「ったく……矢吹にしても篠田にしても、人使いの荒い人達ですね……」
カタカタとパソコンのキーボードを叩きながら遠也は密かに嘆息をもらす。
それなりの見返りは頂くつもりだから、この愚痴は言うべきでないのだろうが、ハイレベルな情報を求められるとその見返りも安かったのではないかと思ってしまう。
利用者が多い図書室のパソコンでまず軽い情報を手に入れる。履歴を見られても差し支えない程度の。その後に自分の独自の回線を使っているパソコンか場合によっては科学科で調べていた。
それにしても、まさかあの若林大学病院の名をここで聞くことになるとは思わなかった。
思い出したくも無い名前を聞かされ、思わず過剰な反応をしてしまったが、それに恐らくいずるは気付いていない。ポーカーフェイスは遠也の十八番だった。
「誰かと思ったら天才君じゃないか」
もう少しで一段落、というところで顔を上げると見覚えのある顔が目の前にあった。
まさか彼がこんな場所にいるとは思わなかったが、驚きも見せずただ不快気に眉を寄せてみせる。
「……和泉」
克己から注意人物だと言われていた相手の登場だ。にこやかに迎えられるわけが無い。細いフレームの眼鏡の奥に見える黒い眼が細くなる。
あからさまな遠也の反応に彼は苦笑を見せ、肩を竦めた。
「そんな顔するなよ。確かに俺は日向と甲賀にはいい思いは持ってないが、お前の事は結構気に入ってる」
本当かどうか、彼の真意を伺えない台詞に遠也は眉を寄せる。
「別に嬉しくありませんので。邪魔なんでどこか行ってくれませんか?」
冷たい切り替えしに流石の和泉も少し閉口したが、すぐに口元を歪めた。
「もう少し可愛げを覚えた方が、生きやすいと思うがな」
「貴方相手に振りまく可愛げなんてありませんよ。俺は貴方が嫌いですし」
「嫌い?何故?」
「日向の一件もありますし、あとは本能的なものもありますね」
「あぁ……でも、天才君は頭が良いだろ?何が必要で何が不必要か、判断出来るはずだ」
「……どういう意味ですか」
彼が自分に必要な情報を持っているとでも言いたいのだろうか。
それだったら、とんだ大馬鹿ものだ。自分の過去や状況を何も知らない彼が、そんな情報を持っているわけがない。
けれど、和泉はにやりと口元を歪めた。
「例えば、有馬蒼一郎の事、とか?」
ガタン。
椅子を引いて驚く遠也に彼はさらに笑みを深め、手を差し出してきた。
「お互い、お互いの目的の為に利用しあわないか?天才君」
「お前……どうして」
けれど遠也は差し出された手を睨み付け、一層警戒を強める。
「随分警戒してくれてるな」
「当然です。その名前を言われたら、尚更ですが」
手早い動作でパソコンの電源を切り、遠也は立ち上がった。
「貴方が何を知っているのかは俺には関係無い事です。ただし、俺と日向に危害を加えるのであればその時は容赦はしません」
付き合っていられない、と言う遠也の背に和泉は口角を上げた。
「佐木遠也。佐木大病院の院長佐木遠琉の長男。兄弟は腹違いの双子の兄、それぞれ医者。頭脳明晰で佐木大病院の世継ぎ最有力候補。ただし、生まれつき心臓に疾患がある」
心臓を指差され、遠也は不快気に眉を寄せた。
確かに彼のいう事に間違いは一つもなく、佐木遠也の正しい情報だった。
「……何が言いたいんですか」
「俺の方が手持ちの札は多いってことだ」
「量が多くてもブタばっかりじゃ役に立ちませんがね」
「ブタかどうかはお前が判断しろよ」
ふん、と和泉は鼻で笑い、それに遠也は黙り込む。確かに、少し調べればすぐに出て来るような情報ばかりだが、自分の心臓の件は佐木家ではトップシークレット扱いになっている。それを知り、尚かつ間違いではない情報を持っている彼は、一体何者だ。
