「あぁ、そういえば篠田!」
大志は突然手を叩いた。正紀達の部屋が目の前にあり、中に入ればすぐ正紀の尋問が始まるというタイミングで思い出したことがあったのだ。
時間稼ぎというわけではないけれど、大志は慌てて自分の胸ポケットを探った。
「なんだよ、三宅」
絶対誤魔化しを始める気だと読んだ正紀の声はどこか刺々しい。昔不良のヘッドだっただけあってその空気も怖かったけれど、めげずに大志は続けた。
「実は、教室でお前の写真俺拾ってさ、今部屋にあるからとってくる!」
部屋にあるというのは大嘘だが、とりあえずこの空気からいったん逃げ出したかった。
写真、という単語に正紀はすぐになんのことだか解からなかったのか怪訝な表情になる。
「写真って、何だ?正紀」
正紀に物申すことの出来る彼が話に乗ってきたのは大志にとっては逃したくない幸運だった。
いずるの問いに正紀も肩をすくめるが、知らないなんて言わせない。
「そうそう、写真!矢吹も写ってた!後は多分篠田の親父さん?それともう一人誰か居たヤツ!じゃあ俺取って来るから!!」
「あぁ、写真って……あ、コラ!」
正紀が止めるのも聞かず、大志は自室へと走って行った。
逃げられた、と一瞬思ったがまぁすぐにその写真を持って帰ってくるだろうし。正紀は諦めて先に自室のドアを開ける。
何の事かと思ったが、心当たりもあったし大志が嘘を吐いているとも思えなかったから、どうせすぐその写真を持って部屋に来るだろう。
「写真、って……」
後ろからついてきたいずるの問いに、正紀は振り返りながら苦笑してみせた。
「あぁ、ガキんとき撮ったヤツだよ。オヤジと俺とお前と、それと諌矢さんがいるヤツ」
懐かしい場面を収めた一枚だ。見ればいずるにも覚えがあるだろう。家には過去の思い出を収めたアルバムに大量にあるけれど、ここに持ってきたのはその一枚だけだった。
自分と幼馴染であるいずる、それと彼の兄である諌矢、そして自分の実父が写っている写真。多分この面子で写っているものはこの一枚だけだ。
正紀といずる、諌矢の三人で写っているものはそれなりにあるけれど、そこに父親が加わったものは珍しい一枚だ。何だかんだ言って父親は忙しい人だったから。
いずるも懐かしい顔を思い出し、眼を細める。正紀の父親には忙しいいずる達の父親の代わりによくかまって貰った。今では懐かしい思い出だ。
「……その写真なら覚えてる」
いずるはそう答えながらあの頃はよかったとぼんやり考えた。まだ子どもで、この世界の事や自分の身の上のことなんて何も知らずにただ毎日をはしゃいで過ごしていた日々が今は恋しい。
「な、諌矢さん元気してるのか?勿体つけずに教えろってあれから全然音沙汰ないし」
正紀のそんな一言にいずるは思考を過去から現実へ引き戻された。
前は何だかんだと話をはぐらかされたけれど、今日はこの答えを貰う。
そう決意した正紀は、諌矢という名前を聞いていずるのまとう空気が変化したことに気付かない。それほど鈍感というタイプではないけれど、時々幼馴染であるいずるでも苛立ちを感じるほどに鈍い時がある。
まさか、いずるの実の兄弟の名前を出して不機嫌になるとは彼も思わないだろうけど。
そこら辺のことを許容した上で、いずるは素早く次に言うべき台詞を考え、口にした。
「何でそんなに兄貴の事気にするんだ?お前、もしかして本気で兄貴に惚れてる?」
からかい口調で更に小さい時からベッタリだったよな、と付け足すと正紀は虚を衝かれたようで、面白いくらいうろたえる。勿論、この反応はいずるにとっては予想範囲のものだ。
「な……バッカ、何言ってんだ!俺はただ」
「はいはい、照れるな照れるな。いいんじゃねぇ?俺は歓迎するが、お前を兄貴と呼ばないといけないってのは色々キッツイなー」
「いずる!」
あまりにも酷くあしらわれている気がしてきた正紀は意地悪く笑う幼馴染を睨みつけた。ここで聞かないと何だか一生はぐらかされるような予感がしたというのもある。
「お前、俺に何隠してる」
最近のいずるの様子はおかしい。最近、というのはこの学校に入って再び一緒に過ごすようになってからの最近だ。中学はいずるは上流階級の子どもが行く学校へ行ってしまったから、中学の3年間、いずると正紀はほとんど会っていなかった。2年間はほとんど音信不通で、再び会ったのは中学3年の始まり辺り。その2年間の所為で、お互い、お互いの間に一線を引いてしまっている気がしてならない。
そんな正紀の鋭い視線をいずるは鼻で笑う。こんなことで熱くなる正紀の幼さを笑ったのか、それともただの誤魔化しだったのかはもう本人でも解からない。
「俺は何も隠しちゃいない」
「嘘付け。お前、昔ずっと俺にお前が矢吹家の人間だってこと隠してただろうが」
いずるには前科がある。それを指摘しても見慣れた彼の表情は変わらなかった。
「……その事は悪かったと思ってる」
ただ低い声で初めていずるの口から謝罪の言葉を聞くことが出来た。
形勢は自分に有利だと知った正紀は心の中でガッツポーズを決めていた。
「よっし。なら諌矢さんのこと教えてもらおうか」
「死んだ」
もう少し抵抗されると思ったのに、さらりと即答されて正紀は得意げな顔のまま固まった。
「……は?」
「だから、死んだよ。去年」
