抵抗もむなしく俺は更科の家に連れて来られていた。
因みに、まだ狼の姿で。
「紬ちゃんの制服、洗濯しておくねー」
変身した時に脱げた制服やら下着やらは全部洗濯機行きにされた。確かに、土に汚れちゃったっていうのもあるけど。
人間に戻った時、俺は何を着ればいいんだよ。
「俺はハダカでも一向に構わないけど?」
ふざけた事を言う更科の足首に噛み付いてやった。
甘噛みだけど。そこら辺は俺って良心的だよな・・・・・・。
「犬の姿の紬ちゃんも好きだからいいけどねぇ」
犬じゃねぇ狼だって何度言えば解かるんだ!
ぐるる、と呻いてやると言いたいことがわかったらしく、「あ、狼か」とわざとらしく言い直していた。
喧嘩売ってんのかお前。
もぅ不貞寝だ、不貞寝。
床にではなくベッドのほうに行って丸くなると、苦笑しながら私服の更科がやってくる。
「ゴメンゴメン、怒んないでよ。コレあげるから」
コレ?
目の前に差し出されたのは更科の手。
・・・・・・が血まみれだった。
なななな、何やってんじゃあ!お前!!
「夕飯。血でもいいんだよね?」
しれっと答えた更科の右手には銀色に光る包丁が。怖い。
キッチンで何やってるかと思ったら!
うわぁぁ、消毒!それと包帯!!
結構ダラダラ流れてるから、もしかして結構深い傷?ヤバイー!!
「何してんの?紬ちゃん、早く飲みなって。血ぃ勿体ないじゃん」
わたわた慌てる俺と反対で更科は普通だ。
あほかー!!
「馬鹿かお前!早く消毒!手当てしろ!」
色々堪えられなくなった俺は人間に戻って怒鳴りつけていた。
「えー、でも消毒薬混ざると美味しくないんじゃない?」
そんな気遣い要らん!
まったく俺とは正反対の心配をしている更科に苛立ちが募る。
「救急箱は!?」
「有るけどさぁ、教えない」
「はぁ!?お前の怪我だぞ!」
「紬ちゃんが飲んでからね」
ぽた、と手から溢れた血が白いシーツの上に落ちた。
それを見た瞬間、ぞくんと何かが体の中を駆け巡る。
「折角紬ちゃんの為に痛い思いしたんだから、手当てしたら無駄になるっしょ?」
そんな更科の台詞はすでに俺に聞こえていなかった。
急激に喉が渇いていく。目の前の飲み物を飲みたくて仕方が無い。
「だ・・・・・・めだ」
押さえつけていた何かが今にも暴走しそうで。
血の香りに頭がくらくらする。
必死に彼の手から視線を外していた俺の理性を崩したのは、やっぱり更科だった。
「駄目じゃない」
彼は自分の傷を俺に見せ付けるようにして自分で舐め、その血に濡れた口で俺にキスしてきた。
差し込まれた舌から、彼の血の味が口内に広がる。
甘くて、体を熱くする味が。
なんでここまで出来るんだよ、コイツ・・・・・・。
「駄目だ!」
誘惑に負けそうになる自分に向かって俺はそう叫んでいた。
だって、このまま陥落したら、色々ヤバイ。
「更科!」
「は、はい!?」
怒ったような俺の声に彼も驚きながら返事をする。
「救急箱の場所は!?」
言え、言え!言わなかったらぶちのめす!