「……和泉、興……ね」
彼の名前を呟いて遠也は薄く笑う。
「随分とおめでたい名前じゃないですか。本名とは思えない」
ずっと思ってきたことを嘲笑交じりに指摘するが、和泉の方は動揺も見せない。
「そうか?まぁ、確かに馬鹿馬鹿しい名前ではあるが」
「偽名を使う相手と取引をするほど馬鹿じゃあないんで。取引は信頼関係が必要ですよ」
ふ、と笑って見せたけれど和泉は表情を変えることなく、つまらなさそうにため息を吐いた。
「素っ気無いな」
「ええ、まぁ」
「名前なんて、大した問題じゃない」
「一番重要な個人情報ですよ」
「悪いが、俺にはこれといった名前がないんだ」
「……どういう意味ですか」
和泉の言葉に遠也は彼を振り返る。するとそこに一枚の写真が出された。あの、大志と一緒に見た正紀の小さい頃の写真だった。
何故彼がこれを。
怪訝に思いながらそれを手に取ろうとしたが、和泉は手を引きそれを自分の胸ポケットにしまった。
「篠田鷹紀。彼は元々警察官だったがある知ってはいけない不正を発見し、警察を追われる。そしてその後警官を辞め、私立探偵となってその不正を追いかけた。そしてその結末は……どうせお前も知っているんだろう?」
遠也は頷きはしなかったものの、その写真を凝視しながら和泉の話と正紀の話を頭の中で組み合わせた。
和泉の話は正紀の話ときっちり合い、嘘だと疑わせる隙もない。やはり、彼の情報は正確だった。
「彼は、一体どんな不正を」
「政府が“H”を国民にばら撒いてぼろ儲けしていて警察はそれを黙認していた。そして、それには間違いなく佐木も関わっている」
静かな答えに遠也は眼を伏せた。佐木の名が出てきたことに今更意外性を感じる事も無かった。
「……そうですか」
国家財政が赤字であることも遠也は知っている。一般市民には伝えていないようだが、今は戦争をしても手に入る土地はどれもこれも放射能に侵されている土地ばかりで、使い物にならないと聞く。だから燃料も不足しているし、食料も不足している。だから他国に攻め入るしかこの国が生き延びる手立てはない。
昔手に入れた国土で今はどうにか持っている状態だが、いつかはそれも限界が来るはずだ。
とりあえずの一時しのぎの為に、そうやって国民から金を取っているのだろう。
「俺は、お前と手を組みたい。科学科に楽に出入り出来るお前の手が必要だ」
「……目的は?日向を殺すことですか」
「お前が手を組んでくれるというのなら、日向に手を出さないで済むかも知れない」
「何だって?」
その言葉に遠也は眼を見開いた。意味が解らない。何か戯れ言を言っているのかと思い、和泉の顔を見上げたが、彼の黒い眼は極めて真剣だった。
「何ですか、それ……どういう」
「選べ。俺と手を組むか、それとも」
理由は告げず、答えだけを求めてくる相手のやり方には眉間を寄せたが、遠也は再び椅子に身を投げる。体が小さいといっても人一人分の体重を受け止めた木の椅子は軽い悲鳴を上げた。それを聞きつつ遠也は目を閉じる。
和泉の情報は元は分からないが正確だ。しかも、翔には手を出さないという利点もある。そう簡単に信じていいものか、躊躇いはあるが………。
「……解かりました。俺も貴方の出所が解からない情報には興味があります。けれど一つだけ覚えておいて下さい。貴方が日向に何らかの手を下した時、俺は貴方を絶対に許さない」
この誘いを天才とあだ名が付いた少年が断るとは思っていなかったが、最後に受けた忠告に和泉は小さくため息を吐いた。
「……何故、そこまで日向にこだわるんだ、お前も甲賀も」
和泉は前に脅された克己の目を思い出し、その目が今の遠也と似ているような気がして思わず問う。
「アレが、有馬蒼一郎の研究を全て引き継ぐ者だからか?」
