狼男。



 人狼族(ワーウルフ)とも呼ばれる、吸血鬼と並ぶ有名なモンスター。

 月夜に狼の姿に変化し、人を襲うと言われている。

 伝説上の彼らの存在は、科学の発達した現代、殆ど忘れられていた。





 でも、狼男は存在する。





「紬ちゃん、まだ良い人見つからないの?」

 夕飯が済んで、ソファで寛いで居る時に話しかけてきたのは俺の母親だ。

 毎日言われるこの台詞。

 閑静な住宅街から少し外れたところにある、俺達一家の家は今時?と思わず首を捻ってしまう程ゴシックな造りの洋館だ。近所のガキがお化け屋敷、と呼んでいる気持ちが痛いほど解る。

 そのお陰でこの家の中のリビングやら何やらもそんな雰囲気のあるもので、今天井あたりを飛んでいる蝙蝠は知り合いのペットだ。それが似合いすぎて、笑えない。

 母親は、美人だ。ぱっと見20代に見える外見だが、実年齢は2世紀を生き抜いているお婆さんをとおり越している年齢だ。人間ならとっくの昔に白髪になっているだろうその髪は今でも綺麗に茶色に輝いている。

 俺は父親の血の方が濃かったのか、髪の色は黒。

 それでもまんべんなく両親の血は俺の体を巡っているので、顔つきはどちらかといえば母親似。つまりは女顔。

「紬ちゃんくらい可愛かったら色んなオトコに求愛されてもおかしくないのに。ねぇ?アナタ?」

 少し色を含んで彼女が呼びかけた先には、黒い毛並みのデカイ犬・・・・・・ではなく、狼。

 っていうか、母さん・・・・・・女じゃなくて男なのか。

 けれど、俺の心の呟きにも気付かず、その狼は目を細めて頷いた。

「・・・・・・父さん」

 俺がじろっと睨み付けても彼は知らん顔。

 普通の人間にこんな場面を見られたら俺と母さんは精神病院行きだろう。でも、この狼は正真正銘俺の実父だ。
 




 だって、俺達人狼族だから。




 俺達一族は本当にワーウルフと呼ばれるモンスターだ。日々、モンスターハンターに追われつつも楽しい日々(両親曰く)を送っている。

 それでも、人間と共存する為にこっちは必死だ。

 大昔は、人間を手当たりしだい適当に襲うことが出来た。けれど、今の時代はそうはいかない。殺人事件やら何やらと騒がれてしまい、最悪俺たちの存在が世間に知られてしまうから。

 でも、俺たちの基本的な主食は人間の体液。それが無いと死んでしまう。

 だから、今この世界に生きているモンスター達の間で決まりごとが出来た。



 “成人するまでに、契約者を一人決める事”



 契約者、というのは俺達モンスターに食事をくれる人間のこと。その人間には特典として、永遠とまではいかないけど、長命とそれに伴う不老を約束されている。

 契約した相手と、長く一緒に居る為に。

 基本的に俺達モンスターは長命だから。

 母さんが言う「良い人」というのはその契約者のことだ。

 俺の年齢は、17。人間年齢でも、人狼年齢でも。契約者を見付ければ、不老時期に入る。

 因みに、定められた成人年齢は18。もう少し、ってとこだから両親は相当焦っているらしい。

 らしい、ってのは本人達口ではそう言ってるけど、態度ではそんなに焦ってない。別に良いけどさ。

 でも、残念ながらココで大きな問題が一つ。







 俺は、人間嫌いだった。





月と狼と君と僕



 満月の夜は、狼の姿になって、人の居ない道路を歩くのが好き。

 内申の趣味・特技の欄には書けないけれど一番の俺の趣味。

 俺、坂下紬(つむぎ)は人狼一家の3男で、もれなく人狼だった。

 かといって、丸いものや月をみると変身するような簡易人狼とはレベルが違う。それなりの力があれば、自分の意志で変身し、人の姿にだって戻る事が出来る。

 ただ、それなりの力、というのを人間から貰わないといけないのが難点だ。

 夜の冷気で冷えたコンクリートの上ののんびり闊歩するのが唯一の楽しみ。

 狼の姿は人にはタダの犬にしか見えないし。

 だから、昼間は夜が待ち遠しい。


 朝は嫌いだ。


「おはよー、つー兄ぃ」

 けれど、満面の笑みで起こしてくれるのは、弟の臣。朝日のように爽やかな笑顔だから彼が本当に同族か疑ってしまうこともある。

 しかも、悔しい事に3つ離れている弟の方が体格が良く、上に乗っかられると相当苦しい。

「臣・・・・・・どけ」

 蹴り飛ばそうにも体格差はどうしようもなく、臣のダメージはゼロに近い。

「ゆー兄が朝御飯だってー。ああ、つー兄は今日も可愛いなー」

 小さい頃から俺に懐いていた臣はこんなにデカイ体格になってもいまだに俺に抱きついてきたり、キスしてきたりする。中学ではかなり女子にモテると聞いているのに、こんな姿を見たら幻滅間違いなし。

