「甲賀、なんか変わったなー」
 正紀は急いで弓道場から離れた克己を見送りにやにやとした笑みを浮かべていた。
 あの鉄仮面が翔相手になると人並みに慌てたりするのが面白くて仕方が無いと言いたげに。
「お前も随分人が悪いな……」
 そんな彼にいずるはため息をついて見せるが、心からそう思っているわけではないことを正紀は知っている。
 多少のブランクはあるけれど彼は幼馴染。気心の知れた相手だからお互いのことは大体解かっているつもりだ。
 あくまで、つもりだけれど。
 最近はいずるが何か隠しているような気がするから。
「あれ、矢吹と……篠田君、だっけ?」
 克己と入れ替わりに魚住がひょいっと顔を出したのには少し驚いた。
 本当は驚くようなことではないけど。彼も弓道をたしなむ人間だ。
「……先輩」
 いずるの表情と声の温度がぐっと低くなったことに気付けない仲じゃない。
 もしかして、彼がいずるが言っていたあの人?
「今日も練習か?矢吹はこれ以上練習しなくてもいいだろ」
 くすくすと笑う彼の顔には悪意は全く伺えないが、それでもいずるは密かに警戒しているようで。
 何の根拠もなく他人を疑うような親友では無いから、確信がある上での態度なんだろうけれど。
「練習しないと腕は落ちる一方ですよ、先輩」
 疑う、というよりは……。
 お互い笑顔だけれど、空気は南極より冷たい気がするこの雰囲気は、ライバルの攻防戦というのが相応しい気がする。
 バシバシと火花が散っている間に挟まれている正紀はそれだけで神経が磨り減る思いだった。
「じゃあ俺お邪魔だろうから……」
 そそくさと逃げ出そうとした時に、何となく眼をやった魚住の首元に虫刺されのようなものがあるのを目撃してしまった。
 まさか、あれは世に言うキスマーク?
 見なきゃ良かった……。
 ……あれ?
 不意にちょっとした疑問が脳裏を過ぎる。
 確か、彼は友人に似たヨシワラの人間に恋をして、最近会ってくれなくなったと嘆いていたのではなかったか。
 くっきりと残っているそれは昨日今日出来たような紅さだ。まさか、寄りを戻したとか?
 いや、そんな話があったらきっと翔辺りが耳にしているだろう。
 それでないとしたら、第三者の存在があるか、だ。
「じゃ、ごゆっくり〜〜」
 ひらひらと手を振って魚住の横を通り過ぎた時、覚えのある香りが鼻を掠めた気がした。
 

「でもさ、キリングタワーって、何?」
 頼まれ物を教室の教卓に置いた大志がくるりと遠也を振り返る。
 名前からしてかなり物騒な存在な気がするが。
 遠也はぱらぱらとその地図を見ながら、地下にまで広がっているその施設の説明をどうすべきか逡巡した。
「……色々な場合を想定して訓練が出来る場所、と言えばいいのか……街中、荒野とかはこの施設内にあるからそこで訓練をすればいいが、屋内の場合はキリングタワーの出番だ」
 キリングタワーは現在の科学を駆使して作られた戦闘シュミレーションセンターだ。
 元々はキリングハウスと命名されていたようだけれど、この学校のそれはハウスなんて規模の建物じゃない。いつしかハウスがタワーに変わっていた。
「あぁ、訓練所か。俺はてっきり拷問部屋かと」
 名前からして怖いから、と大志は苦笑するが、そこに考えが飛躍するのはどうなのだ。まぁ、解からないでもないが。
「中には敵役としてアンドロイドやクローンが居る。段階が進めば彼らと戦う事になるだろうな」
 遠也は前にパソコンで見たことのあるその地図をめくりながら説明を続けた。
 今はまだ踏み込み方とか、地図で建物の造りを探る方法とかそういう初歩的な事しかやらないだろうが。
 一ページ目にはAゾーンと書かれていて、これはまだアンドロイド達が居ない階。
 BからFには彼らが存在し、姿を現した人間には容赦なく発砲してくるらしい。彼らにもちゃんとリーダーがいるというから、本格的だ。
 ただし、改良に改良を重ねたおかげで異常な姿で生まれた生命体もここに閉じ込めている。彼らには意思というものが存在せず、テレビゲームのモンスターのように襲ってくるらしい。その多くは遺伝子を他の生き物と掛け合わせた合成人間。見境なく襲ってくる為、彼らは同じタワーに居るアンドロイドやクローン達にとっても敵だ。
