目頭が熱い、眩しい。
和泉が目を開けると見慣れない白いカーテンが漂っていた。自分の部屋に、あんなものはないはずだ。まず、こんなに日の光が入る設計にはなっていない。それに、ベッドの柔らかさも心なしか違う気がした。力を入れるとどこまでも沈んでいきそうな柔らかいベッドに、動き出さない思考の中でも眉間に力が入る。
ここは、どこだ。
体を動かそうにも何かに固定されているのかなかなか寝返りをうつ事もままならない。ようやく身じろぎ程度に体を動かすと、何か暖かいものに触れた。
それの正体を確かめるために、首を動かし、一気に覚醒する。
「おはよう、秀穂」
満面の笑みで甘い声を出した相手の顔に昨晩の記憶が戻ってくる。
「狼司……お前」
あまりの展開に思わず敬語を忘れた和泉に、彼はそれを叱咤することなく、むしろ嬉しげに微笑んだ。
「やっと元の口調に戻ったか?昨日の仰々しさ、何だアレ。たまになら良いけど、久々に会った身としては結構淋しかったな?」
人懐こい笑顔は昔となんら変わりのないものだったが、あまりの状況にただ目を瞬かせた。
「なんで、アンタ……裸なんだ?俺も……」
肌に直接感じる高級なシーツのなめらかさにただ困惑した。狼司が裸で寝るのを好む人間らしいことは知っていたが、自分はそうではない。
「聞きたいか?」
にやりと人の悪い笑みを浮かべられ、和泉は自分の首の辺りに乗っかっていた相手の腕をどかし、身を起こした。が
「まあ、そう慌てるなって。久々に会ったんだし、俺とイチャイチャしようぜっと!」
肩を掴まれベッドの中に再び戻る羽目になり、和泉の機嫌が下降していくのを目の当たりにしても、相手は怯まなかった。
「狼司!お前……くっそ、だから会いたくなかったんだ……」
久々の出会いにはしゃいでいるらしい幼馴染の態度に和泉はただ嘆き、狼司は満足げに笑った。
「おーおー、本音が出たな、お前。失礼な奴だな。昨日のあの仰々しさはどこに捨ててきた?」
「お前相手に礼儀なんて払った俺が馬鹿だったんだな」
一応彼も王族なのだと思ったのが間違いだったのか。
顔を覗きこんできた狼司の顔を押しのけ、和泉はベッドから抜け出した。床についた足を向かえたのが毛の塊で、そういう絨毯なのかと思いきや、生き物の暖かさを感じ、視線を落としそこにいたものに目を見開いた。
「華紬」
ベッドの傍らに身を伏せていたのは、狼司が幼い頃から飼っていた白豹だった。もう一匹、黒豹がいるはずだと広い部屋の中に視線を巡らせてみれば、ベッドの向こう側で黒い頭が上がるのが見えた。
「風時雨もいるのか……」
狼司は主に宮廷守護を担当している夏乃宮の人間だった。彼がここで名乗っている“夏野”という名字は恐らくそこから取っているのだろう。王室出身の彼らに、名字はない。王室四家の中で最も王位から遠い位置にある夏乃宮一族は武術等の腕を磨き、日々宮廷を守っている。和泉も武術や戦闘方法を彼らから学んだ。年の近い狼司と共に。
華紬や風時雨のような動物は、広い宮廷内の庭に放ち侵入者を迎え撃つ為に彼らに育てられた。勿論、高い外壁には高圧電流なども流されているが、たまにそうしたトラップも掻い潜ってくる不届き者もいるのだ。
軍がそうそう王室に手を出せないのも、彼らの存在があるからだと聞いている。そして、そんな軍に王室は何人か身内を送り込み、密かに軍の動きを監視していた。それが、今回は狼司だったのだろう。
華紬の柔らかい毛を撫でると、彼女は踏まれたことなど気にもせずごろごろと喉を鳴らした。懐かしい手触りに和泉のほうも思わず口元を緩めていた。
そんな一人と一匹の様子を見て、何を思ったのか黒豹の方もベッドの上に前足を乗り上げてくる。彼は甘えるように寝ている主人の頬に擦寄り、それの顔を狼司は苦笑しつつ撫でた。
「にゃーにゃー鳴かれたら連れてこないわけにもいかないだろ」
