お月様、俺は何か悪いことをしましたか?
半月の月を見上げながら俺はため息をついていた。
いつもの月夜の散歩中なのに気分は重い。
そして、体も重い。
まさか2食分契約者から力を貰っていないだけでこんな状態になるとは思わなかった。あの一週間の我慢も出来なかったんじゃないかと思うくらい怠い。
いつものように月の下を闊歩しても、回復しないし。
いっそ、ルーマニアに行こうかなんて考えてしまう。ルーマニアのある森は俺達のようなモンスタ−が沢山住んでいて、そこには契約者が必要じゃないほど空気が俺達モンスターに合っているという。
きっと、楽だろうな・・・・・・色々と。ハンターもそこまでは来ないっていうし。
ハンターの話を親にしたら「あら、いい遊び道具が見つかったじゃない」と言われて。あんた等は確かに鬼だ、狩られても仕方ないと一瞬思ってしまった。
「ツムギ!」
いきなり名前を呼ばれて足を止めていた。俺、人間体じゃないのに、誰だ?
「良かった・・・・・・探したんだぞ?帰ってきたらいないから」
更科だー!!
制服のままの彼は荒い息。探したって、どんだけ探してたんだ?
今なら全速力で逃げられる。この疲労状態ではイヌ科の足には追いつけない。
なのに、何故か足は動かなかった。
「ほら、帰るぞ」
あっさり腕に抱えられても俺は暴れる事が出来なかった。
言い訳を言うと、この姿のときの嗅覚は物凄い。だから、なんていうか・・・・・・契約者の匂いが凄く安心するもので、というか美味しそうで。
ヤバイ、俺今ハングリー状態だから噛み付きそう。
す、少しくらいならいいかな、とか・・・・・・思・・・・・・っちゃ駄目だよな・・・・・・。
「先輩!」
聞き覚えが有りすぎる声に俺は耳をピクリと揺らし、更科はくるりと後ろを振り返る。
何でお前がここに来るんだよ・・・・・・。
昼間、俺を殺そうとしたあのモンスターハンターが笑顔でそこに立っていた。
「あれ・・・・・・」
「昼間は失礼しました」
少し恥ずかしそうに彼は挨拶して、頭を下げる。何だよ、その豹変ぶりは。
「・・・・・・昼間のこと、謝るなら紬ちゃんにしてくれ」
・・・・・・更科・・・・・・。
何か、意外とイイヤツ。気を許す事はないけどな。
更科の言葉に木佐貫は一瞬物凄く嫌そうな顔をしたけど、すぐに可愛らしい笑顔に戻る。
「でも、坂下紬先輩・・・・・・で良いんですよね?あの人狼男なんですよ?」
だから余計な事言うなっつーの!!
「狼男?なかなかのドリーマーだなぁ」
あっはっはと爽やかに笑う更科には心の中で大喝采。
そうだ、言ってやれ、更科!
「本当なんですってばぁ〜」
でも、そのどこか媚びるような木佐貫の言い方は気に障る。
何かムカつく。
じぃぃっと睨んでいると木佐貫は俺の存在に気付いて笑顔を消した。多分、俺が坂下紬だと気付いたんだろう。ハンターの奴等、カンはいいからな・・・・・・。
「・・・・・・悠誠先輩」
俺の存在を無視して木佐貫は再び笑顔になる。ゆうせい・・・・・・って更科の名前か?
そして、
「僕、悠誠先輩が好きです。もし、坂下先輩が狼男だっていう証拠見つけられたら僕と付き合ってもらえませんか?」
・・・・・・・・・・は?
ちょっと待て。
お前が更科好きになるのは勝手だよ、でも何で引き合いに俺が狼男っていう条件が出てくるわけ!?
「・・・・・・何つーか、すげぇ条件だな」
流石の更科も驚いているらしく、苦笑が乾いた笑いになっている。
でも、木佐貫は譲らない。
「ずっと好きだったんです、僕は」
え、そうだったのか・・・・・・。
木佐貫がウチの学校の普通の生徒だったんなら、確かに有名人の更科のことは知っているだろうし。
「一回、告白だってしたじゃないですか、先輩に。あれからどうしても諦められなくて」
・・・・・・しかも告白済みかよオイ。
「僕は本気ですよ」
そう言った木佐貫の瞳は確かに真剣だった。
それを認めた更科はふぅとため息を吐いてゆっくり頷く。
「わかった」
木佐貫の顔が嬉しそうに明るくなるのを俺は何となく重い気分で見ていた。
俺の視線に気付いたのか、彼は俺をちらりと盗み見て口角を上げる。
何だその勝ち誇ったような笑みは。
俺は別に更科が好きってわけじゃないんだから、どうでもいいんだよ!!