 Gゾーンと書かれた最後のページを開き、遠也は大志の目の前に指を二本突きつける。
「2つ、キリングタワーには噂がある」
「噂?」
「一つは、地下深くにあるこのGゾーンが、実は塀の外まで繋がっていて、外へ抜けられるという噂」
 なかなか重大な内容だというのに遠也は眉一つ動かさずに説明する。むしろその冷静さに驚かされた。
 でも、多分信憑性が薄いということなのだろう。
「本当か?それ……」
「でも、もう一つの噂。これは真実らしいが……Gゾーンには何年か前にこの学校を卒業したはずの生徒が閉じ込められている、らしい」
 あまりにも手に負えなかったらしく、卒業後も引き取り手が見つからずこのまま街に放ったら単なる快楽殺人者になってしまうと学校側が危惧してタワーに閉じ込めた。
 そんな人間があのタワーには居る。
 真実だと言っているが、その人間が生きている可能性は低い。満足に食事も取れず結局餓死したというオチだろう。
 それでも、Gゾーンに入った人間は今まで誰一人として帰って来ていない。多分道に迷って彷徨っていてクローンに殺された辺りだとは思うが、その噂のおかげで誰もGゾーンが外に繋がっているという噂を確かめようとしない。
「Gゾーンに入ったら、その閉じ込められた卒業者に殺される……そんな噂が立つくらいだ。きっとGゾーンが外に繋がっているという噂は真実だ、と俺は思う」
 真実だからこそ、その卒業生をそこに閉じ込めたのだろう。番人として。
 おかげで奇怪な噂が立ち、誰も外に通じるか試そうとしない。
「マジで?じゃあ、この学校から出られるのか!?」
「声がでかい」
 驚いた大志が上げた声を遠也は冷静に咎める。
 別にその気が無いのに脱走計画を立てていると思われたら厄介だ。
 自分達しか居ない教室内だけれど、どこかに監視用のカメラがあるだろうし。
「恐らく、何十年前かに作られた対核兵器用のシェルターだ。それが埋め立てられずに残っていて、その上にキリングタワーを作ったんだろう。きっと、どこまで繋がっているかなんて軍部でも把握しきれていないからな」
 核戦争時代に作られた当時はこの地中で人は生活していたというから、驚きというか呆れるというか。
 モグラのトンネルのようにあちこちに延びているこの地下道は、どこに繋がっているか今では解からない。きっとこの施設の唯一の落とし穴。
 けれど、そこを通るにはその卒業生を倒さないといけない。
 更に、正確な道が解からない為、外に出られる確率はゼロに近いという。核シェルターはなるべく多くの人間を収容する為に我武者羅に広くしたらしいから、今じゃ迷宮以外の何物でもない。
 伝説の迷宮をそのまま再現したようなところだ。運という名の神の導きが無いと脱出は不可能。
 そんな賭けに出るくらいなら、大人しく卒業を待っていた方が身の為だろう。
 ぱたん、と音を立てて地図を閉じると大志の視線を感じる。
「……何だ?」
 今までの柔らかい彼の視線とは違い、どこか真剣なものを含んだそれに首を傾げると彼ははっとした様子で手を横に振る。
「あ。や……な、何でもな……くないけど」
 誤魔化そうとして無理だと思ったのか途中大志は言葉を変えた。
「いや、遠也、もの知りだな、って思って……さ、その」
 どうも歯切れの悪い大志の言葉に少しイライラしてきたが、黙ってその先を待つ事にした。
 遠也の冷たく鋭い視線がプレッシャーとなり、大志の方も逃れられないことを察す。
 そして
「遠也、さ……イースターっていうの、知っているか?」
 彼の口から飛び出したのは、想像していなかった言葉だった。
 思わず遠也は眼を見開いていたが、彼が牧師の息子だということを思い出し深読みしすぎなのではないかと考えを打ち消した。彼がそんな事を知るわけが無い。
 なるべくこちらの動揺を気付かれないように遠也は平静を装った。
「キリストの復活祭の事か」
「違うよ、科学っていうか、医学っていうか、遠也が詳しい世界の方の“イースター”だ」
 けれど、大志は遠也がまず最初に思い浮かべたものの方だと言う。
 彼がそんなものを出してきたのは意外だけれど、確か宗教関係の人間達はこの俗称に不満を持っていると聞いている。
「……俺もその俗称しか知らない」