主人との別れを嫌がった二匹を連れた狼司を軍は特に文句も言わず迎えた。動物を戦に使うという手は少し前から発案されていたからかも知れない。
みぃみぃ哀しげに鳴きながら狼司の足元にまとわりつく黒と白の豹の姿を思い浮かべ、和泉は思わず笑ってしまった。そんな様子に狼司は肩を落とす。
「お前、こいつらには優しいんだな。俺と会った時はそんな笑顔の再会じゃなかったのに」
「どんな再会だったら満足だったんだ」
「「狼司に会えて嬉しい、俺ずっと淋しかったんだからなっ!」って言って俺に飛びついてくる秀穂」
「狼司に会えて嬉しい。俺ずっと淋しかったんだからな。華紬、飛びつけ」
「棒読みか。って来んでいい、華!」
流石は猫科の動物というべきか、何とも軽い動作で狼司の上に飛び乗った華紬を確認してから和泉は身伸びをし、立ち上がる。今自分は服を着ていない。と、いう事はどこかに自分の制服があるはずだ。
「ああ、秀穂。お前の制服血まみれだったし、一応洗っておいた。乾くまでそこの服着ておけ」
その時ようやく気付いたのだが、昨夜怪我した場所はきちんと包帯が巻かれていた。この二匹はこんな器用なことが出来るわけもないから、恐らく手当てをしてくれたのは狼司だ。
「そこの、って……これは」
指で示されたところにおいてあった服を手に取り少し和泉は眉間を寄せる。そんな和泉の様子を知ってか知らないでか、狼司は苦笑した。
「人間慣れって怖いよな。たまに着物じゃないと落ち着かない時があるから」
確かに、宮廷ではその家の色に基づいた着物を着るのが普通だ。狼司の家の色は朱で、今和泉の手の中にある着物は一斤染めのやはり夏乃宮でよく見る色だった。襟には夏乃宮の紋の一つである朱雀紋が入っている。だが、蒼龍の元で働いていた和泉はこの色を身につけたことはない。
「秀?」
ただ手に取りそれを眺めるだけの和泉に狼司は首を傾げたが、
「いい。俺は、春宮の人間だ」
「……頭固いな、お前」
確かに宮廷では自分が所属する宮以外の服を着る事は禁じていたが、ここは宮廷ではない。けれど、和泉は首を横に振る。
「いい。悪いな、狼司」
「いや、お前の蒼龍馬鹿は知ってるから気にすんな。なら、そこのシャツでも着てろ。俺が昨日着てたヤツだけどな」
脱ぎ捨ててあった白いシャツを和泉は拾い上げ、肩に掛ける。
「沢村がお前の事を不審がってた。気をつけろ」
細い背を眺めながら狼司はため息混じりに忠告した。けれど、和泉も何か思い当たるところがあるようで、あぁ、と一言声を上げた。
「みたいだな」
「何だ、知っていたのか。だったら、目立つ行動は控えておけ」
「分かっている。授業は適当に受けているし、誰にも俺の正体は悟られていな……って何してるんだ」
後ろ髪を軽く引かれる感覚に驚いて少し振り返ると、彼はすぐに手を離した。
「お前、髪切ったのか」
「あんな長さでここに入れるわけないだろうが」
理由は知らないが、王宮の人間は皆、髪を伸ばすのが義務付けられていた。軍の学校に入るのにそんな長さがあってはすぐに身元が割れてしまう。自分だけではない、ここにいる狼司もあの長い黒髪を切ったはずだ。
「……秀穂」
「何だ」
「蒼龍はお前を断腸の思いで手放したのだろうが、俺はお前に会えて嬉しかったぞ」
満足げに微笑む狼司を眼の端で捉え、和泉はこっそり息を吐いた。
狼司は少しも変わらない。いや、外見は確かに朱雀一門の特徴を遺憾なく引き継いで、男らしいものに成長していた。今の夏乃宮の宗主、狼司の実父とよく似てきた。幼い頃、彼の父にもたまに稽古をつけてもらったが、彼はいつも小さな和泉の頭を大きな手で撫でながら笑っていた。どうやらその豪快な性格も引き継いでいるらしく、狼司は明るい。士官学校なんてところにきて、軍の陰湿な空気に触れて人が変わってはいないかと少し心配したのが馬鹿みたいだ。
「またいつでも俺の部屋に来い。歓迎するぞ」
