ただ無言で前を歩く高遠の後ろを遊井名田は黙って付いて歩いた。いや、付いて行っているわけではない。彼が戻るべき生徒会長室が、自分が帰る執行部室と近いからだ。だから別に彼の後を歩いているわけではないのだ。
 遊井名田は他人に従うのが嫌いだった。軍人としては致命的な性格だったが、彼自身まだ上の立場に立つ人間だったから、それも大した欠点にはならない。派手な外見は軍一族である自分の家への軽い反抗でもあった。この遊井名田焔次という男を制御するのは難しいと家の人間がぼやいていたのを知っている。だから、自分には自分専用の上司が当てられた。
 目の前を歩く男は自分のその上司ではないから、今日彼が共に行くと言った時はただ驚いた。甲賀克己という一年生に何か思うところがあるらしい、というのは今日の一件でよく解かった。
「高遠」
 凛とした声が静かだった廊下に響き、高遠の足が止まる。必然的に、後ろを歩いていた遊井名田も歩くのを止めないといけない。身をずらして高遠の前に立つ二人の人間の顔を見て、遊井名田は思いっきり表情を歪めた。
「水之江と遊井名田か……」
 高遠は静かな声で自分の前に立つ二人の名を呼んだ。一人は、黒い短髪の少女だ。真っ直ぐに切りそろえられた前髪が彼女の几帳面な性格を現している。もう一人は右目に傷を持つ青年で、彼の視線は高遠の後ろにいる赤髪の少年に向けられている。
 それを察した高遠は目を細め、少しだけ口元を上げた。
「遊井名田、黙って弟を借りて悪かったな」
「……高遠さんは謝らなくて良い。ごめん、コイツ使い物にならなかっただろ」
 そう言いながらこっちに近付いてくる相手から遊井名田は逃げようとしたが、踵を返したところで襟足を掴まれてしまった。
「陽兄!」
「焔は俺がいないと使い物にならないんだ。副会長にもそう言っててくれないか、水之江」
 彼はそれだけ少女に言い、暴れる弟を片手に長い廊下を歩き始めた。それを少女は少し呆れたような黒い目で見送ったが、すぐに高遠に視線を上げる。
「高遠、お前は今回の一件には関わるなと副会長から言われていたはずだ」
 今回の一件というのは、甲賀克己の暗殺の事。自分よりずっと小さい少女が気丈に自分を睨みつけているという構図が少し笑える。
「命令違反だぞ、高遠」
 ただ静かに自分を見下ろす彼に彼女は畳み掛けるように強い口調で言う。けれど、学年も下で立場的にも下である彼女の言葉など、気にするに値しない。
「俺の上司は生徒会長。副会長じゃない」
「……何を馬鹿な事を。会長不在の際この学校を治めるのは副会長。会長補佐であろうが、副会長に従うのが筋だろう!」
 水之江の言い分は最もだが、会長と副会長はあまりにも考え方が違いすぎる二人。そうそう簡単に従えるわけがない。
 それに、事態が事態だ。
「だからといって、会長の留守に会長の縁者を死なせるわけにはいかない」
 そこを狙う副会長も副会長だ。やり方が卑怯すぎる。恐らく、彼がこの事を知ったとしても放っておけというのだろうが、今は彼の指示を仰ぐことは出来ない。
「縁者……だと?」
 何も知らない水之江は眉間に皺を寄せた。だが、すぐに何かを思い直したのか、一度口を引き結んでから口を開いた。
「とにかく、このことは副会長に報告する」
「……好きにしろ」
 高遠も疲れていた。投げやりに答えると水之江の少し悔しそうな顔が視界の端に入る。高遠は生徒会長補佐という役職に就き、彼女、水之江静生は副会長補佐という役職についている。その所為か、彼女は自分をライバル視することが多い。
「……本当に報告するからな」
 それだけ言い捨てて彼女は足早に副会長室へと向かおうとした。が
「水之江」
「……なんだ」
 もしや口止めでもするつもりかと彼女は思ったらしいが、
「さっきの遊井名田兄の言葉は、勝手に自分の弟を使うな、という牽制だからな」
 高遠としては助言のつもりだったが、彼女には馬鹿にしているように聞こえたらしい。黙っていれば日本人形のように愛らしい目をつり上げ、「分かっている!」と怒鳴り廊下を走っていく。
 それを見送ってから高遠も自分のいるべき部屋である生徒会長室のドアノブを回した。部屋は暗く、電気を付ければ二つの机と黒いソファ、両壁には様々な資料が入っている棚が置かれている。ここがこの学校を取り仕切る生徒会長の部屋だ。だが、部屋の主は不在で、高遠は自分の机に向かい、椅子に座ってパソコンの電源を入れた。事務をこなしつつ考えるのはさっきの事。
 一体、副会長は何を考えているのだろう。会長がいない時に暗殺命令など出して、これは宣戦布告と考えて良いのだろうか。いや、宣戦布告なら常にされている。彼は敵対心を隠そうともしない。
 陸に限ったことではないが、生徒会は二つの勢力に別れている。会長派と副会長派だ。軍は内部闘争が激しい。家柄だったり学歴だったり闘争のネタは尽きないが、それもこの学校は受け継いでいた。副会長である千宮路は常に会長の座を狙っている。生徒会長になればこの学校の全権を握る事が出来るし、名も上がる。だが、会長である碓井は軍閥として一番に名が上がる家系だ。千宮路家はまだ軍閥としては名が新しい。ここでこの学校の生徒会長となれば確かに名が上がる。
 千宮路の考えは単純で、読みやすい。
 だが。
 高遠は不在の机にちらりと目をやり、目を細める。
「貴方は一体何を考えているんですか、会長……」
 暗殺計画のことは大分前にメールで連絡しておいた。だが、その返事はたった一文。
『好きにさせろ』
 これは千宮路が聞いたら怒りそうな返答だ。千宮路など敵ではないと、そう言っている。
 確かに、彼にとって千宮路など取るに足りない存在かも知れない。だが、思い浮かぶのは今日あの甲賀克己の隣りにいた小さな少年。1年生か、少し首を握っただけでも死んでしまいそうな印象を受けた。
 あんな子も巻き込むつもりなのか。
 そう思ってしまった自分を、きっと彼は相変わらずお前は甘いと一笑するのだろう。そういう彼は、とても冷徹な心を持っている。軍人ならばなんら問題もない温度だが、人間としては外れてしまっている。
 ふぅ、と思わず昔を思い出しため息を吐いていた。
「仲の良い、兄弟だったんだがな……」
 昔を懐かしむのはもう自分だけなのだろうか。
 それぞれ互いに拒絶の背を向け、違う道を歩むこととなった兄弟の顔を思い出し、高遠は目を伏せた。
 遠い時代、兄弟でも殺し合うことがあったと聞く。それが悲惨だと嘆いた時代もあった。だが、いつの時代も兄弟は一番身近な強敵だったのではないか。年齢が近ければ近いほど、その意識は強まる。
「会長、貴方が一番警戒している相手は、矢張り……」
 千宮路でもなく、海や空の会長副会長でもなく。
 きっと血を分けた兄弟以外に、有り得ない。




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