さて、どうやって髪の毛と血液を手に入れようか。
 遠也は図書室でパソコンと向かい合いながら早良の依頼を思い出す。
 次、被害者が出たら血液か髪の毛を採取してくれ。
 けれど、被害者は知らない人間、しかも上級生。ただでさえ上下関係が厳しいこの場所で、どうフォローをすれば周りから怪しまれずに済むのだろう。死体発見の場に立ち会ったら可能だったかも知れないが、そんな偶然滅多に無い。噂を聞いて駆けつけた時はすでに生徒会の人間が処理をした後だった。
 翔のパソコンにメールを送った相手は簡単に突き止めることが出来たのだけれど、こういった自分が足で動いて手に入れないといけないというのは苦手だ。会話術というのがまず苦手で、知らない人間と会話をするのもなるべくなら避けたい。
 何となく思い出したのは和泉のことだった。彼の腕なら忍びこんできてくれるかもしれない。しかし、協力をこちらから求めるのは癪ですぐにそれは却下する。
「お。天才くん、頑張ってるなー?」
それと、訳が解からない相手との会話も。
 正紀の登場にがっくりと肩を落としながら、開いていたウィンドウを消す。
「何か?」
「つれないな。折角永井恵介の髪の毛持ってきたのに」
「え?」
 思わず立ち上がって正紀の手のビニール袋を掴んでしまっても仕方が無いだろう。それくらい、驚いた。
「何故、これを?」
 しかもどうやって。
 彼が死んだと新聞に載ったのはつい最近のことだ。迅速な行動に遠也は眼を見開いて自分よりずっと高いところにある正紀の顔を見上げた。そんな打って変わった遠也の態度に、彼は苦笑を浮かべる。
「永井サンの趣味が音楽だったからな。先輩の知り合いで、CDを貸していたんだけど、彼の部屋に入れて貰えないかって言ったら案外簡単に入れてもらえた」
 正紀としても、こんなに簡単に彼の自室に入れてもらえるとは思っていなかったから驚きだった。けれどそんな事は言わずににこにこ笑っていたら、あの天才の茫然とした顔を拝む事が出来た。
「どうだ?俺も意外と使える人間だろ?」
 こういう時で無いと堂々と威張ってみせることが出来ないだろうから、正紀は思い切り胸を張って見せた。冷静な突っ込み待ちだったけれど。
「父親譲りですね。きっと良い探偵になりますよ」
 意外にも遠也の評価は柔らかいもので、そっちの方が正紀としては意外だった。
 思わず、じーっと遠也の小奇麗な顔を凝視していると、その視線に耐え切れなくなったらしい遠也が怪訝な眼で見返してくる。何だかその仕草が幼い子どもの不安げな表情と似ていると思ってしまったのは、きっと初めてまじまじと見た彼の顔が意外と思っていたより幼かったからだ。
「……なんですか?」
「いや?何でお前結構綺麗な顔してんのにメガネとかつけて前髪伸ばしてるのかなーと思って」
「はい?」
「こういうのは公開してこそだって。隠してたら勿体ねぇだろ」
 遠也が何か言う前に顔の半分を隠しているメガネを取って、止められるより早く長い前髪を片手で上げてやる。
「ほぅら、男前―……って」
 髪に触れてまず、思っていたより髪質が柔らかいことに驚いた。黒髪はどこかお硬いイメージがあるから硬質なものだと今まで考えていたけれど、柔らかいやつは柔らかい。よくよく考えてみれば当然か。
「日向にも昔似た様な事言われた事がありますよ……」
 正紀の無体に怒りはせず、どこか呆れた口調でそう呟きながら許容してくれたのは、同じ経験をしたことがあるから、らしい。
 その顔は、簡潔に言えば想像以上だった。
「天才……お前」
 思わず言葉を失ってしまったのは、自分の想像以上だった所為か、それとも紅顔の美少年というものに初めてお目にかかったからか。確かにこの学校では外見判定もあるからか綺麗な顔の人間も多いが、いくらなんでも眼鏡を取ったら美形というオチは安易過ぎるだろうという動揺からか。
 彼の性格からは想像出来なかった、儚げな容姿にただただ、そのまま茫然とするしかなく。
「何で眼鏡つけてるんだ?まさか眼鏡を取ったら美形っつーネタ自作して」
「ただ単にパソコンやっていたら眼が悪くなっただけです」
 あまりにも説得力のあるその言葉は疑う余地も無く納得させられた。
「じゃ、前髪は?何で切らない」
「……面倒で」
「っかー!勿体ねぇ!お前、今度髪切らせろ!俺が改造びふぉあーあふたーしてやる!」
「……見事な日本語英語発音ですね」
 そしていい加減手を離せ。
 そういう意味で首を横に振ったものの、正紀はそれに気付かずまだ手で髪を押さえて顔を見ている。
「いやー……うちの姉貴が喜びそうな顔してるわ」
「もういいでしょう。いい加減にしてください」
「や、もーちょい。可愛い顔もっとおにーさんに見せなさい」
「可愛いってお前……篠田ッ!」
 かっと遠也の白い頬が紅くなり、黒い眼が焦りで細められる。
 あれ?