「そうもいかない。風紀委員長様のところにただの一年生が出入りしていたらおかしいだろうが。生徒会に怪しまれる」
「んん?お前、生徒会に気付かれるような不味い方法しか取れないのか?」
「……馬鹿言うな」
「なら、大丈夫だろ?そうだ、華紬、貸してやる。こいつらは隠れるのは得意だ。木にも登れるしな」
「ちょっと待て。風紀委員長のペットを連れているなんて知られたらそれこそ」
「大丈夫大丈夫。隠れるの得意だって言っただろ?それに、何だったら……」
狼司はベッドサイドに何故か置いてあった黒のマジックペンを取り出し、意気揚々とキャップを取った。そして、止める間もなく華紬の白い毛にペンを滑らせる。
「ほぅら、ちょっと痩せてる白虎完成」
ぐりっと華紬の首を回し、完成品を和泉の目の前に晒した。そこには、黒いペンで虎の模様を描かれた華紬が。
「馬鹿か、華紬も抵抗しろ!これ油性か?取れないぞ!」
慌てて狼司のシャツで拭うが、多少落ちたものの、綺麗な白い毛は黒にしっかりと染まってしまい、不恰好な虎の模様がまだ華紬の顔を埋めている。当の本人はごしごしと顔を擦ってくる和泉を不思議そうに眺めていた。どんな仕打ちを主人からされたか、多分理解していないのだ。
「主、華紬で遊ぶな」
そんな狼司の所業を咎め、彼の手からペンを奪い取ったのは今まで無言だった風時雨だった。金色の目で凄まれ、流石の狼司もやりすぎたと思ったのだろう、頭を掻き「悪い」と苦笑していた。
「秀穂殿もすまないな。私の教育が至らない所為で、うちの主が迷惑をかけている」
ベッドの上に乗り上げ、顔を寄せてきた黒豹の口から飛び出してきた男の声に和泉は一瞬動きを止めたが、ようやく彼の事情を思い出し、肩の力を抜いた。
「そうか、風時雨……お前、ロボットだったな」
この国ではロボットは珍しく、危うく忘れるところだったが、風時雨は動物型高性能ロボットだった。華紬の方は普通の動物だが、風時雨も撫でれば毛は柔らかいし、温かい。一見なんの動物と変わりない。
確か、狼司が5歳の誕生日に彼の父が特別に作らせて息子に贈ったものだと聞いている。
「主、現在時刻は午前5時28分19秒だ。昨晩午前0時23分54秒に朱雀宮から新着メールが届いている。読み上げるか」
「また親父か?面倒だなー……」
きちんとパソコンの機能らしい役目も果たしている黒豹の姿を見れば、納得だ。そして、外部との連絡を個人的に取る事は禁じられているはずなのに、こうして宮と自由に連絡を取れるのは、王室の人間の特権なのだろう。
「なるべく早く一度宮に帰ってこいとの事だ」
しかし、風時雨が告げたメールの内容には驚かされた。この学校は一度入ったらよっぽどの理由がない限り卒業まで帰れない。例としては、両親の急死、自分が戦争に赴く前等があるが、いくら王室の人間であってもそれは覆せないはず。と、いう事は。
「何かあったのか、王室で」
そう考えるのが妥当だ。狼司を呼び戻すほどの内容というと、思わず思い浮かんだのは一つ。
「まさか、蒼龍様に何か!」
体の弱い彼に何かあったのだと考えるのが妥当だろうが、即座に蒼龍の事を考えるのは和泉らしい。憔悴した彼の顔に、狼司は苦笑し、力が入った彼の肩を叩いた。
「蒼龍に何かあったわけじゃない」
「では、何故……まさか、朱雀様に何かあったというわけではないだろうに」
狼司の父や母に何かあったら、彼ならすぐに飛んでいくはずだ。どこか面倒臭そうな狼司の態度から、そろそろ何かの儀礼式の時期かと考えてみたが、そんな事で呼び戻すわけがない。
狼司は少し戸惑うような顔で視線を宙へと泳がせていたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「悪いことじゃない。むしろ、良いことがあったんだ」
「……良い、こと」
考え付いた最悪の事態ではないことを知り、和泉は脱力した。ほっとベッドに手をついた彼の姿に、良い事と言ったはずの狼司の表情は曇る。