「……それはどういう意味ですか?」
突然、和泉が訳のわからない事を言い始めたので遠也は怪訝な表情を浮かべる。それを見て、和泉は彼も何も知らないことを察す。知らないのなら、教えてやる義理もないのだが、一応は仲間になった相手だ。この先の事を考えても教えておいた方がいいだろう、と彼は口を開く。
「彼は、自身の研究を全て自室に封印した。お前も知っているだろう。開かずの扉を」
そう言われて、遠也は良く行く研究室の一室にけして開かない扉があるのを思い出す。そしてそこが有馬蒼一郎の部屋だという事も知っていた。
「あの網膜認証は本人の目でも開けることは出来なかった。他の人間が躍起になって開けようとしたが、アレは網膜認証でしか開かないようになっている。システムを変える事も出来ない。あの扉の向こうには、今では伝説となっている人体蘇生の研究があるのに」
「……人体蘇生……ってまさか、イースターの」
死んだ人間を蘇らせる事に成功したという伝説。復活の意味をこめてイースターとあだ名を付けられることになったその研究を遠也は今まで信じていなかった。が、
「有馬蒼一郎が、それに成功したと?」
「成功したかどうかは分からない。今ではその研究に関わった学者は全て死亡し、手がかりは有馬蒼一郎の研究室だけだ。そしてそれを開ける事が出来るのは、恐らく」
彼の息子である有馬翔その人であることは間違いない。
「俺は、あの研究の全てを消しに来た」
和泉の静かな声に遠也は少し驚かされる。その研究を利用するために動いているのかと思い始めていたのだが。和泉の眼は本気だった。
「お前だって解かるだろう。あの研究は、世に出してはいけないもの。だが、もし今あの研究にもっとも近いところにいる日向翔いや、有馬翔がこれを知ったら、どうする?」
「……有馬梨紅」
遠也は真っ先にその人物を思い出す。
もし翔がその研究の存在を知れば、真っ先に姉の顔を思い浮かべるだろう。確実に、それを姉の為に使おうとするかもしれない。姉の事となると彼は見境が無くなる。
「だから、日向を狙っていたんですか」
遠也の焦燥しきった問いに和泉は眼を細めた。
「分かるだろ。研究を潰すにはアイツを殺した方が速いんだ。軍部も科学庁も……宮廷庁もアレが本当にあるものだと知れば日向に眼を付ける。今はまだ噂で止まっているが、ばれたら終わりだ。日向はきっと一生自由を得る事は出来ない。俺が言っている意味、分かるよな」
それが、遠也が手を貸せば翔を殺さずに済むという言葉の理由だった。突然の事に茫然としている遠也はいつもの冷静な表情に焦りを浮かべていた。それに、和泉はため息を吐いた。
やはり、酷な持ちかけだったか、と小さく呟いて。
佐木遠也が病を抱えながら生きているという事を知って、この話をするのは少々躊躇われた。だが、日向翔とは仲が良い。その事実に賭けた。
そんな相手の様子に遠也は視線をさまよわせ、動揺を隠そうとしたが遅かった。そう察し、奥歯を噛み締めてから口を開く。
「どうして、そこまで情報を集めておきながら貴方はそれを手中に収めようと思わないんですか」
言ってしまってから失敗だったと遠也は思う。これではまるで、自分がその研究を知ったら手に入れていると言っているのと同じだ。
だが、そこに和泉は深く追求せず、目を伏せる。
「俺が生涯の主と決めた方が、それを望まないからだ」
主、と口にした和泉に、遠也は目を見開いた。まさか、彼にそうした相手がいたとは思いもよらなかったのだ。どこぞの軍閥か、それか名家か……名のある家に仕えている人間だということか。しかし、合点がいく面もある。和泉の身体能力や戦闘能力はクラスでも上位に位置する。幼い頃からその主の為に訓練を受けていたというのなら、その強さも納得がいった。