「離れろって言ってるだろ、お・・・・・・」

 その時、臣の香りがいつもと違うことに気が付いた。

 一応犬科だし、匂いには敏感なんだ。

 これは、もしや・・・・・・

「臣・・・・・・お前、もしかしてまた契約者変えた?」

「あ、やっぱ解かる?」

 テヘ、と笑ってみせてくれるが、呆れてモノが言えない。

 基本的に、契約者というのは永遠の愛を誓える相手、なのだけれど、この弟はとっかえひっかえで。


 人間嫌いの俺とは大違い。


 はぁ、とため息を吐きながらリビングに来ると、忙しなく動いている兄と、すでに朝食を食べている兄が一人ずつ。

 相変わらず、男4人兄弟のムサイ朝食が始まる。母さんたちは朝日を苦手としているのでまだお休み中だ。

「あ、紬、おはよ〜」

 穏やかに笑ってくれるのは、長男の譲兄さん。今は天文系の研究者だ。勿論契約者は居る。正直、かなり天然が入っている彼に契約者が出来たことが不思議だ。

「遅い」

 少し近寄りがたいオーラを放っているのは、次男の広貴兄さん。現在大学生で、やっぱり契約者は居る。

 カッコイイから、恋人はすぐ出来るだろうと思っていたけど、予想通り。

「だって、つー兄なかなか起きなかったんだもーん」

 で、今俺をぬいぐるみの様に抱きしめてくるのが、4男の臣。

 みんな、漏れなく狼男、だ。

 体格がいいのが広貴兄さんと臣。でも毛質・・・・・・というか髪質は俺と広貴兄さんが黒で、父さん似。譲兄さんと臣が薄い茶色の、母さん似。

 父さんも母さんも人狼族なので、その子供が人狼なのは、遺伝の原則に当てはまる。

 3人とも契約者はいるけれど、俺には居ない。

「つー兄、一緒いこー」

 朝食を適当に食べて、渋々学校へ向かおうとすると臣が追いかけてきた。

 中学の学ランが悔しいほど似合っている体格に、少々引け目を感じる。

「ねー、つー兄、まだ契約者見つからないの?」

 そして、末っ子の特徴なのか聞かなくていいことをズバズバ聞いてくる。しかも実は毎朝同じことを聞かれていた。

「悪かったなぁ。俺は人間嫌いなんだよ、お前と違って!」

「俺だって別に人間好きってわけじゃないよ。つー兄はそのままでいいと思うな、俺」

「言われなくとも」

「そうそう。力が足りなくなったら、俺がいくらでも分けてあげるから」

 ね?と柔らかく微笑まれ、俺は眉を寄せていた。

 普通、それって兄である俺が言うべき台詞だろ。何で俺、弟にそんな事言われてるんだ・・・・・・。

「じゃ、俺こっちだから。ばいばい、つー兄」

 手を振って臣は中学の方に走っていく。

 それを見送ってから、俺も俺の高校へ歩き出した。




 おはよう、という挨拶が飛び交う学校内。

 人狼族といっても、普段は普通の人間の生活をしないといけないから俺も俺の兄弟達も学校には通っている。

 でも、人間嫌いの俺にとっては一番憂鬱な時間帯だった。

 人がいっぱい居るし、何より朝日とか基本的に苦手な種族だから。体が怠い。

 このダルさは契約者が見つかれば払拭できると一番目の兄から聞いたけれど、それを実行する気もないし。

 顔を隠すように長めに伸ばした黒髪は、人間との付き合いを拒絶する証だ。声をかけられても返事は一切しない。

 そんな態度を取り捲っている所為か、クラスで俺は孤立していた。それが目的だったから別に構わないのだけれど。

 でも、時には酔狂なヤツがいるもので。

「ハロー、紬ちゃん」

 同じクラスの更科なんとかっていう男は何故か毎日俺に声をかけてきていた。

 つか、ハローってなんだ、ハローって。てめぇ日本人だろ、とか思っても口にはしない。

 脱色した短い髪とカラーコンタクトをつけた瞳を一瞥して、おしまい。それが俺のスタイルだ。

 そんな俺の態度に彼は特に気にもせず、「今日もクールだなぁ」の一言。因みに、彼は周りの人気が高いので俺は結構敵を増やしている、らしい。


 知ったこっちゃないけど。


 人間は嫌いだけど、特に更科みたいな軽い男はだいっ嫌いなんだ。


 無言で自分の席に座り、無意識に首の後ろを撫でていた。


 古傷があるそこを。


 俺が何で人間嫌いになったのかというと、この怪我が原因だ。

 厳密には、この怪我が出来た一連の事件が原因。

 今の人狼は、狼の姿に変身するタイミングを自分の意志で決められる。丸いものを見ても変身しないように堪える事だって出来る。人間の姿に戻るには相当な力がいるから契約者の体液が必要らしいけど。

