「殺人事件?」
 いずるが不思議な響きに首を傾げると正紀が神妙な顔つきで頷いた。
 弓道の練習から帰ってみればあちこちから妙な話を聞かされて、正直気が滅入る。
 翔にはハムスターを見なかったかと聞かれた。
「そ。生徒会が隠してたみたいなんだけど、何人か死んでるらしい」
「何でココでそんな事件が?」
 いずるが心底不思議そうに聞くと正紀も肩を竦めた。彼も良く解からないということだ。興味本位で情報を集めているのだろうと判断したいずるはため息を吐きながら椅子に座った。
「喧嘩の末の惨劇とかじゃないのか?」
「そうでも無いらしい。手口が同じだし、何より殺し方が同一で、そして」
 す、と正紀は眼を細め、窓の外を見る。
「まるで薬の乱用者のようにメッタ刺しにしている」
「……正紀、お前」
 親友の横顔に不穏なものを感じ、いずるは思わず立ち上がる。ガタン、と重々しい椅子の音に正紀は顔を上げ、にかりと笑った。
「何だよ。朝っぱらからそんな顔してんじゃねぇよ。俺はただ、集めた情報を言っただけだぞ?お、天才、三宅おはよ」
 学校中朝から陰気な話題で持ちきりだった。遠也も道すがら耳に挟んできたのだろう、情報を持っていそうな正紀に視線を向けた。
「何の話です?」
 遠也の問いに正紀が説明を始めようと身を乗り出す。
「殺人事件だってよ」
「上がどうにかしますよ、俺たちが騒ぐことじゃない。大体それ、事件なんですか」
 遠也の言うことは最もだった。冷静に答えてくれた遠也に、いずるは心の中で密かに感謝した。もし、ここで正紀が話しかけた相手が、何の考えも無しに他人の行動を煽るような人間だったらと考えると背筋が寒くなる。
 その事件に関しては朝のHRで担任に軽い注意を受けただけに終わった。


「あーあー、勿体ない」
 加藤は回収された死体に齧り付きながらも嬉しそうだった。どうせ火葬にしてから親族に引き渡すのだから、肉はどうなってもいいと許可を貰えたのだ。
 その様子を見慣れた周りの人間たちは眉も動かさず話始める。その中心に居る人物が近くで書類を持つ生徒に話しかけた。
「誰がやったのか、検討はついているのか?風紀委員長」
「ああ、一応は……決定的なものがないが」
 風紀委員長の夏乃宮狼司はため息を吐きながら答える。彼はそれなりの能力を持ち、歯切れの悪い返事でもそれが大方正解に近いことは承知済みだ。
 素早い調査に眼鏡をかけた青年は満足そうに笑む。どこか楽しげな笑みでもあった。
「まいったな。どうしたものか」
「しばらく様子を見ていたほうがいいと思うが。アレが関わっているとなると、ここだけの問題じゃなくなる」
「じゃ、適当なところで処分してくれ。あっと……」
 男は部屋の隅で腕組みをして壁に寄りかかっている沢村に眼をやり、にっこり笑う。
「沢村君にお願いしようかな」
 突然名前を上げられたのに沢村は驚きもせず壁から背を離す。
 その判断に異論を持ったのは加藤だけだった。
「えぇ?僕は駄目?」
「加藤君、食べちゃうからな。よろしくな、沢村君」
 優しげに笑う男に沢村は頷いた。
「了解しました。副生徒会長。それと、例のディスクの事ですが」
 無機質な声に副生徒会長と呼ばれた男は目を細める。
「ああ、アレは放っておいても大丈夫だろ」
 先日何者かが生徒会の資料室にハッキングをかけ、あるディスクを盗み出した。その中身から、相手の意図と目的を察せたし、恐らく相手がその目的を果たせる事は出来ないと予想が出来たから、放っておけと彼は言う。それがどれ程残酷か知っているのはここにいる人間だけだ。
 話が一段落したと察した高遠は背筋を伸ばし、ここで一番権力のある副会長へと視線をやる。
「副会長。例の暗殺命令のことですが」
「ああ、遊井名田君は頑張ってる?」
「彼がなかなか隙を見せないのでてこずっているようです。しかし……本気ですか」
 高遠は相手の表情を伺うが、彼は真意の見えない笑みを浮かべるだけ。
「遊井名田程度の力では彼を本気で殺すつもりがあるとは思えませんが」
「そう?遊井名田君もそれなりに強いと思うんだけどなぁ?」
 んー?と首を捻る相手の巫山戯た態度に多少の苛立ちを感じながらも、それを抑えつつ高遠はなるべく冷たい声を吐き出した。
「遊びですか。それとも、宣戦布告のおつもりですか?」
 誰へ、とは厳密には言わない。
 けれど高遠の刺すような視線に彼は口元を歪めた。
「じゃ、今日は解散。あ、沢村君はちょっと残って」



