「日向―、そっち行ったぞー!」
 木戸の声に真っ青な空を見上げた。少し太陽の光が眩しい。
「おー、任せとけー」
 二、三歩後ろに後退してグローブをつけた左手を上げる。
 ぱしん、と切れのいい音と衝撃が走った。遠くから「ナイスキャッチ!」という声が聞こえてくる。
 一応中身を確かめると少し土に汚れている硬球がきちんと収まっていた。
 それを右手に握り、高く腕を伸ばす。
「スリーアウト!変われ!」
 チームメイトからは拍手、敵側からは恨めしそうな視線が届くが気分がいい。
 グローブを外しながらホームに向かうと、そっちからやってきた正紀が少し悔しそうに手を伸ばしてきた。
 今打ったのは正紀だったから。
「覚えてろよ、日向……」
「覚えとくよ、篠田」
 正紀にグローブを渡してやりながらにやりと笑ってみせる。
 日曜の過ごし方は結構楽しい。唯一平和な体育が出来る時間だ。
「そういや、甲賀は?」
 ベンチに戻ると同じチームのいずるが首を傾げる。
「ん?多分……射撃場?」
 昼間、生徒の練習用に多くの射撃場が解放されている。多分克己はそこで腕を磨いているのだろう。
 日曜までしなくてもいいのに、とは思うけど。
「うわ、マジ?これ以上上手くなってどうすんだよ、アイツ」
 まぁ、確かに。
「でも、銃構えてる克己カッコイイんだよ。なんかねー、モデルみたいで」
 苦笑しながら先日、なかなか銃の成績が上がらない翔を見かねた彼と一緒に射撃場に行った時の事を思い出す。文字通り手取り足取り教えて貰っていると、いつの間にか出来ていたギャラリーから黄色い悲鳴が聞こえてきたのだ。
 羨望とも少し違う音色だったけれど、克己は特に気に止める風でもなかったので、翔も無視しておいた。
「ふぅん」
 興味深そうないずるの視線に気付き、翔は「何?」と首を傾げた。
「どうかした?」
「いや。まぁ、確かに格好いいよな、甲賀は」
「だよな!優しいし」
「優しいってトコは同意しかねるけど」
「え?なんで?」
 あんなに優しいのに。
 そう呟きながら彼の“優しい”ところを色々思い出してみる。何だかんだ言って、助けてくれたり、庇ってくれたり。そんな彼がやましい意味ではなく好きだと思う。
「甲賀の優しさは日向限定だからなぁ」
「そんな事無いだろ」
 いずるの一言もズパッと斬ってやる。あっさり否定されたいずるも流石に閉口した。
 一体何でそんなに自信満々に言えるのだろう。それが不思議だった。
「あ、そうだ。矢吹って弓道してるんだよな」
 今までの会話に疑問も何も持っていない翔の方はいずるの苦悩に気付かず、話題を変えた。
 噂で聞く、矢吹いずるの弓道姿を一度見てみたい、あわよくば自分もそのスポーツをやってみたい。そんな事を前に思ったのを、思い出したのだ。
 弓道の話題を出した途端、いずるの少し気だるげな雰囲気が変わったのは気のせいじゃないだろう。
「ああ、日向もやってみる?」
「あ、やりたい。今度教えてくれ」
「いいぜ、教えてやるよ。手取り足取り」
「妙な言い方するなよ……」
 がっくりと肩を落として見せるが、いずるは心底楽しそうで。本当に、弓道が好きなんだなとこっちに伝わってくる。それが何だか微笑ましい。
「弓道場、あっちだから……あれ?」
 弓道場の方向へ顔を上げたいずるが突然声を上げた。
 恐らく、弓道場の場所を示そうとした指で彼は別な何かを指差す。
「日向、アレ」
 その方向には、いつぞやの白いワンピース。
 女の人だ、と気付いてすぐ立ち上がっていた。
「ごめん、俺抜ける!」
「あ、オイ!日向!!」
「オイコラ日向!てめぇ勝ち逃げか!!」
 いずるの止める声と正紀の文句が聞こえてきたが、かまっていられない。
 何も考えずに彼女に向かって走り出す。
 何を言われるかわからない。正直、怖かった。
 けれど、ここで逃げたら一生逃げる事になりそうで。