「じゃ、先輩、僕は失礼しますね」
可愛いと思える笑みを残して木佐貫は帰っていく。
後に残ったのは、脱力感。
はぁぁ〜と思わずため息を吐くと、上の方からもため息が聞こえてきた。どうやら俺達、ほぼ同時に同じ行動を取っていたらしい。
・・・・・・何か、変な感じ。
静かになったら俺の腹がきゅるるる、と鳴り、更科は「犬でも腹鳴るのかー」と感心していた。
犬じゃないやい。狼だ。
早足で更科のマンションに帰って来て、当然だけど目の前に差し出されたのは、昨日と同じく温められたミルク。
本当はこんなんじゃ腹満たされないんだけど、やけっぱちになってそれを物凄いスピードで飲んだ。
「本当に腹減ってたんだな」
過去形じゃなくて現在形だ。
ミルクで腹が満たされるわけがなく、フローリングの床の上でふて寝をする。
本当に、出来るものなら更科に噛み付きたいけど、そんなことをしたら木佐貫に本気で殺される・・・。
「ツムギ、外に出たんなら風呂」
頼む・・・・・・更科、寝させてくれ。
じゃないとお前の命が危ういんだ、解れ!
って、判るわけねえよな・・・・・・。
ひょいっと抱えられ、バスルームで昨日と同じくシャンプー。
本当に、今の状況は犬のしつけの“待て”状態だ。目の前のご馳走があるのに、食べられない。
犬の辛さを理解してしまった。くそぅ。
「・・・・・・今日は紬ちゃんと沢山話が出来たんだ」
俺の体をわしゃわしゃと洗いながら突然更科がそんなことを話し出した。
え・・・・・・何でそんなに嬉しそうなんだよ。
「紬ちゃんってお前に似てるんだよなー、なんかほっとけないって言うか」
似てるって・・・・・・本人だし。
泡を洗い流す為にばしゃっと熱いお湯をかけられ、俺は思わず身を震わせる。
俺が思い切り飛ばした湯が更科にかかり、驚きながらも楽しげな声が聞こえてくる。
「狼男・・・・・・か。居るわけないよなぁ」
しかもそんなことに「な?」と同意を求められても俺同意できないから。
タオルで身をもまれていると段々眠気に襲われる。このまま寝てしまえば、今日はどうにか乗り切れる。
そう思って眠気に身をまかせようとした時だった。
「アレ・・・・・・?お前、こんなところに傷・・・・・・」
そう言って更科が毛を掻き分けたのは、俺の首の後ろ。
「・・・・・・紬ちゃんと同じところ」
ボソリと呟かれたことに一気に眠気が覚める。
緊張しながら無言の更科を見上げるけど、彼は何かを考えているらしく少し難しい顔をしていた。
「まさか、なぁ」
・・・・・・多分今お前が考えていた事が当たりだぞ。
あっはっはと自分の考えを笑い飛ばしている更科に心の中で教えてやった。
でも、このまま普通にしていたら俺が人間体になることはないからバレないし。
「でも、お前紬ちゃんに似てて可愛い」
まだ濡れたままの俺の体を抱き締めながらそんな事を言ってくる。犬好きなのか。
犬の振りをする為に更科の頬をなんとなく舐めてやる。大サービスだぞ、本気で。
「ツムギ、くすぐったいって・・・・・・」
仕返し、とばかりに俺の体を掴んでキスしてきた。
・・・・・・・・あ。と思った時はすでに遅い。
契約をした俺達が狼の姿から人の姿になる時には、契約者の体液、もしくは愛情の篭った触れ合いが必要。
愛情の篭った触れ合いとか、面倒臭い言い方すんじゃねぇよ。キスって言え、キスって!!
気付けば目の前にいる更科の目線は、ちっこい動物を見る位下ではなかった。
ああ、もう今日はフォロー出来ない。
段々と見開かれていく更科の目に、そう思った。
「つ・・・・・・紬ちゃん?」
驚くな。お前が変な行動をした所為だ、馬鹿。
「とりあえず、出てってくれる?」
腹をくくった俺は濡れた体をどうにかしてから話すことにした。
慌てて出て行く更科の態度に、どう説明すればいいのか悩むことになる。変なフォローをするよりは本当のことを話したほうがいいんだろうけど・・・・・・。
適当体を拭いて腰にバスタオルを巻いてリビングに戻ってくると、更科が驚いた目でこっちを見てくる。
「紬ちゃん?」
「ああ」
「・・・・・・本物?」
「そうだけど?」
そう答えてやってもさらに彼は困惑していた。
まぁ、犬が人間になったらそりゃ吃驚するだろうな。
「なんで犬なんかになっちゃってたわけ?」
「犬じゃねぇ狼だ!!」
それは譲れないんだ!誰がなんと言おうと狼なんだよ!
