いたと言いたげだが、それでもどことなく嬉しそうな御巫の様子に真壁もほっと息を吐く。
「……だから、私は貴方がたに手を貸したのです。納得していただけましたか」
「納得も何も、心強い事この上ない。だが、彼女はそれを知っているのか」
 凛の事を思い出したのか、御巫の眉間に皺が寄る。だが、それに真壁は首を横に振った。
「知るわけないでしょう。軍に<碧玉の塔>の事を知られてはいけない。俺の事は、この国の反逆者程度にしか思っていません」
 この国でなくとも、軍という機関にこの秘密結社、<碧玉の塔>の存在を知られてはならない事になっていた。知られたら、間違いなく攻撃を受けるからだ。世界平和や自由平等、博愛などを理想とするこの結社は、彼らには邪魔な存在だ。だが、何も知らない軍を他所に、世界中にメンバーがいることも事実だった。また、真壁や他の何人かのメンバーのように、軍人では無い時にこの秘密結社に入り、軍内に入隊して、軍の内情調査をし、組織に情報を流している人間も少なくない。組織の規模は正確には把握していないが、大規模とは言い切れる。
御巫、いや、デューク・ヴァッセルもそのメンバーの一人。真壁の元にはそんな情報が流れてきていた。
 騎士の称号を持ち、かつては女王の親衛隊に所属していたと聞く。順風満帆だった人生が何故こんな危険な地へ向かわされる事になったのか、それは真壁も興味があった。ある程度調べてみたが、確証らしき情報は得ることが出来なかった。そして彼には気になる情報が一つある。
「貴方が今手を貸しているグループの情報を頂けますか?」
「ああ、後でメールで送ろう。どうも気が合わない人間ばかりで俺も辟易している。さっきなんて一般生徒に妙な薬を使っていた。全く、嫌になるな」
「しばらく我慢してください。彼らの行動はこちらにとっても有益。彼らの目的が不透明な以上、敵対することも力を貸すことも出来ませんので、逐一報告を。大変でしょうが、貴方が有能だから出来る事ですから」
 くすりと笑う真壁に御巫はため息を吐いた。確かに今の自分の状況は大変としか言いようがない。敵地で、敵か味方かも解からないグループに入り、敵地の情報を本国へ流し、グループで求められる仕事をこなしながらそのグループに関する情報も本国に流す。宇佐木達も自分が完全な味方では無いと分かっていて自分を使い、様子を伺っている節もある。どこにいても心が休まらない。
「ま、サポートを頼むよ、真壁君」
「はい。有能なエージェントをサポートするのはさらに有能な人間の役目ですしね」
「言うなぁ、真壁君」
「それにつきましては、<碧玉の塔>から貴方に少々聞きたいことがあると」
「<サファイア>が?」
 思わぬことに御巫は目を上げた。組織の呼び方の違いに真壁は一瞬動揺したが、言語の違いを思い出し、頷く。そうか、碧玉はサファイアなのか、と今更納得しながら。
「貴方は少々この国の王室に対して嫌悪感を抱きすぎているように見受けられると」
 そう指摘され、御巫の視線が真壁に留まった。
「御安心下さい。個人の思想に口を出す気は<塔>にもありません。ただ、留意しておくようにと」
「……留意?」
 その単語に御巫が怪訝そうに眉を上げる。言葉の意味が解からないわけではないだろう。これくらいの単語が分からなくて、この国の人間である振りは出来ない。
 今の単語の意味は、彼自身に考えて欲しい。真壁は彼の怪訝な目を見なかったことにし、続けた。
「<塔>からの情報です。一ヶ月以内に、蒼龍の結婚パレードが行われる。その時に、蒼龍の暗殺計画が企てられていると」
「暗殺計画」
 その情報に大して驚きはしなかったが、御巫は困惑しながらも、組織の情報の早さに驚かされた。
「首謀者は?」
「民間人によって作られたテロ組織という設定になるそうですが。裏で誰かが糸を引いている事は確実ですね」
「テロ組織……複数人で襲い掛かるつもりか」
