朝、大志には悪かったが遠也は早めに部屋を出た。
目的は図書館。
常に開放されていて盗難には気を張っていないように見えるが、あちこちから僅かに聞こえるカメラの機械音に遠也は安堵する。それなりの対策はとっているらしい。盗んでまで本を読もうとする人間がここにいるかどうかは謎だが。
朝だから人はそんなにいないけれど、自分がいつも座っている窓際の席には人がいた。
だから別な席へ行こうとしたが
「早良?」
それは自分がよく見知った人間で。
彼はこちらを振り返り、破顔した。
「遠也」
名指しで手招きされてはそれに従うしかない。
彼と会うのは例の調理実習以来だ。
「珍しいですね、寝起きの悪い貴方が」
「お前だって低血圧のくせに」
遠也の嫌味を軽く交わしながら早良はその席を彼に譲る。
机に置いておいた多量の本も整理しながら。
「今日、クローンの製作実習があるんだ」
早良は科学科の講師もしている。
それと同時に国に援助を受けている科学者でもある。
何気ない報告だったのだけれど、遠也は不快気に眉を寄せた。
それに気がついた早良は苦笑する。
「そんな顔すんなって。美人が台無しだぞ」
からかうような言葉を無視して譲られた席に腰を下ろす。確かに、机に散らばっている本はクローン関係のものばかりのようだ。しかも、簡単な基本が書かれた本。
「それに、どうせ作れるわけないし」
早良は科学科の生徒の実力を思い出し、鼻で笑う。
そんな彼の様子も気にせず遠也は近くにあった本を開いた。
一度読んだことのある人間科学の本だった。
落胆したような遠也のため息を聞いて早良は机に突っ伏した。
「あーあ、折角お前に最前線の医学や薬学、人体学叩き込んだってのになぁんで危険な士官科に行くかなぁ」
士官科を卒業すれば確かに卒業できたらすぐ軍隊のトップに着任することが出来る。士官科というだけあって少尉以上の地位を得ることが出来る。
けれど、それは無事卒業出来ればの話。
「医学者になるって宣言してくれたあの可愛い子供はどこに行ったんだよ」
わざとらしく目元を押さえる早良をとことん無視して遠也は読書を続けた。
丁度クローン医学の歴史についての箇所だ。
この国でクローン技術が発達したのはここ20年の間だ。人造人間――アンドロイドはそれより遅めだった。短期間で急激な発達をしたのにはわけがある。
AIDS患者の急増と次々と発見される奇病だ。つい1世紀ほど前国民病となっていた癌の治療法を見つけてすぐだった。
今もっとも恐れられている病、ケリズと呼ばれている奇病は空気感染はしないらしいが発病したことに気がつきにくいため感染者が年々増加していた。発病の初期症状は様々で、ある人は腹痛、ある人は頭痛または疲労感だけ。しかし徐々に皮膚の変色・激痛が始まり病魔に侵されていると気付いた時は時すでに遅し。脳にまで影響を与えて発狂する人間も多いとか。内臓や骨を溶かしてしまうその病は発病後長くて半年で死に至る。
この病は主に性行為で移る上、自覚症状が無いから次々と広がっていく可能性が高い。体液に潜むウィルスは空気に触れても死なない。
体外受精や体外妊娠も精液自体にウィルスがあるので出来た子供はその病に感染して生まれてくる為に一ヶ月程度で死んでしまう。
そこで活用されたのはクローンだった。
何故かそのウィルスは毛髪には住まないらしい。
髪の毛からでも作れる自分の分身の精液で子供を作る。曲がりなりにも本人の子供だ。
時間がかかるが、子孫を残す為なら仕方の無いこと。
用が済んだクローンはすぐ処分される。
勿論、他にも用途はある。戦闘用・影武者役はお偉方が必要らしい。他に観賞用、医療用にも使われている。クローンや他の人造人間は法律的にも差別視されていた。