 そんな事を知らなくて良かった幼いときの俺は狼・・・・・・というよりは子犬の姿で月夜の道を散歩していた。

 そこを変な奴等に囲まれて、動物虐待という目にあった。

 幼い俺は人狼と言っても無力で、兄さんたちが助けに来るまで彼らの暴力を受け続けた。それ以来、人間には強い拒否反応が。

 その理由の所為か、親はあまり契約者を見つけろと言ってこないけど。

 でも、俺が生きる為には契約者が必要で。

「あ、紬ちゃん、楓ちゃんが職員室に来いって言ってたぜー」

 クラス担任の名前をちゃん付けすんなよ。

 更科がゴツイ指輪を数個つけた手を俺に向かって振ってくる。

 かったるい気持ちを抑えつつ、立ち上がって彼の横を通った。

 勿論、礼なんて言わない。

「・・・・・・更科、なんであんなヤツ構うんだよ」

 教室の端の方から聞こえてくる声に、俺は嘆息するしかなかった。

 俺の努力のお陰で人間側の俺の評価もどん底だ。

 契約者になってくれる人間なんて、現れるわけがない。それなりの条件だってあるし。

 ああ、かったるぃ。

 人の多い教室に耐えられなくなっきたから丁度良いタイミングだったと思いながら俺は廊下へと出た。

 そんな俺を見つめる視線があったことなんて、この時は気付きもせずに。



「なぁに?コレ」

 こっちもこっちで人の多い職員室で俺は担任の若い女教師に軽く睨まれた。

 コレ、と示されたのはB5サイズのレポート用紙。

「・・・・・・レポートですが?」

 表紙には俺の名前が俺の字で書いてある。先日提出した西洋史のレポートだろう。

 なんの躊躇いもなく答える俺に、彼女は眉を下げた。

「坂下くん、何か悩み事とかあるの?」

「別に何もないですけど?そのレポートに何か不備でも?」

 確か、童話に出てくる狼についてせつせつと語った気がする。

 童話の中の狼男は、当時、子供を持つ親が恐れていた森の中に居る浮浪者を現している。彼らは子供を襲い、強姦し、最後は殺した。まさに取って喰う狼なのだ。

 『赤ずきん』という内容もどこかセクシャル的な要素を持つ。原書では狼と少女が裸でベッドを共にする描写がある。

 実際のイヌ科の狼も、当時の人々の恐怖の対象だったし、また、狼のような人間も恐怖の対象だった。

 童話は子供に気をつけるようにと言い聞かせるためのものだったのだ。

「途中までは良かったわよ?でも・・・・・・狼男が本当にいるっていうのは」

 ああ、その一文だけで俺は呼び出されたわけか。

「気になるなら訂正します」

 俺の冷め切った態度に彼女は眉を寄せた。

「ねぇ、坂下くん、クラスに友達いるの?」

 余計なお世話、だ。

「そんなの先生には関係ないでしょう」

「関係有るの。私はクラス担任よ?」

「とにかくこのレポートの文は訂正します。もうすぐ授業も始まるので」

 失礼します、と頭を下げて職員室から出た。



「あ、紬、久し振り」

 廊下に出てもすぐ教室に戻る気にならなく行く当ても無く歩いていると、この学校で唯一の知り合いの樋山基が手を振ってきた。彼とは従兄弟で、基は片親が人狼で俺達と違って純血ではない。その所為か、結構気楽に生きているっぽい。

「久し振り。お前、今人間と一緒に暮らしてるんだって?」

 基の両親は今外国に住んでいる。だから、父方の弟と・・・・・・ただの人間と暮らしていると聞いた。

 俺の言い方に少し棘があることに気がついた彼は柔らかく微笑んだ。母さんの妹の息子なだけあって、綺麗な笑みだ。

「うん、叔父さんとね。紬、相変わらず人間嫌いなんだ」

 基とは小さい頃から結構付き合いがあって、もう一人の兄弟のような存在。だから俺の事情もよく知っている。

「当たり前だ。二度と人間なんか・・・・・・」

「でも、それじゃあ契約出来ないだろ?どうするの?」

 人の居ない廊下の踊り場でこそこそと突っ込んだことを話す。

 どうするの、と言われても、どうしようもない、と言うしかない。

「基は、どうしてるんだよ?」

 基も半分血が入っているのだから、契約者は必要なはず。

 聞いた瞬間、彼の顔が一気に真っ赤になった。

「基?」

「おおおおお俺はいいの!もぅ、我侭言ってないで紬も早く契約者見つけるんだよ!?」

 何か聞いちゃいけない事、聞いたか?俺・・・・・・。

 基はそのまま走って自分の教室に帰っていった。

 なんだぁ?

