「大好きです、だって!」
「高遠もスミに置けないなぁ、このこの!」
 高遠が生徒会室に戻り、迎えられたのは生徒会のメンバーの浮ついた声だった。それに貧血の眩暈がもっと酷くなったような気がする。
 しかも何故か面子が増えているのは気のせいだろうか。さっきまで焔次曰く誰もいなかったらしいのに。
 あからさまな興味本位で顔を覗かせたメンバーを呆れた目で見て、この状況を知るためにさっきまで共にいた顔を探す。
「……何の話だ」
 八月朔日を見れば、どうやら彼は辞書を引いたらしい。部屋の隅で一人落ち込んでいる。
「あんたに恋人が出来そうだって話よ」
 困惑しかけた高遠の問いかけに答えたのは、色っぽく笑う第一書記の瀬戸内和華だった。口紅を塗った口元を吊り上げたその様子に高遠は眉を寄せる。
「何の話か分かりかねるな」
「……でも、“ひなちゃん”に好きだと言われたんでしょう?」
 面白げに言ってくれたのは遊井名田陽壱だった。まだまともだと思っていた彼にとんでもない事を言われ、一瞬頭の中が真っ白になったが、すぐに合点がいった。
「ああ……あれは違う」
「違うんですか?」
 恐らく、翔が「大好きです」と言ったのを勝手に盗み聞きしていて、勝手に勘違いしたのだろう。頷けば、部屋の士気が一気に下がった。
「なんだ。折角“ひなちゃん”のデータ引き出してみんなで面白半分にお節介やこうと思っていたのに」
 そう呟いたのは、パソコンの前に座っていた情報部の一人である棗だった。すっかり焔次の勘違いした名前が生徒会では定着してしまったようだ。大きな眼鏡を上げながら彼はため息をついている。
 ため息を吐きたいのはこっちだ。
「お前ら、仕事は終わらせたのか。終わってないなら今日はとことん残業させ……」
「あぁ!」
 その時、その棗が声を上げ、パソコン画面に顔を近づけていた。さっき上げたばかりの眼鏡がその拍子にずり下がる。
「何、どしたんだよ?……おぉお!?」
 近くにいた焔次もその画面を見てすぐに顔をそこに近づけていた。
 そんな二人を高遠は呆れた目で見る。きっと、残業が嫌で何か誤魔化すためにそんなリアクションを取ったのだろう。そうとしか思えなかった。
 しかし、棗が下がった眼鏡を上げながら、瞬きをし、そして。
「……高遠先輩、ひなちゃん……って1年の日向翔ですか?」
「そうだが?」
 だからなんだと高遠が不機嫌を露わに目を上げたその時、興奮で震えた棗の目と視線が合った。彼はごくりと息を呑み、目を瞬かせた。
「あの日向穂高の養子、だそうです……!」
 声もわずかに震えているが、その一言に賑やかだった部屋が一瞬にして静かになる。
 そして、次の瞬間あちこちから驚きの声があがった。
「ちょちょちょちょ!!うっそマジで!?」
「日向穂高、ってあの日向穂高だろ!?俺ガキん時トレカ持ってたんですけど!戦場の英雄シリーズ!」
「俺も持ってた!てか、日向穂高は今でもレアカード……プレミアついてんだぞ!」
 日向穂高。
 その名を聞いただけで、小さい頃彼に憧れた少年達の士気が上がる。彼らの幼い頃が日向穂高の人気絶頂期だった所為もあるのだろう。彼らの中では軍を退いた今でも日向穂高はヒーローだった。特に、彼が得意とした剣術を習う者にとっては、神にも等しい存在となるだろう。この年代ならば、日向穂高の姿を見て剣術を始めた者も多いはずだ。
「うわぁ……いいなぁ……俺も日向穂高の養子になりてぇ……」
 こんな風に、彼に会い、直接剣技の指導を受けたいと願う者は多い。どこからともなく聞こえてきた呟きに陽壱は苦笑した。
「この子と仲良くなれば日向穂高に会えるのか……な、高遠さん」
 陽壱は剣道を少し齧っている程度だが、高遠は居合いを得意としている。日向穂高の名前にも興味があるのではないかと振り返りながら話を振ると
「……いや、でもこれでは日向を怖がらせ……北はいつも腹を空かせてるというから餌付けがいいか……?」
「……高遠さん?」