 彼女を追ってついたところは、先ほどいずると話していた弓道場だった。
 彼女は中の様子を伺い、誰もいない事に落胆している様子。
「あの」
 そこで声をかけられたから彼女は驚いてこちらを振り返る。
 翔の姿に、さらに目を見開いていた。
「君は」
「先日は、すみませんでした」
 頭を下げて無礼を詫びる。
「知り合いと、間違えたんです」
 そうは言ってみたが、見れば見るほど彼女は姉に似ていた。
 自分の仮定があっているのではないかと、思うほど。
「そっか、気にしないで。君の方こそ大丈夫?川辺さん、乱暴よね」
 彼女は微笑んで翔の体を指差した。
「……あの人は、多分午後から練習に来ますよ」
 弓道といえば、魚住だ。ここに来たということは彼目当てなのだろう。
 翔の言葉に彼女はほんのり頬を染める。
「そ、か……早かったんだ」
「好き、なんですよね?あの人の事」
「うーん、多分……ね」
 彼女は意外とあっさり認めた。誤魔化しても仕方が無いとでも思ったのだろうか。
「でも、クローンと人間じゃ釣り合わないから。好き合っていてもイイ事にならないの」
 いや、誤魔化す必要が無いから、だ。彼女の切なげな笑みがそれを物語っている。
「……だから、別れを告げたんですか」
「そういうこと。結構健気でしょう?」
 気丈に笑う彼女の姿が、姉とダブる。
 さっき、クローンだと彼女が言った。矢張り、そういうことなのか。
 無意識のうちに拳を強く握り締めていると、こちらの様子に気付いていない彼女が明るい声を出した。
「君、日向翔くんでしょう?」
「え?何で俺の名前……」
「こっちでも噂になっているのよ、私にそっくりな生徒さん」
 本当にそっくりね、とそれがどういう事を指すのか解かっているだろうに、彼女は努めて明るかった。
「……そう、ですか」
「葵が結構はしゃいでいたのよ、貴方に会ったって」
 葵、と言われこの間の屋上の彼を思い出す。
「はしゃいでたって……何で」
 珍しいものを見たからだろうか。
 首を傾げる翔の姿は、女で同じ顔を持つ橘から見ても愛らしいというか可愛かった。思わず、手を差し伸べたくなるくらい。この子が不安げにしていたら、きっと誰でもその不安を取り除いてあげたいと思うだろう。
 出会ったばかりの自分でさえそう思うのだから、きっと彼の近くにいたら尚更だ。
「もしかしたら、私は貴方の血縁者のクローンかも知れないんでしょう?」
 あの雨の日の彼の必死な様子にそれしかないと橘は考えていたのだ。
 自分の考えを読まれても、翔は冷静に頷いた。
「……多分、祖母か曾祖母か、の」
 一応、クローンを作れるのはその人が死んで50年経ってから、と法で定められている。
 姉本人のクローンではないだろう。
「どんな人だったのかしら、貴方のお祖母さんは」
 穏やかに微笑む姿は見知らぬ祖母より姉を思い出させ、目の奥が段々と熱くなる。
「わかりません……会った事、無いので」
「そう。それは残念ね」
「でも、貴方は俺の姉に良く似ている」
 姉自身が祖母や母に良く似ていたのだから、当然の事。でも、声も仕草もその笑い方も全て、彼女に生き写しだった。
 その、行動さえも。
「俺の姉も、好きな相手と好きなのに別れたんですよ」
 翔の一言に彼女は少し驚いたように目を大きくしていた。
「……そう。私の体にはそんな遺伝子があるのかしら?」
 神秘的ね、と彼女は笑うが、翔には全然神秘的だとは思えなかった。むしろ悲劇的だろう。
「……俺の、所為だった」
 ぐっと唇を噛み締めると強かったのか、皮膚が破れて口の中に血の味が広がる。
「俺の、所為だったんだ……」
 今にも泣き出しそうな翔のか弱い声に、そっと彼女は手を伸ばしてその頭を撫でてやる。
「何があったのか私には解からないけど、あんまり自分を責めちゃダメよ」
 優しい声は姉のそれと同じで。