「え、えーと、そこの棚に・・・・・・」
俺の気迫勝ちだった。
更科の指差す棚を開けると、あった。救急箱。
持ち出して、そこにあった消毒薬を適当に更科の手に振りかけてやった。少し痛そうに彼は眉を寄せるけど、いい気味。
「紬ちゃん、痛い」
「当たり前だ。二度とするな、馬鹿」
血が滲むその手にきつめに包帯を巻いて、完了。
「・・・・・・あーあ、勿体ない」
包帯の巻かれた手をぶらぶらさせながら更科は嘆息する。お前が言う台詞じゃないよな、本来。
「俺の血飲みたくなかった?」
「あのな、更科・・・・・・俺は吸血鬼じゃないんだ」
「知ってる。狼男、だろ?」
・・・・・・わかってんじゃん。
でも、さっきから血の匂いが鼻について仕方ない。本当は飲みたいのは山々なんだけど、さ。
血を飲んで理性が飛んだら更科に何をするかわからない。
吸血鬼とは違って、俺たちには狼の血が入っている。だから、血だけじゃなくてそれ以上、・・・・・・肉とか骨とかが欲しくなってしまう可能性があるから。
あー、それにしても体怠い・・・・・・。
「・・・・・・大丈夫?紬ちゃん」
ベッドに倒れこんで狼の姿になる俺の体を更科は傷のある手で撫でてきた。
あんまり大丈夫じゃないけど、俺は一応適当に鼻を鳴らした。
「本当に、血・・・・・・飲んでも良いんだぜ?」
それは駄目。
更科が、死ぬ。
これ以上ココにいたら、更科になにするかわからない。家に帰りたい。
でもそんな気力殆ど残ってなかった。
ああもう、こうなったら。
「紬ちゃん?」
ふらふらと立ち上がって、俺はベランダのほうにてくてく歩いた。そして夜空に向かって吠える。
あまり力の無い遠吠えだったけど、きっと誰かは聞いてくれたはずだ。
その証拠に
「つー兄!?」
すぐに目の前に臣が現れた。
「ちょ・・・・・・つー兄大丈夫!?」
ぐったりしている俺の小さな体を持ち上げ、俺をがくがく揺らす。うぇ、気持ち悪。
「お前は」
驚いたような更科には多分俺から説明するべきなんだろうけど、残念ながら俺にその気力は無い。
臣は俺の体を抱き締め、更科を睨みつけた。
「お前がつー兄の契約者?何コレ、どういう事?つー兄殺す気かよ!」
うあ、違うんだって、臣・・・・・・俺が色々断わってて、この状態はある意味自業自得なんだって。
「悪いけど、さっさと契約解除してくれないか?つー兄人間嫌いで、人間なんかと触れ合える状況じゃねぇんだよ」
「・・・・・・それは知ってる。でも、それをまずどうにかしないことにはどうにもならないんじゃないか?」
穏やかな反論に臣は俺を抱く腕に力を入れる。
「お前に何がわかる!」
「あ、わかった。紬ちゃんが人間嫌いになったのってお前が必要以上に庇っていたのもあるんじゃね?お兄さんが可愛いと大変だね」
ガウゥ!
咬み付かんばかりの威嚇に俺は目を開けた。臣が何をしているのかよくわからなかったから。
「何、してんだよ臣・・・・・・」
「つー兄」
人間体になって俺が言葉を発すると剣呑な空気が少し和らいだ。
「更科から力を貰わないのは、俺が断わってるから・・・・・・更科の所為じゃない」
「そりゃ、つー兄がコイツとヤりたくないってのはわかるよ。だったら食い殺せばいいじゃん」
お前・・・・・・契約者制度の意義をわかってるのか?
「それが、嫌だから、お前呼んだんだろ・・・・・・更科殺したくない」
ぼんやりして、もうここがどこで、どういう状況なのかわからなくなっていた。
殺したくない、という俺の言葉に臣が息を呑む。多分驚いたんだ、俺が人間嫌いで殺さん勢いだったのにそんな事言ったから。
「つー兄・・・・・・?まさか、この人間が好きとか言うんじゃないだろうな」
好き?
・・・・・・何言ってんだよ。
「人間なんか、好きになるわけない・・・・・・」
更科が人間じゃなかったら良かったのに。
そしたら、俺は・・・・・・。
そこで俺は意識を失った。
「紬ちゃ」
「兄さんに触るな!」
意識を失った紬に手を伸ばそうとした男の手を叩き、臣はまた威嚇する。
「つー兄がアンタをスキになるわけがない。アンタはつー兄が一番嫌いな人間だ!どうせまたつー兄を傷つけるんだろう!」
「俺はそんなつもりは」
無い、と言いたかったけれど臣は金色の瞳で睨んでくる。
「兄さんはアンタが契約者だということに納得しているのか?」
痛い問いだった。
何度も止めてくれと頼まれていたのに、それを実行しなかった所為なのだろうか、紬のこの状況は。
「限界、かな?」
夜空にとけ込む臣を見送りながら更科はため息を吐くしかなかった。
不意に目に入ったのは自分の手に巻かれた包帯。
血の誘惑に負けず、自分を心配してくれた彼の顔は本当に一生懸命だった。
彼は、自分の体を真剣に心配してくれたのに、自分は。
感情にまかせてその手を強く握ると、自分の今までの態度を責めるようにツキリと軽い痛みが走った。
「あんな人間に渡してたまるかよ」
そんな呟きがすぐそこで聞こえた気がして目を開けると、臣の部屋だった。
「あれ・・・・・・」
人間体にも戻っていた俺が寝かせられていたのはベッドの上。
そしてすぐ近くに臣がいた。
「臣?」
すぐ近くにある彼の表情は少し哀しげで、弟の身に何かあったのかと兄として心配したら
「あんな人間に・・・・・・」
「え?」
「人間なんかに渡してたまるか!」
へ・・・・・・?