戦闘・影武者用はオリジナルである本人達の為に殺されるし、観賞用はそれを望んだ人間の無慈悲な性行為で病にかかり、死んでいる。アンドロイドも同じこと。金持ちの玩具だ。
他にも気が狂ったような科学者が作った合成人間もいる。
『けれど中でも悲劇的な遺伝子をもつクローンは――――――』
そこまで読んで遠也は本を閉じた。
「ただの子孫繁栄の為だけに技術を発達させたのか」
非難と怒りが混じった遠也の呟きに早良もため息をつく。
「そう言うな。人類にとっては重要な問題だ」
「遅かれ早かれいつかは滅ぶ」
冷たく吐き捨てて手の中の本を早良に投げ付ける。
普段、書籍をこのように扱うのは嫌っているのだが、今はそんなことに構っていられるほど大人じゃない。
「人であるお前がそう言うのか?」
「俺が言って、悪いんですか?」
遠也は無精髭のはえた早良の顔をじっと睨んだ。
その迫力に負けたのか、早良は両手を上げる。
「これだけは覚えておけ、遠也。俺もお前も人間だ。人には人にしか出来ないことがある。もしかしたら100年後、戦争も無い、空気の綺麗な地球が出来上がってるかも知れない」
「そんなこと有り得ない」
「どうかな。多少なりとも、まともな人間はいるだろ?いい奴だっているだろ?」
その言葉に遠也は何人かの顔を思い浮かべ、首を横に振った。
「良い奴は大抵早死にする」
「とぉやぁ〜〜」
マイナス思考の彼の言葉にがくりと肩を落とすしかない。
この話を続けるときっとろくな事にならないだろう。
「もう少し前向きに考えないとやっていけないぞ?」
「現実主義なんです」
さらりと言い返され、早良は額を押さえる。
育て方を間違ったか、と思うが何となく彼がこうなってしまったのは仕方ないとも思う。
「じゃ、俺そろそろ行くわ」
何かあったらここで、と言い残して早良は机にあった本を抱えた。
遠也は読んでいた本を取り上げられ不満そうに彼を見上げる。
「早良」
「お、何だよ」
「髭ぐらい剃らないと恋人も出来ませんよ」
「…………本当に現実主義者だな」
呆れた早良は肩をすくめてから注意をされた顎付近を撫でた。確かにざりざりと不快な感触がそこにはある。早良のその動作を遠也は透明な黒い眼で眺め、席を立った。
「でも、これぐらいの髭があったほうが威厳があるってもんだろう?」
「ただのくたびれた親父にしか見えません。現実と鏡を見たらどうですか?」
早良のフォローをバッサリと切り捨てて、彼はさっさと本棚の方に向かう。
少しくらい、夢を見せてくれたっていいだろうに。
顎を撫でながら、現実の感触に早良はため息を吐いた。
太陽光が眠い眼に刺さり、何となく痛い。
翔は欠伸を噛み締めながら廊下を歩いていた。隣にいる克己もどこか眠そうだ。
あれから安眠出来たけれど、寝足り無い。やはり悪夢の分は睡眠に入らないのだろうか。寝る方が疲れるというのはどうにかならないものか。
ついでに、足に蛇が巻き付いていた感触が消えない。現実も恐ろしかった。
歩きながらもついつい足元を気にしていた。
「あ、おっす、日向」
廊下の向こう側から朝なのに元気な正紀が早足でやってくる。
なにやら自分を探していたような感じで、片手を上げて。
「なぁ、今聞いたんだけどヨシワラに……ッ!」
彼はそのにこやかな笑顔のままで転んだ。
顔から突っ込んでいったのでかなり痛そうな音が廊下に響き、周りから聞こえてきていた朝の談笑する声が消えた。
「大丈夫か!」
慌てて声をかけると正紀自身何が起こったのかわからない様子で身を起こす。
それもそのはず。廊下に障害物らしいものは普通、何も無いはず。