 何だか珍しく目を輝かせて、何かを真剣に算段している上司がそこにいた。どうやら彼も日向穂高に魅せられた少年だったらしい。
 今では伝説の存在である、日向穂高。彼が伝説となった要因は、突然軍から姿を消したのもあるのだが、その理由は知らされていない。脱走ならば軍が彼を許すはずがなく、英雄どころか処罰の対象だ。納得の上での脱退の理由であれば恐らく怪我か、死。しかし、日向翔の存在を考えるとどうやら彼は生きているらしい。そんな意味を含めての盛り上がりだろう。
「あ!でもこの子と結婚すれば、日向穂高が義父になりますよね!」
 何かを思いついたようにパアッと表情を輝かせたのは、2年会計補佐の野島彰吾だったが、結婚というワードに高遠は首を傾げる。しかし、周りの男達はその提案に湧いた。
「成程!名案だ……!」
「よし、高遠先輩相手でも負けないぜ!日向穂高の為なら!」
「ちょ……ひなは俺が先に!」
「……おい、お前ら」
 日向翔は男だぞ、と一応釘を刺しておこうとしたその時、ずっと暗いオーラを背負ったままだと思っていた八月朔日が「高遠」と名を呼んできた。
「何だ」
 振り返ったそこには、光を放つテレビが一台。そうか、もう7時を過ぎていたのかと高遠は目を細める。
 白い髪に白い肌。稀有なものを持った青年がテレビの中で微笑み、優雅に語る。それを高遠はただ無言で見ていた。彼を好意的な目で見れないという事は、自分は生粋の軍人気質なのだろう。わずかな微笑みにさえ苛立ちを覚えるのは、別に彼個人に個人的な恨みを持っているからではない。軍人が王家を嫌うそれだった。
 表面上、軍は王室に対して平伏しているが、根底では彼らをとことん嫌っている。生まれながらにしてぬくぬくと王室の優雅な風に吹かれて暮らしてきた彼らと、戦場の血生臭い風煙を潜り抜けて来た自分達では生きる世界が違いすぎて考え方も交わることがない。軍は恐らく、王族にある種憧れも感じているのだろうが、それが妬みや嫉みとなり、憎悪へと変化していったのだろう。
「白の君はお元気そうでなによりだ」
 そういう八月朔日の声が穏やかだったのは、彼も血縁者に王家出身がいるからだ。それに彼の家も軍属ではない。軍属出身、例えば自分や碓井などになれば、その一言には皮肉めいた嘲笑が含まれるはずだ。それでお互い失笑をして彼らへの鬱憤を晴らすのだが、八月朔日相手ではそれは出来そうにない。
 それでも、本来蒼で表現されるべき彼に白という色を使うあたりも彼も軍人らしくなってきたと言える。
「そうだな」
 しかし。
 高遠は光を放つ画面の端にいる女性に目を留め、眉を寄せる。恐らく彼女は蒼龍の正室になったと近々発表されるのだろう。側女だった彼女が顔を出したという事はそういうことだと考えて良いはずだ。側女の顔をメディアにさらすほど、宮は無神経ではない。
 そして、側女から正室へと迎えられたという事は、単純に子どもが出来たということだろう。今まで蒼龍に子どもは出来なかったところでの妊娠ならば、側女から正室への昇格も頷ける。
 しかし、なんだろう、この不自然さは。何だか唐突な印象を受ける。
 思考を深めようとしたその時、扉が軽い音を立てて開いた。
「……って高遠、まだいたのか。今日の仕事はこれで終わりにしろ。これ以上はドクターストップだぞ」
 顔を出したのは一登瀬で、彼は呆れたように細い肩を竦める。
「血はもう止まった」
 それにそう答えながら、高遠は机の上に放っていた白いハンカチを目の端に入れる。血の染みがこびりつき、白と言い切れる程の純白ではないが、日向翔からの借り物だ。かといって、これを返すわけにもいかない。いくら部下相手だとしても、一応自分を助けてくれた相手なのだ、そんな事をしては礼に欠ける。
 そのハンカチを見つめる高遠に何を思ったのか、一登瀬は幼い顔をきょとんとさせてから、にやりと笑った。
「いやぁ、しかし本当に可愛い子だったな、高遠」
