気持ちが悪い。
 身体的嫌悪感ではなく精神的嫌悪感なのは解かっているが、どうしても払拭出来ないそれに苛立ちが募る。これは、加藤の所為。
 構えた銃の先には人の形の白い的。さっきから同じ的ばかり使っている所為ですでに自然に狙うようになっていた急所には大きな穴が開いていた。
 この人気の無い射撃場は、いつも自分が好んで使っている陸の敷地から少し離れたところにある。だから顔なじみに会う事は滅多に無く、ついでにここの管理をしているはずの航空科ではすでに古い建物となってしまったこの場所を建て替えるか議論中だと聞く。すでに新しい射撃場は建てられている為、ここを使う生徒は殆どいない。寮の地下にもおざなり程度に射撃場があるが、あそこは人の出入りが多くて集中出来ない。
 自分がここの場所を好んで使っていることを知っているのは、克己の知る限りで彼一人。
「久々に荒れてるな」
 ずっと入り口のところで眺めていた彼がようやく口を開いたが、それに聞く耳は持たず、素早い動作で引き金を引く。すると何十発も受けた的がとうとう限界を迎えて首から上が吹っ飛んでしまう。
 相手が的でもそのあまりにもぼろぼろになった姿に山川は「あぁ……」と同情の声を上げた。
「いい加減にしろよ、甲賀。銃弾の無駄遣いは経費の無駄遣い。その一発一発にも国民の血と汗と涙がだなぁ」
「的になりたいか?」
 自分は正論を言っているはずなのに、銃口を向けられ力で押さえつけられてしまった。これだから軍人って嫌だ。
 けれど的になる気はさらさら無く、降参という意思表示のために山川は両手を軽く上げる。すると克己はすぐに銃を下げ、白くヒビの入った壁に背をもたれて小休止に入った。レモン色の室内灯をぼんやり眺める彼の横顔からはさっきまで銃を連射していた人間のものとは思えない程意気消沈している。
「お前が荒れてるところ久し振りに見たな。あれ以来お前から人間味っつーもの感じなかったのに」
「……今日は不味い物を喰っただけだ」
 ち、と舌打ちをしながら克己は唇を親指で軽く撫でる。加藤の感触がまだ残っているような気がして気分が悪い。
「あっれぇ。お前味覚音痴じゃなかったのか?一時期来るもの拒まずで馬鹿食いしてたくせに」
 昔を知る知り合いというのは、恐らく最も扱いに困る相手だろう。
 言い訳は出来るが、反論は出来ず、克己は昔の自分のことを思い出し軽くため息を吐いた。昔といってもそう遠い話ではないのだが。
「……やっぱりまだ彼女の事、忘れられないんだな」
 常に冷静である克己が荒れる理由と言えば、昔馴染みの山川が思いつくのは彼女の事だけ。今回もそうだったらしく、そう言うと克己は表情を少し険しくした。
 その僅かな変化に、山川は静かに忠告する。
「過去に囚われすぎると取り残されるぞ、甲賀。俺達は生きているんだ。死んだ人間と共には生きられない。お前の時間が止まってしまう」
「それでも構わない……と思っていたんだが」
 はぁ。
 らしくないため息を耳にした山川はしばし思考を止めた。
 今までなら潔いまでにはっきりと「それでも構わない」と言い切っていた彼が、言葉を濁した。彼女に関しての話だと何の迷いも無かった彼が。
「……甲賀お前もしかして」
 そういえば、前に会った時、彼は気になる人間がいると言っていなかっただろうか。
 その情報と合わせて考えてみると答えは一つ。
「好きなヤツ出来た、とか?」
 この問いに既視感を覚えるのは気のせいじゃない。彼女の時も似たような状況で彼の恋心が発覚したのだから。そして、あの時の彼の反応は
「……まさか」
 だった。
「出来たのか」
 過去と同じ返答をされて山川は確信した。こういう態度に出る時の彼はまだ自分では気が付いていない、もしくは自分でその感情を否定したいかのどちらか。伊達に長い間友人をやっていないのだからそれくらい察せる。
「うっわ、誰誰!?いいなぁ、俺も陸に行こうかなぁ。可愛い?可愛い!?お前が惚れるんなら性格も結構良いんだろうな!捻くれ者は反対の性格のヤツに魅かれるってゆーし、イッテェ!」