 単独犯にしないつもりならば、そう考えるのが普通だろう。しかもテロ組織という言葉の印象は過激で野蛮。恐らく、周りの人間も巻き込むくらいの爆弾を用意してくるのではないか。
 そんな御巫の予想に真壁も頷く。彼も同じ事を考えていたからだ。
「当日は恐らく多くの死人が出る。俺は大人しくこの学校で授業受けてますけどね」
 真壁は自国のことであるというのにどこか他人事のような口ぶりだった。彼はどこかでこの国を見限っているのだろう、でなければ自分達に協力はしない。
「サ……<塔>はどうするつもりだ」
 こちらの国の呼び方に直した御巫に真壁は目を細める。
「静観すべしとの事です。一国の皇子の暗殺、成功しようが失敗しようが、関わらないのが懸命です。貴方も、何か動くつもりでしたらそのピアスは外していかれるように」
 組織の紋章を外せば、御巫はただの一般人になる。そうするのであれば、組織も口は出さないということだろう。どこか、予想していた返事だった。
「<塔>らしい判断だな。俺は本国の指示を待とう」
 組織の一人である前に自分は本国のエージェントでもある。もし、自分が動いてこの国に拘束されたら自分の正体も暴かれてしまう。そうなれば国際問題に発展し、国の関係が更に悪化するだけだ。
「それが懸命ですね。俺でもそうします。国の変動の瞬間に立ち会えないのは残念ですが」
 真壁のほうも御巫の落ち着いた対応に安堵していた。大して残念と思っていない真壁の口ぶりに御巫は苦笑する。
「君はそれでいいのか?この国が崩壊しても」
 自分達に手を貸すという事はこの国を崩すことに力を貸しているということにもなる。しかし、真壁の方は全く罪悪感というものがないようだ。
「国が死んだからといって、俺が死ぬわけじゃありませんからねぇ」
 何という愛国心の無さだろう。あまりの台詞に御巫は呆気に取られていた。
「……君は……いや、こちらとしては好都合だが」
「ああ、騎士だった貴方には理解出来ないでしょうね」
 忠義を尽くすのが騎士道だという話はどこかで聞いたことがある。今や古臭い精神なのかもしれないが、国の為に動いている御巫には多少なりとも引っ掛かる話だろう。だが、彼は苦笑して手を横に振った。
「いや、安心してくれ。俺にもそれは理解出来る部分はある」
「本当ですか?」
「俺にも、国なんてどうでもいいと思った時くらいあるからな。若い反抗さ」
「それはまるで俺が若い反抗をしているような口ぶりですね」
「そうなんだろう?」
「違いますよ」
 気に入らない事があるとむすっと膨れる、それが既に若い反抗だ。真壁の年相応の反応が少し楽しい。御巫からみれば彼はまだ子どもなのに、どこか大人びた口調で淡々と今まで語ってくれていたからだ。
「……ところで、俺は貴方に聞きたいことがあるのですが」
 コホン、と真壁は咳払いをし、どうにか大人っぽい演出を保とうとしている。そんな彼の行動が更に子どもらしさを滲ませ、御巫は笑いを堪えるのに必死だった。
「何だ、先生に何でも言ってみると良い」
「何故、貴方は騎士ではいられなくなったんですか?」
 しかし、その問いに御巫から笑いが消える。
「……<塔>からは聞いていないのか?」
「はい、まぁ……自分で聞け、と言われてしまい」
「……<塔>も人が悪い」
 はぁ、と御巫はため息を吐き、視線を下げる。どこか、どう説明しようか困惑した目だった。
 実際御巫は困惑していた。20過ぎの相手ならともかく、目の前の少年は体ばかり大きくとも中身はまだ十代の少年。そんな彼にこんな大人の事情を話すのはどうかとも思ったが
「女王に手を出した」
「……はい?」
 とんでもないことを聞いてしまった気がし、真壁は思わず聞き返していた。しかし、御巫はもう一度、今度はさらに分かりやすく言葉を付け足して告白をする。
「女王に手を出して、孕ませたからだ」 
 どこか投げやりな言い方だったのは、今更後悔してもしょうがないという彼の心情の現れだろう。



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