「子どもが出来たんだ、秀穂」
子ども。
その言葉に和泉は顔を上げた。宮にとって、誰かの跡継ぎが生まれるのは何も喜ばしいことだった。狼司が住んでいた朱雀宮にまた新しい子どもが出来たらしい。朱雀宮は、王室四家の中で最も一族が多い。狼司も兄弟が多く、和泉が知る限り確か男4人女3人の大家族の次男だ。
「朱雀さまもお若いな」
しかし、その和泉の勘違いに狼司は即座に気付き、首を横に振る。
「違う、秀穂。うちじゃない」
「朱雀じゃない?」
では、他の宮に出来たのか、と和泉が続けようとした時だった。
「蒼龍の側妃に子どもが出来た」
一瞬、その言葉を理解出来なかったのだろう、和泉が怪訝そうに眉間に皺を寄せそうになったのを狼司は静かな目で見つめた。しかし、彼もようやく意味を飲み込めたらしく、数回瞬きをしてから視線を下げる。
「蒼龍様に、お子が?」
「……妊娠は確認されたが、まだ、正式には発表していない。もう少し様子を見てからになりそうだ。今、宮は彼女を正室にするかどうかの論議をしている。一度、俺も祝辞を述べに帰らないといけない」
「そう、か……とうとう」
そう呟くだけの和泉に、狼司は視線を泳がせるしかない。
「あー……あー、お前も一緒に帰るか?アイツも、お前に会いたいだろうし」
「それは喜ばしいことだな」
突然和泉の力強い声がし、彼の横にいた華紬が驚いたように顔を上げた。
「秀?」
「これで、蒼龍様に陰口をたたく人間がいなくなるだろうし、世継ぎの心配もない。一安心だ。朝からいい話を聞かせてもらった」
急に表情を輝かせた和泉の態度は、狼司にしては予想外だった。いや、これが恐らく普通の反応なのだろうが。戸惑う狼司を尻目に、和泉は適当に手近にあった服を着込む。
「そうか……良かった、蒼龍様」
そう、呟いたその心底安堵したというような言葉は恐らくは本心なのだろう。それを聞いて狼司の方も安堵していた。心配して損した、とも思うが、損で終わって良かった。
「狼司、俺は帰る。華紬と服、借りるぞ」
「ん?ああ……また遊びに来いよ」
窓から去るつもりか、窓枠に足を掛けた和泉はそこでもう一度狼司を振り返った。
「俺は、蒼龍様に会いに行けないから、狼司の方から伝えてくれないか」
「……分かった。何と伝える?」
「おめでとうございます。この朗報、秀は嬉しく思います。次に、蒼龍様と奥方様、それとご子息様に会える日を心待ちにしております、と」
言うが早いか彼は華紬と共に窓から身を投げ出していた。葉音だけで彼が去るのを確認してから狼司はため息を吐いた。
「どうした、主」
風時雨がそんな主人の様子を咎めるように声をかけた。これは、間違いなく朗報なのだ。それなのにそんなにどこかがっかりしたような態度では、疑われてしまう。蒼龍を王座につかせんとする勢力に加わっているのではないかと。
「ちょっと自己嫌悪に陥っただけだ。蒼龍のことは、良かったと思ってるから安心しろ」
「秀穂殿の事か……全く、好きなら好きと言ってしまえばいいものを」
「全くだな」
「……貴方のことだぞ、主」
呆れたような風時雨の一言に狼司は一瞬口元を引き攣らせたが、すぐその場にしゃがみ込み、黒豹と顔を突き合せた。
「何だ、主……暑苦しい」
「誰が、誰を好きだって?」
「だから、主が」
「俺が?」
「……蒼龍殿、を」
「この機械脳」
思わず風時雨の首を絞めてしまったが、機械である彼にこんな攻撃がきくわけが無かった。
確かに、昔はそういう時期もあったのだ。自分の中では黒歴史となっていたが、幼い頃は純粋な憧れ対象だった蒼龍に淡い想いを抱いていると思っていた時期もあった。それを、和泉にも言ったことがあるのはもう抹消してしまいたい過去だ。言い訳を言えるとすれば、あの頃は自分もまだ幼かったのだと叫びたい。