 “イースター”というのは俗称だけれど、正式な名前は誰も知らない。正式な名称があるのかどうかも解からない。
 医学や科学の世界の都市伝説のようなものだからだ。知名度は高いが、信憑性は最も低いと言われている。
「本当の話、なのか?」
 伺うように大志は聞いてくるが、遠也としては肩を竦めてやるしか出来なかった。そんな誤魔化し方しか出来なかったというのが正しい。
「それは俺に幽霊が存在するかどうか聞いているのと同じ質問だな」
 つまりは、愚問だ。
 否定されると解かっていてきっと大志も聞いてきたのだろうし。
「そ、だよな……」
 けれどどこか残念そうに大志は視線を床に落とす。
 あまりにも残念そうなその様子に遠也はため息を吐いていた。
「……10年以上前、この国の最先端技術を持つ科学者達が、死んだ人間を生き返らせる事に成功した。けれどそのプロジェクトに関わった人間は次々と死亡。生き返ったその人間も行方知れずとなり、その研究は闇へと消えた。けれど、今でも軍上層部は彼ないし彼女、“イースター”の行方を今でも捜している。これが俺の知る“イースター”の伝説だ」
 淡々と遠也が知る限りの事を口にすると大志は顔を上げる。大したことは言っていない。ネットで検索したらすぐに引っ掛かかる程度の内容だ。それでも少し驚いたような顔をする彼に遠也は口角を上げた。
「単なる噂だ。死んだ人間を生き返らせるなんて、あるはずが無いしあってはいけない事だ。まぁ、確かに実際そんな事が行われたとしたら、ウチの病院が関わって来るだろうけどな」
 遠也の家は国から援助を受けている大病院だ。妖しげな実験をしているとかそんな噂が立つくらいの施設を持っている。それに実際、政府に頼まれて妖しげな実験もしている。
 昔父親にこの噂を真実かどうか聞いてみたが、彼は笑って否定したし、兄も否定した。更に早良も否定したのだからそれが真実だろう。早良には後々まで妖しげな噂を信じたとからかわれるネタにされたという苦い思い出もある。
「どうせ仮死状態になっていた人間が生き返ったとかそこら辺のオチだろう……でも、何故いきなりイースターだ」
 科学に興味が無さそうな大志からの質問だ。まさか自分と討論をしたいと言うわけでは無いだろうし。
「……ちょっと、色々考えちゃって」
 す、と大志の眼が細くなったのに遠也は眉を寄せた。
「色々って」
「春川のこと、とか……」
 少し言いにくそうに彼は目線を床に落としながら答えた。
「……そうか、お前、確か……」
 春川と大志が親しげに話をしていた場面を何度か遠也は目撃していた。
 大志と彼は確か中学校が同じで、気もそれなりに合う友人だと最初の頃説明された覚えがある。
 大勢の色々なタイプの人間とそつなく接する事が出来る大志が、克己を苦手とする理由はそこら辺にあるのだろう。
 大志は遠也がその事を思い出した上で重い口を開いた。
「別に、甲賀に怒りとかそういうのは無いけど、最近甲賀、変わったよな?日向と居るアイツ、雰囲気とか柔らかくなったと、思う」
「あぁ……」
「でも俺はどっかで、アイツを殺したくせに、って思ってる。自分本位かも知れないけど、俺……甲賀が嫌いだ」
「……そうか」
「でも、もし春川が生き返ったりとかしたら、また違うのかなとか……あぁ、俺ホント、バカみたいだ」
 ぐしゃぐしゃと頭をかき回す大志の苦悩する姿に、能天気に見えても色々考えていたんだな、と変な感心の仕方をしていた。それは少し失礼か。
 遠也がそんな感想を抱いているなんて気付く余地も無く、大志悔しげに前髪をかき上げる。
「死んだ人間が生き返る、なんて最大の禁忌だっていうのに……」
 自分はそういう自然に逆らう行為を禁じる宗教の家に生まれた。その教えは今の大志を形成していると言っても過言ではない。それでも、神という存在しか許されていない人の生死を人間が自由に操作出来れば、と思ってしまう。
 科学の元でそれを成そうとする政府や遠也の家の病院は宗教団体からかなりの批判を受けている。
 ……考えてはいけない事を考えてしまった自分には嫌気が差す。
 珍しく穏やかな表情を崩し、苦悩する表情を見せた大志の姿に遠也は眼を細めた。
「……バカじゃない」
「え?」
「お前が馬鹿なら、俺の親父や政府は超が付く大馬鹿だ」