俺がワケがわからないという顔をした途端、臣の表情が悲しげに歪む。
「ずっと、つー兄が好きだったんだ」
「え、や・・・・・・俺も好きだけど?」
だって、兄弟だし・・・・・・。
俺の返事に臣が少し怒ったように眉を上げる。
「お約束な答え返して来ないでよ。この状況わかってる?」
この状況、ってのは俺が臣に押し倒されたような体制・・・・・・?
「俺は、ずっとつー兄とこういうことしたかったって言ってんの」
言うが速いか、臣は俺にキスしてきた。しかも、すごい濃厚な。
更科とは違う感触に思わず身を堅くしてしまう。
「ちょ、臣!?」
何で?何があってこんな展開になってんだよ!
「いいじゃん、つー兄、人間なんかと契約したくないだろ?つー兄がどんなに人間が嫌いか、俺は良く知ってる。だったら今、契約解除しようよ」
そう言いながら臣の手が俺の体を撫でる。
何か、ヤダ。
おかしいな、臣は俺と同じ狼男なのに。
「ま・・・・・・っ!お前、お前だって契約解除になるんだぞ!?」
そうだ、臣にだって契約者は居る。
でもこの一言は殆ど無意味だった。
臣は口元を笑いの形に歪める。
「いいよ、別に。相手が好きで契約したわけじゃないんだから」
嘘。
何だよ、それ。
こんなの俺の記憶にある臣じゃない。
「臣っ!止めろよ!!」
「嫌だ。それとも何?」
不意に臣は手を止めて俺の顔を覗きこんできた。
「あの人間と、契約するの?」
人間という単語を強調され、俺は昔人間に受けた暴力を思い出す。
体がばらばらにされるような痛みに、人間たちの楽しそうな笑い声。
・・・・・・でも。
そんなヤツばかりじゃないでしょ、と言った更科の笑みも一緒に。
「人間は、嫌い・・・・・・」
「でしょ?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべた臣を強く睨みつけてやった。
「でも、更科は・・・・・・」
更科の手は、違う。
瞬間、彼の表情が曇る。
あわわ、い、言わなきゃよかった!!
後悔してもかなり遅かった。
「・・・・・・ヤダよ。あんなやつに兄さんは渡さない!」
「臣」
んだよ、こんな展開無いだろぉ。
「ずっと、ずっとつー兄だけを見てたんだから!」
「この馬鹿」
ゴッ。
そんな凄く痛そうな音が臣の部屋に響いた。
「広貴兄さん!」
頭を押さえて悶絶している臣から逃げ出して俺は助けてくれた兄さんの背に隠れる。
「ブラコンもココまで来たら犯罪だぞ、臣」
俺を背に庇い慌てるとか怒るとかそういう声色じゃなくて、広貴兄さんは意外と冷静だった。この人が冷静なのはいつもの事だけど。
「広兄?邪魔しないでよ!」
喉を鳴らしながら威嚇する弟を兄さんは鼻で笑う。
「するさ。弟が犯罪者なんてゴメンだからな」
最後まで聞かないで臣が狼の姿になり、兄さんに飛び掛る。俺を背に庇いながらも兄さんはあっさりと体をずらして避けた。
「あんまり年上に逆らうもんじゃないぞ、臣」
茶色の毛並みを持つ臣は白い牙を見せながら吠えるけれど兄さんは平然としている。これが普通の人間だったら恐怖で身を竦めるんだろうけど。
俺だったら兄さんにそんな事言われたら覇気を失う。でも、臣は違った。
その台詞に怒りを感じたらしくいつもは聞き分けのいい彼が、一歩飛んで兄さんの右腕に容赦なく噛み付く。
「兄さん!」
まさか本気で噛み付かれると思っていなかったんだろう、兄さんも驚きに目を見開いた後、痛みに表情を歪めていた。
咬まれた腕は黒服でもわかるくらい血で染まっていく。
邪魔をするなというように血で紅くなった歯を見せながら臣は再び吠えた。
「・・・・・・へぇ、威勢が良いじゃないか、臣」
腕を押さえながら兄さんが口角を上げる。その声色に俺はぎくりと身を揺らしていた。
ヤバイ。兄さんが本気で怒ってる。
「良い度胸だな!」
今まで普通の人間のように黒かった兄さんの瞳が金色に光った、と思ってすぐに黒い狼の姿になる。
ガウゥゥ!