 一人で盛り上がる山川の頭に克己が持っていた銃が振り下ろされた。本来飛び道具として使われる銃も元は鉄製。充分鈍器の性質も持っている。
「これ以上騒ぐと永遠に黙らせることになるが?」
 今度は武器本来の使い方をする気満々に銃口を向けてきた克己に山川は再び両手をあげる羽目になる。
「ゴメンなさい……」
「大体相手は男だぞ」
「あ。そうなの?なんだー」
 心底がっくりしたらしく、山川はそのままその場に座り込む。
「折角お前が彼女の事諦めたのかと思ったのに」
 はは、と苦笑しながら彼は茶色い前髪をかき上げる。山川は克己と違って友人想いの性格を持つ。この長い間、彼には大分気を遣われている自覚はあった。
「つか、いっそ男でも良いよ。そーだそーだ、お前気になってるならそいつに惚れてしまえ」
 こういう面がなければ、素直に感謝するのに。
「それは、駄目だ」
 無理、ではなく、駄目。
 その言い回しに山川の笑顔が凍りついたのを目の端で捕らえてから、手に持っていた銃を的に向けて引き金を引いた。的はど真ん中を貫かれ、衝撃に細かく揺れている。
「……彼女の二の舞になる」
 かしゃん、と克己が銃弾を補充した音が虚しく響いた。
 その言葉に流石の山川も何も言えなくなったらしい。それ以上何も聞いてこなかった。
 正直、助かった。それ以上追求されたら自分の中にその答えが見つかってしまうかも知れなかったから。
 あの森、いや林かも知れないが。あそこで一体自分は何をしようとしていたのか、今でも理解出来ない。理解したくない。
 無邪気でまったく自分を警戒しない、むしろ信じきったあの笑顔が無性に憎らしくて堪らなかった。彼からこの笑顔を奪うのはきっと容易い事なんだろうと思って手を伸ばしていた。
 これが欲しい。
 子供のような欲動に突き動かされて、触れたものは思った以上に温かかった。
「俺は、自分はもう少し自制が利く人間だと思っていた」
 男ばかりに囲まれて、神経がやられてしまったのかと思って試しに一人相手にしたが特に興奮はしなかった。むしろ、気分が悪くなり逆効果で。
 自分は感情や欲情にあっけなく流されるような子供ではない、と思っていたのは買い被りだったのだろうか。
「一生の間にただ一人の人間だけを好きでいるのは、難しいものなのか……」
 昔は確かに好きだった彼女の姿が次第に薄れていっている事を、今日まざまざと感じた。あの頃は本当に、いや今も本当に彼女だけを想うつもりだった。けれど、少し彼女が近くにいないだけで消えかかりそうな感情に過ぎなかったのだろうか。あの時口にした言葉が今では偽りにしか聞こえない。
 首に下げた彼女が確かにいたことを伝えてくれるクロスが重い。
「……俺は、お前は充分彼女を愛したと思うよ」
 山川の小さな声でのフォローに眼を細め、近くの壁に立てかけてあったサーベルを取り、彼に投げた。
 外の気配に山川も気付いたのだろう。受け取った剣は本物であることを強調している重さで、背伸びをしながら立ち上がると克己も同じ剣を手に神経を研ぎ澄ます。この緊張感が何となく懐かしい。
「折角だ。久々に付き合え。どうも俺には日本武術は合わない」
「合わないとか言っててソツなくこなしてるんだろ、どーせ」
 細い鞘から刀身を抜くと、更に細い銀色の刃が安っぽい室内灯の光りで煌めく。いい剣だ。一度も使っていないのか、刃に脂のくもりが無い。
 陸では殆ど日本武術しかやらないと聞いているから、幼い頃から西洋の武術を叩き込まれた克己にとってはやり難いのだろう。きっと周りはその事に気付いていない。
 口には出さないが、その余裕の笑みが山川の言葉を肯定している。
「……そういえば、川辺は空でフェンシングも教えていたそうだな」
 思い出したような克己の突然の問いに山川は彼へと視線を流した。
「それは去年までの話だな。あの人去年の秋の戦争に出てって、帰ってきたらそっちに行った」
「なら、それなりの相手にはなる、か?」
 光りを放つ剣を眺め、克己は何を思ったか目を細める。