 何かを思い出したように眉を顰めながら遠也が言った言葉に、大志は正直戸惑いを覚えた。
「え、と……遠也」
 彼が何に戸惑っているのかすぐに気付き、遠也は小さく息を吐く。多分、自分が大志の知らない事を嘆いているからそれに対してどうフォローが出来るか悩んでいるのだろう。そんな無駄な事をさせるつもりはさらさら無かった。
「……それと、一言付け足させて貰うと、俺も甲賀が嫌いだ」
 別に胸を張っていう事では無いような気がするけれど。
「あの身長に運動能力、知識や顔は喧嘩を売っているとしか思えないだろう」
 真っ先に身長を挙げてしまうのは無意識下の事。遠也と克己では身長差が30センチ以上あるのだ。
 一緒に並んで歩いて、誰が同い年だと思うだろう。
 それは大志と歩いていてもそうなのだけれど。
「……なぁ、遠也」
「何だ」
「もしかして、フォローしてくれてる?」
「……そう思うなら黙っておけ」
「何か、可愛いな……遠也」
 一体今の応答のどこに可愛らしさがあったと言うのだろう。
 色々と疑問が過ぎったが、まぁ気にしないでおこう。
「なぁな、もしかして篠田と仲が悪いのはもしかして篠田も背が高いから?」
「ヤツとは根本的な何かが合わないだけだ」
 大志の短絡的な考えにはガックリしたが。
 別に、克己の事も身長の事でそう結論したわけじゃない。本能的な何かが彼に警戒しろと訴えているのだ。その正体は解からないけれど。
 多分、自分も大志と同じく春川の一件で克己に対して警戒心が出来たのだ。平然と誰かを撃ち殺せる人間だ、と。その矛先が翔や他の仲のいい人間に向けられた時はきっと自分も容赦しない。
 けれど、今はその可能性が薄れて来ている気がするからまぁ安心と言えば安心、か。
「篠田も篠田で結構イイヤツなのに、何で?」
「言っただろう、根本的な何かが合わないと」
 大志が懲りずにもう一度同じ事を聞いてきたので、思わずため息を吐いていた。
 不意に窓の外を見るともう空全体が薄紫色に変わっている。夕暮れだ。
「俺は帰るぞ」
 自分の席に置いていた自分の鞄を取り、わざわざクラスメイトの机の上に持ってきた資料を配っている大志を振り返った。
「え!ちょっと待ってよ。もう少しで終わるからさ、一緒に帰ろう」
 声をかけられて慌てる大志の作業状態を見たところ、窓側の席一列分にようやく配り終えたところ。「もう少し」で終わりそうにない。
「お前も……変なところでマメだな。そんなの明日配ればいいじゃないか」
 教官もそこまで指示をしていないだろうに。きっと彼は余計な事をして怒られるタイプだ。
「でも、明日配る手間省けるだろ?」
 大志はそう言いながら作業を続ける。どっちが手間と考えるのは人それぞれか。
 お人よしの大志は自分の手間が多いほうを選んだわけで。
「……俺は帰る」
 でもそんな他人の行動に流されるつもりはさらさらなく、遠也は足を出口に進めた。
「あ、冷たッ!遠也待てよ、本当にあと少しだから!」
「あいにくと他人の為に費やす時間は無いんだ。さっさと終わらせて寮に帰って来い。お帰りくらいは言ってやる」
 鞄の中身を確認してからくるりと大志を振り返り、軽く笑って見せる。前に似たような笑みを正紀に向けたら嫌味くさいという評価を貰ったそれで。
 あの元不良が言うのだから相当なものだろうと思いながら大志にそれを向けていた。こんなに他人に懐かれたのは初めてで、面倒臭いから少し距離を置いてくれないだろうかと思いながらの行動だったのだけれど。
 はっと眼を見開いた大志の反応に思惑が成功したか?と思ったが
「遠也かっけぇー!」
 何故かうっかり逆効果。
 ついでに、カッコイイなんて言われたのも初めてだった。
 おかしい。この方法であのいけ好かない不良から反感を買うことが出来たのに。一体何を間違ったのだろう……。
 本気で考え込みたくなった時、鞄の中に突っ込んだままになっていた手にカサリとした感触が触れる。
 この間、翔に渡した調査書だ。中に入れていたのを忘れていた所為でぐしゃぐしゃになっていた。
 さっさと処分してしまおうと思ってそのままだったらしい。
 帰る途中で印刷室にあるシュレッダーにかけていこうかとその皺を伸ばしながらも一度目に通した字を追っていた。