幼い頃、真っ白な彼に目を奪われ、神の子と呼ばれた彼に憧憬の念を抱くのはしょうがないことだったと思う。今でもそうだが、蒼龍は聡明で尊敬するに値する対象だった。そんな彼が突然側に置くようになった、身元も定かではない子どもに対して、今まで彼の側にいた自分たちが妬みや嫉みを抱くのは当然だったろう。
狼司が他の子ども達と違ったのは、そんな彼に自分から歩み寄り、友人と呼べるまで親交を深めた事だ。
しかし、どうしてこの少年をどうして蒼龍が側に置こうと思ったのか理解出来ずにいたある日、時間が出来たので約束もしていない時間にふらりと蒼龍達がいる春宮に足を向け、庭の中にある庵で話す二人を見つけ、驚愕した。
秀穂の目の色は、快晴の空より蒼く澄んでいる。
見間違いかと思ったがそうではなかった。その瞳は隣りにいた蒼龍に活き活きと輝き、笑いかけていた。
蒼龍だけが知る色か。
普段自分に向けられている茶色い秀穂の瞳は本物ではなかったのだと知り、何故か裏切られたような気分になった。自分と彼は友人だったはず、なのにどうして彼はそれを自分に隠していたのか……。
重苦しい思考が胸を支配していくその感覚に、初めて知った。これは嫉妬だ。秀穂に対してではなく、蒼龍に対しての。
なんて、事だ。
その事に気付いて思わず狼司は口元を覆っていた。自分は今まで蒼龍を敬愛し、彼に心酔するようにひたすら教育をされ、それを真っ当するつもりだったのに、その相手を嫉むことは罪のように思えた。そして、その相手を尊敬する彼に特別な感情を抱くことは、あまりにも虚しい。
「主は秀穂殿に並々ならぬ感情を抱いているのだったな」
頭を抱えた狼司を面白そうに見物する黒豹はなんとも意地が悪い。
「……その言い方止めてくれないか、風時雨」
「しかし、蒼龍殿よりは難しくない。私は応援するぞ、主。その思いの丈を十二分にぶつけるがいい。男同士の経験もしておいて無駄ではないぞ」
確かに、宮では高い地位の人間は何人か美少年の小姓を囲っているのが普通だ。実際、自分の父も何人か小姓を従えている。彼は昔からの雅な風習だと笑っていた。
「止めんか、このエロ声動物。俺は別に秀穂とそんな関係になろうとは思っちゃいない」
「とか何とか言っているが、どうせ秀穂殿を組み敷き甘く喘がせたいと思っているんだろう。昨晩の主は見物だった。秀穂殿の服を脱がせるかどうか小一時間ほど悩み、結局は私に任せ、黒豹に組み敷かれるその姿も卑猥だと怒鳴りつけてきたのはどこの主だったかな」
「か、風時雨!!」
くすくすと笑い、黒い尻尾を楽しげに揺らす風時雨の言葉に狼司は思わず怒鳴りつけたが、そんな攻撃がきく相手ではなかった。反対に、ばしっと軽く尻尾で頬を叩かれた。
「主もこれを好機と思え。蒼龍殿に御子がお生まれになるのだ。蒼龍殿の興味が御子に向かうのは必然。と、同時に側妃殿にその寵愛が向けられるかも知れん。そうなれば、秀穂殿は」
「……秀穂は何があっても変わらない。あいつは、いつか蒼龍の為に死ぬさ」
そう確信している。たとえ、先に蒼龍が死んでも、彼は何らかの理由を見つけて蒼龍の為に一生を終えるだろう。
「でも、そういう秀穂を守る事は、秀穂の為にもなるし、蒼龍の為にもなるんだろうな」
「主?」
狼司は立ち上がり、壁にかけておいた制服を手に取った。軍指定のシャツに、3年を意味する蒼いネクタイ。この蒼はあまり好きではなかった。いや、本当は蒼という色自体好きではなかった。きっと、秀穂の眼の色がこの色でなかったら、蒼龍はあそこまで彼に執着しなかったに違いない。もし、彼の眼の色が紅だったら。
いや、無駄な事を考えるのは止めておこう。
「行くぞ、風時雨。今日も忙しい一日になりそうだ」
下らない思考を振り切るように勢いよく狼司は制服に袖を通した。
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