 だあん、という音が道場内に響いた。
「いってぇぇぇ〜〜」
 叩きつけられた背中がじんじん痛む。
「大丈夫か?」
 手を差し伸べてきた相手は、言葉は優しいが容赦ない。
 翔は上に見える克己の顔を睨みつけた。
「手加減しろっての!」
「それじゃあ試合にならない」
「生真面目!!」
 カリキュラムに入っている武道の授業。今は柔道をやっている。そう、川辺の授業だ。必修の武道は3ヶ月ごとに変わり、今は柔道で次は剣道。そして2年になると選択科目になる。
 一応、「柔能く剛を制す」と小さい者も大きい者を投げると言われている柔道。
 本当か?と疑いつつ身を起こした。克己にはさっきからやられっぱなしだ。
「克己、もっかい!」
「こりないな、お前……」
 すでに二回投げ飛ばされてはいたが、これで大体克己の攻撃パターンを掴んだ気がしなくもない。
 とりあえず、襟首を掴まれないようにすればなんとかなる。
 だから克己の手からとことん逃げてみた、が。
「……避けてばかりじゃ終わらないだろうが」
「へっ?うわぁ!」
 あっさり作戦を見破った克己が素早く襟を掴んであっさり一本。
 再び背中に衝撃が。
「くっそ、負けたぁ〜〜」
 もう疲れて立ち上がりたくない。
 そんな翔を再び克己が見下してくる。
「もう終わりか?」
 意地悪い笑いに少しむっとした。
「終わり終わり。疲れたし」
 どこか投げやりな言葉に克己が苦笑する。
 今だ。
「うら!」
 足払いを仕掛けると油断していた彼はあっさり倒れた。
 この道場で彼が倒れるのは初めてのことではないだろうか。
「翔ッ!お前……ッ」
「騙し打ちも戦略の一つだって、習ったしな」
 寝技をかけようと四苦八苦しながら翔はにやりと笑う。
 確か、最近習った寝技の技名は横四方固め。
 必死にやり方を思い出そうとしている翔の下敷きになっている克己が一言、
「……軽いから上に乗っかられてもそんなにダメージ無いぞ」
「なんだとぉ!」
「それに、寝技は相手の動きを封じないと」
 こんな風に技を返されるぞ、と言われてすぐに視界が反転した。
 気がつけば立場が逆転。
「克己!重い!」
「そりゃ、重くしてるから……」
 不意に克己は視線を感じ、顔を上げた。
 そこでは、担当教官の川辺が。眼が合ったら視線を逸らされた。
 昨日の事を恨んでいるのか、それとも……。昨日は思い切り殺気をおくっていたから、眼を付けられてもおかしくない。が、次に川辺が視線を移した場所にはいずると正紀がいた。適当な会話を交わし笑っている二人に注意でもするのかと思ったが、彼はただ静かに二人を眺めている。
 何だ?と怪訝に思ったが、下でもがいている友人に首元を軽く叩かれた。
「克己!」
 翔はどうにか出来ないものかと模索するが、体が動かないからどうしようもない。
 手はどうにか動くけれど、柔道着をひっぱったところで変わらない。
 その時、軽い金属音がしてすぐに顔に硬いものが当たった。
 銀の細い十字架が、翔の眼の上にゆらゆら揺れている。
 細い銀の鎖でつながっているそれは、女物に見えた。なのに、所有者は
「克己、コレ」
 何?と聞くと克己が不思議そうに視線を下げてきて、その眼を見開いた。
 自分の失態に怒りを感じたような瞳の色。
 翔の手がそれに伸ばされかけていることにさらにその色が濃くなった。
「触るな!」
 間近で浴びせられた怒声に思わず体を揺らした。
 その反応に克己もしまったと思ったのか、すぐ口元を手で押さえて焦りの表情を見せる。
「あ……と、悪い」
「え、や……別に」
 初めて、だと思う。克己が感情を剥き出しにしたところを見るのは。
 気まずい空気が流れ始めた時
「いつまで寝技かけているんですか」
 遠也の蹴りが克己の後頭部に決まった。
「遠也、柔道で蹴りは禁止技で」
 大志の声も聞こえてくる。
 ようやく寝技から開放され、再び克己が謝ってきた。
 気にしていない、というと嘘になるかもしれないけれど。
「別に、いいって。俺も悪かったんだし」
 大切なものに触れようとした自分にも非があるから、と手を振ると克己がほっと息を吐いた。
「うふふふ、日向君との試合は終わったの?甲賀君」
 どこか楽しそうな声に克己の背が固まり、翔もおもわず「うわ」と声を上げてしまった。
「じゃあ、今度はアタシに寝技かけてぇv」
 男声で女言葉を使いこなしているのはクラスメイトの林望。クラスで唯一のカマ男さんだと自負している。
 南側だけれど男に見境の無いらしい彼は色々な相手に手を出していた。
 細面の顔は特徴らしい特徴がないけれど、化粧をすると美人になると自分で言っている。
「カマには容赦しない……」
 殺気に似たものを纏いながら克己はゆらりと立ち上がる。
「いやぁん、怖い〜〜。良いわよ、日向君とするから」
 あっさり相手を交換する林のテンポについていけなかった翔は大袈裟に驚いた。
「へっ!?俺!?」
 突然腕をつかまれ、何の掛け声もなしに固め技をかけられる。
 自由を失い、嫌な予感。
 そして予感的中。
「日向君、可愛い〜〜!!」
「うぎゃあああああ!!」
 いきなり林が頬に口を寄せてきた。
 遠也達が助けてくれなければ貞操も奪われていたかもしれない。



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