 そこで、最初見た時は気に留めなかったのか、見覚えの無い単語を「特記事項」の欄に見つけて思わず眼を見開いていた。
 癖の強い筆記体だけれど、確かにその単語だと解かる。
「schwanger……」
「いってぇ!!」
 ガターンという激しい音にはっと我に帰って大志を振り返ると、慌てて配っていて机の足に自分の足を引っ掛けたらしく、机もろとも床に転がっている彼が居た。
「何やっているんだ……」
 流石に転んだ友人を見捨てられるほど遠也も冷徹では無く、膝をさする彼に近寄り机を持ち上げて元の状態に戻してやった。
「いってぇー……うわ、ここ篠田の席じゃん!置き勉しすぎだし!」
 大志は床にばら撒かれた机の中身を見て愕然とする。正紀は教科書類からノート類まで大方の科目を入れっぱなしで、彼が予習復習という勉強の基本をする気が全く無いのが見て取れた。
 おかげで机を倒した被害も大きい。
 掃除する時机重くて大変なんだぞ、とブツブツ呟きながら大志は教科書を拾う。
 遠也は大志にも正紀にも呆れながらその様子をしばし眺めていたけれど、二つ前の席まで跳んだ紙切れを見つけてそれを拾い上げた。さっきまでそこに無かったから、多分正紀の所持品だろう。
「大志、これも……」
 ただの白い紙だと思って大志に渡す為に面をひっくり返し、つるつるとした触り心地に言葉を止めてしまう。
「あ、写真じゃん」
 大志も興味を持ったらしく、立ち上がって覗き込んできた。
 ホログラムの時代に写真なんて珍しい。
 背景はどこかの公園だろうか、緑の芝生に青い空。一人の男性と3人の少年、うち2人は少年という年代より幼いように見える。合計4人が楽しげに笑っている写真だった。
 唯一の大人のその男性の顔は、かなり見覚えのあるもので。
 形容するのであれば、そう、
「ちょっと老けた篠田だ」
 大志が言ったとおりの容貌だ。
「父親、か?」
 遠也の推理に大志も頷く。まぁ、常識的に考えればそうなる。
 ということは、この周りにいる少年達はもしかして。
 大志も同じ事を考えたらしく、途端に眼を輝かせてその写真を見つめた。
「もしかして、これが矢吹なんじゃね!?うっわー、小さいなぁー」
 幼い子供の一人を指差して大志はしげしげと幼いながらもどこか大人びた表情の彼を眺める。
「じゃあ、まさかと思うがこの髪の黒いのが……」
 遠也は男性の腕に抱えられて無邪気に笑う子供に視線をやってから、何となく今大志が倒した机に眼を移す。
 現在は髪が痛むんじゃないかと思うほど脱色した頭を持つあの元不良が、この綺麗な黒髪を持つパッと見結構可愛い少年だったと。面影は多少残ってはいるが……。
「……時の流れって、無情だなぁ」
 沈黙した遠也の代わりに、大志がため息混じりに嘆いた。
 何であんな風になったんだ、と二人ほぼ同時に思う。
「サキトオヤ!!」
 そこでいきなり自分の名前を絶叫されたから驚くしかなかった。呼ばれたわけでもない大志も体を揺らして驚いていた。
「何ですか」
 慌てて振り返って見て見ると、教室のドアを乱暴に開けた人物は見たことも無い男。
 雰囲気からしてヨシワラの人間だとはわかるが、そんな人間が自分に何の用だろう。
「橘姐が、首吊ったんだ!」
 縋るような叫びには聞いた事のある名前が混じっている。
 翔の姉のクローンだと、調べたのは自分だ。
「コウガカツミに、お前呼んで来いって言われて、それで」
 息継ぎをしながらも葵は一生懸命事情を説明する。
 瞬間、遠也の顔色が変わった。
「日向は?」
「え?」
「日向はそこに居るのかと聞いているんです!」
 その質問に葵は部屋の様子を思い出す。
 橘の姿に目を奪われていたけれど、確かに翔らしき人物が部屋の中にいた。
「多分、居る」
 かな?とのん気に首を傾げた葵を押しのけて遠也は走っていく。
「おい、遠也!」
 彼が慌てる姿を始めて見た大志と置いていかれた葵は目を合わせてほぼ同時に遠也を追った。
「なぁ、あのトオヤって、橘姐助けてくれるのか?」
 克己が遠也を呼んだということは、橘の治療をしてくれるから。
 けれど、クローンやアンドロイドを手当てしてくれる人間なんて葵の知る範囲ではいない。
「遠也だったら、大丈夫」
 大志が自信満々に証言してくれたから少しだけ安心したけれど。









Next

top