 一登瀬が見たのは、少女を守る高遠の珍しい姿だった。実直な高遠ならばそうした場面に何度かお目にかかってもいいものだったのだが、そうした情景を見るのは実は今回が初めてで。ちょっとした悪戯心が芽生えても仕方がない。
「何の話だ」
「とぼけるのか?で、彼女は誰だ。どういう関係だ?」
 興味津々といった風に聞いてくる一登瀬に思わずため息を漏らす。
 お前もか、一登瀬。
「それ以上何も言うな、一登瀬。お前の観察眼を見損ないたくない」
「何言ってる!俺の観察眼はいつだって研ぎ澄まされて……ぶっ」
 顔に何かを叩きつけられ、一登瀬は小さく呻いた。目の前にひらりと揺れたのは一枚の紙。そこには先程見た少女がいた。ただし、男子制服を着て。
「彼は男だ」
 高遠の冷たい一言がトドメとなる。それに、先ほどまで騒いでいた周りも静かになった。
「……うっそ」
「我が優秀な情報部の情報に間違いがあるといいたいのか?」
「そうじゃない!そうじゃない……が」
 調書を気難しい顔で見つめる彼の思うところは予想出来る。確かに、どう見てもあの時の日向翔は女だった。
 しかし。
 守るとか守られるとか、俺は女じゃない。そう言い切った彼の眼は確かに少年のそれだった。気迫も動きも悪くないと思う。それだけなら、期待の1年生と見れた。それに彼の義父は今は引退しているとしても、あの日向穂高。その名があれば彼の軍での昇進は楽になる。ただ、気になるのはあの一言。
痛いじゃないですか、怪我したら。1年でも3年でも、それは変わらないから……。
 他人の痛みを嫌悪するその姿は、ここでは排除の対象となってしまう。
「……軍向きじゃないな」
 小さく呟き、高遠が一登瀬からその調書を受け取った時だった。
「失礼する」
 硬質な女性の声に、今日は千客万来だと高遠はうんざりしていた。来客に八月朔日や他のメンバーも顔を上げ、
「姫?珍しいなここに来るなんて」
「あ、姫だ」
 そこに立っていたのは真直ぐな黒髪を揺らした知的美人だった。彼女は肩に届くか届かないかくらいの長さの髪を揺らし、部屋の様子を一瞥する。
 周りが囁く姫、という敬称に彼女は一瞬顔を顰めたが、すぐに高遠に視線を移し、腕を組んだ。
「鼻血を出して倒れたと聞いた割にはお元気そうだな、高遠」
 硬質な美しさを持つ顔に笑みを浮かべた彼女の表情には好意は全く含まれていなかったが、高遠はゆっくり頭を下げた。
「御心配をおかけしたようで……」
「生憎、心配などしていない。今日の仕事の終了を報告しにきただけだ、失礼する」
 それだけさらりと告げ、彼女はすぐに部屋から出ていった。バタン、と大きな音を立てて閉められた扉に最初に怒りをぶつけたのは瀬戸内和華だ。
「ちょっと、何あの態度!可愛くなーい!」
 ムキィと素直に怒りを露わにする彼女を情報部の棗がたしなめる。
「しょうがないよ、彼女は僕らと仲良く出来る立場じゃないんだから……」
「それにしたってねぇ!!」
 和華と彼女の仲の悪さは生徒会でも際立っていた。確かに見た目からして正反対の二人なのだから、交われないのは納得出来る。
 その彼女の喧騒を他所に、野島は上司を見上げた。
「ところで……俺、今まで普通に呼んでたんですけど、何で姫は“姫”なんですか?」
 今年生徒会に入ったばかりの野島の問いに八月朔日は「ああ」と思い出したように声を上げた。普通に呼ばれているから、皆知っているものだと思っていたのだが、やはり新米は知らないようだ。
 八月朔日は彼女が去った扉を見つめ、肩を竦める。
「彼女は、我等が生徒会長の婚約者だからね」
 そう後輩に教えてから、共に扉を見つめていた友人に視線を流した。高遠はまだその扉を見つめている。そこに何の意味があるかは知らないが、彼女、佐々紀和子はこの学校内で高遠に頭を下げさせる少ない人間のうちの一人だった。




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