「俺の主もお前と同じだ。人より長く生きられない。だが、彼を生かしたい人間がどうにか彼を生かす為に躍起になっている。彼を生かす為に、多くの人間を犠牲にしてきた。お前の心臓だってそうだ。お前、何人殺した?」
特に責めるわけでもないだろう抑揚のない問いかけに、遠也は目を閉じ、唇を噛み締める。頭の中には彼の問いの答えの数字が浮かび、俯く。
「……俺の主は、己の命を全うしたいとお望みだ。だから、消す」
本当は、和泉も彼を死なせたくはないのだろう。葛藤を抱えながら行動しているのが見て取れる。
「俺もそのつもりです」
どんなことになっても、あの友人を犠牲にして生きながらえることは出来ない。遠也は小さく息を吐き、自分の決意を伝えた。それに和泉も緊張を解くのが分かる。
「少し話しすぎたな。俺は帰る。じゃあな、天才……ああ、そうだ」
話を止めた和泉はそのまま去るのかと思えば、足を止め振り返った。
「俺の本来の名は秀穂だ。これで信じる気になったか」
これは賭けだ。
和泉は心の中で呟きながら遠也に背を向ける。
彼は日向翔と仲がいい。だが、それ以前に彼も何かを心の内に秘めているようだ。その、何者にも揺るがす事の出来ない彼の“何か”がこの事実を知りどう動くか。
何か奇妙な動きをしたら、殺すまで。
そっと肩口を押さえながら、図書室を出ようとしたところで、白衣を着た青年とすれ違う。
「……ん?」
「早良?」
遠也が姿を現した彼に声をかけると、彼は今出て行った和泉の背を見つめている。
「知り合いか」
「……クラスメイトですが」
それが何か、と聞く遠也に早良は肩を竦めて首を横に振った。何でもないという意味で。それを遠也は信じたのだろう。すぐに早良から視線を剥がして、再びパソコンに向かう。
その隙を突いて、早良は再び彼が去った扉をちらりと見た。
気の所為か、どこかで見た顔だった。
早良が扉の方を観ている隙に、遠也は目を伏せる。左手首に手を置き、こっそり神経を集中させれば分かる脈拍に眉間を寄せた。
これはあとどれくらいもつのだろうか。
生まれつき心臓が弱かった為、父は何体も息子のクローンを造り、手術の度にそのクローンの心臓を使っていた。自分が知る限り、その度消えたクローンは5体。心臓単体で造るより、人間型で造った方が丈夫だとかそんな理由だった。しかし劣化コピーであるクローンの心臓は3年もつかもたないか。
遠也本人はそのクローン達に会った事はない。だが、この目の前にいる早良がそのクローン製造の役についていたというのは知っている。
「……出かけていたんじゃなかったんですか」
前に観たカレンダーでは今日は確かどこかへ出かけているはず。けれど顔を見せた彼にその疑問を小さく聞いた。
「ああ、一端戻ってきた。そろそろ、必要な頃かと思って」
そう言って早良は手に持っていた白い袋を遠也に渡す。いつもの薬だ、遠也の命を繋ぐ為の。
「今夜は戻れないけど明日か明後日には戻るからな。それまで生きとけよ」
軽い口調で言う早良からは、自分の今の容態の詳しいところまでは分からず、遠也はただ眼を伏せた。
あれが、早良。
和泉はちらりと背後にいる青年を観て、足早に図書館から出た。
名前は聞いていたが、思っていたより少し若かった。彼の年齢を思い出し、まぁ適当な外見だと納得する。
彼は蒼龍の治療のために集められた医師団の1人だ。なかなかな人物だと蒼龍自身から聞いていたから、彼に手を出すつもりはない。
これで、佐木遠也は動くだろう。そして次は。
「日向翔………だな」
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