ベッドに座りながらいずるははっきりともう一度同じことを繰り返す。その眼が何の感情も見せないことにまず彼が嘘を言っているのではないかと思うが、いずるがこんな悪趣味な冗談を言うわけが無い。
「……俺、何も知らねぇけど……?」
自分でも驚くくらい震えた声だったが、いずるは正紀から視線を外して何も言わない。その態度に頭の中が熱くなるのが解かった。
「どういうことだ、いずる!!」
平然としている彼の首元を掴み上げると彼は抵抗せず、ただ冷めた視線だけ寄こしてくる。
「俺はちゃんと答えた」
「お前、葬式くらい呼べ!つか、つか、何でもっと早く教えない!?」
いずるは首元を掴んでいる正紀の手に力が加わるのに苦しさを感じる。けれど大分怒っているな、と冷静にただ思うだけだった。
「葬式はしなかった……いや、したかも知れないが俺は参列していない。理由も、解かるだろ?」
淡々とした説明に正紀の眼が苦渋の色を持ち、口元が引き攣る。彼の弟であるいずるの薄情な態度が許せないのだろう。
「どうして……ッ」
苦しげに吐き出された声は諌矢に対する同情心から出たものだ。兄の葬式にも参列する事を許されなかった自分に対するものでは無い。そう考えると少々正紀の顔を殴り飛ばして怒鳴り散らしてやりたかったが、それに反抗出来なかった自分の弱さが原因なのでそれは実行に移したところで八つ当たりだ。
「……俺が、矢吹いずるだからだよ」
名家と言われる矢吹の名を口にするのは自分への戒めでもある。けれど、正紀には相当効果があったらしく、掴まれていた首元部分の服の生地が引き攣った悲鳴を上げた。
いずるの苦しげな顔をとらえながらも正紀は構わず力任せに近くの壁に相手を押し付けていた。
「矢吹矢吹ってなぁ……!」
怒りに震える正紀の声に、いずるは僅かに目を大きくする。
「何が矢吹だよ!お前小学校の時3組の田中と付き合ってたじゃねえか!アイツ柔道で優勝してたもんな、告白断わったらどんな目に合うか解かったもんじゃねえから、怖くてOKしたんだろ!?そんなヤツが、政治にも関わってる名家様の当主になんてなれるもんかよ!」
突然怖い顔をして昔のネタを出され、更にそれがあまり思い出したくない過去だったので、いずるも苦しさなんて一瞬吹っ飛んでいた。
「はぁ!?違っげぇよ!俺もそれなりにアイツのことが好きだったんだ!」
「それが本当なら、お前かなりのブス専だよな!アハハハ!!」
「他人の趣味とやかく言ってんじゃねぇよ!お前なんて、小学校の時告られて断わって、相手に泣かれてどうしようもなくなって一緒に泣いちまったくせに!どんだけ気ぃ弱いんだよ!」
「な、くだんねえこと覚えてんじゃねぇよ!可愛くていいじゃねぇか!」
「そんなんだからいまだに童貞なんだよ!それにセンスも無いからなぁ。5歳ん時拾った子猫の名前、ポチはねえだろ!猫だぞ?猫!」
「斬新じゃねぇか!いずるだって8歳ん時排水溝からイグアナ見つけたっつって拾ってきたよな?つかアレ、イグアナじゃなくて小さいワニだったんだよ、ワニ!!鶏肉喰った辺りで気付け、イグアナは草食です!!」
「小4ん時靴箱間違って同姓同名の男のトコにラブレター入れたお前に言われたくない!そんなんだから毎年通信簿に『事前によく確認しましょう』って書かれるんだよ、何処の金融会社の宣伝だ!」
「な、くだんねえこと覚えてんじゃねぇよ!つか何で知ってる!!それ言ったらお前だって……」
正紀はそこまで言って台詞を止めた。
いずるとの喧嘩は珍しくないけれど、何だか今回ほど虚しさを感じる喧嘩は無い。
「……何でだよ」
突然覇気を失い項垂れた正紀の様子にいずるも身構えていた体から力を抜く。
親しい人の死を知ったのに、どうして全然違うことでいずると言い争いをしないといけないのだ。何だかワケがわからなくなって、正紀は混乱し始めていた頭を思わず押さえていた。
「昔のお前ならこんなに下らない事まで色々知ってるのに、今のお前は何を考えてるのか全然わっかんねぇよ!」
今のネタも全部小学校までの記憶。それ以降は思い出と呼べるものは殆ど無い事に今更ながら気付かされる。
幼馴染なのに。それはもう、今となっては過去の事なのだろうか。そうだとしたら、あまりにも淋しすぎる。
怒りなのか悲しみなのか解からない感情を嘆いたその言葉に、いずるは自分の何かが振り切れたのを感じた。
何も知らない正紀に対しての怒りなのか、それとも何も知らない自分への怒りなのかよく解からなかったけれど。
「お前にだけは言われたくないんだよ!!」
正紀からしたら、久々に聞くいずるの怒声だった。
それに驚く間もなく今度は首元を強く掴み上げられる側となっていた。
「いず……ッ!」
「お前、何で、何で……何で!人が折角スルーしようとしてやってるのに、何回目だ!」
「何回目、って何が」
わけが解からないという正紀の態度にいずるは眉を寄せて彼から手を離した。相手にしたところで無駄だとでも判断したのだろうか。背けた横顔は何かを諦めきっていた。
「とにかく、もう二度とこんな下らない事で喚くな。俺は不愉快だ」
下らない。
その一言に思わず手が出てしまったのは、きっと不良時代の悪い癖の名残だ。
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