「あ、日向に甲賀に……何だ、篠田。廊下に寝るなよ」
そこに今度は大志がやってくる。
そして彼も正紀と同じく転んだ。二人が同じ地点で転ぶというのはもう偶然ではないだろう。
翔は二人の足元に視線を落とし、それを見つけて低く呻いた。
克己もそれを見て翔の肩を引く。近寄るな、とでも言うように。
「いってぇぇ、何か足に絡まったぞ?」
自分の状況を理解出来ていない大志は思い切りぶつけた顔を擦り、自分の足元を振り返る。
硬直した彼に正紀が首を傾げた。
「どうした」
彼も振り返り、身を固める。
そこで一匹の大蛇が怒りのオーラを背負っていたから。
「なかむらぁぁぁぁぁ!!」
大志が怒声か悲鳴かわからない叫び声を上げる。
それを聞きつけた中村が笑顔で走ってきた。
「あ、いたいた、ビリー!心配したよ、もう」
ビリーというのはその蛇の名前だろう。
彼は両手を広げて愛しいペットとの感動の再会を果たそうとしていたが、それは般若のような顔になっていた正紀と大志に阻まれてしまった。
「ペットの放し飼い止めろ!!」
正紀のもっともな主張にも中村は首を傾げる。
「ビリーは」
「まさかペットじゃなくて友達だなんて言うんじゃないだろうな?」
大志に続ける言葉をかっさられたのにも構わず、彼らの怒りにも気付かず中村は胸を張る。
「勿論!」
正紀が不良時代に培った喧嘩のテクニックを披露する5秒前。
そんなものは見なくていい、と翔が何となく首を横に動かすと廊下の隅で丸っこくなっている毛玉を見つけた。
拾い上げてみると、生き物の温かさを感じる。
「見ろよ、克己。ハムスターだ」
片手に収まる小さな生き物はつぶらな大きな瞳で翔を見上げた。黒い瞳に自分の顔が写っている。
蛇は可愛いとは思わないけれど、これは文句なしに可愛い。
「大丈夫だよ、ビリーは毒持ってないから」
「へ?そうなのか?」
「まぁ、一回巻きついたら牛でも絞め殺せるけどね」
えへん、とまるで自分のことのように彼は胸を張るが、自慢されても感心は出来ない。
「なぁかぁむぅらぁ」
背後から聞こえてくる諍いに口を挟む気にはならなかった。
克己も同じくすでに彼らに背を向けている。
「何でこんなところにネズミが」
「克己、ネズミじゃねーよ……」
「あ、日向!それ!!」
折角のほほんとした空気を味わおうとしていたのに、騒ぎの原因である中村の興味がこちらにきてしまった。
「もー、探したんだぞ〜〜?」
心底心配そうな声を上げて中村は翔の手の中のハムスターの頭を人差し指で撫でる。
「へ?コイツ、お前のなの?」
蛇ばかり飼っているのだと思っていた中村の意外な事実。
翔の問いに中村は頷いた。
「そ。可愛いだろ〜〜」
ペットを返してもらった中村の笑顔はどことなく嬉しそう。
何となく安心した。これこそ普通のペット道だ。犬猫鳥ハムスターが翔の中ではペットの基本。
中村にも普通の面があったのだと息を吐いた。
「中村も普通のペット飼うんだなぁ」
何となく呟いた言葉だった、のに。
「餌だからね」
にこやかに言われた言葉に空気が凍りついた気がした。
翔は反射的に中村の手の中で縮こまっていたハムスターを取り返してしまう。
「あれ?欲しいの?」
その行動をそう解釈した中村の問いに必死に頷く。
その必死さに本当に欲しいのだと思ったのだろう、中村が破顔した。
「いいよ、一匹くらい。この前のお詫びもかねて」
一匹くらいという言葉が気になるが。
中村は上機嫌でビリーを引き連れて帰っていく。
それを見送って、一部重々しいため息をつく人間が居た。
まるで台風が去った後。
すぐにチャイムに朝から疲れる一騒動に終止符を無理やり打たれることになる。
Next |