「……腕、落ちてないだろうな?甲賀」
 細い剣を片手に構える克己の姿があの頃とは全く変わらず女子が悲鳴を上げそうなほど決まっている。そういうところは変化していても良いものなのに。
 挑戦的な友人の問いに目を上げ、ふっと鼻で笑い、克己は剣を握る手に力を込めた。
「当たり前だ。来るぞ」
 低い克己の声を掻き消すように、扉が激しい音を立てて吹っ飛んだ。
「アッハー!いたいた、甲賀克己ィ!」
 僅かな土煙を纏いながら妙にテンションの高い声と共に現れたのは、パーカーに学校指定のブレザーを着たオレンジ色の髪を持つ青年だった。派手な見た目は、そんな身なりが許されるのはそれなりの地位を持つ、という証拠だ。背後に部下らしい軍用ゴーグルを付けた生徒を数人従え、彼は扉を破壊した時に壊れた壁の欠片をガンッと蹴り飛ばし、ニィと笑った。誰が生徒会役員かというのは普通は公にはされない。なのにオレンジ色の頭の男は素顔を晒している。ただの馬鹿か、顔を出しても良いほどの地位に立つ男なのか、どちらかだ。まぁ、ネクタイをつけていないから何年生かはギリギリ解からないが。
「ようやくテメェとやれる日が来て嬉しいぜぇ?校舎内は駄目だとか寮内は駄目だとかアイツ等うるせーんだよ」
「あぁ、それちょっと納得。お前手当たり次第壊しそうだしな」
「うるせぇ!」
 山川が茶々を入れると男の三白眼が不快気につり上がった。怒らせてどうする、と克己がちらりと友人を見ると彼は不敵に笑うだけ。
「って、あぁん?誰だテメー。陸じゃあ見かけねぇ顔だな……オイオイ、空のボンボンかよォ」
 山川の制服に気付いた男は大袈裟に頭を抱え、「めんどくせー」とその場にしゃがみ込んだ。
 彼はオレンジ色の頭を引っ掻き回してから「あー」とか「うー」とか唸っていたが、突然「あー!!」と大声を上げて立ち上がる。
「もう考えんのめんどくせぇわ。お前も死ね!」
 瞬間、猪のようにこちらに突っ込んでくる相手に山川は眉を上げた。
「おっ前、めんどくさいって、酷くねぇ?一応俺空の人間なんだぞ、それをなぁ」
 上司が動いたのとほぼ同時に彼の背後にいた生徒達も素早い動きで二人を取り囲んだ。どうやらゆっくり文句も言えないらしい。そんな空気に山川が肩を竦める間に、全部で7人か、と克己は視線を滑らせていた。
「甲賀、あの派手なのは俺に任せろ」
「……他の人間は俺にやれと?」
「出来ないってのか?」
 あの甲賀が?とわざとらしいほど大袈裟に声を上げて言う山川に、克己はため息を吐いた。
「出来る」
「ごちゃごちゃ何ナイショ話してんだよ。俺も混ぜな!」
 ひゅっと振り上げられた拳を山川が剣で受けた。男は拳が武器らしい。手につけられたグローブを覆っている鉄が蛍光灯で鈍く光る。
「ざんねーん、馬鹿犬が理解出来るような話はしてねぇよっと」
 当たったら骨は砕けていたのではないかと思われる拳を剣で受け流し、山川は男の身体を蹴り飛ばす。その攻撃を読めなかった相手の体はすぐに吹っ飛んだ。
「いってぇー。馬鹿犬言うなぁ!ゴラァ!」
 強く壁に激突していったはずなのに、彼はすぐに身を起こしまた、喚く。
 痛みに鈍感なのか。
 山川はその事に一瞬眉を寄せたが、すぐに剣を持っている手首を捻りながら足を踏み出した。
「だって俺君の名前知らないし?」
「遊井名田っつーけど、覚えなくて良いぜ?どうせお前ここで死ぬんだし!」
「なんだそのお決まりの台詞」
 下から突き上げられた拳を軽々と避け、山川はにやりと笑う。
「そうだな、犬の方がもうちょい速い動き出来るよなぁ?馬鹿亀でいっか」
「亀だぁ!?」
「……遊ぶな、山川」
 あれは完全に楽しんでいる。
 克己はため息を吐くが、そんな自分も囲まれていた。人数を目算し、遊ぶにしても物足りない相手かもしれないが、仕方なしに剣を握る。後は、空気を切り裂く音と斬風が彼を中心に生まれるだけだった。





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