『この――年間、幼児虐待の件数は年々増え続け、政府は対応策に――――』
『――の――の長男――くんと長女の――ちゃんが死亡しているのを―――容疑者は母親――』
『母性の欠如が―――』

 
 どこからか聞こえてくる硬質なアナウンスは、多分この時間によくやっているニュース番組だ。
 いつも同じ時間に誰かが見ているらしく、毎日耳に入る。
 入院しても見舞いに来てくれる人は叔父叔母くらいで、彼らが帰った後はただひたすら病室でぼんやりとしていた。
静かな病室の中にあちこちから漏れてくる音が響いていた。別室の患者の家族面会中らしい賑やかな声と、小児病棟の子供が親と遊ぶ無邪気な笑い声も。それと
「ね、ここの病室でしょ?あのニュースの……」
「あぁ、あの……。可哀想に」

 看護師達の噂話が静か過ぎる病室まで届いていた。
 彼女達は翔の病室の前でそれだけ会話し、去っていく。パタパタと少し足音が早足なのは彼女達が自分のやるべき仕事に頭を切り替えたからだ。
 中途半端な同情の生暖かい空気の中にこの怪我が治るまでは拘束される。担当医や看護師達は自分に優しくはしてくれるが、その態度はどこか腫れ物に触るような態度で。
 気持ちは解かる。正当防衛と判断されたとしても自分は父を刺した人間だ。誰だってそんな殺人を犯そうとした人間の近くにいたら自身の身の危険を感じる。
 ぼーっと病室から見える景色を眺めていると、ドアが開く音がした。
「有馬翔くん、だね?」
 毎日顔を出す医師とは違う声にまだ少し痛む首を動かすと、知らない青年が笑みを浮かべて立っていた。
 白衣を着ているということは医者なのだろうけれど、見たことのない顔だ。新任で、自分の面倒をみるように押し付けられたとかそこら辺なのだろう。
「……今は日向です」
 小さな声で名字を訂正すると彼は「あぁ」と思い出したような声を上げて自分の後頭部を撫でていた。
「ごめん、そうだった。日向君、でいいかな?」
 別に本当のところはどちらでも構わなかったのだけれど。
 翔の無言の肯定に彼はほっと息を吐く。
「こんな事言うと警戒するかも知れないけど、俺、君のお父さんの知り合いなんだ」
 お父さん。
 一瞬その単語の意味が解からなかったが、理解した途端ぞわっと悪寒が走り、思わずシーツを強く握り締める。
「あんなヤツ、父親なんかじゃ……っ!」
 興奮して思わず声を上げると首元がずきりと痛み、眉を寄せる。
 翔の痛みを堪えるような顔に彼は慌てていた。
「落ち着いてくれ。俺は君をどうこうしようとは考えていないから」
「アイツは……」
 友人、と言った彼はこの病院では見ない顔。
 もしかしたら今まで聞いても誰も答えてくれなかった情報をくれるかもしれない。
「アイツは、生きているのか?」
 ここの病室からあの日からずっと出ていない為、頼りになる外の情報はどこからか聞こえてくるテレビのニュースしかない。
 それで耳にした情報は自分の父親への行動は正当防衛になったこと。虐待事件の延長に起こった事件だという事。姉と母は死んだ事。
 でも、父親の生死はまったく知らない。
「あー……」
 問われた彼は言おうかどうか逡巡しているようだったが、すぐに翔の目を見返した。
「生きてるよ。ただ、いつ目を覚ますか解からない状態だけど」
 生きている。
 その事実に強く唇を噛み締めた。
「ダメだよ、日向君。今殺しに行ったら今度は正当防衛にならないからな」
 翔の殺気に気が付いた彼はすかさず釘を刺す。が
「構うか。そんな事」
 そう吐き捨てて翔は彼を睨みつけた。
「アイツはどこにいる。この病院か?」
「違うトコにいる、ってだけ教えておきましょう」
 多分、彼の言う事は本当だ。病院側が色々と配慮をして自分と父親を離れさせたのだろう。
 舌打ちをして翔は病室に突っ立っている彼を睨みつけた。
「……で、何しに来たんです」
「一応、政府の使者」
 彼は苦笑して手に持っていた黒いカバンを開けて数枚の書類を取り出した。
「最近出来た法律で、“生存者”は将来結婚出来ないっていうのがあるのは知ってる?」
 サバイバーと言うのは虐待をされて生き残ったティーンエージャーを指す、らしい。元々は外国の単語だったが、最近テレビでよく聞く言葉の一つだ。
「……いいえ」
 そんな話はニュースを観ていたけれど、知らない。多分マスコミには情報操作をしてその存在を伝えなかったのだ。
「虐待の連鎖、ってヤツで過度の虐待された子は自分の子供を虐待するかもしれない。それを未然に防ごうって馬鹿みたいな法律がね、去年の冬に執行されました」
「……そうですか」
 過度、なんて随分とあいまいな表現だ。
 そう思いながら自分の腕を見たけれど、同年代の少年達より一回りは細い腕と傷跡に、多分自分はその“過度”に含まれたのだろうと思う。
 そういえば、昨日顔を出した担当医が「君の体は一定以上発達しないかもしれない」と言っていたような気がする。
「虐待された、もしくは酷いイジメを受けた人間が殺人者になる傾向もあってね。君も、犯罪者予備軍ってわけ。政府はそういう子供を早期発見して日々監視をする事も出来るようになった」
 淡々とその法の内容を教えながら彼は翔の目の前に束になった書類を差し出した。
 内容は、翔の顔写真付きの細かい身辺調査結果。
 ちら、とそれを見てから彼を見上げると、何故か彼は少し不快気に眼を細めていた。
「言っとくけど、今の法律に人権の二文字は無いよ、金持ち以外には」