 からかった口調だったのは認めるけれど、まさかそこで赤面されるとは思わなかった。
 もしかしなくても怒って頬が紅潮しているだけだろうけれど。
 今まで遠也の表情なんて嫌味っぽいものしか覚えが無いが、その他の表情はただ単に眼鏡と前髪で隠れて見えなかっただけか。
「いい加減にして下さい。貴方の言っていることはいつもいつも良く解かりません」
 すぐに冷静な表情に戻り、遠也が正紀の手を叩き落とすその一瞬の瞬間にちらりとだけ見えた黒い眼に何やら既視感を覚えて正紀はしばし硬直した。
 前にも、似たような眼をどこかで。
 どこだったか。
「それより、篠田」
「え?」
 思考中に呼ばれ、正紀は少し驚いたように大きな声を上げた。それに遠也も驚いたようでその目を大きくする。
「あ、いや……悪い。で、何?」
 慌てて取り繕い正紀が片手を軽く振ると、遠也は視線を下げ、何か戸惑っているように沈黙した。彼にしては珍しい。
「佐木?」
「その……実は……俺の、」
「あれ、篠田と遠也?何か珍しい顔ぶれだな」
 遠也が眼鏡を付け直しながら何かを言おうとしていた時、翔がひょこっと顔を出した。奇妙なタイミングで彼が現れたので二人共何故か必要以上に驚いてしまい、それに気付いた翔も「あれ?」と首を傾げた。
「日向こそ珍しいじゃないですか、図書館に来るなんて」
 遠也が慌てて何事も無かったかのように接し、翔もその指摘に照れ笑いを浮かべている。
「ちょっと料理の本探しに」
「料理?」
「何だ、日向もしかして弁当とか作るのか?」
 正紀が要らない茶々を入れてすぐに遠也は彼を冷たく睨み付けるが、次の翔の様子にそれどころではなくなってしまう。
「よく解かったな篠田」
 何故更に照れる。
 付き合いがそれなりに長いが今まで見たことの無い翔の様子に、遠也の脳裏に浮かんだのはあの気に喰わないクラスメイト。まさか彼が何かしたんじゃないだろうなと不穏なことを考えていたら、正紀も似たようなことを考えていたらしく、更にからかい口調で
「もしかして甲賀に?あっはっはお前らマジでー?」
 滅殺されたいのかこの不良は。
 翔と克己がどうにかなってしまう展開なんて考えたくも無い遠也だったが、正紀はネタで笑えるなら良いらしい。
 翔のほうは正紀の言葉に戸惑いの表情。ほら、別に彼はそんなつもりではない。恐らくあの姉のクローンに作ってあげるつもりなのだろう。
「日向、篠田の言う事は気にせずに……」
 ため息混じりにそう言ってやると
「克己じゃないって。川辺教官にあげるんだ。あ、これ内緒な?」
 満面の笑みで、真実を教えられた。
「え?」
「あ。もうこんな時間だ。じゃ、俺急ぐから」
 その突飛な返答に、流石に普段あまり仲が良くない二人も声を合わせて聞き返していたが、翔はそれを気にかけず、時間を確認して急いで料理の本が並んでいるところに行ってしまった。
「……なぁ、佐木、川辺って、あの川辺?」
「今、日向は川辺と言ったんですか?」
「俺はそう聞こえたけど、佐木は?」
「……俺も川辺と聞こえました」
 しかもご丁寧に教官付きで。
 脳が理解不能な出来事のおかげで許容量を超えてしまい、思考停止してしまったのか遠也はしばらく硬直していた。
「佐木?佐木?天才くーん、おーい、大丈夫か?」
 ギガバイト並の重さの出来事に、完全に遠也はフリーズしてしまっていた。
 天才って難儀だなぁ、とその時正紀が遠也に同情していたことを、彼は知る由も無い。




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