 その背を見送りつつ、俺はため息を吐いた。

 基の外見は色素の薄い髪にほんわかした空気、それに母親似の綺麗系の容姿でさり気無く学校内の有名人だ。人当たりも良いしな。

 それの反対の位置に居るのが、俺だ。

 別に、好きで人間嫌いになったわけじゃない、のに。

 まだ僅かに痛むような気がする首の後ろの傷を撫でて、ぐっと唇を噛み締める。

「あ、紬ちゃん?」

 何でこういうときにコイツに会うんだ!

 上の階段から更科が降りてきた。この上の階には職員室しか無いから、多分何かの呼び出しか何かだろう。

「楓ちゃん悲しんでたよ〜。駄目だよ、担任泣かせちゃあ」

「お前には関係ないだろ」

「さっき走って行ったのはもしかして基ちゃん?相変わらず美人だよねぇ」

 へらへら笑う彼の顔をじろりと睨んでやると、更科の眉が面白そうに上がった。

「ま、紬ちゃんも美人だけどね」

「・・・・・・はぁ!?」

 今、何て言った?コイツ。

 思わぬ言葉に今まで無視という態度を取り捲っていたスタイルを崩してしまった。

 それに気を良くしたのか、更科が女にモテる笑顔を深くする。

「美人、ってゆーか可愛い系の顔じゃねーの。何でこんなに前髪長くしてるわけ?勿体な」

 更科の長い腕が俺の前髪に伸びてきたのに反射神経が働いて、びくりと体が揺れる。殆ど無意識に一歩後ろに後退していた。

「俺に触るな・・・・・・っ!」

 彼の手を払おうとして、がくりと後ろの足に鋭い痛みを感じてすぐバランスが崩れる。ここが踊り場で近くに階段があることを忘れていた。

「紬ちゃん!」

 更科の手を払おうとした手をコイツに掴まれて引き寄せられて、どうにか転落はしないで済んだ。

 しっかりと抱き寄せられた状態に、むしろ落ちたほうがマシだったと思う。だって、一応俺人狼だから受身くらい取れるんだ。

「あぶね―あぶねー・・・・・・紬ちゃん、ダイジョブ?」

 耳元で聞こえた更科の声に慌ててヤツの体を突き飛ばした。

「俺に触るな!」

 瞬間、さっき踏み外した左足に鋭い痛みが走る。思わず顔を顰めた俺に気付いた更科が視線を落とした。

「足、痛めたんだな」

 それでまた手を伸ばしてこようとするな!

「平気だ。俺に触るなって言ってる!」

 べしっとその手をはたいて俺は階段を壁伝いで降り始めた。もぅ、今日は帰ろう・・・・・・。散々な目に合いすぎだ。

 治癒能力は人より早いけど、吸血鬼よりは遅い。

 不意に窓の外を見ると一匹の蝙蝠が昼間だというのに飛んでいる。本当に丁度いいタイミングに天敵である神にお礼を言いたいところだ。

 更科から死角になる廊下の角に入り、そこにあった窓からその蝙蝠を呼んだ。

「セイ」

 一部始終を観ていたのかもしれないその蝙蝠はすぐに俺のトコに来た。

「大丈夫か?」

 人が居ないのを見計らって、彼は人の姿に戻る。

 高身長に、黒髪、相変わらずの美青年だ。

 彼はセイ。俺達家族と交流がある吸血鬼族の一人。

「俺、家に帰るから送って」

 吸血鬼一族は基本的に俺達一族より魔力が高い。だから瞬間移動とかも出来たりする。空を飛んだりしているところを見ると羨ましくなったり。

「契約者から力を貰えばその程度の怪我、すぐ治るんだけどな」

 セイは苦笑しながら俺に向かって手を伸ばした。

 俺の人間嫌いは仲間内で有名なようだ。

「ハンターに狙われたお仕舞いだぞ?」

「わかってる。早く」

 小言はもう聞きたくない、と彼の手を強く握った。更科が来る前に、というか誰か他の人間が来る前に去らないと。

 瞬間、風のような音が耳に触れ、思わず瞑っていた目を開けると自室に立っていた。

「もう、今日も早退?」

 呆れ顔の母さんが俺の部屋に入って来て、俺の脚の様子を見る。イヌ科にとって足の怪我は命取り。風邪をひいた時より心配される。

「契約者、早く見つかるといいわね」

 そう言いながら応急処置を施してくれた。

 俺が、人間嫌いを治すまでは、無理な話だ。




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