「狼?」
ぽかんとしている更科に、もう俺は色々考えるのをやめた。
「俺は、いわゆる狼男なんだよ」
自分の一番大きな秘密をコイツに話すのは気が引けるがこうなったら仕方が無い。
契約解除になったら契約中の時の記憶は消えるっていうし。
ソファに座って、とりあえず一通りのことを話した。俺が狼男であることと、契約者の事も。
ついでに、更科が契約者になってしまったことも。
「ああ・・・・・・だから、今日俺に恋人がいるかとか聞いてきたんだ?」
「そうだ。だからとっとと他の女なり男なり捕まえて契約解除してくれ」
ストレートに言ってやった。
でも
「ヤダ」
更科はにやりと笑いながら拒否した。
「これって、紬ちゃんの秘密だよね。そんなの、簡単に手放したくないじゃん」
秘密、イコール弱みだ。
「それにさ、紬ちゃんも聞いてたよね?あの条件」
俺が狼男だったら、木佐貫と付き合うという約束をしてしまった更科。ってか、それ俺の所為じゃないだろ。
「俺、木佐貫と付き合う気さらさら無いから、紬ちゃんがそういう人間だってのは言わない。木佐貫、思いっきり紬ちゃんのこと狙ってるし。そんな中で力足りなくなったら紬ちゃんピンチじゃん?」
それはそうだけど・・・・・・。
「お前、言っただろ?契約者の体液が俺たちのエネルギー源で、」
「紬ちゃんになら血でもなんでも全部あげるよ」
・・・・・・ほほぅ。言ってくれるじゃねぇか。
でも、残念ながらこれはそんなに簡単な問題じゃないんだよ。
「人間ってヤツは、口だけは上手いな」
「・・・・・・紬ちゃん?」
「俺は、人間が大嫌いなんだよ。契約者は人間じゃないといけない?冗談じゃない」
グルルル、と喉の奥から狼の時の唸り声を出す。
「お前を今食い殺したら、強制契約解除だ」
普通の人間にしては発達している犬歯を見せると更科は少し驚いたような顔になる。
怯えろ。
そして、俺に二度と近付くな。
そんな意味で俺は彼を睨みつけていた。
「・・・・・・食べれば?」
けれど、更科は軽い口調でそう言った。
「食べればいい。俺は一向に構わないぜ?」
「へ?」
「あ、でも残さず食べろよ」
「ちょ、待てよ。お前、わかってる?痛いぞ。生きたまま喰うんだぞ?マジ痛いぞ!?」
「うーん、それでも別にいいかな」
「コラ!」
良くないだろう。
あー、もうコイツわけわからん!
「狼男ってもっとがっちり系の男かと思ってたけど、紬ちゃんみたいな可愛い狼男だったら喰われても構わないよ」
「可愛いって言うな。俺はもっとワイルド系の狼男になるのが目標なんだ!」
そう、二番目の兄さんみたいな!
ぐっと拳を握っての主張にいきなり更科は笑い出しやがった。
「ワイルドは無理じゃない?今紬ちゃん身長何センチよ?」
う・・・・・・そういうこと聞いてくるのか!
「ひゃくろくじゅう・・・・・・よん」
「俺184センチ」
ああそうですね。お前の方がワイルド系だよ!
「そういえば、今日は俺の体液なくても大丈夫だったわけ?」
何でコイツ、そんなこと聞いて来るんだよ。
「・・・・・・朝、少し貰ったからな」
「あー、アレやっぱりマジだったんだ。どーりで妙に生々しいと思った」
やっぱりそれ俺が付けたキスマークじゃん、と更科は微笑する。
気のせいか、なんかほっとしてるように見えた。
きすまー・・・・・・く?
「何ソレ」
そういや兄さんにも言われたな。
首を傾げて聞くと、彼はちょっと意外、と言いたげな表情になる。
「キスマーク。知らない?純情狼男だね」
本当に狼男?と言われてしまう。なんだよ、キスマークって。狼男なら知らないといけないことなのか!?
「で、あんなに濃厚なキスしたのに、もう腹ヘリなんだ?」
にやにや笑い始めた更科の台詞の意図が読めず、警戒しながらも頷いた。
「唾液じゃそんなに力無いんだよ。やっぱり、血か・・・・・・」
「血か?」
「精液じゃないと」
「意外とずばっと言うねぇ、紬ちゃん」
恥ずかしげも無く言ったことに更科が苦笑する。別に、いっつも親に教えられてた事だからな。
「じゃあ、今日はどっちにする?」
血か、精液か。
まるでレストランで注文を受けるような言い方に俺は眉を寄せていた。
「お前、まさか俺の契約者になるつもり?」
「駄目?」
「俺がお断り」
本日二度目の言葉な気がする。
「でも、俺じゃないと駄目なんでしょ?」
にやりと勝ち誇った笑みを浮かべる更科に、不快感を露わにしてみた。
「今日は帰る」
昨日の今日で、今日も帰らなかったらきっとまた臣を怒らせてしまう。
「え。紬ちゃん?」
「じゃあな」
ふっと気を緩めると狼の姿になる。
更科の制止の声に耳を貸す気は毛頭無く、俺はフローリングの床を蹴った。
開けっ放しになっていたベランダから外へ飛び出し、家の屋根伝いに自分の家へと向かう。
昼間は目立つ行為だけれど、夜なら大丈夫だ。
「あーあ。逃げられた」
屋根伝いにぴょんぴょん飛んでいく黒い塊を見送りながら更科はため息を吐いた。
「でもま、いっか」
これからいくらでもやりようがあるだろうし。
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