「……知っています」
「君は、将来好きな相手が出来ても結婚出来ないし、子供も作ることを許されない。この対策で結果が出るのは君達が大人になった頃、だね。多分マイナスだろうけど」
「……でしょうね」
「いいのか?」
 怒るわけでも嘆くわけでもない翔の様子に彼は不満げに首を傾げた。
 良いも悪いも、そんな判断こちらが下せるようなものじゃないだろうに。
 使者だというのに、反抗して欲しかったのだろうか。
「……虐待されるくらいなら、生まれて来ない方がマシだってことは、身を持って知っています」
「でも、子供が出来ても君は虐待をしないかもしれない。幸せな家庭を築ける可能性もあるのに?」
 幸せ、か。
 彼の言った単語に自嘲してしまう。
「あの人が幸せになれなかったってのに?」
 自分がそれを求めていいはずがないし、そこまで図々しくない。
 子供とは思えない、疲れたような翔の笑い方に彼は目を細める。
「それと、これは命令だけど」
 まだ政府からの伝言があるらしい。
 可哀想な被害者だと新聞やニュースでは語られているはずの自分に彼らは随分と冷たい。
「なんですか?」
 でもあのぬるま湯のような同情よりは何となくマシだった。
 苦笑を浮かべながら聞き返してくる翔に彼はまた別な一枚の紙を渡してくる。
「君には、中学を卒業したら例の学校に入ってもらう」
 例の、とは例の、か。
 噂では聞いている国営の軍学校の存在を思い出し、彼から渡された「召集命令」と書かれている紙に視線を落とす。
 自分が、軍隊か。
 医者にこれ以上成長しないかもしれないと言われた自分が。
「……さっきも言ったとおり、君は犯罪者予備軍。ここで更正させる事が大前提とされた正当防衛判決だったんだ」
「……正当防衛判決?死刑判決のようなもんじゃないか」
 噂ではココの教育は相当なものらしく、死亡者が絶えない、と。しかも戦争にも駆り出されると。
 ばしん、と薄い紙を叩いて彼に文句を言ったけれど、自分の口が笑いに歪んでいるのに気付く。
 確か、父親は政府お抱えの科学者だった。つまりは公務員で、国に尽くす彼らを傷害もしくは殺した人間は重罪。その息子も対象外ではなかったということだ。
 どんな理由にせよ、国に必要な人間を傷つけた人間は重罪。正当防衛で済んだ事には多少疑問を感じていたが、こう来たか。
 つまりはココで死ねと、国は自分に命令している。
 国民には寛大な処置と思わせて支持率向上を狙い、裏ではコレか。
 結局、自分に生を望む人間は誰もいないということで。
 黙ってしまった青年にその命令書を突き返し、口角を上げてみせた。
「わかったよ。国のお望み通り、俺はここで死んでやるよ」
「日向君……」
 彼のそのどこか気の毒そうな視線は、演技だろうか。
「国を取り仕切る偉い人達がそう決めたんだろ?だったら、間違いないはずだ」
 翔の軽い嫌味に彼は眉を寄せていた。
 多分自分の生死は会議の合間の休み時間等の軽い会話の中で決められたのだろうけど。それくらい予想が付かないほど馬鹿じゃない。
「すまない」
 ぼそりと彼が低い声で謝罪して来たのには正直驚いた。政治家は絶対に自分の非を認めない人間だと思っていたから。まぁ、政府の使者だからと言って彼が政治家とは限らないが。
 父の知り合いと言うのだから、何かの博士か、そこら辺だろう。
「……君にはお母さんやお姉さんの分まで幸せになる義務がある」
 そのままの音量で彼はボソボソと話を続ける。彼の言葉に思わず眉を顰めていた。
 その政府の法律に従うよう釘を刺しにきたのではないのか。
「君には生きて幸せになって貰わないと困るんだ」
 他の医師や看護師のような慰めるような声ではなく、切実な懇願だった。
「それは、彼の願いでもある」
「彼……?」
 彼って、誰だ?
 何だか頭が痛くなってきた。
「だから、もう二度と死のうとはしないでくれ」
 彼は翔の首に巻かれた包帯を視線で示して、自分の額を押さえていた。
 幸せ、か。
 心の中でそう呟いて窓の方を振り返る。
 病院の近くにある公園の敷地内で、子供とその両親らしい男性と女性が遊んでいるのが見えた。
 3人とも笑顔で、小さな子供はその二人に飛びついていく。そんな子供を両親は笑いながら抱き上げていた。
 あれが一般的な幸せと言うんだろう。
 でも、自分にはその幸せの為のパーツが足りなすぎる。皆死んでしまって自分しかいないから。
 皆死んでしまったのに。
 はぁ、とため息を吐くと彼の視線を感じた。その妙に心配げなものは、さっきからずっと感じていたものと同じ温度だ。同情という生ぬるい温度に、思わず口角を上げていた。
「……俺、何で生きてんの?」
 


 これからずっと後に知ることだけれど。
 “生存者”とされた子供は、生に強い執着を持つようになるらしい。
 どんな状況下でも生きようとする為に、別な人格を作ってその苦しみから逃れようとする、多重人格症状が良い例で。
 そんな人間に軍事教育を施し、戦場に連れて行ったら生に執着する彼らなら大きな功績を残せるのではないかと、誰かが考え出した。
 それを踏まえた上での召集だったとこの時知っていたら、きっと死を選んでいたと思う。
 ……死ぬつもりで首に刃を当てたのに無意識下のうちに動脈を外していた“生存者”である自分が、自分を殺せていたら、の話だけれど。





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