その頃、克己に追い出された正紀は適当にそこら辺をぶらつく事にした。
葵や橘の姿がすでに無かったのは、さっさと別な仕事を任せられたからだろう。
今寮に帰っても面白い事はきっと何もない。
まぁ、あの部屋から早く抜け出せたのは、正直幸運だった。思わず正紀は鼻を擦る。
甘ったるいあの臭いが、鼻について仕方が無かった。
「橘……だったな」
あの部屋にいたのは。
思わず眉を寄せていたのは、その臭いに覚えがあるからだ。しかも、それは良い思い出ではない。
あの、自分が脅した男からも似た臭いがした。残り香に近いものだったが、自分の鼻はそれを敏感に感じ取る。
鼻を擦ったその時、またあの視線を背に感じ、振り返るがやはりそこには誰もいない。
ここ数日、ずっと背に感じていた視線に、正紀は妙な焦燥を感じていた。あの頃と、似たような。そっと胸ポケットを擦り、かさりという紙の擦れる音に、眉を顰めた。
どうか全てが気の所為でありますように。
中庭を通りがかった時に、足を止めた。
植物が生い茂っている中に見知った顔を見つける。
沢村良高、クラスメイトの危険人物だ。
何やら誰かと話しこんでいるらしい。しばらく様子を眺めているといきなり相手の男が沢村にキスをした。
驚いた正紀の方が声を上げそうになり、慌てて口元を手で覆う。
その後相手の男は正紀がいる方向とは反対の方へと姿を消した。
残された沢村はぼんやりと観葉樹を見つめている。
「沢村」
呟くように名前を呼ぶと彼はくるりと振り返り、この世のモノとは思えない美形顔を披露してくれる。
「……誰だ」
「ってお前、誰だは無いだろ。同じクラスだろうが、一応」
「同じクラス?」
沢村は顔を顰めて正紀を見つめた。
けれど思い出せないらしく、ひたすら見つめてくるだけ。
その視線に気恥ずかしさを感じ始めた正紀が折れた。
「篠田正紀デスー。よろしく」
「篠田……?ああ、甲賀克己とよく一緒にいる」
克己の名前は覚えているのか。
「何だよ、甲賀の名前は覚えているのか?」
素直に質問すると沢村は目を細める。
その意味は何だろう。
「なぁ、沢村、さっき一緒に居た奴誰だ?」
「副生徒会長だが」
げ。レベル高ぇ相手。
こそりと呟くと沢村は鼻で笑ってきた。
その表情が何だか気に障り、正紀も身長を生かして沢村を見下してやった。
「へぇ。副生徒会長サマとキスするような関係なんだ」
「キス……?」
けれど沢村は正紀の言っている意味がわからない様子だ。
「さっきしてたじゃねぇか。口に」
そこまで言って、沢村はようやく正紀が何を指しているのかわかったらしい。
「それが、何だ?」
「何だって、お前……」
何てこと無いような風に返され、うろたえてしまう。
慣れているというわけではないだろう。
「キスっていうのは好きな相手とすることなんだよ。だから俺はお前が副生徒会長とデキてるのかってからかっているわけ」
からかう内容をきちんと説明しては面白さ半減なのだけれど。
「好き、ねぇ。人間の言っている事はよくわからないな」
沢村は何か興味深い事を聞いたというように顎に手を当てて考える素振りをする。
「人間って……まるで自分が人間じゃない言い方だな」
「人間じゃないからな。俺は、アンドロイドだ」
あっさりとした告白に正紀は絶句する。
噂で聞いていたから驚きはしない。けれどまさか本人がこんなにあっさり暴露するとは。
「別に俺は副生徒会長を恋愛云々の感情で見ているわけじゃない。安心したか?」
「安心も何も……俺は別にお前に興味は無い」
「奇遇だな、俺もだ。俺が他人に関心を持つ時は、自分より強い相手か、殺す相手かだからな」
だから克己には興味を抱いているのだろう。前者の理由で。
「アンドロイドって……皆お前みたいなヤツなのか?」
正紀がなんとなく聞いた質問に沢村は肩を竦めた。
「知らないな。興味ない」
遠也の台詞もいちいち冷たいと思ったけれど、彼の台詞は暖かさも冷たさも無いものだった。
人じゃない、機械が言うような、何の感情も無い一言。
アンドロイド。人口で作られた臓器や手足などのパーツを組み立てて作られた人造人間。もしくは、人口で作られた受精卵で出来た人間。彼らは思想等すべてコントロールされているから、製造者には忠実だと聞く。
まさに、機械ではないロボットだ。
底冷えする恐怖を感じて思わず自分の腕をさすっていた。
その時、何かに気付いた沢村が不思議そうに手を伸ばしてきた。
「……お前からは、面白い匂いがするな」
「は?」
「同じ匂いだ」
興味深げに伸ばされた指先が指し示したのは、正紀の胸。そこにあるものにハッとして正紀は慌ててその手を振り払っていた。
「触るな!」
「……そのようなものに頼る人間が、ここにいられるとは驚きだ」
その匂いが何か、彼もすぐに察したようで無感情に言葉を紡ぐ。それは容赦なく正紀の胸を締め付けた。知られてしまったことに対する恐怖感はあまりないが、察しがよすぎる彼の眼に一歩後ずさる。
「まぁ、いい。人間にはソレが必要だと聞いたことがある。だが、使い方を誤るな」
「何、だと……?」
「間違えたら、死ぬぞ。……あの死体のようにな」
何だって?
正紀はその時あの香りが気の所為でなかった事を悟る。脳裡に浮かぶ無残な死体。背筋に悪寒が走った。
顔を上げるとそこにすでに沢村の姿は無く、正紀は激情に駆られるがまま茶色い頭を掻き毟った。根元が黒くなりつつあるその髪を初めて染めたのはもう二年以上前の話。
「畜生……!」
大して付き合いが深くない相手に自分の過去を見透かされたような気分がして、無性に悔しかった。
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