『遠也か?』
 電話が入っていると情報管理部から呼ばれて、差し出された受話器を取ってみると向こう側の相手にがっくりした。
「瑛史兄さん……」
 兄は二人居るが、この硬質なバリトンは長兄の方だ。
 自分とは6歳離れている兄で、現在は外科医を目指す医学生。そろそろ研修医にでもなっているだろう。
「珍しいですね。瑛史兄さんが俺に用ですか?」
 いつも自分をいないものとして扱ってきた彼がわざわざ家を離れた自分に電話をかけてくるなんて、一体どんな心変わりをしたのだろうか。
 コードレスの受話器についている通話停止ボタンの近くに指を置きつつ、目の前に彼が居るわけでもないのにいつも彼に対して浮かべていた挑戦的な笑みを口元に乗せた。
 それが受話器越しの彼にも雰囲気で伝わったのだろう。しばしの沈黙の後、ため息が聞こえてきた。
『ちょっと不穏な噂を耳にしたからな』
「噂ですか?」
『お前が、科学科ではなく士官科に居るという話だ』
 あぁ、そういえば両親には科学科に行くと言ってきたのだった。
 自分の判断で変更願いを軍に提出して、士官科への移籍願いを出した事を言うのを忘れていた。
 まぁ、元々言うつもりはなかったけれど。
「それが何か?」
『……本当なのか?』
 責めるわけでも咎めるわけでもなく、ただ真実を知りたいだけの問いに遠也は通話ボタン近くの指に力を入れ始めていた。
「お好きなように考えてください」
『それに、お前が北側に居ると聞いたが?どういうことだ』
 北、というのは基本的に国に一定以上の税金を納められない家庭の事を指す。反対に南は国に一定以上の税金を納められる家庭、もしくは国家公務員の家庭。
 国からの援助を受け、国からの依頼を受け付けて医療・実験をする佐木病院の息子である自分が、北側に居るというのは組み分けのミスなのか、と彼は聞いて来ているのだ。
 でも、それはミスじゃない。自分がそうして欲しいと申告したから。
「お好きなように、解釈を」
『遠也』
「貴方だって俺が居なくなったら嬉しいでしょう?こんな時だけ兄貴面をするのは止めてくれませんか?」
 電波の向こう側にいる、父に似た黒髪を持つ兄の顔を思い浮かべ、棘のある台詞を返す。
 どうせこの電話だって彼の意志でしてきたわけではないのだろうし。
「……お忙しいところ、わざわざ時間をさいて下さり有難う御座います。こちらは何の不都合もありませんので、父と母によろしくお伝え下さい」
『待て、遠也』
「失礼します」
 一方的に会話を終わらせて電話を切ってから、母でなく兄からで良かったと密かに思う。
 彼女相手だったらこんなに邪険に出来なかっただろうから。
「……」
 士官科に続く白い壁の廊下を歩いていると自分の病院の地下室を思い出して吐き気がした。
「あ、遠也」
 ようやく白い壁から抜けてガラス張りの明るい廊下に出ると、そこには何故かルームメイトの大志がいる。
「大志……?お前、何で」
「俺は、雑用。コレ持って今から教室」
 彼の両手には確かにクラス担任から渡されたのだろうクラスの人数分の冊子が。
 今日はもう授業が無いから明日にでも渡されるのだろうけど。そういえば、大志は今日日直だった。
「情報管理部からの?一体何の……」
「さぁ?何か、キリング何とか、って言っていたような……」
 大志が思い出せるわずかな情報に、心当たりはあった。
「キリング・タワーか」
「あぁ、そうそう、それ」
 どうやら遠也の一言が彼の記憶と合致したらしく、大志は大当たりと何度も頷いた。
「タワーの地図みたいだな」
「遠也は、電話?」
 冊子を1冊取ってぱらぱらっとめくる遠也に大志は何気なく聞いてみる。
 普通、北側の生徒は外部と自由に連絡が取れない事になっているのだけれど、遠也は親が親だ。許可が下りても不思議じゃない。
「まぁ、な……」
「誰から?」
「兄だ」
「遠也って兄弟いたんだ」
 意外だと言いたげな大志の口調には思わず眉を寄せてしまう。
 幼馴染だと自称するくせに、知らなかったのだろうか。
 それとも単に忘れているだけか。
「近所では有名だったはずだぞ?佐木病院の3人の息子。上二人は双子の兄弟で、妾の子だと」
 近くに住んでいたのなら、一度は耳にしていたはず。
 ちらっと大志の顔を見ると、しまったというような表情になっていた。
 忘れていただけということか。
 まぁ、幼い子供が妾なんて言葉を理解できるわけが無い。
「ご、ごめん……遠也」
「気にするな。大して珍しい話でも無いからな」
 それに、自分は本妻の息子だ。妾の子、と虐められることも無いし、父はどちらかといえば上の兄達より自分を優遇してくれた。
 兄弟仲も、まぁあんな感じだが、お互い触らぬ神に祟りなしと一定の距離を保って上手くやっていた。
 ただ、母は少し違った。
 上二人も父の後を継いでも申し分ないくらいの知識と技術を身につけつつある。
 長い間子を生せなかった彼女は、妾に双子のしかも男が生まれてから自分が出来るまで、半狂乱の想いだったらしい。
 そこで待望の息子が産まれ、心底ほっとしたのだろうが……。
 階段の踊り場にかけられている鏡の中に映し出された自分の顔は、あの偏屈な父親の面影が全く無い。
 美形だと周りが囃し立てるこの顔が、成長するにつれて彼に似てくるのは気のせいだろうか?
「遠也?」
遠也が突然歩みを止めたのに大志も階段の途中で立ち止まり、彼に声をかける。
「あぁ……何でもない」
 薄々気付いてはいたけれど、触れてはいけない事だと言う様に思考がなかなか深くならない。
 この顔が、早良とどことなく似て来ている気がする。
 自分には直接的には関係無い事だけど。
 このことがバレて困るのはあの母親だけだろうし。
 この科に入った自分にはまったく関係ないことだ。








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