 でも、中身は彼女じゃない。
「じゃあ、私行くわね」
 名残惜しい、と思うのはコピーだとしても血が繋がっているからか。
 彼女が去っていくのをぼんやりと見送った。
 血縁者だから、姉が祖母や母の若い頃に生き写しでも可笑しくない。
 彼女が姉のクローンである可能性は限りなく低い。
 安心したような、残念なような。
 

 だん、という軽い爆発音と共に100m先の的が倒れた。
 自分の腕が落ちていない事を確かめ、克己はアサルトライフルを立てかけてあったもとの場所に戻す。
 着けていたヘッドホンからは「You are perfect!」という聞きなれた機械音。
 最後まで聞かずに取り外した。
「相変わらずの腕だな」
 拍手と共に現れた人物に克己は目を見開いた。気配を感じなかったのは、自分が集中していた所為だ。
「山川……?」
 癖のある茶色い髪には見覚えがある。
 士官科では見られない白い制服を着た男。
 ソレでこの容姿、思い浮かんだ名前に相手は笑う。
「ひっさしぶりぃ。元気してた?」
 親しげに片手を挙げて笑う顔は普段より幾分幼く見えた。
「お前、何でここに……」
「@入学しました!A君に会いに!B射撃訓練!さぁどれだ」
「……C」
 今度は拳銃を手に取り、重さを確かめた。
 冷静な態度に山川はため息をつく。
「……大当たり、にしてもお前は何で今更射撃訓練?」
「一応、ライフルの類は1年では扱えない事になっているからな」
「ああ、そういえばそうだっけ。お前にとっては退屈なとこだろ」
「……まぁ、な」
 別なタイプのアサルトライフルを手に取り、克己は構えてみる。
 銃口の先に居る山川は肩を竦め、両手を軽く挙げた。
「で、いつこっちに帰ってくるわけ?」
「帰る気は無い」
 マガジンを装着しながらの答えに山川は目を見開く。
「何で?お前、ここに呼ばれて「すぐ帰ってくる」って言っただろ?」
「そのつもりだったんだけどな」
 苦笑しながら銃をいじる克己に山川は眉を寄せた。
「お前はこんなところに納まっている人間じゃないだろ?」
 それは克己自身が一番良く解かっている事だろう。だが、咎めるような友人の言い方に、克己は苦笑する。
「……勘違いするな、山川。俺は俺の意志でココにいる」
「初めて聞いた、そんなこと」
 納得できない様子の山川は近くにあったライフルを手に取る。
「久し振りに、勝負しないか?」
「山川?」
「俺が勝ったら、航空士官科に戻って来い」
「……あそこの空気は俺に合わないんだ」
 はぁ、と克己はため息を吐きつつもヘッドホンを装着する。山川もそれに倣い、銃を手に取った。
 航空士官科、士官科が陸軍直属の養成学校であるのと同じく、航空士官科は空軍直属。
 陸海空の中で一番力を持つ、軍でも一般市民の中でも、憧れの的だ。
 そこに入学するには中学時代の勉学運動の好成績と顔も良くないといけない。
 陸軍直属の士官科とは違い、生徒は全て募集、または要請。それでも毎年人が集まるから不思議だ。
「エリートの集まりは嫌いだ」
 ヘッドホンから「You are win! perfect!」という声が聞こえてきて、隣の山川を振り返ると彼は悔しそうにヘッドホンを取っていた。
「やっぱ勝てないんだよなぁ……で、何で帰ってこないわけ?」
「あ?」
「お前の事だ、メリット無しで陸になんか入るかよ。理由は?」
 鋭い指摘に克己は苦笑するしかなかった。
 誤魔化そうと煙草を取り出して一本咥えた時、山川が嘘くさい笑顔を浮かべてライターを渡してくる。
 重い銃を元の場所に立てかけて、壁に寄りかかり煙を吐き出す。
 自分が答えを言わないと、彼はずっと怖い笑顔で自分を見つめ続けるだろう。
「……気になる、ヤツが居るんだ」





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