俺たちなんかと比べ物にならない重みのある威嚇に今まで何の恐れもみせなかった臣がたじろいだ。これで引かなかったらただの馬鹿だろ。
小さい頃から兄弟喧嘩はしょっちゅうで、その経験から広貴兄さんに勝てるわけが無いという結論はすでに出てしまっている。
それでも立ち向かおうとする臣の姿は勇者そのもの。
まぁ、どんな兄弟喧嘩でも最強なのは
「コラ!なにやってんだよ!広!臣!」
フライパン片手に持った長男の譲兄さんだけど。
「まったく・・・・・・騒がしいと思ったら何いい歳して喧嘩なんてしてるんだ!」
ひとまず、人間の姿に戻って服を着て、3人正座で譲兄さんに怒られていた。って、俺も怒られないといけないのか・・・・・・。
「怪我までするなんて、馬鹿?」
広貴兄さんの腕から滴り落ちる血を見咎めて譲兄さんは冷たく一笑する。普段穏やかでのほほんとしているだけに、怒ると怖い。
狼男の兄弟の喧嘩は激しい。小さい頃なんて生傷絶えなかったし。実はこれくらいの怪我は日常茶飯事だ。喧嘩自体は久し振りだけど。
「兄貴・・・・・・取り敢えず俺は怪我を治しに行きたいんだが」
怪我をしていないほうの腕をあげて恐る恐る広貴兄さんが言う。契約者のところに行く、という意味だ。力貰えたらすぐ治るから。
でも、譲兄さんは冷たく笑った。
「はぁ?契約者、喧嘩に巻き込んじゃ可哀想でしょ?それとも、広貴は契約者にそんな思いやりも無いわけ?」
「い、いや・・・・・・その」
「愛の度合いがわかるよなぁ、こういうところで」
「い、行きません・・・・・・」
流石の広貴兄さんも譲兄さんの重圧に負けていた。てか、気の毒。
「譲兄さん、広貴兄さんは俺を庇ってくれたんだ・・・・・・だから、怪我は」
「・・・・・・仕方ないなぁ、広、行ってもいいけど千莉くんに無理させちゃ駄目だからね」
俺の一言に譲兄さんはため息を吐きながらOKを出す。根っこの方は凄く優しい人で、基本的に俺達兄弟には甘い人だ。
「じゃ、臣」
譲兄さんが臣を振り返ると、厳しい表情をした彼はぐっと唇を噛み締めた。
「臣は、しばらく紬に近寄らない事。わかった?」
「・・・・・・わかった」
流石に譲兄さんのことはあっさり聞くんだな・・・・・・。
「はーい、次は紬ね」
「え、お、俺も!?」
被害者なんだから大目に見てくれないかなーって思ってたけど、却下された。
「紬は、今の契約者と早く安定すること」
「安定って・・・・・・でも、俺!」
人間嫌いで。
それは、兄さんも知ってるはず。
「いつまでも思い込んでちゃ駄目だよ、紬」
兄さんは柔らかく笑って俺の頭を撫でる。
「人間とか契約とか考えないで、紬はその人自身をどう思っているの?」
「え・・・・・・?」
「紬が本当にその人の事嫌いだったら、もっとウチで騒いでると思うんだよね、俺」
くすりと笑って兄さんは俺から手を離す。
「触られるのだって、凄く嫌がったと思うんだけど」
更科に触られて、俺はどう思った?
確かに、今まで接してきた人間のなかではイイヤツだと思う。
でも、やっぱり更科は人間で。
俺は、狼で。
木佐貫の言葉が脳裏を過ぎる。
更科に俺は似合わないって。
「駄目だ・・・・・・」
「紬?」
「駄目なんだ」
契約者になる、のは良い。
でも永遠に近い時のどこかで、俺はアイツを喰いたいと思ってしまうかもしれない。
昔の狼男のように。
それが、怖い。
「怖いよ、兄さん」
アイツを、喰いたいと思う自分が。
そう想うほど、俺は更科を好きになっていた。
NEXT
うわぁ!そうなんだ!(他人事!?)